2007.2.28曙橋ライブ
曙橋ライブ
おけいさんには公認HPやコアなファンの方々が見えるので
正しいコンサートレポートはそちらの方におまかせしよう。
以下は極めて私的なかつ思い入れたっぷりのレポートとご理解の上
ご覧いただきたい。
いつものようにキラキラ号はほぼ満席の状態で名古屋駅を10時に出発した。ほぼ2/3の若い女性(と言えない人もいるが)は運転席寄りにその他種 々雑多な男どもが後寄りに配席されていた。予定では3時半に八重洲口に着くところだが、今回はじめて愛知県内で渋滞に巻き込まれた。長旅の友はいつもの iPodで、長旅にはピッタリの80年代のナチチャコパック。2時間の番組から著作権の関係で音楽やCMがカットされているので約1時間半。つまり予定で は3週分聞けば八重洲に着くはずが、この渋滞と余計に1回取った休憩の為、首都高で渋谷駅辺りを通過するころにはすでに4時を回っていた。予定の5時間半 +1時間かかって八重洲に到着した。(いくらシートがゆったりのバスとは言え、6時間程座りづめだったことがライブ本番でも微妙な影響を与えることになる とは・・・。)
今日ははじめて宿泊することに。実は姉夫婦が老後のためではないが豊洲にマンションを購入していた。実質1年に数日程度しか使用しないのだが、姉 の子ども達や義兄が都心近くで勤務していることもあり、高雄の自宅まで戻れない時は使用している部屋である。そう今日は長居ができると意気込んでいたのだ が、好事魔多しで体調は最悪、翌日1番の新幹線で仕事に行かないといけない状況では、なんのことはない、いつもの深夜バスと大差がないようだ。
ライブスタートは7時半、6時半ころ部屋を出ても30分もあれば曙橋に着く場所だ。予定通り7時前に曙橋についた。backintownは あっけなく見つかった、近づくと上田さんが煙草をくゆらせていた。地下に続く階段が行止まった場所に、ライブ会場があった。中には見慣れた常連さんの姿も ちらほら。軽く会釈して、今日は指定席とのことステージからみて後方左隅のテーブルだった。壁向の席、しかも木製の固い椅子。開演までは30分。ステージ を見るためには上半身を捻るか、狭いスペースで椅子の向きを変えるしかなかった。しかし目前のお二人は男性だったので小室さんは見えるが、おけいさんは頭 の間からかすかに、良明さんは逆にカバーできるがこへさんは声のみが聞こえるという状況だった。まあ、ビデオ収録用のライブだから贅沢は言えない。せめて 内向きに座れるソファ席だったらと、どうせ籤運は悪いのであきらめることにした。
MCお二人の挨拶で、ライブはスタート。帽子フェチ?の良明さんは今日はおとなしめのサックスブルーのハンチング。なんと昼間にトーク部分は収録済とのこと。放送ではトークの合間に演奏が入るので曲目を見ると大体のトークの流れは想像できるかな?
たくみのプロフィールでもお判りのように、六文銭とムーンライダースのファンであるたくみにとっては今日は至福の組み合わせである。良明さんがど のようにまる六に絡んでくるのか、実はこれが一番のサプライズだった。いつもなら、1、2曲程度のお手合わせが普通なのに実に8曲も共演してくれた。国宝 スリーフィンガーの小室さん、もちろんこへさんに良明さんの艶っぽく力強いギターがどう絡んでいくか?これだけでも来たかいがあったというものだ。
小室さんが100年振り、と言って始まった最初の曲が唯一のアルバムタイトルになっている"キングサーモンのいる島" 正直生で聞くのははじめて。こへさんの声がうれしい。別の機会に書きたいがこの曲を聞くだけでも六文銭はフォークなんていうジャンルを越えたグループだと 解る。多分トークは六文銭時代を振り返る部分があるのかと想像する。ここで木田たかすけさんの話題に、おけいさんもフォローするが、小室さんが惜しい人を 亡くしたと話したのをいつもの冗談と思った観客から笑い声が・・。小室さんあわててフォロー。そうか知らない人もいるんだ。ジャックス時代から時計を止め てのビブラフォンなど多彩な木田さんはナターシャ時代に交通事故で30歳で惜しまれながら亡くなっている。その年の宵宵山で友也さんの君よそよ風になれの歌を思いだした。
(おいおいまだ1曲目だよと怒らないで。いつもの癖です。)
続いて同じLP内にある、おけいさんの曲"ホワンポーエルの街",夏二人でと続く。どの歌も歌詞は入っているので口の中で歌っていた。続いて、こ の辺りは六文銭の特徴でもある戯曲=別役さんのトークだろうか?私はスパイ、ふな屋などの中の短い曲が組曲のように3曲。これも六文銭ワールドの大切な キーワード。戯曲+六文銭はおけいさん加入前の定番の楽曲。その後の小室さんのドラマの音楽に続く、どちらかと言えば小室色の強い楽曲。
そしてここで早々と良明さんが加わる。実は良明さん、ムーンライダースで
は一番最後に加わったメンバーで、個人的にはシタールのイメージが強い。しかしロックギタリストとしての腕は相当のもの。雨が空から降れば、この大空に捨
ててしまおう(これも大好きな曲),インドの街を象に乗って、面影橋からと続く。実は六文銭最後のころ、何かの番組で小室さんがアコースティックに拘りな
がらも音の厚みも望んでいた話を思いだした。原さんにワザとリフレインぽく掻きならしをさせたテイクの場面があったっけ。
何故か良明さんのギターはその当時の足りなかった音をグループ全体で見つけたように、真の六文銭として蘇ってきたような錯覚を覚えさせるに十分な響きを奏でていた。まさにプロがプロの技に触れることでお互いが更に高め合う演奏になっていた。
冗談でなく、次回のまる六の日にはゲストで参加して欲しいと思ったのはファンだけでなく、ご本人達もだと思った。
ここからソロのイメージの定番の曲が続く。小室さんのアルバムから"私は月には行かないだろう",こへワールドで引き潮(小室さんのぼけもご愛嬌!?)君はだれかな、雨が降りそうだなと続く。
そして音楽夜話ではインスツルメンタルでもあった無題。
ここで再び良明さんが加わる。
大好きな"街と飛行船",ムーンライダースもマニラマニエラなんて言う問題作もあるので、共演スタートにはふさわしいかも。
そしてトークの流れはまる六としての活動に移っていくのだろう。"はじまりはじまる"そしてまる六としては一番の名曲だと思う"石と死者"普段で
も3人で音楽劇のようにシャウトする曲に良明さんのギターはそこにあるのが当然のように絡んでいく。まるでジャズセッションのようにお互いの呼吸を計りな
がら、それぞれの魅力を引き出していく様は、もっともっと多くの人に伝えたい宝物のような曲であると思う。
そしてあっという間のエンディングは中原中也のサーカス。これも定番。そしてアンコールはおけいさんのためのまる六の歌"ただ暖かくカラッポに" で至福の時は終わった。余韻にしたる前にふと我に返ると6時間+2時間でお尻の痛さは限界を越えていたし、体調は更に悪化していた。これは無理して皆さん に病気を写してはならずと早めに戻ることに決めた。おけいさんに挨拶できないのは残念だけど次の機会もあると自分に言い聞かせて・・。
出口に向かう時Uさんに会えた。実は本日一番ほっとした瞬間。人見知りが酷いたくみとしてはほんとに心休まる瞬間だった。休まりすぎておけいさんや皆さんによろしくお伝えくださいの一言を伝える事さえ忘れてしまい大反省の一日だった。
実は今日は良明さんの誕生日とのこと。ハッピーバースデーのサプライズもあったが、記憶違いでなければ同い年のたくみとしてはうらやましさも一杯 だった。何よりライブで精魂使い果たし、もうひとりの啓子さんがお出でだったのに気付かなかった不明もただただ恥じるばかりであった。
やった!一応書ききったぞ。内容の些細な間違いはお許し頂くとして今回のライブがたくみにとってどんなに良かったかが伝わっていることだけを願うばかりである。フ〜。
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