六文銭’09 CDを笑え!? 静岡の夜。
10月の3連休の中日である11日、六文銭'09は静岡にいた。
前日の10日(本当は体育の日は東京オリンピックの開催日、晴れの特異日でもあるこの日が正当なのだけど・・)に隣街の焼津でのジョイントLIVEを終えた足での移動ということになる。
昔からこの静岡は、マーケティングの世界ではテストマーケティングの聖地と言われ、多くのメーカーが全国展開を前に新商品の顧客の反応を掴もうとする地という意味では日本の標準という気質の地でもある。都会と田舎が日本の縮図のように絡み合った街なのだろう。ただ、平成の大合併で今や旧清水市まで呑み込んだ70万都市、県庁所在地ではあるが、それでも静岡県内では浜松市についで2番目だという。
今回の会場MHUは静岡駅や県庁にも近いそんな静岡市の繁華街のど真ん中、この日も近くの公園では大きなステージが組まれお祭のようにいろんなパフォーマンスが繰り広げられていた。同時に夕刻には公園の街路樹にムクドリの大集団だろうか、真夏の蝉のような大合唱が飛び交う不思議な空間でもある。
この日、お知り合い方の知人の方は初六文銭'09(1週間程前に小室さんとこへさんのジョイントを体験された由)とのことで"六文銭ソングブック"を持参しての参戦である。(20歳のおけいさんの今とは違う意味での美しい写真満載、半分が写真集のような楽譜本だった。欲しいなあ~)
こうして当然のように体育の日の由来を知るオーディエンスが大半の中、O.Aの若い(あくまで比較の上で)3人組(お名前は聞き取れなかったがEギター、ギター、ウッドベース<女性!>)が見えたこともあるのか若いオーディエンスも混じる構成である。彼らの歌もさることながら、間の悪いというか、微妙な噛み合わなさ、観念的な物言いはある面六文銭にも通じるものがあると言えば、失礼だろうか?(笑)
20時を過ぎていよいよ六文銭'09のライブがスタートする。
何故かこへさんが現れない。しばらくしてこへさんもステージへ。
チューニングを終えて待っていた小室さんが徐に昨夜のライブの話を始める。
話始めて途中でやめたと思ったら突然"こうへいがチューニングすると思って,何か話しなくちゃいけないと思って話したんだけど、いいのか?”と。
実はこへさんはステージに上がるやいなやギターをかかえてスタンバイ状態。小室さんの問いかけに"なんで?"というすましたサインを送る間もなく、正に間髪を入れずに"夏・二人で"がスタート。そして1曲目の拍手も終わらぬ内に"雨が空から降れば"のイントロが始まっていく。
さてこのユニットはどう表現すればいいのだろう?
個々で見ればそれぞれが優れたミュージシャン、アーティストである。当然ユニットとしても類いまれなハーモニーは音楽のジャンルを問わず他の追随を許さない。しかしである、だから1音楽ユニットという枠に収まるのだろうか?答は否である。この日披露された都合19曲の内、初めて聴く曲は1曲もない。しいて言えば、おけいさんのソロCD内の曲をユニットとしてのアレンジした形のものだけだ。しかし1曲として前と同じものはないような気がする。それは決してライブ用に軽くしたものではない。毎回新しく,新鮮な曲として響いてくる。否、それだけではなく、通常前半,後半と分けられる約9曲から10数曲全体でひとつのパフォーマンスとしてオーディエンスに問いかけてくるような気がする。
オペラのような、ミュージカルのようなとも微妙に違い、その場の空気感、オーディエンスの熟成度、無論ユニットメンバーの体調までも含め変幻自在に繰り広げられるそのパフォーマンスは音だけしか伝わらないCDに収まるものとは思えない。
ある時はやさしくつま弾くスリーフィンガーから、65歳とは思えぬ体全体でリスムを取りながらかき鳴らされる力強い小室さんのギター。
時としてステージを離れてもサラウンドのように客席側からでも響き渡るこへさんのヴォーカル。
まるで姉妹のようなユニゾンを響かせたり、メインヴォーカルを引き立たたせるようにステージ上の立ち位置を変えるゆいさん、そしておけいさん。更にはダンシングユニットのように時としてボディパーカッションやステップは美しさだけではない魅力をこのユニットに付加していく。
更にはそれぞれの個性が、良質のお笑いユニットのように4人が攻守を変えて惚けと突っ込みを繰り返していく。
その上での、小室さんをして"今のは良かった。余計な話をせずにそのままの勢いで歌っていきたい"と言い切れる一瞬一瞬の真剣勝負を続ける気概とこへさんを中心とした駆け引きは、多分幸運なその場にいる者だけに許される至福の空間なのだと思う。
大袈裟ではなく無形文化財のような存在と言えば一番近い表現かも知れない。
確かにその場に立ち会えない多くのファンにとってはCDはひとつの手がかりかも知れないが、このユニットの本質に触れるためには、やはり生の六文銭'09のステージの空気に触れなくてはならないと考えた。
そして、そのチャンスはいつまでも続くものでないことを、ファンであれば自覚しなくてはならないだろう。
ライブを前にすれば、二つのCD、二つのデビューアルバムで六文銭に触れたと嘯くことは決して許されないことだと、あえて宣言しておこう。
さて途中となったが、2曲を終わるとおけいさんとゆいさんの様子がおかしい。譜面台を覗きこみながら、ついにはおけいさんがステージを降りて控え室の方へ・・。
譜面を持って戻ったおけいさんを迎えて、次の曲の紹介でユニット誕生の過程を紹介してきた小室さんがすかさず、O.Aの皆さんの物言いを真似して"楽屋に言葉を忘れてきたんだよ"って笑いを誘う。そして忘れてきた譜面とは、おけいさんのために書きおこされた"ただあたたかくカラッポに"。
演奏を終わってすぐ、小室さんが突然"世の中には取り返しのつかないことがあってさ"と話された後、"出来るならもう1回やり直したい"とつぶやく。ゆいさんが"おけいちゃんは偉いね。それでもちゃんと歌うもの"と返し、"じゃ、その憂さ晴らしの意味で"と"ゲンシバクダンのうた"が始まる。
ここでこへさんはギターを抱えたまま客席へ、そしてエンディングになっても帰ってこない。おけいさんがコーラスにかぶせて"帰ってきて"と叫ぶ。なんとも自由な、それさえもト書きにあるようにステージは進んでいく。
こへさんが戻った後、畳みかけるように"おしっこ""戦場はさみしい"そして中也の"サーカス"と反戦を意識した曲がメドレーのように続いていく。
前半のステージもいよいよ終盤に入っていき、こへさんの拍手のタイミングの注文が入っての"面影橋から"が、更にしかけはエンディングで小室さんとの駆け引きが続き、
いよいよ前半最後は、最近とみにテンポがアップしたような"街と飛行船"で、前半のステージを終了した。
すでに今回の本題は書いてしまったので、後半は当日の様子を振り返る意味で。
後半スタートはゆいさんフィーチャーで"ほんとさ"でジャギーにスタートし、こへさんがほぼ30年以上前に作った"木の椅子”、ゆいさんとおけいさんのユニゾンが楽しい。ここでもいろんな駆け引きをおけいさんが引き取る感じで、ご自身の初CDのタイトル曲"初恋"と続いていく。
それでも続くやりとりを打ち切るように小室さんの"引き潮"の伸びやかなヴォーカルが空気を変えていく。
更には雨が空から降ればや私はスパイの原点のような、全体がひとつの音楽劇のような"ヒゲのはえたスパイ"でユニットとしての力量をオーディエンスに決定づけていく。
再びさがゆきさんの"大きなグミの木の上で"でステージは一段と華やいだのち、"命かえす日"でしっとりと。
そして後半最後の曲は六文銭ソングブックの装丁やキングサーモンのジャケットデザインも手がけた小島武さんの作詞で,ある面幻の曲でもあった"12階建てのバス"で勧進帳のようなステージは終了した。
定番のアンコールは"サーカスゲーム"そしておけいさんのヴォーカルで蘇った"出発の歌",そしてサプライズはダブルアンコールとして"無題"で締めくくられた。
その場に居合わせた幸運はオーディエンスに祝福を。
そして,最後にもう一度、すばらしいCDではあるけれど、そのCDは六文銭'09の魅力のひとかけらでしかないことをあらためて宣言しておこう。
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