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2007-11-01

音楽バトン!

尊敬する凛太郎さんから勝手に音楽バトンを受け取ることにしました。
凛太郎さんは,たくみより随分お若いのにもかかわらず卓越した文章力と類い稀な音楽全般への造詣の深さにはとても敵いません。唯一,年の功?で六文銭,まる六のすばらしさをお知らせした所,いたく感激され,それ以来ネット上ではありますが随分懇意にして頂いている方です。彼ほど音楽自体に関する素養がないのに,無謀にもそのバトンを受けついて駄文をしたためることにした次第です。
(凛太郎さんは色んなブログを持たれているのですが,音楽バトンは"凛太郎日乗"から引きつぎました。彼のベースは”凛太郎の徒然草"ですが,いずれにしてもただものではない文章には舌をまくばかりです)

さてそのバトンはあえて日本の曲だけにしました(原曲が海外曲があるのはお許しを)
1.最近よく聴く曲は?
    まる六の"はじまりはじまる"は別格ですが,それを除くと
    竹内まりやの"人生の扉"とドリカムは"何度でも LOVE LOVE LOVE"ですね。
    いずれもNHKのSONGSで見てからですが,50代をストレートに歌った歌と270名のコーラスは
    圧巻ですね。何故かいずれもYou Tubeにアップされていますしね。

2.テンションが上がる曲は?
    おけいさんの「春の風が吹いていたら」テンションというかエンディングになると涙が出ます。
    シュガーベイブ「ダウンタウン」
    浅川マキ「それはスポットライトではない」
    残念ながら?「落陽」や「人生を語らず」も少なからずテンションは上がります。

3.切ない気分になる曲は?
   森山良子 「30年を2時間半で」多分,高校時代の彼女に会うとこんな感じになるのかな?
   プカプカのモデルでもある安田南の「朝の遊園地」
   今や陽水夫人でもある(最近見たけど結構ふくよかに・・) 「遠い海の記憶」&「8月の濡れた砂」
   緑磨子「やさしい日本人」疲れたら眠りなさい・・,この映画に六文銭が出てたとのことですが・・
   北山修「ピエロの恋」10代のナルシストそのままの歌です
   宮前ユキ「指輪」あいつを探して・・切ないです。
   ミスチル「タガタメ」
   ほとんどが誰も知らない歌ばかりなので,認識を共有できませんが。

4.思い出の曲は?
  小室さんの「比叡おろし」,たくみにとっての六文銭,まる六の原点です。ご本人は封印とのことですが。
   当然「街と飛行船」もですが,これはまる六のCDにも収録されているので・・
   はちみつぱい「塀の上で」詞の中に出てくる言葉のひとつひとつが思い出です。
   及川恒平「春は日傘の」の春夏秋冬バージョン,フォーシーズンでしか聞けないけど。
   小室さんのアコースティックバージョン「明日」。ついでに「ラブソング」,作詞は白石アリスさんです。

5.癒される曲は?
    コンフィデンス「昼下がりの夢」
    六文銭「この大空に捨ててしまおう」
    スターダストレビュー「木蓮の涙」
    原田芳雄が歌う「リンゴ追分」,これ絶品なんです。
    ちあきなおみ「黄昏のビギン」
    ビギん「島人の宝」・・結局好きな曲を並べているだけみたい。

6.カラオケで絶対歌う曲は?
    前に書いた曲も大半は歌いたい曲ばかりですが,大抵カラオケにないので歌えません。
    その点では
    柳ジョージ「青い瞳のステラ。1968年夏・・」
    玉置浩二「メロディ」
    財津和夫「青春の影」
    徳永英明「壊れかけのラジオ」ってなところですか?結構暗い・・・
   
7.今ライヴで一番聴きたい曲は?
    これは難しい。まる六やおけいさんのライブに行ければ何でもというのが本音ですが・・
    この曲というより,セットリスト全体で魅力が伝わるライブっていうのがいいですね。
    (答えになっていない!)

では,どなたかにこの続きを・・。

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たくみのまる六&おけいさんLIVEレポート」カテゴリの記事

コメント

凛太郎さん
ありがとうございます。ほめ殺しなんてとんでもない。
たくみのように遅れてきた"少年"にとっては,凛太郎さんと違って費やした時間の質が違います。遥かに濃密な時間を過ごされた凛太郎さんに比べたら,私の場合は無駄に長いだけですから・・

全く脈略のない話ですが,金パ最終回(1982年)の最後のお題拝借で野沢さんが読まれた匿名さんの金パ惜別の投稿です。全文掲載するのは気が引けますが,内容をご理解頂くためとご了承頂くことにして。これ当時20歳の方とのこと。たくみとしてはこの文章に圧倒され,しばらく自分の無能さに何も書けなくなりました。つまり才能の前には年齢なんて全く意味のないという証拠の意味でも,だから,凛太郎さんは十分尊敬の対象であると思うのです・・

1982.7.31 パックインミュージック最終回投稿より

"深夜放送とは、深夜に放送されて初めて価値をもつ番組のことをそう呼ぶ訳でその意味で昼間番組の延長線にある価値のない偽深夜放送にあぐらをかいていつにまにか鼻歌を歌うようになってしまった我々は、深夜放送の大罪人でありましょう。

我々の世代は今、もう子供のように、その日その日をただありのままに過ごしていくわけにはいかない。しかし、また世の大人たちほど現実の厳しさに、自分の理想を傷つけられ、可能性が擦り減らされているわけでもありません。

だから我々は子供とも話さないし、大人とも話をしない、本質的に両者とは相入れないからです。
子供は我々との間に言葉をもたず、大人はそれをすでに忘れてしまっている。今、我々は他のいかなる世代とも深い谷によってわかたれてしまっている、言わば隔絶の世代に位置しているのかも知れません。

しかし、我々はそれを自覚し、自分を保とうと懸命になる一方で、やはり一人では寂しいのです。人はひとりではやるせない、だから我々は悲しみも喜びもお互いに分かち合い、分かち合える我々自身の世代に共通の広場を求める。そして、そんな広場は広ければ広いほど、我々にとって魅力的なものになる。

傷ついた時、悔しかった時、落ち込んだ時、頭にきた時、言いたいことを言ってやりたい時、あっと驚かせてやりたい時
そして大笑いしたい時、我々は自然に同じ広場に集う、そんな広場にはもうただいるだけでたまらなく底抜けに楽しいものです。

そしてそんな広場、ナチチャコパックは我々、隔絶の世代にふさわしい深夜という、極めて非日常的な時間帯に電波という
魔法の広がりを持って、今日まで多くの青春世代を暖かく向い入れてくれたのでした。

その意味で金パは人が必ず一度は通らねばはならない、自立好きで、それでいて寂しがり屋の青春世代の若者が集う、ひとつの世代文化の牙城であった。時代は移り、そして人も変わる。10年前のパックメイトはもうすでに金パを巣立ってしまったであろうし、いずれは我々も大人になります。

しかし、金パに注ぎ込まれる隔絶された若者の、青春世代の爆発的なエネルギーには絶対に変化があってはならない。金パは次代へ、夢は次の世代へ受け継がれなくてはならない。若者の無限の可能性を孕んだ深夜放送は聴視者によって、我々の手によって作られなくてはならない。

ボタンひとつですべてが消し飛んでしまうような、こんな
不合理な世の中にあって、人間でいることが段々難しくなってきたこんな不自然な世の中にあって、より強力に機能されるべき,この金パという我々にとって、最も大切な発言の場が、皮肉にも我々自身の手によって葬りさられたということは、本当に悲しい。

我々現在の隔絶の世代は、もはやそれ自体で独立を保つことが難しくなり、一部は他の世代へ後退し、あるいは先行し、ついには世代間のバランスが崩れつつあるように見える。だが我々はまだまだ深夜の聖域を諦めはしない。必ずパックのような手作りの深夜放送を蘇えらせるべく立ち上がる日が来るに違いない。

パックは金パはいつの時代にも変わらない、青春世代の自分自身の姿の投影なのだから。"

----残念ながらパックは復活しませんでしたが,今のネット社会の現状は,ひとりひとりがもうひとつの別の広場を持つことになったのかも知れません。もちろんその広場が魅力的なものかどうかは別の評価が必要だとは思いますが。上記の投稿をされた方は推測では,今45歳になられているはず。この間,どんな25年であったのか,どこかでネットの広場をお持ちであれば是非おとづれてみたいものです。多分,凛太郎さんのような素敵な広場をお持ちだと信じたいのですが・・。

全く関係のない話になってしまいました。ごめんなさい。
でも,こうした想いも十分バトンの意味はあると思い記載させて頂きました。

ありがとうございました。

投稿: たくみ | 2007-11-03 10時25分

バトンをありがとうございます。これらの曲は…とその前に、たくみさん、これは完全に褒め殺しです(滝汗)。たくみさんのような方にこのような評価をいただいてはもう消え入りたくなります。どうか勘弁して下さい(汗)。

さて、「春の風が吹いていたら」「この大空に捨ててしまおう」「比叡おろし」「街と飛行船」と並ぶとなんだか嬉しくなってしまいます。「落陽」で残念ながら、と書かれるのも実に楽しい。笑ってしまいました。
しかし存じ上げない曲も多い。造詣が深いのは間違いなくたくみさんの方だと思いますが。
あまりカラオケに行くことがないのですが、「青い瞳のステラ」や「木蓮の涙」はつい歌ってしまったことがあり、自分の歌唱力の無さにがっかりしたことがあります。

そして以前にたくみさんも書かれていた「何度でも LOVE LOVE LOVE」。Youtubeで視聴しました。いや、こういうのはいけませんね。吉田美和さんの圧倒的な歌唱に、未来そのものである若者たちの声そして声が重なる。彼ら彼女らが全員で一本の指を突き上げて希望を謳い上げるとき、さすがの僕も鼻の奥から熱いものがこみ上げました。一人で見ていてよかった。このとき美和さんが辛い時期にあったというのはたくみさんに教えていただいたことですが、それを思うと…。美和さんと僕は同い年なのですが、あの強さには日頃から諦念だの虚無だのと言っていた自分が恥ずかしくなります。俺達ももっと前を向かなくちゃいけないんだ。こうしてまたたくみさんの記事で泣かされました(笑)。ありがとうございました。

投稿: 凛太郎 | 2007-11-03 06時51分

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