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2009-11-28

持論 豹論そして漂論 2009年11月28日版

誰かが待っていてくれるわけじゃないけれど、最近ライブレポと泣き言みたいなことしか書いてこなかった。別に現実の問題がすべて解決したわけではないが、小泉・竹中からマンガ太郎までの酷さにくらべれば多少はマシなのかも知れないということで少し社会に関して書く事が少なくなってしまっていたけれど、やはり発信は続けていこうと思う。

できれば定期的に”持論(自分の言葉で) 豹論(ある面豹変して書いたりするので)漂論(それでもどこへ流れていくのが書いている者自身がわからない)”という誠に都合のいいタイトルで書いていこうと思う。

鳩山内閣が誕生して3ヶ月足らず、確かに目に見える変化は少ないのだが、これはマンガ太郎が無意味に政権の座にしがみついていたために、次年度予算をフリーハンドで組むには余りに時間が無さ過ぎるのが一番の要因だと思う。
あげくの果てに、無税の機密費2億5千万を落城前の城から盗んでいくという60年も権力の座にいた威厳など全く感じられない愚かさが白日のものになったことで、自民党政権の正体が見えてしまったような気がする。

そんな自民党が唯一の手がかりとしている鳩山君の政治資金問題だけど、市民の目から見て今ひとつ怒りが込み上げてこないのは、結局の所、鳩山家があまりに金持ちすぎて、自分の金と家の金の区別があいまいだったということで、他人様の金に手を出したとか、金をもらって便宜を図ったような構図が見えないことにあるのかなと思う。

確かに法的には限りなくグレーだけど、国庫から2億5千万をかっさらって行って知らん顔をしている自民党と比べたら、どちらがどうかなんて明白ではないだろうか?
同じ金持ちでもマンガ太郎がどこか成金的に自分の為にしか金を使わないのに対し、鳩山君は結局、野党時代の金のない民主党のスポンサーになって、その処理がズサンだったということで、結局誰かに迷惑をかけてとか、不正を働いたとかと違い(贈与税は追徴されるかも知れないが)これまでの政治資金の問題とは視点が違っているのだと思う。

そんな鳩山君のホントのアキレス腱は、平野官房長官のような気がする。記者クラブの件にしろ、機密費の件にしろ発想が自民党と何も変わらない。大した知恵もないのに鳩山側近ということで要職についたが、彼では何かあっても鳩山は守れないような気がする。これはいくら側近でも泣いて馬謖を斬るくらいの非情さないと本当の意味での国の舵取りはできないだろう。

さて、まずは国会から。
そんな自民党が政治資金の問題を盾に審議拒否に走っているのは、愚かというより開いた口が塞がらないと思う。お前らに政治資金のことを語る資格はないというのは置いておいても、その戦略は何も野党としてとか国民視点としての対応ではなく、自己保身の戦略だからだ。
つまり、亀ちゃんが妙に張り切っている郵政逆民営化法案だが、今の自民党の中には本音では民営化に反対だった議員が多い訳で、変に審議した上での採決になってしまったら、本会議で賛成に回る自民党員が出てしまう恐れがある。
それでは増々谷垣君の求心力が衰え、分裂に拍車がかかってしまうのを恐れているのにすぎないのだ。加藤紘一や後藤田のようなまともな政治家もいるけれど、もともと政権だけが求心力の政党だから、いっそのことおかしな連中が離党していって選別した方がいいのかも知れないが。

だから本音では民主党に変に妥協してもらうよりは強行採決してもらった方が都合がいいのだ。小沢はそのことを理解した上で急に強行路線を柔軟路線に舵を切ったのだけどそれらをまともに解説をしたメディアはどこにもなかなった。唯一、TBSの名物記者の武田さんだけがデイキャッチ内で話していたけど・・

だから今必要なのは,金持ちのお金に対するルーズさを追求することではなく、そんなことで時間を無駄にしている余裕は今この国にはない。何より年末に向けての景気、雇用に向けての知恵の出し方だと思うのだが・・

続いては今や話題の"事業仕分けについて。
世論調査では評価する声が多いけれど、問題がない訳ではない。
ただ、その問題点の認識が間抜けなメディアでは明らかにミスリードしていると思う。

評価されているポイントとしてネットなどを通じてすべてオープンにしていることだと言われるが、そもそも何千もある事業の中から今回仕分の対象に選んだ項目の基準が明確ではない。
確かにすべて密室で総額の語呂合わせくらいしか関心のない予算編成よりは進歩は進歩だけれど、結局はこうした直接民主主義的な手法には限界があるということで近代国家では間接民主制を取っているわけで、選挙で付託する相手が信用できない現実の方が遥かに大きな問題のように思う。
これまでよりマシなのは確かだけれど、それだけこの国の民主主義、民意のレベルが低いことの証であるように思うのは私だけだろうか?

そして蓮舫君の発言の一部をセンセーショナルに報じることであたかもすべてを語っているようにミスリードするメディアと全体を見る事もなくフィルタのついた情報だけで判ったように話すコメンテータの連中は,存在不要である。

テレビで訳知り顔に語る連中の一人でも会場に出向き全体を見て、聞いてコメントしているだろうか?少なくとも金をもらって話すのなら、それ相応の取材をするのは必須だろうに。

それにも増して醜態を曝したのは老ノーベル受賞者達だった。
確かに科学技術予算を削るのはけしからんと言うのは判るけれど、その反応スピードというか見事なまでのそろい踏みを見ると、明らかに裏で糸引く官僚、業界の姿が透けて見えてしまう。
何よりその反論内容が総論的で何ら論理的でない。せめて自らの専門分野に合わせての問題点ぐらい語れるだろうに、顎足付でおっとり刀で集められたのがミエミエで醜いとしか言いようがなかった。

確かにNo.1じゃなくてNo.2~という下りは愚かだと思うけれど、せめてノーベル賞級の論理でその意味を語るぐらいの見識は欲しいよね。

さて、この業務仕分け、あくまでセレモニーにはすぎないのだけれど,最大のポイントは官僚連中に対する牽制だったと思う。少なくとも次年度の概算要求時に今回のような突っ込まれる内容は不味い(公衆の面前で一番恥をかきたくないと思う連中だし)と思った訳で、多少なりともこれまでよりは精査した概算要求になるのだと思う。

そして、その上でこの業務仕分の最大の問題点は?
やはりはじめに削減ありき(目標3兆円?)であったことだろう。確かにこれまでの予算がズサンかつ無駄が多く、更には使い切りが当たり前で残すことをよしとしない予算のための予算であったことは事実だけれど、本来の仕分けとは、すべき内容の精査とそれに伴う予算の合理性、その上での削減の有無だけでなく、本当に必要なものには増額なり、新たな配分をすることを含めての仕分けでなくてはならないと思う。

更に言えば、性善説に立ってすべてが必要なものとの前提の上で、政府の方針に則って、その優先順位、実施時期を仕分けしていくと言うのが本来の姿だろ思う。いるいらないとか削減だけの議論に走るからスーパーコンピュータみたいな話になってしまうのだと思う。
少なくとも次年度については、もう少し早い時期に議論すべきもののような気がする。

そうでないと単に削減とか見直しと言っても詳細までは見えない訳で,結局天下りの人件費なり利権からみの部分は温存され,本当に必要な実務に関する予算だけが削減されるという本末転倒の事態が起こりかねない。

また時間が無かったからなのか、所謂一般の仕分人の多くが、小泉改革時代の残党が多数登用されていたことだろうか?亀ちゃんが噛み付いた外人っていうのもファンドマネージャーみたいな奴とか、新自由主義経済信奉者の学者が多かったからだし、そもそも削減することだけが目的になっていたからかも知れないが、内容に対する知己なり、目的に添った仕分けができる人材で本当にあったかどうか。何しろなんでもかんでも一律にするのが好きな連中だったから。
とにかく仕分けと言う以上、次年度からは本当の意味での仕分け作業が行われることを願いたい。

ということで今回は二つのテーマしか書けなかった。
本当は円高?(ドル安)についても書きたかったけど、それは次回かなあ?

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コメント

事業仕分けは、画期的な事件でしたね。
如何に日本の官僚が腐敗しているかを明らかにしました。このような行政では、日本だけが落ち込むのも当然です。
知識時代に、官僚が愚民化政策を行う国が成長する筈がありません。
子供に大切な文科省と学校が、どれほど腐っているかを知っていますか。
大学を天下り機関に変え、世界最低にまで堕落させたのは、文科省官僚です。
不登校、退学者20万人、引きこもり、ニート60万人を作る学校は、教育機関と名乗る資格もありません。学習塾や家庭教師に助けられる学校教員は、現在の半分の給与さえ受け取る権利が無いと思います。
文科省こそ、日本社会を衰弱させ、子供を不幸にする悪性癌です。「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)を読むと、すべてのイカサマが分かります。絶対に許せません。
不道徳で無責任な腐敗官僚の行う事業は、国民にとって危険です。
事業仕分けで、文科省を廃止する必要があるとさえ思います。

投稿: 大和 | 2009-11-28 23時06分

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