2009年、8枚目のカレンダー。
年12枚のカレンダー、今日から8枚目に入った。
日々の積み重ねより季節の移り具合で感じる時の流れも
いっこうに開けそうにない梅雨の態度に夏であることさえ忘れていた。
学生なら夏休みとか受験などで,否応無しにカレンダーを意識するのだけれど
昨日と変わらない今日が当たり前になっている身としては
自らの老いという季節を越えたロングスパンの時の流れしか能動的に感じることはできなくなっているのかも知れない。
2009年という、いかにも中途半端な区切りのない年の宿命なのかしら。
鉄腕アトムを楽しみにしていた時代に夢をはせた21世紀が目の廻りに溢れているはずなのに、夢の未来はそこにはない。
確かにパソコンや携帯電話はほんの15年程前のエヴォンゲリオンの予測よりも進化しているのかも知れないけれど、アトムの時代に夢見た未来はIT進化よりも人としての心の豊かさも進化のひとつだったはずなのに、無機物の進化とは裏腹にそれを享受すべき人の心は停滞したままなのは何故だろうか?
まさか21世紀の未来に宗教観を土台とした殺戮がくりかえされ続けることを誰が予想したのだろう?
そう、未来は思想も宗教も人種も(ホントは宇宙もだけど)越えた豊かさがキーワードだったはずなのに、進化の幅だけ格差はかえって広がってしまい、その心の隙に既存の宗教だけでなく、エセ宗教、カルトまで浸食してしまっている。現実の未来には物質的格差のはけ口として心の傷にそれはどんどん浸食し続けてしまっている。
どうしてなのだろうか?
残念ながらその答は19世紀に出ていたのかも知れない。
結局、この時代まで進化の原動力となった資本主義は実はもともと限界のある思想だった。資本主義の基本って、拡大再生産。そう、近代資本主義って際限のない市場と資源を前提としたもので、誰もが宇宙船地球号じゃないけれど、そのいずれもが有限であるという現実を知ってしまった今では、その進化の根拠を失ってしまったと言える。
実はこのことに一番最初に気づいたのは誰あろう、その資本主義の権化でもあるアメリカだった。今の不況の元凶でもあるサブプライムを発端とする金融恐慌は実は資本主義の限界を知ったアメリカの最後の劇薬によりカンフル注射だったのだ。すでにモノ作りの基盤を失っていたアメリカには軍需産業以外さしたる産業はなく、この国の最後の賭けはバーチャル資本主義とでも言える、究極の錬金術だった。金で金を生む、ヘッジファンド。しかしそのヘッジファンドの資金こそ、アメリカが国家がかりで取り組んだ金融政策だった。
すでに世界最大の債務国であったアメリカの通貨であるドル。変動相場制の中、大幅下落して当たり前なのに、当時のFRB議長(まあ,日本で言えば日銀総裁かな)は高金利政策を取って、世界中から9兆円もの資金を集め、内6兆円を国内にバラマキ、残りの3兆円を運用することで(6兆円の運用益を得る)ことで金融バランスを取るという綱渡りのような政策だった。
実はこの政策は日本の経済政策とも密接にリンクしていて、本来なら大債務国のアメリカに物を買う余力などないのだが,先ほどのバラマキ施策と相対的な作られた円安によってクルマや電気製品の巨大で実体のない市場を作り上げてしまった。
そう,金がないのにバーチャルな金に踊る市場に踊らされて、見かけの好況を作り上げたあげく、その輸出産業の失速で、本来金融不況とは最も遠いと思われた日本の受けた傷の深さは今もまだ続いている。
おっといけない。横道に大きく逸れてしまったけれど、
言いたかったのは、今回の不況は80年代のバブルの後遺症とは根本的に異なる、ある面20世紀の繁栄のつけがきた、極めて構造的な不況であること。それにもかかわらず金融緩和策で再び流動性資金を膨らませたり、バカのひとつ覚えのように、それに乗じた機関投資家の思惑のみの株価アップに不況脱出を関連づけている連中には、この不況というか経済状況から脱出はできないだろうと・・
株価が10000円を越えたからと言って、庶民感覚では景気が良くなった実感がないとは当たり前のことなのだけど。
別の視点で言えば、
いつしか人件費を原材料費同様にコストのひとつとしてしか見なくなってしまった企業ばかりになってしまったこの国にとって、収益アップの一番の要因が人件費抑制である以上、株価が上がったり、経常利益が向上したからと言って真の景況感アップには繋がらない。
年功序列はともかく、労働者の大半が企業の一員として一体化していた時代とは根本的に異なる、リストラした経営者が評価され、受け皿のない労働難民が溢れても企業さえ生き延びればいい、自己責任という耳障りのよい言葉で社会の一員である企業としての責任の放棄を当たり前のようにしてしまった今の日本において(スクラッチ&ビルドではなく、前述のようにビルドする余力がすでに無くなってしまった今では)果たして企業収益向上だけで景気向上が図れるのかということを気がついてもいいのだけど・・
こんな社会環境が根本的に変わっているにも関わらず昔ながらの企業のみに焦点を当てた政策の羅列では、逆に格差の拡大を助長してしまうことを政治家もいい加減に学ぶべきだろう。
8枚目のカレンダーをめくってみて、
その変化の無さと、出口のないことを知ってしまった世界の未来。
多分、物質的な未来は、奇跡のような偶然で地球以外の新たな惑星でも見つからない限りは本質的には訪れないだろう。
結局、それまでは形を変えたトリックのようなバーチャルゲームで時間稼ぎをするしかないのかも知れないけれど・・
真の21世紀型、シアワセの形のような物質的には少し逆戻りしても、心の進化を考える時代になってもいいのかなと、梅雨の中で迎えた8月に考えていた。
「ひとりごと。つぶやき。」カテゴリの記事
- 46年前。変わらない永さんへ(2013.08.31)
- 希望の国(2012.10.06)
- 六の日から4日後。 六文銭は無形文化財に。(2012.06.17)
- 3.11 変わったもの。変わらないもの。(2012.03.11)
- 2012年、年のはじめに。(2012.01.02)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
hikaku様
コメントありがとうございます。
知識不足で相互リンクの意味がわかりません。
ご教示願えませんか?
よろしく御願いいたします。
投稿: たくみ | 2009-08-03 09時35分
サイト運営し始めた者なんですが、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://hikaku-lin.com/link/register.html
こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
60FenB6j
投稿: hikaku | 2009-08-02 01時05分