2008私的・・まる六&おけいさん考
2008年の最後の日、この年ほど前半と後半で社会全体の空気が入れ替わった年は無かったのではないか?後11時間足らず、いろんなことを振り返らなくてはならないが、社会全般については何日か前に書いたので残された時間では、ある面ライフワークでもあるまる六、そしておけいさんのライブについて考えてみた。
果たして本年中に書き上がるのかしら?心の迷宮と言おうか、結構奥が深い考察になる予感も。とにかく始めることにしよう。
知らない人は私を単なるライブ好きと思われるかも知れないが、実はライブ歴となると2006年10月27日以前については、単なる"巣ごもり"族にすぎなかった。何せその半世紀の間に接したライブ(この後、意味付けが異なってくるのでここでは一般的にライブとする。この後出てくるLIVEとは区分しておこう)と言えば、高校の文化祭での風船、抽選で当ったムーンライダース、以前の会社の周年事業での森山良子、そして知人に連れていってもらったサザンくらいのものである。
それが2年前のあの日、まる六のLIVEに出会って以来私の心の中で大きな地殻変動が起こってしまった。と言うことで2008年だけで18回、せっせとLIVEに出かけていった。その18回はすべてまる六&おけいさん関係だけと言うのも偏っていると言えば言えなくはないけど、それだけ魅力的なLIVEであることをお伝えしなくてはなるまい。
ちょっと話が逸れる(これもいつものことながら)けど、そのきっかけとなった2006年の浜松町でのLIVE、当然のこととしてのまる六はともかく、それ以来のおけいさんへのリスペクトはここから始まっている。無論、30数年前の六文銭の時代からおけいさんの存在は十二分に認知はしていたけれど、それは六文銭の中の一員としてのものであり、個としての小室さん、キングサーモンで溢れんばかりのソングメーカーとしての存在を確固たるものにされていたこへさんとは違った存在であることは認めざるを得ない。だから、まる六として再び私の前に蘇ってきた時も、あくまで歌という観点で言えば、このお二人がいろんな意味で中心であったことは否定できない。
但し、おけいさんについてはネットという魔法のデバイスの中で、キーボードを通じてのやり取りの中で、その飾らない、それでいて透明感のある心根がそのまま伝わってくるお人柄にシンパシーを感じていた。同時にいろんな汚れを知ってしまっていた者にとってはとっても危うく壊れそうな脆さをも感じさせる、およそ芸能界には存在しえないような方だなという思いも感じていた。
その意味では小室さんやこへさんという守護者と共に再び歌い始められたことには十分な必然性があったし、生意気な言い方だけどほっとする安心感を与えるものでもあった。
と言う中で出会った最初の生のまる六。その衝撃をどのように表現したらいいのだろうか?まる六に関わらず例えどおりの言葉に"両雄合い並ばず"と言うのがある、30数年前の解体の理由もおけいさんの結婚による女性ヴォーカル不足という単純なものではなく、六文銭というユニットの中で小室さんの目指すもの、こへさんが考えるものについての乖離が明確になったからなのだと思う。多くのユニットが方向性の違いなんて嘯いて解散していくけれど、あるいはそれがあっても利害という枠組の中で存続していくのだけど、六文銭に関しては利害より何よりユニットとしてやるべきことはやり尽くしたという想いがこへさんには大きかったのではないかと想像する。無論、六文銭というユニット自体が元々そんなユニットだったし、こへさんがそうであったと同様に暖簾主であった小室さんも、ある面、六文銭というユニットでの取り組みには一定の達成感があったからだと思う。そうでなければこれまでのようにメンバーを入れ替えて第9次の六文銭を起こすことは十分可能だったわけで、それを小室さんがされなかったことに最後の六文銭の完成度の高さを認めていたのだと思う。
あれれ、横道の横道に入ってしまったけれど、これあくまで私の一方的な考えなので関係者の皆様、そこの所よろしくです。
と言う事で解散以来28年後、運命のような必然性の中で9次六文銭ではなく!まる六が生まれたのだけど、やはりその時点でもおけいさん無のこのユニットの存在は考えられなかった。これも誤解を受けるかも知れないけれど、小室さんとこへさんのデゥオという形には必然性は全くない。この両雄をつなぐ触媒としておけいさんの存在はなくてはならないものだと思う。仮に構成上、女性ヴォーカルが必要ということであればおけいさんの復活を待つまでもなく、ゆいさんという存在が身近にあったわけで、ある意味ではより自然なのかも知れない(現に楽団六文銭としてゆいさんを加えたユニットは限定的ながら存在していたし、多分小室さんがまる六でなく9次六文銭とするのならおけいさんでなくゆいさん中心のユニットとしたと思う)。しかし、と言うか当然のこととして、その3人によるユニットとはせず、おけいさんの復活を待つ事になる。そして2000年、小室さんともこへさんとも同等の距離感を持つ2等辺三角形としてのまる六が生まれることになるのだが。
この三角形の収まりの良さは先述のようにおけいさんにとっては強靭な守護者2名に守られているような形だし、両雄にとってはおけいさんという絶妙な触媒の存在で直接的な軋轢を微妙に回避できる形が出来上がったのだと思う。更に言えば、それは核分裂を強固に押さえ込む三角形のシェルターではなく、おけいさんを加えた核融合という形で十分すぎる個々のパワーを更に高めるユニットになっていったことだと思う。
ひとつ元に戻して、そこでの2006年の10月27日である。
当然のこととして、その時点での私の注目は小室さんでありこへさんであった。無論おけいさんを加えたハーモニーとしての素晴らしさに触れるためであったけれど・・・。
ところが、そこで目の当たりになったのは予備知識として何度か見たテレビの上でのまだまだぎこちなさが残るおけいさんではなく、堂々と両雄をリードしているおけいさんである。どう表現したらいいのだろう?正に守護者2名を従者のようにして煌めいていたと言ったら小室さんやこへさんに失礼だろうか?
30数年前、1年間だけの活動においては輝いてはいたもののそれはまだ原石のものだったと思う。以来28年間、奇跡的にこの原石はいつでも輝きだす準備だけは維持されていたかのように、まる六としてのそれまでの6年間(密度的には30数年前と比べるべきもないが)にどんどん煌めきを増していったのだと思う。そしてそれを一番感じていたのは小室さんであり、こへさんであって逆説的に言えば、だからこそこれまでの8年間もこの守護者達は更に輝きを増す歌姫にそっとより添ってきたのだと思う。それが無ければ、いつでもユニットとしての歩みを止めることになんの戸惑いもないお二人だから・・。
と言うことでようやく本題(最早どちらとも言えないけれど)に戻って。
(いいですか読者?の皆さん、ここからは頭から3ブロック目に戻ります(^-^;)
これでまる六、そしておけいさんに集中してLIVEに参加し続ける意味を多少はご理解頂けると思うのですが・・。
しかし、では何故何度もLIVEに向かうのか?この辺りの答えについては、先日の8時間にも渡るNHK-FMでのドクターサムのお話の中に答えらしきものを見つけたような気がする。
ドクターはご自身の歌の世界の中で、当時の一般的な歌謡曲に対し、アマチュアが伝える相手は目の前の人や限られた人の為に歌うのがフォークソングだとお話されていた。それは同時にプロとアマチュアという定義でも区分され、プロは商業的な歌、それに対しフォークソングはよりパーソナルなものと言うことか?
何も今更青臭く商業的な歌がどうのこうのと言うつもりはない。番組でもかかったプロ中のプロの歌、喝采はある面すばらしいと思うし・・。ただ当時、ドクターサムに対しても"帰れコール"を浴びさせた連中がいたけど、実は当時のそんな奴らに限って、その後一番変節していったのを知っている。次元は違うけど今でも大ファンぶっている人の中にも一方的に自分の価値観を押し付けたり、節操もなくいろんな方のなんでもかんでも"ファンであること"が一番大事なこととして、自分を必要以上に尊大に見せたがる輩がいるんだよね。個人的にはそんなの単にひとりよがりでファンなんて呼べないと思っているけど・・ある面贔屓の引き倒しとも思うけど。
(あ〜言っちゃった。まあ年末最後の日と言うことで許してねm(_ _)m)
さて、そんなドクターはあの時、結構傷ついたとおっしゃっていたけれど、ご自身は今でもその意味ではアマチュアだと思っているとのこと。そして山上路夫とか筒味京平というプロがフォーク的なものを書くようになって(実はご自身のさらば恋人もそうだけど)ひとつの時代が終わったことを確信されたとおっしゃっていた。
プロは商業的により広く浅く伝えることを目的とするのに対し、フォークとは限られた人の為に、あるいは歌い手の想いを伝えるためにより深くと言うことであるとのこと。その意味では同じ歌であってもその場、伝える相手によって異なるものというお話をされていたように思う。丁度、友也さんがゲストで見えていたころの話だ。逆に言えば、歌謡曲が不特定多数を相手にするものでそれ自体で存在しうるのに対し、フォークソングは歌い手とそれを受けとる受け手がいることによって初めて成立するものと言えるのか?
その意味では、フォーク的な歌とフォークソングとは、オペラと浄瑠璃以上に異なるものだと思う。だからこそフォークソングはLIVEにとどめを刺すと言えば言い過ぎか?同じ曲でも、聴く度に異なる印象を受ける、それは歌い手側の想いであったり、受け手側の想いであったりと異なるけれど、その瞬間、瞬間が常に新鮮に響いてくるLIVEだからこそ出かけないわけにはいかないと思っている。
その意味ではファンは常に最善のオーディエンスであるべきだと思うし、アーティストもその場、その場での最善のパフォーマンスでそれに呼応しなくてはならない。その緊張感こそ何者にも代えられないし、まさにその空間が生きているLIVEなのだと思う。
私は、まる六そしておけいさんの歌にそのLIVEを感じとる限り、その場にいたいと思うし、それ自体がこの時、この時代、空間を共有して"生きている"ことを実感できる場であると思う。何より、おけいさん、小室さん、こへさんはその"LIVE"を伝える手段としての歌であって、そこから私の心、体全体に染みてくるのは同じ時代を生きている実感だから。
最後と言うことで相変わらず意味不明の長いものになってしまった。
ここまで読んで頂いた方が見えたならまずは感謝である。そして、貴方がまだまる六やおけいさんのLIVEに触れたことがないのなら、何にも増して新しい年にその機会を逃さないようにと願わざるを得ない。
以下は2008年のLIVEの私的記録として。
※ソロ10回、まる六6回、猫とのジョイント2回のけい18回の記録です。
1) 2008.01.13 ●名古屋58MOON●おけいさん&n猫ジョイント
おけいさんの歌会初め 名古屋編
2)2008.02.02 ●六本木 KNOB●おけいさんソロ
08年おけいさんの目指すもの節分前夜KNOBゆったりnight
3)2008.03.26 ●釧路 ●まる六 道東ツアー
道東ツアー 釧路編 まるで・・のように
4)2008.03.28 ●帯広 ●まる六道東ツアー
道東ツアー 帯広で感じたまる六の価値
5)2008.03.29 ●札幌いざ拓 ●まる六道東ツアー
道東ツアー 札幌でもどこでも武道館
6)2008.04.13 ●小田原 ●おけいさんソロ
道東ツアー総括前に 小田原にて
7)2008.05.09 ●六本木KNOB ●おけいさんソロ
出会い,再会、喜びのKNOB LIVE
8)2008.05.31 ●徳島 ●おけいさんソロ
徳島LIVE 最高のコンビに・・
9)2008.06.06 ●南青山マンダラ ●まる六 定例
自由への系譜 まる六、6の日LIVE
10)2008.06.13 ●名古屋今池 得三 ●まる六
まる六の原点に出会う 得三LIVE
11)2008.06.21 ●渋谷 7tnフロア ●おけいさんSQUARE 6th
OK's SQUARE 6Th 飛び立つおけいさん
12)2008.08.31 ●前橋 きしん ●おけいさんソロ
おけいさんの前橋LIVE・・終わりの無い進歩に夢が叶いますように
13)2008.09.13 ●恵比寿駅前バー ●おけいさんソロ
おけいさんらしさ・・歌うこと恵比寿駅前バーにて
14)2008.11.15 ●荻窪BUNGA ●おけいさんSQUARE 7th
立ち止まらない歌姫 OK's SQUARE 7th
15)2008.11.09 ●名古屋 ひまわり ●おけいさんソロ
確かに春の風が吹いていた・・おけいさんの名古屋ソロLIVE
16)2008.11.23 ●浜松おとぎ草子 ●おけいさんソロ
たまにはね・・ポプコンの街のおけいさん
17)2008.12.06 ●南青山マンダラ ●まる六定例
まる六の日、地雷?仕掛け花火か?緊張感満載LIVE
18)2008.12.21 ●富山 サマーナイト ●おけいさん&猫ジョイント
猫色のおけいさん in 富山
そしていよいよ3月には名古屋で。参加者募集中です。
おけい's ナイト 四角佳子ホワイトデーソロLIVE
では、みなさんよいお年をお迎えください。
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コメント
テリーさん
明けましておめでとうございます。
こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。
名古屋、お待ちしています(o^-^o)
投稿: たくみ | 2009-01-01 09時55分
明けましておめでとうございます。
今年は名古屋へなんとか参戦します!^^)
しかし、18回ですか、こりゃすごいですね、
本年もよろしくお願い申し上げます。
投稿: テリー@Fitband | 2009-01-01 09時45分