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2007-02-06

再び珈琲の話

考えてみると珈琲を飲み始めてかれこれ40年以上たつ。
私が生まれてから住み続けるこの地には、いわゆるモーニングサービスで有名な
喫茶店(方言的に言えばキッチャテン)が沢山あるが、これが原因で
珈琲を飲み始めた訳ではないようだ。

庭師だった祖父は、結構な趣味人で家には祖父が集めた掛け軸や茶器が多くある。
その趣味の起源は知る由もないが、想像するに一応高名な庭師だった祖父が
出入りする家は所謂お大尽で、当然趣味人も多かったように思われる。
門前の小僧ではあるまいが、仕事の中で、家人よりあれこれ趣味の話を
聞かされたのは容易に想像をつく。その中で祖父自身がこうした世界に興味を
持つのは当然のこととして、そして何より祖父の仕事は茶の湯の世界には
ふさわしい日本庭園を創り維持することだから。

そんな祖父のお気にいりだった私は、記憶にある限りでは3歳頃には
祖父の立てる抹茶を飲んでいた記憶がある。祖父自身は私が7、8歳の頃には
他界しているが、今の私の成り立ちには随分影響を与えているように最近益々
感じている次第。(ひょっとすると父親以上かも知れない)

まあ、3歳から抹茶を毎日飲んでおれば、珈琲などは刺激物でもなんでもなく
自然に飲むようになった記憶がある。珈琲自体は瞬間、ネッスルのインスタントの
時代もあったが、多分中学の頃からは、原則引いた豆でのレギュラー珈琲だった。
これは、父親が早朝会と言って毎朝7時頃から仕事前に寄る(と言っても会社のすぐ裏だが)喫茶店のママから、お店用の豆を分けて頂いていたのが始まりだと思う。
このお店では、ネルドリップが基本で、当時我が家にも金魚救いの親玉みたいな
ネルドリップがいくつかあった。そしていつしか、我が家で珈琲を立てる役目は
私のものになっていった。(自慢じゃないけど、私の立てた珈琲が一番おいしかったからだが)

珈琲の入れ方には、サイフォン、水だし、ネルドリップ、ペーパードリップにエスプレッソマシンによるもの等色々あるが、やはりネルドリップが基本中の基本だと思う。確かにサイフォンをいくつか並べた絵は喫茶店にはふさわしいが、何故か関心の珈琲を抽出する瞬間が、器械まかせというか誰が立てても同じだが、ネルドリップは立て方により味が確実に変わり、いかにもプロがたてる珈琲という感じがする。極細のお湯さしでドーム状に珈琲を蒸らし、その後一気に抽出する様は、職人の技というか、誰でも彼でもできるというものでなく、喫茶=プロならではの味を楽しめる、そう子どもの頃感じた茶筅の華麗な動きで立てられる抹茶に通ずる味わいが何より楽しい。

と言う訳でその後の珈琲も、もっぱら土地柄のサービスメニューに走ることなく、プロの味、プロの技を目指して喫茶店巡りをするに至った次第。正直、珈琲を味わうことも大切だが、それを立てるプロの様を眺めるのも中々楽しい。その点では以前紹介したことのあるびぎんはこの二つの楽しみを同時に味わえる数少ないお店のひとつではある。

茶の湯に通ずる珈琲道。私なりの珈琲の楽しみ方ではある。

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コメント

喫茶店のマスター!
似合ってるかもね。
定年後でも遅すぎないよ。
開店したら ぜったい行くよ。

投稿: ま3号 | 2007-02-18 12時49分

夏場のネルは黴が生えるんだよね。
いつもは水につけておくんだけど・・。
結局、ペーパードリップになってしまうんだけど、
せめてプロのお店では、ペーパードリップと
スジャータのポーションカップはやめてほしいなあ?
ま3号さん、本当は喫茶店のマスターの方が今より
似合っていると思うんだけど、定年後じゃ遅すぎるよね。

投稿: たくみ | 2007-02-17 10時27分

おはよ。
朝早く読んでるせいかな?
どこかから たくみちゃんのたてる珈琲の香りがしてきた。
心が疲れてるときは 飲ませてほしいな。

投稿: ま3号 | 2007-02-17 06時47分

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