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2007-12-21

ふたたび,街と飛行船・・・

今から実に37年前に作られた曲である。
1970年,別役戯曲のために作られたこの曲は37年目のまる六の初CDにも納められた。別に懐かしのメロディとしてではなく,35年前に歌ったメンバーにより新しく再び記録された。2分にも満たない曲ではあるけれど,不条理をテーマとする別役戯曲の劇中歌であるけれど,その存在感は驚くほど大きい。

当然ながら,私はその戯曲を見たわけでないし,出発の歌でしか一般には知られていなかった当時の六文銭が,マスメディアにのる形で多く歌われたわけでもない。そして何より初めてレコードに記録された小室さんのファーストアルバムから(正確に言えば録音はされたがLPとしてプレスはされなかった),プレスされたLPとしては唯一の六文銭解散後のメモリアルでは歌詞の一部が逆回転で録音されている。つまり,当時でさえ六文銭のコンサートを体験した一部の幸福なファン以外は完全版を聞いたことがないということになる。街と飛行船,その存在自体が数奇な運命を辿る謎めいた曲でもあった。

そんな歌にも関わらず,出発の歌しか知らない一部のファンを除き,およそ六文銭のファンと呼ばれる人でこの歌を知らない人はいないのではないかと思う。そして最後の六文銭でもあるおけいさんが属した8期の六文銭以前から存在するこの歌は,こへサウンドが開花したその8期固有の名曲を除けば,六文銭全体の代表曲と言っても過言ではないと思う。

言い換えれば,小室サウンドの代表曲なのかもと。少なくとも私にとっては,雨が空から降ればより六文銭らしい曲だと思う。こへさんがソロで歌うことを前提とした"雨空"より,おけいさん,こへさんを中心とした透明感と力強さを秘めたハーモニーが小室さんの主旋律を追いかけるこの歌の方が,およそアコースティクギター2本(当時は橋本さんのベースや原さんのリードギターも加わっているが)だけとは思えない厚みのあるギターサウンドが魔法のように歌全体を包み込んでいるこの歌は,すべてがあらかじめ約束されているかのような宝石のような曲である。

少し矛盾のある言い方だが,8期六文銭以前からあるこの曲だが,実はおけいさんを加えたハーモニーと原さんのギターを得て,この8期で完成した曲であるとも言える。

そして幸運にも私は,NHK-FMのフォーシーズンでこの完成された街と飛行船を完全版として体験することができた。レコードにすら完全版で存在しないこの曲が,こともあろうにNHKで聴けるというのは驚きだが,つまりこの歌はレコ倫による自主規制曲ではあったものの放送禁止歌ではなかったということだ。そして何より,フォーシーズン自体がこの歌で六文銭の存在を知ったNHKのディレクター氏が彼らを追いかける形で1971-72年という年とその時代感を切り取った秀作である。

35年後,8期六文銭の主要メンバーで収録されたこの歌は,実に37年振りに初めて完全な形で収録された街と飛行船でもある。そのこと自体驚くべきことだが,それ以上に時の移り変わりを全く感じさせない新鮮で,瑞々しささえ感じさせるハーモニーとして響いてくることだ。この歌を聴くだけで,六文銭,否まるで六文銭のようにのサウンドが時空を越えた存在であることを実感できる。

ありがたいことにネットで"それから"という六文銭の曲をきっかけで知り合った"凛太郎"さんと言う方のブログで,この歌を取り上げて頂いた。
プロフィールを信じれば,私より一回りは若い彼は,稚拙な私の文章力では到底追いつけない精緻な表現で,この歌の魅力を語っていてくれている。
文章だけでなく,源泉掛け流しのごとく溢れ出る知識で表現されるそれに,軽い嫉妬を覚えながらも,彼のブログでまる六の存在が時空を,時代を越えた存在であることを確信できることが何よりうれしい。

ふたたび,街と飛行船。
こんな曲が存在する時代に生きていられることに感謝しなくては。そしてすべての面で勝る"凛太郎"さんに,たったひとつアドバンテージを持っているとすれば,彼より多感な時代から六文銭に触れられたことだろうか?多感な時代故に刷り込まれた六文銭の存在が,その名曲の数々が,半世紀を過ぎて少々くたびれかけた肉体であっても,10代の活力を与えてくれることだろうか?
これだけは彼にも真似ができないのかも知れないなあ!?彼のブログを見る度に僅かに感じる優越感ではある。

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たくみのまる六&おけいさんLIVEレポート」カテゴリの記事

コメント

凛太郎さん

いつもありがとうございます。
人生,こんな歳になると怖いもの無しなのですが
・・だいたい会社でも,人でもなんでも底が知れるというか,どんなにエラぶっていても実体が見透けてしまうので・・
想像を越えるというか,人智を越えるものに出会うと困って?しまうんですね!?

この感覚を上手く表現する術を持っていないので,書けば書く程答えから遠くなってしまうので諦めますが,おけいさんに初めてお会いした時の感覚というか,凛太郎さんの文章から伝わってくるお人柄,知識というものがそれに近い感覚なんですね。(自分を基準にした感覚を越えるというか・・)
まあ,自分がどれほどのものかという厳然たる事実は棚に上げてということですが(汗・・)

余談ですが,この感覚,甲子園で野球をやっている連中よりアルプスで(無論,めったに出場しない高校のですが)応援する女子?高生の姿を見ると駄目なんですよね。どうしてあんなに真剣になれるの?たかが野球じゃないの。なんてね・・
この例はかえって誤解を招くかなあ(笑)

必ずしもいい歌を歌う人が,人として尊敬できる人である必然はない訳なんですが(世の中大半は・・),ところがおけいさんやこへさん,小室さんはお会いしてみると歌の世界それ以上に,人としてのすばらしさに圧倒される訳で,これは完全に人智を越える。ですから,私は35年前以上にまる六に対する想いを強くすると同時に,35年前から好きだった自分を誉めてやりたくなるんですね。

そんなまる六の世界に無理矢理引き込んでいるような凛太郎さんが,凛太郎さんの感覚でそれを評価頂けるのがとにかくありがたいので,それを感謝するだけなんです。もちろん,凛太郎さんも私の人智を越えた存在であると言う意味においてなのですが・・

ではまた

投稿: たくみ | 2007-12-22 11時05分

名曲ですね。つくづくそう思います。
37年を経て僕は初めてこの曲を聴いたわけですが、本当に感動しました。古びる古びないなどという陳腐な話の枠外に存在する曲であることは確かですが、今も新しく鮮やかであると同時に、もしかしたら37年前から古典であったのかもしれない。かのような矛盾したこともまた考えます。
この命脈の保ち方というのはいったいなんなのか。それは、やはり何か揺るぎないものが根底にある…それは信念でもあるかと思いますし矜持でもあるような気がしますが、前を向いて胸を張り続けてきた曲であったから、と言えるかもしれません。もちろんこの曲に限ったわけではなく代表させているだけですけれども。

そしてたくみさん。また「穴があったら入りたい」的なお話もうご勘弁下さい(汗)。しかして、そのアドバンテージはかなり大きいとは思いますが(笑)、音源が残っている限り、僕のほうが若き日の多感さを今取り戻すことが出来れば、アドバンテージは消滅するわけです。ふふふふ。無理に決まっていますけど(大汗)。

投稿: 凛太郎 | 2007-12-21 23時46分

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