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2009-08-13

24年目の夏、クライマーズ・ハイ。

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考えてみるとこの世に生を受けて半世紀、幸いなことに戦争の実体験はなかったけれどいろんな事件に出くわしていることに気づく。
最後の六文銭を追ったドキュメンタリー"フォーシーズンズ"でも1971年から72年の間に起きた事件を下敷として、こへさんが歌う春夏秋冬版の”春は日傘の"を狂言廻しのように進んでいくのだけれど、この1年の事件の密度の濃さは凄い、そんな年の六文銭、出発の歌であったからこそ、数十年の時を越えても私がその瞬間に戻れるのかも知れない。
それは同時にこの国にとっても沖縄返還、横井さんのグアムからの帰還、大久保清事件、中国の国連復帰、浅間山荘事件、成田闘争等など第2次世界大戦の残り火のような事件とガムシャラに過ぎていった戦後の復興の中での置き去りにした矛盾が一気に噴き出した時代だったのかも知れない。当時17、18歳の私にとってもほんの少し社会と関わりも感じ始めた時でもある・・実はこの年、24年前の事故とリンクする事件も起きているのだが。

時代をテーマでもある24年前に戻そう。
そんな凄い時代をすごして来たことを忘れてしまったかのように、平々凡々と暮らしていたお盆休みの夜、カミサンの実家でまだ幼ない子供達とテレビを見ている時にそのニュースは飛び込んできた。

そして更に時は遡り、現代に。
1年前、見たいと思って見逃してしまった"クライマーズ・ハイ"が地上波で放送されるのに気づいて、慌てて録画準備をしておいた。
余談だけど最近の映画のテレビで放映されるサイクルは随分早い。まあ、映画自体の出資形態がテレビ局や代理店、出版社などの委員会方式で、各社が自分のゲインだけに興味がないような,言い換えれば当ればメッケモン、ダメでも傷は浅いというという、総無責任体制のようなやり方は、果たして映画作りにプラスになるのだろうか?

まあ、そんなことはともかく早く見られる、しかもハイビジョンなので文句はあるまい。原作は横山秀夫、地方新聞記者出身で、この日航事故も取材しているのだから当然と言えばそうだが、この手の作品における心理描写、個とは違う組織の持つ理不尽さの描写の緻密さについては文句のつけようがない。監督は実録物が得意?な原田眞人、主演がJAC出身ながら何故か演技が好きな堤真一、そして(公開当時は篤姫で話題の)堺雅人ということで、この題材でなくても見てみたい組み合わせである。
いずれにしてもリアルタイムで知っている事故だけに、その時の感情、感覚と合わせどこかドキュメンタリーを見ているような錯覚を感じながら見入ってしまっていることに気づく。

映画を見て行く内に、現在と24年前、そして37年前の時代が頭の中で複雑にシンクロしている自分がいた。
映画は8/12日を起点として御巣鷹山の悲劇を報じていく地方新聞社の現場を描いていく。その現場のやり取りと見ているとふ〜っと子供の頃に見た"事件記者"のシーンが浮かんでくる。全国紙に対する地方紙、ジャーナリズムとは対極にあるオーナーの理不尽さも、決して誇張に思えないほど、活字の裏側もなんとなく想像できてしまう今の自分がいる。
オーナー白河や販売局長伊藤の姿は、理想や正義感だけに見える新聞の現場が、実はビジネスや地方の名士、権力の一端として成り立っていることを当たり前のように見せることで、現実が救い様の無い空しさの塊であることを否応無しに見せつける。
そんな中で未曾有の事件の現場に接した人間が、ある種の打算を越えてハイテンションのまま突っ走り、それでいてそのギリギリのところで一線を越えられない心情を横山秀夫は”クライマーズ・ハイ"と表現したかったのだろうか?
あるいは、それさえも越えた親子として、家族としての心の繋がりがすべてを超越するものとして描きたかったのだろうか?残念ながら原作本を読んでいない今の段階では判らない。
いずれにしても、現実の事故の記憶が、それを実経験した過去の自分とのリンクとなり、そこに描かれる人間模様にその時代、時代の自らの心情を投影することで疑似タイムトリップを繰り返しているような気がした。

主人公の悠木とは7、8歳程の差はあるけれど、なんとなく過ごしてきた時代の空気に共有感を感じた。その意味では、ひとつの映画を見たという感覚とは違う想いが見終わった後も続いている。

24年前の日航機事故、そして今の自分の起点でもある37年前に起きた事件の数々(実はこの年、雫石では自衛隊機と全日空機との空中衝突があり、バンダイ号の事故も起きており,奇妙な符号を感じるが)、そして今に至るまでにはオウム事件や9.11、ベルリンの壁の崩壊、そしてある面資本主義の崩壊、とりもなおさず成長思想の限界を明示したサブプライム恐慌まで体験すると、そこにはその先の未来ではなく,過去のターニングポイントでの違う進路の未来を考えることが必要になってくる感覚に襲われてくる。

いずれにしても、日航事故が起きたその日に、それを取り扱った(実は人の生き方、家族との繋がりを綴るためのINDEXにしかすぎないけれど)映画を見るという感覚は、何となく疑似タイムマシンに乗ってその時代に瞬間移動をしているようなものかも知れない。それは事件の現場に行くというのではなく、その時代の自分の場に戻る感覚、ある面,自分のターニングポイントに立ち戻る感覚なのだけど、実際にはやり直すことができない現実の人生とは別に、その時、その瞬間の判断で、もうひとつの別の人生に想いを馳せることができるだけ、意味があるような気がする。

24年前と37年前、少なくとも今の私の生き方の原点として、37年前の時空の旅は精神的に大きな比重を占めている中、もうひとつの立ち止まるポイントになるかもしれない。

まもなくお盆。自分自身の失われた過去にも想いを馳せる時期にもなった映画だった。

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コメント

ムーミンパパさん

お久しぶりです。
体調の方はまだまだなのでしょうか?
お大事になさってください。
東名の復旧がやや心配ですが、今度はクルマで遠征しようと
思っています。行きは中央道、帰りは東名の予定ですが・・
お元気なお姿でお会いできるのを楽しみにしています。

原田さんもお知り合いなんて凄い。
やはり、多趣味でも裏付けが私と違いすぎます(^-^;

投稿: たくみ | 2009-08-13 22時29分

ご無沙汰しております、お元気ですか?。いつも
拝見しておりますが、読み終わった時点で頭の中がグルグル・・・(読んでいないって事?!)。

今夜は見知った人名が出てきたのでチョットコメントを。

原田眞人監督、高校の先輩なんです。入学した時に卒業だったので学校では一緒にはなれませんでしたが。今の職場の理事長の同級生でゴルフが好きで、たまに来院します。

監督、当初マスコミに名前が出始めたのは大リーグ通の映画評論家だったんですよね。「オイオイ原田眞人って東高の先輩だって?」てな感じで名前を知りました。

うちの理事長も多趣味で先日はついに映画を作ってしまい(半年、東京の学校に通いましたっけ)、挙げ句の果てに地元の映画館を借りて試写会を開き、なんと!原田監督を呼んで対談を!。
(ゴルフを餌に呼んだんですけれどね)気さくな方で、理事長の「出来映えは如何に?」の問いに、「見るべき所は特にないけれど、土田が60歳になって映画を作ったことには感服するよ」とのコメントがあり場内大爆笑でした。以上、だから何なの?と言われるとそれまでなんですが・・・。

私、現在体調不良なんですが一週間先に合わせて
体調を整え、仕事に区切りをつけて楽しい夜のライブに参加させて頂く予定ですので宜しくお願いします。

投稿: ムーミンパパ | 2009-08-13 21時16分

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