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2006-12-16

那智チャコパック懐かし版放送に寄せて

最近あるサイトから退出した。

それはWさん主催の那智チャコパック公認?サイトで、従来から地道に那智チャコパックの情報をアップされていた。私の認識に誤りがなければ24年 前に終了した那智チャコパックの精神を受け継ぎ(勿論リアルタイムで聞いた世代だけではないので、あっもうひとつ当時ネットされなかったエリアのリスナー のために当時の放送のデータをいくつか譲り受けて那智チャコパックの神髄に触れるための支援もして頂いた=当然個人的な範疇であるが),サイトの正式タイ トルにも"31年目のもうひとつの別のひろば"とあるように、番組そのものというよりパックによって創出された深夜のように隔絶された世代のためにイン ターネットという巨大時空空間の中にできたもうひとつ別の広場のようなサイトだったと思う。

従って、TBSの特殊な事情があったにせよ短期間ではあったが日曜深夜(機材点検のため唯一放送を止める=ある面唯一残された深夜かも知れない)に再開されたキンキンパックには心よりエールを送ることができた。そう広場の延長のように思えたのだった。

しかし、このサイトの存在がより多くの人達に知られるようになるにつれ、Wさんというより当時の那智チャコのお題の主たちの思惑が強くなっていっ たように思えた。もちろんそれは24年前のスターでありそうした人達がこのサイトの主役になることは決して否定すべきことではない。しかし当時の那智チャ コを支えていたのはこうしたスター達のお題を伝える那智チャコの放送を布団に包まったり、受験勉強にかこつけて自らのその後を夢見ながら青春時代を送った 声なき声のその他多くのリスナーだったと思う。

そうしたリスナー達にとってはこのサイトは放送される、お題として取り上げられるという大きなワクワク感はないものの当時を知るであろう多くのリ スナー達に自分の思い、悩みや考えをキーボードを叩くだけで発信できる魔法の箱=もうひとつ別の広場に繋がる、ではなかったのかと思う。すくなくとも私は そう感じていた。無限のネットではあるが、気分はパックメイトという共通体験のある広場の仲間に発信するメッセージであった。

そうした中、当時のスター達を中心に当時と同じような枠組で本を作ろうという話になった時、正直大丈夫なのかなあ?という思いが頭をよぎった。確 かに同窓会誌的なものはないよりあった方がましであるのは理解できるものの、またぞろ限られた人達だけの記録にならないのだろうか?今あるサイトの中にお 題拝借コーナーを設けて必要なら那智ちゃん、チャコちゃんにも感想なりご意見を書き込んで頂く方がこの時代のパックにふさわしいのでないか?それをまとめ て別の形として発信するために出版するというのはわかるけれど、はじめに出版ありというスタンスには正直、ついていけない思いもあった。(ノスタルジック な思いを優先しずぎではと)

そして、今回特番という形でゴールデン枠に1時間番組として復活することになったそうだ。細かい経緯は知ることはできないが、出版をすすめる過程 で当時のブロンズ社、TBS関係者との話の中で進んでいったのは想像に固くない。時代は団塊の世代、ラジオに久米宏も戻ってきて、中波局は昔のラジオのコ アな世代に向けた番組つくりを模索している状況である。ラジオ編成的に言えば、金パはおいしいコンテンツと映っても不思議ではない。(この点については前 の日記にも書いたけれど)更に言えば、ラジオ番組自体はタレントフィーを除けば驚く程お手軽な制作費でできている。一部であってもネットするローカル局が あることを見れば営業的にもスポット収入のめども立つコンテンツと考えたのであろう。

番組自体が放送されることは喜ばしいことだけど、この論理こそ放送局が深夜放送、とりわけパックを終焉されたものと同様であることをこのメンバー 達は理解しているのだろうか?こんな形で復活させることが最終的な目的ではなかったよね?と思いつつ、上手に手の平で踊らされていないことを願うばかりで ある。

そして、こうした過程の中で、サイト内の様々な内容について及び腰になりすぎ(勿論、この内容とは関係なく遵守されるべき規制もあるが)、結果サ イト自体が停滞していたのだとすると、こうしたサイトこそもっと発展させることが金パの精神にふさわしいと考える者にとっては本末転倒に映ってしまったの も事実である。

当然、人がそれに何を望むかにおいて正解は存在しないし価値観も違って当然だと思う。勿論ノスタルジーのみで十分と考える人がいてもそれは尊重さ れるべきだと考える。残念ながら私は番組が特番で放送されることがすべてとは考えない立場であったため、著作権云々の内容を持って高圧的に排除するような 動き(著作権なんてどうでもよいと言っているのではないので念のため),自らの目的だけが優先されるサイト運用に関しては馴染むことはできなかったため、 自ら退出する道を選んだ次第である。

双方向性をもった新しい時代のもうひとつの別の広場を旧態依然としたメディアの軍門に下る形で復活させても、それが上質なエンターテイメント以上 の意味をもつとは思えない。これが2006年12月放送前の結論である。多分放送自体は現状のラジオの中では異彩を放つ放送であることには違いない。期待 している方々には十分に楽しんでもらいたい。但し、そこには我々のめざしたもうひとつの別の広場は存在していない。

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