やはり、初恋だったのか・・
すでに旧聞ではありますが、
大好きなおけいさんの、ファンだけでなく
何よりおけいさん自身にとっても念願のオリジナルCDの発売が決定しました。
おけいさんが再び歌の世界に戻られて9年目、
Uさん達のご尽力でソロとして歌い始めて4年目の2009年、
ライブにお伺いして、六文銭時代の歌だけでなく
スタンダードとも言うべきステキな国内外の歌を
おけいさんらしく歌われるのに接する度、
おけいさん自身や当初のサポートギタリスト木村香真良さんが創った
オリジナル曲に触れる度、
このステキな歌姫の魅力を、底知れぬパワーを
この場にいないオーディエンスに伝える術はないものかと考えたり、
逆に、このステキさ、透明感を冷たい銀盤に押し込めることで
そのすばらしさが本当に伝わるものなのかと考えたり、
勝手なジレンマに想いをめぐらす日々を重ねていました。
確かにまる六として、六文銭'09として、その存在感の確かさ、
留まる事の無い進化を目の当たりにしてはいましたが、
それとは違う、ハーモニーの核としてのすばらしさとは
ベクトルの異なる魅力はソロならではのものだと思います。
少しばかり自らの趣味を優先させれば、
猫とのジョイントでのソロパートとも明らかに違う魅力があると思います。
少なくとも昨年、多分、ご本人を除けば一番多くソロの歌に接することができたという
小さな自負でも断言できます。
ソロのおけいさんの魅力は、ありとあらゆる前提条件、過去の記憶や経歴をどがえししても、今、この瞬間の私に時代に必要な歌として響いて、滲みてくることだと思うのです。
30数年前、六文銭時代の1年間の記憶は、一番多感な時代の私自身にとっては初恋のような記憶なのかも知れません。恥ずかしながら、同じ時代、今まで一番、心焦がした(カミサンゴメン!)彼女は偶然なのか名前は"KEIKO"でした。ただ佳き子のおけいさんとは異なり、能面のような桂の子でしたが・・。その意味では二つの初恋の記憶が、その後今に至るまで私の心を支配してきたのかも知れません。
ただし、多くの常識でいえば、初恋の記憶はその瞬間だけに存在することで意味を持つのですが、おけいさんの場合は、30数年後にお会いして、瞬間に時空の壁が無くなったように、10代のあのままの想いが、佳き思い出ではなく、現実の生きた夢物語のように続いていたことを証明してくれました。この感覚は、結果として10代の私自身の存在証明をして頂いたようで、その後の汚れた、小賢しくなってしまっている自分は本当の自分ではないよって、叫びたい想いを叫ばなくても、ここにいるよって優しく諭していてくれる感覚だと思います。
もう、ひとつの初恋の記憶の方は、例の名古屋駅事件以来30年、今まで一度も巡り会うことなく過ぎていっています。多分、こちらは30年前のままの記憶としておく方がいいのだとは思いますが・・
そう、そんなおけいさんの初CDのタイトルが"初恋"だなんて。
何故か、私には、初恋のままでいて良かったんだよって、
初恋の対象で間違っていなかったんだよって、
やさしく肩を抱かれているような気がしています。
2009年7月8日。
何故か七夕の翌日、年に一度の再会の後でもずっと甘酸っぱい日が
続くように、そんな日になりそうです。
ただ、どんなに解凍技術が進んでもCDはあくまで瞬間冷凍食品です。
そのすばらしさに少しでも気がついたなら、是非、生のおけいさんの
素晴らしさに触れて欲しいと思う今日この頃です。
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