ファンにとってのまる六CD
まる六として初のCDリリースが正式に決定した。
何しろ品番もFLCF-4202と決まっているし,価格も3000円,
アルバムタイトルも”はじまりはじまる"と。
そうだ,肝心のリリース日は10月24日,そうすでに予約も可能ということである。
それ以外にオープンになっている情報で言えば,収録は18曲!六文銭時代の曲もあるとのことだ。
つまり2000年から,手探りで始まったまる六というスペシャルユニットの7年の軌跡の中で,繰り広げられたライブの集大成のようなCDということになりそうだ。だから,生のライブを体験している者からみれば,ある程度の収録曲の想像は可能である。中にはこのユニットが活動するまで28年間封印されていた名曲も含まれていることになり,六文銭,まる六ファンとしてはこれ以上の朗報はない。
偶然かどうか知れないが,金曜日のトクダネのオープニングトークで小倉智昭がイーグルス初のスタジオ収録CDが10月に発売されることを話していた。
そして生まれ変わることができることならグレンフライになりたいと涙ぐんでいた。そう,まる六CDの発売は,昨今のフォークブームとやらに則ったものではなく今でも,現役第一線で活躍するユニットの新作アルバムとして評価したい。グレンフライ59歳。そうこへさんと同い年,世代的には同じである。
小倉さんがグレイフライなら,たくみは才能がないので小室さんやこへさんとは言えないのでまる六の敏腕?マネージャーに生まれかわりたいと思った次第。
さて言うまでもなく,懐かしいけど新しい,まる六の真骨頂はここにあると思う。うれしいことに,今度のCDは,今はやりの打ち込みではなく,ライブ感を大切にした所謂一発取り,まる六3人だけでの収録と聞いている。ライブそのものとは言えないけれど,ライブに参加したことのないファンにとってもそのエッセンスの一部は十分に伝わる作品だと思う。
ところで,このCDにはもうひとつの重要?な意味が込められている。日本初のアーティストが主体となったレコード会社として設立されたフォーライフレコード,そう小室等,吉田拓郎,井上陽水,泉谷しげるを中心にして1975年に設立された会社である。初代社長は小室さん,2代目は拓郎である,経営的にはフォーク全盛時はともかく,元々会社経営に長けたメンバーでないこともあり2001年に清算,現在のFLMEに改定されている。
現在の社長はユイ音楽工房の設立者でもある後藤由多加氏ということで(ちなみにユイの由来は小室さんの長女,こむろゆいさんから)旧フォーライフと同じであるがフォーライフレコード復活第一弾ということが何を意味するのかは今時点では明確な答えを持ってはいない。(CD発売のNEWSのFLME内にあるし・・)
さて,CDについてはここまでとして,この機会にファンとは何かを少し考えてみたい。実は別のサイトやmixiで,ファンとは何かを考えさせられることがあった。このあたりの表現は極めて微妙で,所詮,ファンと言ってもその対象となる方をどこまで理解しているかと言われれば,表現されたもの,まあここで言えば楽曲なり著作なりしか理解していないのは当然である。
ベートーベンなりモーツァルトのように楽曲自体を知り得た時点ですでに故人となっておれば,純粋に楽曲なりに特化して評価できるのだが,現役のアーティストであれば,楽曲以外の面,プライベートな面であっても情報が溢れることにより,いつしか楽曲を越えてアーティストそのもの=これが実体イコールなら問題はないが,いつの間にか,勝手にイメージした人となりそのものを対象にしている感覚がある。それがあこがれのアーティストと間で,間接的ながらも言葉のやりとりが成立するネットが介在する時代となると,妄想とは言い過ぎだがファンの側でどんどん,その精神的な距離感までちじめてくる可能性は高いと思う。しかし,それはどこまで行っても開示されている一面でしかすぎないことは明白である。
ここに錯覚なり誤解が起きる素地はあるのだが,全くの赤の他人であれば,最悪の場合は無視することで一線を引く事は可能だけれど,アーティスト側からみればどんなファンであっても,特定の1ファンのことと割り切ることは困難な訳で可能な限りの許容範囲を広げることで,無意味な誤解を受けないようにするのは当然のことなのだろう。が,このことが更にファンの側の錯覚意識を増大させる可能性もあるわけでネットの匿名性を傘にブログ等を炎上させられるくらいならと思うのも当然だと思う。
またライブ会場で開演前などに聞こえてくる会話の中には,プライベートな話題を中心とした正直聞くに耐えない内容もあったりするのだが,結局,こうした時代になると,ファンとしての優劣(そもそもそんなものは存在しないのだが)をアーティストとの距離感,あるいはプライベート面をどこまで知り得ているかで計ろうという風潮があることには,違和感を感じざるを得ない。
アーティスト=スターとして一定の神秘性の中の存在がいいのか悪いのか判断は困難だけどだからこそ近づいてきてくれるアーティストに対し,ファンの側としての良識というか謙虚さが必要でないのかと思う。あたかも自分がスターにしてやった,あるいは自分のお陰でここまでになったなんて嘯く連中を見ると,こんな連中と同等のファンであることを悲しく思う。
本来,ファンであれば無償の愛というか,見返りを期待する言動なり行動は慎むべきで,恩の押し売りみたいな言動や表現は,それに感謝なり,賛意を表現しているアーティストの行動を見ると痛々しささえ感じてしまう。
本当にファンなら無言実行でいいんでないの?その結果としてファンである対象者にプラスになれば,そのことを喜びと感じることが大事じゃないのと思ってしまう。
そもそも,本当に大切だと思っているのなら,余計な気遣いをさせないようにするのがファンの役目だと思うのだが,如何に。
まる六のCDの話に始まって訳の判らない話になってしまった。
という訳ではないが,今日から,たくみはまる六やおけいさんのファンを止めることにした!?
これからはサポーターとして,もっともっと心から応援できるようになりたいという思いを込めて。
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