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2007-10-07

ステレオによる叙事詩"フォーシーズン"

"1972年5月,ひとつの島がもうひとつの大きな島に統合された頃,ひとつのフォークグループが解体した"

こんなNHKディレクター和田智充さんのナレーションで始まるのは
この年の芸術祭大賞も受賞した"ステレオによる叙事詩フォーシーズン",
たくみにとってはいろんな意味でバイブルのような番組である。
実は舞台となる71〜72年は戦後の意味を考えさせられる重大な事件があった。
・グァム島からの横井昭一さんの帰還(彼の中では戦争が続いていた)
・雫石上空で自衛隊機と全日空機が空中衝突
・台湾に代わり現中国が正式な代表として国連に加盟
・そして72年5月15日アメリカから沖縄返還(この年まで沖縄は外国であった)
と同時に人気絶頂の中で六文銭はあっさり解体していった。

勿論この番組以前から六文銭のファンであったたくみにとっては,当時のラジオ放送は地方在住の者にとっては今のネット以上に最大かつ唯一の情報源であったのだが,同時に第8次六文銭を見届ける最後の番組でもあった。
※以下は著作権的にはかなりグレーだけど,ネット上で見つけた同番組の音源である。もちろんさわりの数分分しかないけど,当時20歳のおけいさんの声も聴ける。
   http://homepage2.nifty.com/lotus_bloom/fourseason.mp3

もともと" 出発の歌"関連を除くとこの第8次六文銭そのものの情報は皆無に近く,この番組を除くと丁度六文銭の活動期間に合わせたようなTBSのラジオ番組”ヤングスタジオLOVE"が六文銭関連の唯一の情報源であった。今思うととっても贅沢な番組で週何回かが六文銭がレギュラーで,キングサーモンに収録される何曲かも,この番組で初めて聞いた記憶がある。但し,TBSローカル番組なので名古屋で聞くそれは雑音の彼方,まさにラジオにかじりついて聴いていた。確か公開放送であったそれは単に演奏を聴くというだけでなく,十分ではなかったがメンバーの会話から何となくその人となりを感じることもでき,今に繋がる六文銭メンバーの人となりもなんとなく想像することができていた。

それでも折角入手した小室さんのLPには,どうしても聴きたかった"街と飛行船"は名前だけで収録されてはおらず,それをこともあろうにクリアな音でNHKで聴けたという点でも,このフォーシーズンにはカルチャーショックを覚えた記憶がある。

この番組は1971年〜1972年の沖縄返還までの期間,六文銭という"グループと言う名のコミュニティ"=この番組内での表現だが,の変遷を"春は日傘の"の歌の四季バージョンにのせて追いかけたドキュメンタリーによる"メルヘン"である。

この番組は当時な貴重な音源であると同時に,芸術祭大賞の受賞にふさわしく,戦後という言葉が実感として残る時代の1ページに当時でいう新しい価値観を持った若者の代表としての六文銭が駆け抜けていった記録でもあった。

それは正にきたやまおさむが定義した戦争を知らない子ども達がまさに大人として歩みはじめた時代でもあり,それに続く世代であるたくみにとっては自分がこれからどんな大人になっていくかの道しるべとして新しい価値観を探し求めていた時代に出会ったグループであり,番組でもあった。何しろ,あの小室さんさえ30前の若者と呼ばれる世代の一員であったのだから。

結局,この時代と六文銭の解体によって,たくみはあこがれだけの想いをもって大人の世界へは歩みだすことはできなかったのだが,(良くも悪くも,六文銭があのまま続いて他のグループのように傷つき行き詰まって解散に向っていたのなら,たくみももっと早く大人の世界に歩を進めて,もう少し世渡りのうまい人間になっていたのかも知れない=勿論,心のどこかにそうなりたくないという思いがあってのことだが).

その意味で21世紀になって,まる六やおけいさんに出会えたことは,30数年前を懐かしむ思いではまったくなく,正に30数年前に封印されていた10代の想いを引き継ぐ形で今に繋がっている想いなのだと思う。

このあたりが多分,団塊の世代云々と言われる中のブームとしてのフォークを懐かしむ人びととのギャップであり,おけいさんやまる六を語る際に他のファンの方々と相違を感じる根源のような気がする。そう彼らにとってはブームのひとつとして六文銭やおけいさんと捉えているのかも知れないけれど,たくみとしては唯一無二の存在としてのそれである点が中々理解しづらいのだと思うのだが?,無論,感じ方や求めるものは人によって異なって当然なのだけど,これに関してはたくみの表現不足,稚拙な言葉により誤解を生んでいるのかも知れない。しかし,その意味でもまったく妥協を許さない領域であるのも確かなのだけど。

つまり,たくみにとってはおけいさんやまる六の存在自体は,自分自身の存在証明なのだ。どこかに今の自分は自分が目指していたものでないという想いがある中で,でもそれは仕方のないこととどこかで自分を騙してきたのだが,現実にお会いできたおけいさんは,ちゃんと人生を歩んでこられたにもかかわらず,あの時たくみが置き忘れてきた想いのままに存在してみえた。こんな風にちゃんと大人になることができるんだということは,30数年前に封印を解いたところからもう一度歩み出してもいいんだという意味で,それが出来なかった今の自分を恥じると同時に,その場から,もう一度やり直す勇気を与えてくれたと思う。

そんな想いで,もう一度フォーシーズンを聞き返すと,当時20歳から28歳の六文銭のメンバーの瑞々しいまでの感性が伝わってくる。成功という名の金まみれの世界とは無縁の価値観が存在すること,自分らしく,自分達らしく生きることがすべてに優先することを気負うことなく極自然な生き方として表現していることが伝わってくる。

こんな歳になって,なんて青いことをなんて思わないで頂きたい。
この歳だからこそ,自分が生きていることの証を欲しいんだと思う。
社会人になってこれまでは,自分の人生であると同時に家族が成長するまでの,ひとりだけではない人生だと思う。これからの人生をその惰性で過ごしていくことも十分選択肢としてあることを否定しないが,だからこそ自分自身の人生をもう一度見直してもいいと思うのだが。
そんな時,まだ自分だけの人生でよかった時代のあこがれが,現実の世界にいてくれるってことは,これほど幸せなことはないと思うし,最大限のリスペクトを捧げたいと思う。

だからこそ自分自身の存在証明としても,おけいさんやまる六が彼らの価値観の中で最大限の成功をおさめるためのサポートをできるなんて幸せなことじゃありませんか?

フォーシーズンの最後,最後の出発の歌のエンディングに沖縄返還のNHKニュースがかぶり,小室さんのアカペラによるイマジンで番組は終わる。
・・みんなが平和な人生を送っていると思ってごらん,
              財産なんてないと思ってごらん
                         君にできるかな・・

結局,2日連続での自分にとってのおけいさん論,まる六論になってしまった。

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