今更ながら,まる六のこと。
書き出すと長くなるのはあきらかなので,まずは長くならないことを宣言します。(誰にやねん!)
古いカセットをデジタル化している中で,1970時点の六文銭の音源がいくつかあった。今となってはリアルタイムなのか,音楽夜話での小室さんの録音なのかは定かではない。バラはあこがれや比叡おろし,夢のまた夢,ゲリラの歌などがあるそれは,こへさんが参加している以降であるのは明らかだけど,おけいさんじゃなくのり子さんの声があるので71年以前であるのは確かなようだ。何より当時のフォークブームの中でも六文銭の演奏が電波に乗るなんてことは希有なことには違いない。時は出発の歌以前。当時高校1,2年の頃,愛知県の一応の進学校において六文銭の認知度はいかほどのものだったのかと思う。
更に正直に告白すると,そのきっかけ(好きになった)は全くもって明確ではない。誰かに紹介されたり触発されたものでないのは確かだけれど・・。歌謡曲とは違う世界には小学生の後半からポストビートルズ世代としてフォークルや高石友也,あるいは赤い鳥でこの世界に足を突っ込んだのは確かだけど,”あれが"というものが全く記憶にないのだ。なのにいつの間にか,街と飛行船やげんしばくだんのうたなど,聴いて好きになったのか,聴けないから興味を持ったのかも明確でない中,小室さんのファーストアルバムに飛びついたことで,具体的な六文銭へのかかわりが始まっていた。
ところがそのレコードを買った目的の大きなひとつだった"街と飛行船"の形跡は見事に消されていた。(その理由は何度も書いたので割愛するけど)。こうなるともういけない,少ない情報の中で,無いものねだりの怖いものみたさでどんどん思いが高じていった。それにリンクするかのように出発の歌ブームである。そのことで六文銭の認知が高まることは喜ばしいことだったけど,どこかで自分が追いかけてきたまだ見ぬ六文銭との微妙な違いを感じていたのも事実である。
案の定,世間的な六文銭の認知は驚異的に上がり,出発の歌をフックにして,六文銭全体の情報が増加したのはうれしいことだった。特に後にキングサーモンのいる島に納められる何曲かの歌が,TBS-Rのヤングスタジオラブの今月の歌として紹介される中で,私の六文銭に対するイメージが完全に出来上がっていった。フォークなんて範疇で括られることのない,拓郎を中心とする所謂フォークソングと定義されるそれとも全く異なる,メルヘンで,それでいてそれまでのどれとも違う歌は,私を完全に虜にしていった。その後情報として,時代的には遡る,キングサーモン以前の歌の数々を,古いラジオの録音音源をジグソーパズルで完成させるように,私にとってかけがいのないものとして私の一部となっていった。
そしてそれを決定づけたのが"フォーシーズン"だった。音源を見る限りはヤングスタジオラブでも"街と飛行船"は演奏されていたが,愛知で聴くTBSである。雑音まみれの,それでも魅力的なその曲を,FM電波でクリアに,しかも完全版として飛び込んできた衝撃は,今でも表現できないくらいのものであった。
こんなことを書くのは気がひけるけれど,私が六文銭を好きになるのは,あらかじめ予定された必然性のあるものに思えてならない。この辺りが,六文銭,いまではまる六&おけいさん原理主義と名乗る根源のような気がする。
そして絶頂の六文銭を襲った悲劇?(出発の歌が原因でなく,悲劇に向けて加速させたにすぎないと思う)により,私の前にやっと明確な形で現れて1年ちょっとでまた六文銭は突然消えてしまったのである。残されたのは,六文銭のおもちゃ箱でもある"キングサーモンのいる島"と2枚のまさに"メモリアル"だけである。それがすばらしければ,すばらしいほど原理主義者としては,解体に向わせた者,ユダに対する憎悪?が増して行ったとしても不思議ではない。その代償として六文銭の歌姫のつかの間の幸せが続く間はそれが相殺されていたとしても・・・。
本来歌手であることの魅力は,その本人の人としての魅力と必ずしもリンクするものではない。六文銭のメンバーに関しても,MCやドキュメンタリーでもあったフォーシーズンからにじみ出る僅かな情報で想像を膨らますことはできても,小室さん以外はあまりに情報が少なく,同時に解散によって,私の一方的な想像を否定も肯定もすることなく,時代は流れていった。しかもその想像を働かせたのは10代の後半,大人の世界を否定することが当たり前の時代である。そんな時代の想いが封印されているとしたら,現実とのギャップは想像以上に大きくても何の不思議もなかった。(勿論,私の勝手な想像な訳で,そのギャップの責任はすべて私にあることは当然ではあるが)
さて,それから30年近くが過ぎ,自分自身は十二分に汚れた年代になって思いがけずネットの力を借りてこへさんのサイトに辿りついた。そして,あろうことか原理主義者にとってはマリアのごとき,おけいさんまで降臨されているではないか!・・。
そして驚くべきことに,現代のメルヘンのように私の前に現れたおけいさんやこへさん,そして小室さんは,私の想像どおりに,あるいは想像以上に魅力的な人として現れた。大好きな歌にそれを伝える人が愛すべき魅力的な人だとしたら,ファンであるものにとってこれ以上の喜びはない。
ここから先の出来事については,これまで何度も書いてきたので,詳しくは書かない。が,実はここから10代の頃,あこがれていながら実現しなかった生六文銭,まる六の体感までは約1年近くの月日を要している。運命の06年10月27日までは・・。(この間の想いについては別の機会に)
さて本題!(誰だ短くすると言ったのは?)
あれから1年ちょっと。今感じるまる六とは。極めて微妙な言い方だけど,あの次から次へと魅力的な歌が紡ぎ出され続けていた六文銭時代と同じ絶頂期にあると思う。ハーモニーの黄金比のように,無意識の中の明確な意識を持って個々の存在を十分認めた上での,ユニットとしての完成感を実現しているように思う。同じ絶頂期であっても35年前,個々のエネルギーの高まりによって核分裂したそれとは異なり,個々としてのエネルギーを必要な時にだけ,想像以上の核融合を計る術を身につけているように思える。
この12月,神戸と名古屋でみた二人ぼっちのまる六は,まる六としてのレパートリーを歌う時は,確かにふたりだけだけど,黄金のトライアングルのように,小室さんの融合場所が常に用意されているように感じた。
そのテーマソングでもある"ただあたたかくカラッポに"は基本的にはおけいさんメインの歌だけど,こへさんがおけいさんに歌わせることによって,小室さんやこへさんのポジションを,自らが確認できるようにしているのだと思った。
2007年のまる六は実質,昨日(12月27日)で終了した。CDと言うまる六としての道祖神を残した後,新しい年に向けて,まる六としてのどんな輝きを見せてくれるのだろうか?まる六はCD発売をゴールとしたユニットでは決してないと思う。その歌,その人,その臨場感,間合いこそまる六を体感する最大の喜びだと思う。当然のこととして,それを感じるためのまる六行脚は08年も続いていく。
「たくみのまる六&おけいさんLIVEレポート」カテゴリの記事
- 色あせぬものと変らぬもの、そして六文銭'09。(2014.01.29)
- 12月のうた 東京での六の日。(2010.12.07)
- ライブの原点♪ 六文銭の六の日(2010.06.10)
- おけいさんのめざすもの・・2010年の歌い初め(2010.01.11)
- 聖夜の前に おけいさん'09ラストLIVE(2009.12.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント