おとのば まる六と六文銭’09のあいだ
本日正式に六文銭’09が発信されました。
2月14日の東京フォークフェスティバルのステージで小室さんがお話されたそうですが、その経緯につてはこちらでご確認してください。
2000年にあらかじめ予定された偶然のように、まるで六文銭のようにがスタートしました。無論、その時はこへさんのライブにゲストとして集まった小室さんとおけいさんが即席のユニットとして歌っただけではあったのですが、歌の神様が希代なフォークユニットであった六文銭という舟を今一度海原に漕ぎ出すために巧妙に仕組んだ素敵な罠だったように思えます。
そんな神様の唯一の誤算と言えば、双胴船のような小室さんとこへさんをつなぐ存在としておけいさんは欠く事ができない存在であるのは認識してはいたものの、二人の経験値とあまりに乖離のあるものだけでなく、およそ28年間もの空白をかかえたおけいさんに期待するものは、双胴の舳先が離れないようにバランスを取る事だったのかも知れないが、気がつけばそのおけいさんが双胴の舳先の上に立ち、あたかも舟全体をリードするかのような存在になったことだろうか?
確かにまる六はユニットとしての塊感に拘るのではなく、個としての存在を前提とした個が並ぶのではなく揃うことによって個では実現できない別のステージを展開できることが最大の魅力だったと思う。だから、個のステージで歌われる歌でもユニットとして聴く時は全く別の魅力に溢れた歌として響いていた。
同じ意味であえて六文銭とはせず、まるで~ようにとしたところに、このユニットの自由で、個を必要以上に尊重する姿勢、誰が中心というわけでなく、何よりメンバーそれぞれが心地よい場としての存在を第一に考えることを、オーディエンスにも形にこだわることなく音楽を、その世界観を楽しむことを伝えているようで、そこには単なる懐かしさではなく、人生と同じように過ぎ去った時間さえも共有できる空間を提供してくれていたように思います。そして自分自身が今まだ生き続けていくように、その音楽もまた過去のものではなく、今も生きるものとして染み渡ってきたように思っています。だから、私はそんな場にいられる幸せを何より大切にしてきました。
そんなまる六は2008年、小室さんの長女でもありソロシンガーとして活躍していたゆいさん、何より3人が六文銭として活躍していた時代に正に生まれた彼女をまる六の一員として迎えいれると聞いた時、うまく説明できない違和感を感じたことを覚えています。
すでに当時まる六のマネージャー的存在として、何の違和感もなく行動を共にする姿は極めて自然で、そのサウンドに加わることには何の不思議もありません。例えば、私の目撃した札幌のライブでまる六に加わって歌う姿はある面まる六のサウンドとしての魅力を拡大していたのはまぎれもない事実でした。
そう親和性で言えば、これほどピッタリの存在は他にないことは誰もが認めるものだと思います。ただ、だからこそあえてまる六の一員としなくても、まる六+ゆいさんでいいというか、その方が腹に落ちる感じがしていました。
その意味ではへそ曲がりのファンであったのだと思います。でもね、そんな拘りって六文銭っぽいでしょう?あのこへさんに理屈っぽいってけなされるなんて六文銭ファンにとっては勲章みたいなものかも知れません。(ねっ)
いずれにしても双胴船の舳先に立つ航海士はひとりでいいし、何よりまる六という形ではないものによる危うさ、脆さこそ、聞き逃すことができない緊張感をオーディエンスにも求めているようで、それは心地よい緊張感でもあり、それは一発取りのライブ感優先のCD創りにも繋がっていたように思います。
そんな中でのゆいさんの正式参加は、収まりが良すぎるが故に、ある面本来のまる六らしさが失われるのではないかと考えたのです。(う~ん確かに理屈っぽい)
そんな中での六文銭’09のNEWSでした。
まる六と何が違うのか?否何も違わないのだと思います。じゃお前がくどくど書いた意味は何なのだと言うことですよね?いえいえこと音楽的な意味で異論は何も唱えてはいません。何より小室さん自身が語られているように、六文銭自体がグループとしての一体感より、必要な時に必要な人が集まって、必然的な歌、音創りをするそんな存在であったと思います。その意味ではまる六の方がグループとしての一体感は強かったのかも知れません。
小室さんがおっしゃりたかったのは、小室さんやこへさん、何よりおけいさんが六文銭として存在していた時代、ユニットとして存在していた時代から長く離れていたこと、おけいさんに至っては歌の場からも28年も遠ざかっていたことで、彼らの判断としては(ファンから見れば全くもって十分な個であるとは思うのですが)その時代との比較において個の確立が十分でなかったということかも知れない。だからこそのまる六という空間で、自分達が納得できるステージに至ることを確認されたのではと。
そこでゆいさんが参加する時点で、まる六という危うい場ではなく、それぞれの個が確立したものが集う場としての六文銭、音の場にしたのだと。
支え合うまる六ではなく、個々が確立した形で集うユニットにステップアップしたのだと。
ただ、そのことでまる六の価値が変わるものではないと思います。
何より、4人のユニットを六文銭'09と定義したことで、まるで六文銭のようには永遠に小室さん、こへさん、おけいさんによるスペシャルなユニット名として記憶されることになったのだから。
個人的にはこれからも大切にしたい存在にしたいと思います。
まる六と六文銭'09のあいだ。
それはオーディエンスからみれば単なるユニット名の違いなのかもしれない。
ただ、まる六はとても肌触りのよいゆったりとした繭につつまれた存在であったのに対し、六文銭’09は参加する個それぞれに外気が否応無しに吹き付けるものだと思います。だからこそ、そこに立つ個それぞれの存在感をより際立たせる必要があるのかと。すでに双胴船ではなく3次元的な核だけを同一のものとして多面体のユニットとして歩み出すのだと。
その意味では新しい緊張感が生まれたのかも知れない。
まずは4月22日。おとのばとして我々の前に降臨するのを楽しみに。
何やら、この話題になると理屈に理屈を重ねることになるのを反省ですね。
でも、私にとっては人生の一部ということでご容赦を。
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