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2008-03-10

上海バンスキング 再見 今度は80年代を総括かな?

考えてみると不思議な体験である。
NHK-BSで昭和演劇大全集を見た。何が不思議って、この番組は昭和に放送されたNHKの演劇ライブラリーの中から、よりすぐり作品を渡辺保と高泉淳子の解説を加えて(実にこの部分だけで30分あった)放送するというものだけど、そもそも本来なら生の舞台を見られればいいのに地方にあってはそれもままならず(丁度生の六文銭を見られなかった感覚に近い),それでもサブカルチャーの代表のような当時の小演劇の中から選択されたそれを、そう25年近く前にテレビで見たものを再び、生でなくまたまたテレビで偶然見たというのは、初代テレビッ子としては喜ぶべきことかも知れない。
同じ舞台を再び25年ぶりに見るだけでレアだろうに、レアな舞台を25年前にテレビで見て再び25年後、偶然またその舞台中継の放送をまた見るというのは・・。
いろんなものを結果,生ではなく、テレビで吸収しかつサブカルチャーにあこがれながらも地方にへばりついていた身としては、その事自体にも、そう若き頃に飛び立つことを躊躇った自らの80年代の思い出として、総括するべきことかも知れない。

当時上海バンスキングという面白い演劇があることは知っていた。初代不思議女優の代表のような吉田日出子さん以外には知った役者さんはいなかったが、これもテレビのNEWSで役者さん達がこの舞台のためにジャズバンドを組んでプロ並の腕前で話題になっていると言うものだ。そもそも100人程度の小劇場(初演は78、9年の六本木自由劇場とか,テレビはある程度評判になってからの82年博品館劇場での収録)でスタートした演劇でそこまでするかというのが気になり(まあ上野樹里のスィングガールズは軽〜いパクリの雰囲気だが)それが放送されると聞いて、見逃すまいとテレビを見た記憶がある。
そして家のどこかに、βテープに録画した記憶もあるので、最近のブルーレイ&HD DVDの戦いもあり、ふと、VHS vs βの確執が思い出される(私は当然画質優先でβ派だったけど見事に裏目に、新しいもの好きが祟って一時β、VHS、8mmビデオ等々で8台位のビデオデッキがあったっけ!?)。
肝心のステージは噂に違わず面白い舞台であった。ここで初めて笹野高史さんも知ったし、余貴美子さんも認知した。正直、大学は東京へ行きたいと思ったことはなかったけれど、東京にいるとこんなにいろんなものに出会えるっていうのは正直衝撃的でもあった。
(資料によればオンシアター自由劇場は串田孫一の子でもある串田和美が佐藤信、斉藤憐、吉田日出子という淙々たるメンバーで1966年に旗揚げされた。所謂老舗の劇団から独立して新しい演劇を目指したものであるが上海バンスキングは劇団としてもその地位を不動したもののひとつと言える。まあ、こんな経緯自体80年代らしい、時代の空気を感じさせるものだと思った)

ON AIRではステージそのものだけでなく、博品館劇場の楽屋やロビー風景も映し出されていた。そこには82年当時の風景が、それもあこがれのサブカルチャーに極自然に関わっていられる人々の風景が、そして何より番組にナレーションを入れているのは中西龍アナウンサー。勿論、若い吉田日出子さんや藤川延也,笹野高史,余貴美子さんの若々しい姿もある。不思議なもので、彼らの姿に見ている自分のその時代に戻っていることに気づく。

自由を求めた上海で、時代の流れ、戦争に翻弄されるジャズメン達の姿は、多分演劇そのものとしては特別なものではなかったのだと思う。しかし、それを圧倒する演奏、うまく言えないけれど、ステージ全体の存在感で何かを伝えようとする力が当時の新しい演劇活動のマグマとして伝わってくる感じだろうか?
オンシアター自由劇場。その名前自体にも、自由という言葉に意味もなく引かれていたのかも知れない。やはりこれも80年代の個人的な総括と言える。

さて、昨日は70年代、そして今日は80年代、実はこの82年、個人的にはもうひとつの別の広場であるパックインミュージックがその15年の歴史に幕を降ろしている。時代がバブルに向かう中、新しい時代のはじまりの中で、もうひとつの別の広場が無くなろうとしていた。それは深夜という特別な時間が無くなると同時に、この時代アングラと呼ばれたものの多くが(まあ、フォーク歌謡みたいなもんか!?)あるものは地上に現れ、あるいは更に地中深く潜航することになった時代なのかも知れない。

全然関係ない?話だけれど、最近の話題でES細胞があるが、再生医療によって寿命の意味がなくなってくるっていう話。アクセスで分子生物学者の福岡伸一さんの話で(彼の著書としては"生物と無生物のあいだが有名),この話題になった時、果たして20歳で亡くなった人と120歳まで生きた人の記憶、思い出に優劣があるかという話があった。つまり長く生きたからその人自体の価値があがるわけでないということを言いたかったようだけど、その中で思い出っていうのは時間軸に関係なく存在するという話をしていた。つまり楽しい思い出っていうのはその大小では存在するけれど、それを時間軸の中で人は記憶(記録)していないと言うのだ。確かに。やはり人は何年生きたかではなくてどう生きたかだとつくづく考えた次第、同時にもう50を過ぎたなんていうのも、実はナンセンスで、生きている限りすべての可能性があるということだと思う。その意味でも懐かしんでなんていられない。少しでも多く、いいものとの出会いを実現しなくてはと思った。若い頃に躊躇して触れる機会を逸していた分、今、頑張らねば。

またまたそんなことを書いていたら、広川太一郎さんの訃報が届いた。
69歳。無論、病に倒れられたのだけれど、あの若々しいナレーションがもう聞けないのかと思うと・・。那智ちゃんや羽佐間道夫さん、そして路線は違うけれど槙大輔さん、テレビッ子としては忘れられない声優さん達だけでなく、同世代には私にとって大切な人々があまりにも多いし、余計、最早、時を躊躇することは許されないと考えた。
これで総括になっているわけでなく、まだ総括する時ではないと言うことか。

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コメント

そうですね。いざ拓でご挨拶できるといいですね。
北海道一人旅、良い旅となりますよう。

投稿: かひ | 2008-03-17 21時15分

かひさん

こんな所までおいで頂きありがとうございます。
あちらは中々記事を見ていただく方が少ないので
一部こちらでも公開しています。
月末こへさん達のLIVEを追いかける一人旅で札幌にお伺いいたします。
ご挨拶できればいいのですが・・・

投稿: たくみ | 2008-03-17 12時07分

たくみさん、こちらにコメント、はじめまして。
おけいさんのBBSからやってきました。
上海バンスキング、私もBSで懐かしく観ました。
私は、地元の鑑賞会で裏方のお手伝いなどしながら
生の舞台を観た一人です。観劇会の後は、役者さんたちと
ソフトボール大会をしてジンギスカンを食べました。
吉田日出子さんを囲んでの懐かしい写真があります。
演劇鑑賞会の当時の資料メモには、鉛筆書きの
「及川恒平」の名もあり、別役実の作品の中の
役者としての「及川恒平」のメモは、
今、見るととても不思議です。

投稿: かひ | 2008-03-16 21時43分

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