ビギンとジョニミッチェル,そしてフォークソング
フォークソングってなんだろう?
そのものズバリと言えばフォークロア,民謡ということになる。
だからソーラン節や江差追分はフォークソングということになるのだが,そもそも民謡自体の定義も曖昧な訳で,民間伝承歌ということになるのだろうが,伝承の歴史の長さによってまた広義,狭義の意味によって意味あいは異なってくる。そう言えばS&Gの"コンドルは飛んで行く"も立派なフォークソングってことになるのだろう。
先日,偶然ではあったけどビギンが故郷石垣島でコンサートを開いている番組を見た。いかにも沖縄らしい風情,でも最初に彼らをみたのはイカ天,いずれにしても見てくれじゃなくて音楽そのもので勝負するタイプではあったが『恋しくて』のスマッシュヒットはあったが決して流行歌バンドではなく,しばらく苦しい時期もあったけど,肩の力を抜いて,沖縄出身であることを明確にし,スタイルが定着してからは安心して聞けるグループになったと思う。何より,彼らを見ていると正にフォークソングって言葉が自然に当てはまるグループのように思う。
ビギンの拘る沖縄,一応の単一民族国家のように思われている日本だけど,大半の大和民族に対する琉球民族,またその性もあり唯一の地上戦の悲劇と,かつ戦後25年間もアメリカの植民地として敗戦の暗部をすべて背負わされてきた歴史的事実は,小室さんをして申し訳なくて沖縄には行けないと言わしめた(確かラジオで聞いた記憶があるけど,その後喜納昌吉さんにそんなこと気にしなくていいよって言われてようやく行けるようになったとか)くらいの本土との格差は厳然とあったのだろう。
つまり,同じ地方出身でも本土の中での九州や北海道出身の者達との決定的な差,背負っているものの重さというものが,まさにフォークソングと自然に呼べるものなのだと思う。とは言え,ビギンが対本土という意味だけに拘っているわけではない。彼らの生み出す歌が,自然と沖縄石垣の大地が生み出すものとなっているんだと思う。
有名な涙そうそうは作曲だけだけど,この日歌われた『島人ぬ宝』は本土というか文明文化を意味なく消費するものに対する無言のアンチテーゼのような曲だと思う。結果背負っているものだけでなく,もっと大きなものに対しても十分意味のある歌だと思う。定義の意味はいろいろあるだろうけど,フォークソングであることは間違いない。
そしてジョニミッチェル。正直,ジョーンバエズやキャロルキングと明確な違いを論じられるほどの知識は持っていないが,1960年代から70年代にかけての数々のヒット曲,その後ジャズにも傾倒,何より90年代に3回もグラミー賞を獲得するなど息の長い現役の歌手と言うところか?何より,最近おけいさんもライブでよく歌われる"サークルゲーム"の作者でもある。(この歌のことだけで一文書けてしまうが,伝説の映画“いちご白書"の挿入歌として有名。但し,この時の歌唱はバヒィーセントメリー)
こちらはロックレジェンドという番組でまさに彼女の伝説を見た。意外なことに,当時良く聞いた"青春の光と影"や"サークルゲーム"は彼女の歌唱ではなく,それぞれジュディコリンズや前述のバヒィーの歌唱だった。つまり彼女はソングライターだったわけだが,彼女自身は(どこかのYさんとは違い)ギターの名手であると同時に4オクターブを誇る歌い手でもあった。透明感のあるのびやかなその歌声なのに,どうしてこの二つの曲が彼女の歌唱でなかったのかは良くわからない。
ジョニミッチェルの出身はカナダ。ニールヤングがインディオの血を引くバヒューもカナダ出身だそうだ。いかにも西海岸,フラワームーブメントのイメージがあるアメリカンフォークだけど,この辺りもこちらの勝手なイメージ優先なのだろう。因みに美大生でもあったジョニミッチェルにいち早く注目したのがCSNYのC,デイビッド・クロスビーなのだそうだ。その後の交流でもCSNYは当然としてジェームステイラーなどもあり,この時代の多くの歌手に楽曲を提供するだけでなく,大きな影響を与えた歌手でもあった。
彼女はシンガーソングライターとして,独学でスタイルを築きあげた。この時代,日本でも少し遅れてフォークソングブームとなったが,それはプロにより創作された守備範囲?の広い歌ではなく自らの言葉,歌唱によって狭いけれど実体験,心情に根ざした歌により深く共感したいという時代の流れが作り出したもののように思う。ジョニミッチェルもボブディランに代表されるその流れのひとつであることに変わりはないものの,他に対するメーッセージというより,自らから発信される詩的そして音楽性に拘ったものという点で,乱暴に言えば,ディランが関西メッセージフォーク,そしてジョニミッチェルに代表されるものが小室さんというか六文銭に代表されるフォークソングの原点のように思える。その点でもおけいさんがサークルゲームを歌うのは,正統!?なのか?
今回,別にフォークとは何かを定義したかった訳ではないが,その基本には,背負っている世界,風土と自らの世界を自ら表現することにあることをあらためて感じた次第。
余談だが,ジョニミッチェルのすごさは,その信条のぶれなさにあるように思う。60〜70年代はフォークソングが彼女のジャンル分けの代名詞だが,その後ロックやジャズに変遷する中でも,彼女自身の好きなもの大切にするものを求めただけであり,あくまで周囲の勝手なジャンル分けであることが明確である。前述の番組の中のインタビューでも" 人種や性別を越えた歌であるとの評価が一番うれしい"と語っていた。そして80年代から,自然や環境破壊,戦争,格差についてメッセージを発信し続けている。1943年生まれ,現在64歳。小室さん同様,ぶれない。凛とした女性としての評価は今だ変わらない。因に美大生であったのは趣味ではなく,彼女のアルバムの大半は彼女自身の描いた絵が使われている。トップに表示したアルバム『Both Sides Now』のジャケットも勿論彼女自身による自画像である。
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コメント
いるか様
お久しぶりです。
この記事はロックレジェンドという番組の
ジョニミッチェルの回を見て書きました。
フォーシーズンのオープニングで
好きなアーティストは?という問いに対して
"外国ではジョニミッチェルです。日本ではぼくです"って
いういかにも当時23歳のこへさんらしい回答を
思い出しました。
投稿: たくみ | 2007-10-20 20時30分
ジョニー・ミッチェルがカナダ出身とは知りませんでした。同郷だから、ラストワルツでニール・ヤングの「Helpless」のキーボードとバックボーカルをしていたのではないのでしょうが・・・。アメリカでは何枚かDVDが出ていて、時々聞いては(見ては?)楽しんでいます。新しいCDも出たはずです。
投稿: いるか | 2007-10-20 14時13分