様々な訃報に触れて②反省のないメディア達・・
実は河野さんの訃報に関連したメディアの動向には少しばかりは期待していた。
まあ、見事にその期待は裏切られたのだが・・
ゲリラ豪雨によるマンホール工事事件、
中国餃子の新展開、
まもなく開幕の北京オリンピック、
そして広島の日
まあ、やりたくてもいろんな事件があってという言い訳はできそうな事件が続く
されど、メディアに良心とはないのだろうか
1994年の6月27日から翌年の3月20日まで、無能警察の尻馬に乗って、一番の被害者たる河野さんを犯人扱いしてきた愚行を何の反省もなく、奥様が14年間の無念さのまま息を引き取ったこの日を迎えていて良かったのだろうか?
警察が犯人扱いした・・それを助長していたのはメディアでないのか
何より河野さんを冤罪の悲劇から救った?のは、次なる決定的なサリン事件をおこしたオウム自身だったことを忘れてはいけない。
もし、オウムが地下鉄サリン事件を起こさなかったのなら、果たして河野さんの名誉は守られたのだろうか?
メディアは2度とこんな愚行を繰り返さないためにも、
そんな事実さえ知らずに現場を飛び回る若い記者達のためにも
自ら襟を正すために、その事実に触れ、反省の日にするべきではなかったのか?
残念ながら、いろんなメディアを見る限り、それを実践したメディアがなかったことは悲しいというより情けない。
少なくとも第2の、第3の河野さんの悲劇/冤罪が間違いなく今後も起きていくだろう。改善なんて呪文のような合理主義の前に、人として、当たり前の反省が何より重要だとは思うけど。
広島の日、2度と過ちは繰り返しませんの意味さえも共有化できない壊れてしまったメディア、日本人、日本という国に我々は誇りを持てるのだろうか?
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コメント
自己レスですが、
わずかに8月10日のサンデーモーニングで毎日新聞論説委員の与良正男氏がわずかにメディアの責任に言及していました。当時の躁状態の中との言い訳もあったが、警察情報の垂れ流しであった点についても言及していたのは少しはマシかな?
でもね、他の番組、メディアで警察だけの責任にしようとしていたのは、ジャーナリストとしては失格だよね。
投稿: たくみ | 2008-08-12 13時17分