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2008-12-13

どうしようもなく、辛い事・・

今日は少し哲学的な話を(似合わないってって言われそう)

この年ともなれば、別れというと死を意味すると思うんだけど、
そうじゃないんだなあ。

半年程前、あるネットで知り合った方とお別れした。
彼はネットの住人としては大先輩で、私のようにネットと言っても単に自己発信の場ぐらいしか考えていない者を当初から危なっかしい目で眺めていたのだと思う。
それでも共通の趣味があり、それについては長く生きてきただけあって、少しは私の方が詳しい部分もあって、なんとかおつきあいをして頂いていたようだ。
と言うか鈍感な、否これでも十分思慮深いとの自負はあるけど、更に言えば人見知りも激しい質の私の場合、一端心を許してしまうと、一気に緊張の糸が緩むのか、あえての説明を省いてしまう悪い癖もあって、そう、判っていてくれるという勝手な安心感、思い込みが災いしてしまうのか。ましてやこの方とは共通の趣味によってお会いしてじっくりお話までさせて頂いたのだけれど・・

何度かメールをやり取りをしている間に、多分先方にはどんどんストレスが溜まっていったのだと思う。結果として、突然舞い込んだメールに、私の理解力が着いていかなくなってしまった。

彼と決定的に見解が相違したのは、自分のサイトの捉え方なのだが、私にとってはネット上の自分の庭、それに対して彼は大きな公園に区画された一部にすぎないということか(これも違うと言われるかも知れないので私の理解で)。勿論、自分の庭なので、できれば自分の言葉で、自分の思いで語りたいと考えているのだが、とは言えサンマの煙を他所様の庭にまき散らしていいとは思っているわけでない。また、自分の庭においで頂く方には最大限の敬意を払うけれど、他人様の目を気にして自分の庭での発言なり思いを制限するなんてことを(決して誹謗/中傷ということでなく)考えてもみなかった。しかし、彼はそれをネットマナーとかいう価値観で制限すべしというスタンスの方だった。

ネットとは言え、所詮は大きな公園の一部を貸し与えられているだけなので自分の思いで語ってはいけないのだと言う。但し誤解ないように言えば、彼からみればヨチヨチ歩きに見える私に対しての忠告という意味で、ネット右翼や洞穴の住人達の餌食にならないようにとの親切心からなのだった。

しかし、生まれながらの天の邪鬼、いい子ぶって生きるのが嫌で、会社のヒエラルキーも無視することで生きるエネルギーししてきた身からすると、その忠告自体も窮屈に感じてしまうんだなあ。

結局、この話をベースとするだけならなんとかなったのかも知れないけれど、私にとってはもうひとつの大事なものに絡めてこの話になった時点で、もう疲れ果ててしまった。つまり、何故、彼に私自身の理解を求めているのか判らなくなってしまったのだ。

子供の頃からある変な自信というか、私が心を開いた(あくまで、こちら側の一方的な想いだけど)相手っていうのは、私にとっては財産みたいなもので、ある面家族以上に私の理解者であると勝手に思ってしまうのである。従って、少なくとも私側の都合で離れてしまうことはなかった。確かに離れてしまった方はいるにはいるけど、基本的には私自身をよりよく理解された上で、だからこそ距離を置かれた方ばかりである。私自身は辛い別れではあったけれど、少なくとも誤解を受けたまま別れたのであれば悔いが一生残るけど、そうした悔いはないし、だからこそ例えば30年前に別れた人でも今でも、同じ気持ちで合う事ができると思う。

その意味では、理解されないまま別れる感覚というのが実に辛いというか、初めての感覚であった。だから、今でも私サイドに関してはドアはフルオープンにしているのだが・・。ただ未練がましいというのとは違うんだなあ。あくまで去るものは追わず、されど来る物は拒まずということで。

でもね、例えば理解されない感覚って時間の多さじゃないような気がする。ネットで知り合ったから理解されないというのも違うと思う。夫婦にしたって長くつきあった末の夫婦なら判り合えているかと言えばそれも違うし、結局は理解しあっていると思うお互いの錯覚が、そのまま続くのか、あるいは錯覚が確信に変わるのか、はたまた錯覚と気づいて別れるかしかないと思うし。

ありゃりゃ、なんか全然哲学的な話になってないや(やっぱり)

そう、悲しい話だった。彼と別れたことは悲しい話じゃないな。なんていうか理解されていないなあっていう感覚で、それってとっても淋しい話なんだな。つまり、理解してもらえなかった自分が口惜しくて、自分の力の無さを痛感するばかりなのだ。
このことって随分、精神的には引きずったのだけれど、何とか乗り切れそうな感じで年の瀬は迎えられたのだが・・

まさか今年、これ以上に辛くて悲しくて、淋しいことがあるとは思わなかった。

人生の上でも、とっても大切にしている方の話。
私自身はいつものように勝手に理解しているつもりなんだけど、
その方からのメールで、その理解が伝わっていない以上に
まったく私の想いとは正反対の感覚で捉えられていることにきずいてしまった。
誤解より辛い感覚、説明のしようがない切なさ、
無論、私の責任だけど、何より自分の気持ちというか想いが、伝わらないんだと自覚することで伝えることが恐くなる感覚、どうしよう?
結局、よかれと思う事が迷惑以外の何者でもないとしたら、
どうでもいい方ならともかく。大切な方だと思えば思う程
出口が見つからないんだよね。

年の瀬に味わう袋小路。閉塞感。迷惑だと思われながらしなくてはならないことが山ほどあるのに、どうしたらいいのだろう?
やっぱり年は越せないなあ・・

意味の無い日記でごめんなさい。

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