今更ながら35年目のキングサーモンのいる島
2007年10月24日はこの後、第8次六文銭の中心メンバーであった小室等・及川恒平・四角佳子による”まるで六文銭のように"による、初CD"はじまりはじまる"がリリースされた日として記憶されると思う。
このCDの価値、音楽性の高さ(というと小室さんはお怒りになるかも知れないが)についてはすでに語っているし、この春にも北海道を皮切りに4月の記念すべき場所でもある横浜・イギリス館まで、このCD発売記念ということでライブが予定されているので、理屈よりはまずは自ら体験が大事ということで、今は改めて書く事もあるまい。
このユニットとしての活動は2000年のこへさんこと及川恒平のライブへ、ゲストとして呼ばれた小室さんとオーディエンスのひとりとしておとづれていた、おけいさんこと四角佳子が自然発生的に"せっかくだから、一緒に何かやろうか?"という成り行きで始まったのがきっかけと言われている。この事実は紆余曲折を経ながらもソロとして活躍し続けていたこへさんと小室さんはともかく、おけいさんにとっては全くのぶっつけ本番、歌の世界からも完全に無縁となっていた訳で、まさに"劇的"なことであったと想像する。
この劇的な事実においてなんらかの打算があったのか、なかったのかは知るすべもないが、その時点からみて28年前、結婚により歌の世界と無縁になったおけいさんについては、当時の関係者の多くがその才能を惜しんでいたのは事実である。このことは、六文銭の代名詞でもある小室さんにとっても、自らの求めるままにメンバーなり指向性を変容させながらも、最も完成された形である最後の六文銭がユニットとしての可能性を残したまま解散したことへの想いが何かしらあったのではないかと推測する。そしてこへさんにしてもソロとしての活動とは別に、若さ故、小室さんの手の平で踊っていただけではという当時の青き想いに対し、それを自らの視点で見直す時を重ねてみた時、小室さんと同じ感覚で28年前の六文銭に時を超えて今なお進むべき可能性の進路を見いだしていたのかも知れない。
そんな二人の想いの中で、それぞれのいびつな想いを融合させるためのピースを考えた時、おけいさんの存在を自然に求めていたとしても何の不思議もないことだと思う。その意味で2000年のイギリス館は、こうした二人の想いを確認するための場であったのではないかと・・・。
唯一誤算?があったとすれば、最後の六文銭におけいさんが初めて参加した時のように、仮にぶっつけ本番のステージであったとしても、それは予言者の奇跡のごとくあらゆる思惑を超えた次元で、想像以上のユニットとしての収まりの良さであったのではないか。
技術的には28年前と比べても稚拙であっても、それぞれが歩んだ28年間が実はこの日、融合するために歩んできたものであるかの如く感じられたのではないかと。
こんな言い方はご本人達には失礼かも知れないけれど、このユニットとしての活動は、我々のようなファンにとってはすばらしいことではあるけれど、それより何よりもメンバー自身にとって最も嬉しいことであったように思えてならない。無論、優れたプロである彼らは、やれ復活コンサートなり、復刻CDなどという陳腐な手法に走ることなく、それぞれがより自然な形で集い、研鑽する中で、今、この瞬間を記録する意味で7年目にしてようやくCDという形を取ったという選択は、いかにもという感じがしてこのユニットとしての思考の高さが感じられる。
さて、何を今更と思われるのを承知で言えば、何故か急に"キングサーモンのいる島"を聞いてみたくなったから。久しぶりに病院に向かう必要がなくなった週末、iTunesデータの整理をしながら、聞き出したらその想いを書き留めたくなったからだ。
しかし、この"キングサーモンのいる島"の完成度はどうだろう。こんな音源を35年前に残すことのすばらしさを何と表現すればいいのだろうか?小室さんですら20代後半、こへさんは24歳、おけいさんに至っては20歳である。勿論原さんや橋本さんも同年代。当時叙情フォークなり、歌謡曲くずれのフォークが全盛の中、明らかに六文銭は異質な存在であった。当時異質だっただけでなく、35年後の今でさえ、これを超えた楽曲、音源がどれほどあるというのだろうか?小室・こへさんのコンビは言葉が生きているという意味と言葉を生かす音楽という意味で、68コンビに匹敵する日本語歌のスタンダード的な響きで今も生きているように思う。彼らが不幸だったとすれば、当時の時代は歌謡曲に対するフォークという無意味なジャンル分けの中での選択肢しかなかったことだろうか?
さてLP(CDにあらず完全アナログレコード)のタイトルになっている"キングサーモンのいる島"。つい最近、おけいさんのソロで聞いたけれども、やはり伸びやかな20代のこへさんのソロのそれは聴きごたえがある。転調を繰り返すこの難曲を北の乾いた海の情景が浮かぶように歌うこへさんは、まさに吟遊詩人そのもののような気がする。あえて20代と書いたが、実はこへさんの声が一番当時との乖離が少ないように思う。
そして"はじまりはじまる"にもセルフカバーされた"夏・二人で"。個人的には希代の名曲だと思う。当時の大ヒット曲の神田川との比較においても、その普遍性は際立っている。そして歌の世界と同世代でもある当時のこへさんとおけいさんのデュエットは初々しさ以上にその世界観を明確に表現しているように思う。テンポも07年版より明らかに速く、曲調からもオリジナルに明らかに軍配があがる。何よりバレリーナでもあったおけいさんのタップ?サウンドが心地いい。
"おもちゃの汽車"はこへさんらしい歌詞に小室さんのヴォーカルがフィットして全体にメルヘン的な曲が多い中、何とも言えない色気を感じさせる名曲である。それにしても小室さんの声が若い。今や好々爺のイメージが強いが、その声にはやんちゃで理屈っぽい小室さんの雰囲気が感じられて懐かしい。
実はこの"キングサーモンのいる島"が最後の六文銭のLPにも関わらず、07のCDにセルフカバーされている曲は"夏・二人で"だけである。その選択の理由はわからないが、当時からの歌が他に4曲もカバーされている。推測だけど、"キングサーモンのいる島"はグループ六文銭としての完成版であり、3名そしてギター2本だけで表現することを想定した上での選択ような気がする。であれば尚のこと、"ホワンポウエルの街"を入れて欲しかったと思うけど。とにかく、おけいさんのヴォーカルは清新で、間違いなく20代の声である。是非とも今のおけいさんの声でも聞いてみたい曲である。
原さんの"私の家"。このLPでは原則メンバーが曲をつけ(詞はすべてこへさん)メインヴォーカルを取っている。それがおけいさんは"ホワンポウエルの街"なのだが、原さんの作曲した"私の家"はシンプルながら少し鼻にかかった原さんのヴォーカルは魅力的だ。メモリアルにある"長い歌"と双璧の曲だと思う。
そして"流星花火"。多分小室さんのピアノだけで表現されるその曲は、こへさんの詩人としての言葉を極限までシンプルにすることで際立たせようとしたものだと思う。最近のライブのMCによるとほぼ即興的に作られた曲とのこと。まさに当時の六文銭は、マグマが湧き出るが如く曲が生まれていたことが想像できる。
この他にも今でもライブでよく歌われるおけいさんメインの"インドの街を象にのって",”サーカスゲーム"などキラ星のような名曲がおさめられている。どう考えてもこのグループがこのLPを作った直後に解散したことは理解できない。もったいないというのが本音ではあるが、やはり28年後ではあるが、CDとしては35年度ではあったけれど、約束された復活であったと思わざるを得ない。
この間の35年は、同じ曲で単純に35年間を繋ぐのではなく、確実に35年という時間が流れていた、但し必然の中で、上でのものとして、そして過去にさかのぼるのではなく、その道標のもとに新たに"はじまる"何かを期待させる"まる六"だと思った。
72年のキングサーモンから07年の"はじまりはじまる"。今、聴き比べることにより、その間に自分自身の35年分の想いも続いていることに改めて気がついた。
さあ、3月。月末にはまる六と共に自分探しのツアーに出かけるとしよう。
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