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2007-12-07

冬晴れの夜に美しくも激しい言葉が舞い集う!12月のまる六ライブ。

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恒例の12月のまる六LIVEが,これまた恒例のマンダラで開催された。
今回はCD発売記念LIVEと名うっているが,そこはまる六のこと,CDの曲をなぞるだけのLIVEでは終わらないとは想像してはいたが・・・

今回は遅刻しちゃならずと7時過ぎには会場へ,ところがすでに満席状態。通路の際ながらもステージを正面に見据える位置をなんとかキープ。プロ野球的に言えば有料入場人員は軽く100名は越えているみたい。これもCD発売の成果なのか?

定刻を少し過ぎて,小室さん,こへさんがチューニングを終えたころ,常連さんたちの声にもならない驚きと言うか感嘆のため息が聞こえたような気がした。それは,いつもの下手に小室さん,上手にこへさんという配置が何故か逆に。そしてもちろんセンターのおけいさんは驚きの妖艶?な雰囲気なのだ。ステージ衣装はいつもと同じようなカジュアルな装い(濃いブラウンのチェニックにジーンズ),キラキラ輝くイヤリングとブレスレットのせいでもない,う〜ん目力が違う!?・・。ナチュラルさが特徴でもあるおけいさんだけどこの日は若々しい美しさに更に磨きをかけて女性らしさを強調されているよう。まる六のビジュアル系転身の布石かしら?まあ,それはないだろうけど,最初のサプライズではあった。
※因みにライブ後のお話によるとコヘさんもお化粧して歌われたことがあるそうだけど,さすがに小室さんは若い頃から仙人風だからなあ!?

さて本題。予想通りオープニングは何のMCもなく,茨木のり子さんの"12月のうた"でスタートした。この歌は小室さんのファーストアルバムにも納められているもので,小室さんの曲作りの基本である,詩先,詩に曲をのせていく方法で言葉が活き活きと立ってくる感じの原点のような曲だ。茨木のり子さんは昨年他界されているのだが,彼女が創刊した同人誌「櫂」には,若き日の谷川さんや大岡信さんなど,小室さんが曲をつけた何人もの詩人が参加されている。
曲のための作詞ではなく,詩として十分な存在感のあるものに,曲をのせることで更に新たな命を吹き込むかのようなその手法は,言葉のもつ意味ひとつひとつを大切にするというまる六の歌つくりの精神に繋がっているもので,実は今日のライブの裏テーマのように感じた。

1曲目が終わって,何か言いたそうな小室さんが口ごもった。一応いつものボケネタでごまかされたのだが気になる感じ。こへさんに促されるように2曲目としてCDのタイトル曲である"はじまりはじまる"の演奏を始める。本来なら続けてCDから何曲かを演奏する予定だが,小室さんが思い出したっておっしゃって「今日はこんなに多くの方においで頂いて感謝いたします。ところが8日の京都が・・」どうやら京都の前売が芳しくないような感じ。続けて「昔から関西って弱いんだよね。特に京都は・・。何故なんだろうね?」すかさずおけいさんが「わたし,関西人だけど・・」思わず大爆笑。
実はこの問題,結構根が深い。これについては一番最後に考えてみよう。

ここで予定どおりCDから3曲。"雨がふりそうだな" "あめのことば" "君は誰かな"あえてCDとは違うバージョンで表現しようとしているよう。打ち込みではないまる六ならではの今日のバージョンでの演奏だと思った。

実はここまで,曲名紹介のMCは一切なし。もはやいちいち紹介するより歌と歌の繋がりを優先したようだ。続いてその流れでの特集。CDにも何曲か収録されているが,その元でもある別役実戯曲"スパイ物語"から何曲かを演奏されるという。紹介の中で小室さんのMCを若干補足すると,初演は69年ではなく,70年のはず(まあ作ったのは69年なのかも),こへさんが六文銭に参加するきっかけになっているはずだ。そして再演は2000年ではなく1997年,楽団六文銭として小室さんとこへさんが共演となったのは,72年の六文銭解体後初めてのことである。その意味でもお二人を再度結びつけたこのスパイ物語は今のまる六の存在にとって,欠かせないものだと思う。因みにおけいさんの復活が2000年,つまりおけいさんはスパイ物語後に参加し,再演後に復活した。これも何か運命的なものを感じさせる。ついでに言えば,小室さんのお嬢さんであるゆいさんは97年の楽団六文銭のメンバーであり,こへさんは小室家2世代続けて共演したことになる。

さて,曲紹介がないためスパイ物語からの最初の2曲は曲名が判らなかった。そもそも戯曲用の曲に曲名があるのかという話で,他の曲も歌い出しを曲名にしているものが多い。ライブ後に見せて頂いたセットリストによるとその2曲は"ここはこの街""おさかながスパイに"だそうである。続いては有名な"私はスパイ"。ところが何故か本日初めての演奏途中でストップ!。小室さんがこへさんやおけいさんの無言の圧力に文句を「もうすこし優しくふれないの?」おけいさんがすかさず「やさしさが足りなかったね!」。
さらに続けて一番有名な"雨が空から降れば"そして最後は"ねこのうた"。以上ひとつの戯曲から5曲纏めてっていうのは貴重な体験。ライブならではの特典だ。

前半は残り2曲。まずはこれも収録曲だけど"引き潮"そして1部の締めくくりは,これも収録されているが"樽を転がせ"。元もと鼓や琴とのコラボを想定した曲で小室さんの和風のボーカルが聞きごたえがある。そしてずっと低音部を受け持っていたおけいさんが最後に透き通るような高音で唄いかなり難易度が高い。そしてこへさんが鼓の代わりにギターの腹で叩くその音色は驚くほど磨きがかかっていた。前半を締めくくるに相応しい曲である。

(おう,短くするつもりが相変わらず長い。中味がないのに長いのはいけませんね?)

前半が,正にCD発売記念だとすると後半は,まる六の世界感。より強くまる六ワールドが展開されることになる。最初の5曲はキングサーモンのいる島の収録曲中心に昔の六文銭の歌。前半が最新CDから,そして後半が昔のLPからとなるが,何一つ時代の違いを感じさせることなく,35年の時空を越えて今の時代の歌,言葉として滲みてくるのがわかる。

後半スタートも小室さんがこへさんに「やるか?」って言ってはじまった。"夢のまた夢"。この曲,小室さんとこへさんとの間ではいろいろ議論になる曲である。続いては荒川辺りを女性編集者と小室さん,こへさんが車で通った時の会話を基にできた歌"流星花火"。小室さん曰く「これはしゃべったままを歌詞にして作ったんだけど,1番だけじゃって思って,恒平に2番を考えさせた」とおっしゃった。「そしたら,"田舎の縁日には肌寒い夏の空を 流星花火が 飛び交っていた"と創ってきたんだ,やっぱりこいつは詩人だと思った」と。そしてここで小室さんが何故かクラシックギターへ。こへさんおもわず「わざわざこの曲で?」ってはじまったのが"インドの街を象に乗って"。この歌,後半盛り上がりの部分でノリノリの小室さんが"アリスのレストラン"って言ってたような気がしたけど空耳かしら。続いて"こわれました"そしていつ聴いても不思議な”春は日傘の"。何が不思議かっていつも,もちろんレコードでも春と夏しか歌われない。一度でいいから秋,冬版を聴きたいのだが・・。因みに秋バージョンは「秋はやわらか流れくる赤い鹿の子の振り袖に かくれた過去を忘れたらさよなら街は行き止まり〜」と続くのだが。(NHK-FM:フォーシーズンより)

そして怒濤のように後半へ向って盛り上がっていく。
なんどもこのフレーズを使うけど,小室&こへコンビではじめておけいさんの為に創った曲"ただあたたかくカラッポに"。そしてオーラス4曲は無論それぞれ独立した曲だけど,セットで聴くと曲の力,詩の力,そしてハーモニーとなったボーカルの力がどんどん心に響いてくる。
最初は谷川さんの"おしっこ"続いてこへさんの"戦場はさみしい",中原中也の"サーカス",更にエンディングでは望外にも全編朗読後(実は歌として表現されるのは小室さんが佐々木さんの了解を得て,詩から抜粋して歌詞にしている)に佐々木幹郎さんの"石と死者"。今のまる六を語る時に欠かせない詩人4名の歌を続けて聴くのは圧巻である。しかも予定のアンコールには,あえて順番を変えて,別役実さんの"街と飛行船"とこの宝石のような5曲を続けて聴ける喜びは何と語ればいいのか!

そして本当に最後の曲は,11/18日におじ様二人でリハーサル?済みの"サーカスゲーム"。実はこの歌,六文銭解散後に確か木下サーカスだと思ったけれど,まさにサーカスの小屋で流されてきたと聞く。ある面キングサーモンの中では一番長く歌い継がれてきた曲だ。本来サーカスというと物悲しい雰囲気があるのだけれど,六文銭の中では"インドの街〜"に通じるメルヘンチックで,盛り上がる曲である。リハーサル済みということで,こへさん,小室さんのテンションも高かった。

あっと言う間の2時間。曲で語るという点で,更に魅力的なライブであったと思う。
ほんの少し,天の邪鬼な感じで言うと,やや普遍的なCDで十分引きつけておいて,それを見計らってど〜んと突き放すような,まる六の本質をアピールするような構成だと思った。その世界をより深く理解するためには,ファンにも常に進化を期待しているような気がした。いろんな意味でアカデミックなまる六である。

さて予定より随分長くなってしまった。関西で受け入れられにくい,六文銭,まる六だけど。端的に言ってしまえば喰わず嫌いだと思う。表面的な美しいメロディや芸術的な香りを短絡的に捉えているようで,風船ファンには申し訳ないけど,本来比較対象するものでないと思う。美しさの中に潜む激しさ,毒の強さをもう少し理解できれば,このグループの魅力に触れないわけにはいかないだろう。
別にダボはぜみたいにフォークならなんでもとか,言っているのではない。小室さん自身は最近,フォークだと考えてないけどフォークソングと呼んでもかまわないとおっしゃっているが,まる六はフォークという狭義な世界に閉じ込めることなど到底不可能な日本の言葉が活きている歌であることに,少しでも早く気づいて頂けることを願うばかりだ。

<宴の後・・>
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コメント

凛太郎さん
ありゃりゃパンドラの箱を開けるようなお話ありがとう!?ございます。この問題,あまりに多層的な要素が関わっており触れたくはないといいましょうか,どこかで論理の破綻をきたすことが目に見えていることなので・・。

冗談でなく日本の地域文化論なり,文明論,音楽論なりいずれにしても論文級で定義しないと何ともならない問題ではあります。
以下は誤解を承知で思いつくものを記載するのですが,それでもどこかハラハラドキドキの想いが無い訳では有りません。

まず,関西フォーク。おっしゃるように当時も関東フォークという言葉はなかったと思います。フォークル,友也さん,岡林さんなど黎明期のフォークが関西発であったのは紛れもない事実で,KBSや在阪のラジオ局も比較的早くからそれをバックアップしていたと思います。つまり,関西圏の方々にとっては日本のフォークの中心は関西にあったと思われていても何の不思議もなかったでしょう。現に小室さんも関西詣でをされていますし,何より六文銭の初LPはURCからで,そのディレクターはご存知のように西岡たかしさんですから。思うに少なくとも小室さんは関西/関東の意識もなく,新しいムーブメントの発信基地として認識されていたのだと思います。まあ,この流れが九州や広島に飛び火して,拓郎や陽水,高節など次世代スター達を生み出していったのだと思います。ただ飛び火自体も京都が学生の街である点も見逃せない気がします。全国から多くの学生が集まる地域だからこそ,マスメディアのバックアップがなくても,まさにアングラ的に全国的な広がりを可能にしたのかも知れません。

それだけなら関西聖地論で収まってしまうのですが,これが商売になってしまった。商売となった時点で,聖地論は吹っ飛び東京中心の発信になってしまう。当然,商売になりそうな玉を関西まで発掘しに行くこともありますが,それより京都以上に東京には学生がうじゃうじゃいる訳で,そんな連中は西海岸発のアメリカンフォークを源流とした音楽をやっていた。こっちの方が全国を相手に売り込むには手っ取り早いと,森山良子なんかを引っぱりだしてしまった。あげくにプロにフォークソングもどきを作らせちゃえと浜倉のバラが咲いたなんていう意味不明の歌までフォークソングになってしまった。

こうなってしまうと次世代スター達もめざすのは聖地ではなく,東京になってしまった。関西人にとって面白いはずはありませんよね。勿論,こんな単純な話ではないのですが,これに当時の学生運動の絡みもあったりして複雑ではあるのですが。
こうした状況の中で,それでも関西を中心に活動するものを支援しようとするのは当然の流れで,でもそれだけで,味噌も糞もいっしょに排除する理由にはなりませんが・・

あ〜自分で書いていてますますまとまりが無くなってしまう。もう一度落ち着いて,書き直すことにします。ここまではあくまで前書として,再チェレンジを(誰に言っているんだろう)
させてください。

取りあえず,こうした背景の中でも六文銭は,地域やジャンル別けに関係なく存在していたものだと言いたいのですが,今日の頭ではこれが限界です。

中途半端で申し訳ありません。次回レベンジします。
ではまた。

投稿: たくみ | 2007-12-11 01時41分

臨場感あふれるレポート、読み応えがありました。ライブに行きたいという気にさせてくれますね。

ところで、話の本筋とは少し外れてしまいますが、結構根が深いとたくみさんのおっしゃる「昔から関西って弱いんだよね。特に京都は・・。何故なんだろうね?」のお話。僕も京都にルーツを持つ人間としてちょっと考えてしまいました。
僕は、もう若くもないですが六文銭の活躍している時期をリアルタイムで知らない世代の人間なので、たくみさんが少し匂わせてらっしゃる「五つの赤い風船」とのお話、たくみさんがわざわざオブラートに包むように書いておられるのにこういうことを書いては本来いけませんし読み違いであればご無礼な話なのですが、かつては関東と関西の音楽シーンを比較する方々がいらっしゃった、もしくはファン層に対立構造があった…とも読める部分はまた興味深かったです。

今はもう日本中ボーダーレスの時代で関東も関西もありませんけれども、それでも関西方面には「おらが街のミュージシャンだから」という見方はまだ存在しているように思います。コブクロしかりaikoしかり。こういうのは郷党愛だけじゃないような気もしたりしますね。関西独特と言いますか、他にそういう匂いがするところは…九州方面に少しあるくらいかな。
六文銭の時代は、もっと地域性があったのではないでしょうか。特に「フォーク」と呼ばれる音楽家たちは(ジャンル分けの無意味さはわかっていますけど^^;)、情報発信の場がTVでなかったために、ラジオ(深夜放送)とそれに連なるライブ活動が主体だった故に、偏ってしまっていたのかも、と想像したりします。僕の世代ですら、フォークというジャンルはラジオから流れてくるものでありましたし。そして深夜放送をはじめとするラジオは、他の地域はともかく関西では独自の番組構成をしている。地元贔屓もあったでしょう。僕などナターシャセブンばかり聴いていましたから。

これが、例えば洗練(気取っている)と泥臭い(野暮ったい)などというヘンな比較になってはアホみたいなんですけどね。
でも、僕はよく知らないのですが「関西フォーク」という言葉はよく聞きますが「関東フォーク」ってのは聞いたことがないのですよね。カレッジフォークというのなら知っていますが。
結局関西人が依怙地なんやろかな。コンプレックス言うたらドツかれるかもやけど(笑)。妙な対抗意識と郷党意識が壁を作っとるんかもしれませんね。たくみさんは「喰わず嫌い」と優しくおっしゃってくれはりますけど…。

話が全然違う方向に行ってしまいました。ごめんなさい。

投稿: 凛太郎 | 2007-12-10 23時24分

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