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2009-11-24

懐かしさと記憶の狭間にて おけいさん北陸ツアー

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プロ野球の選手がよく言う言葉に"記録より記憶に残る選手になりたい”と言うのがある。記憶と記録、PCの分野ではほとんど同じ意味で語られるのだが、ここでいう記録とは打率であったり、ホームランの本数と言った数値で表される結果という意味だと思う。そして記憶とは、イメージ、印象と言った心象的なものであると思う。

もう少し噛み砕けば、同じ1本のホームランであっても、行き詰まる投手戦の中、ほんの僅かのコントロールミスをついて放った試合を決するホームランと一方的な大差のついた試合で、敗戦処理投手からだめ押しのだめ押しとなるようなホームランでも記録の上では1本として表現される。
当然見る者の立場で言えば、そのホームランを同列と見る訳でなく、やはり試合を決するホームランを放った者に賞賛を送り、シナプスを通じて海馬に深く記憶されることになる。

またまた、ライブと関係のない話から始めてしまった。
ただ,言うまでもなく私がリスペクトする六文銭'09、そしておけいさんは、正に記憶に残るアーティストである。偶然とは言え、今年、それぞれが"記録"としてのCDを発売したのだけど、私が追いかけるそれぞれのライブは当然のこととしてCDで表現されるそれ以上に魅力的なものであることは言うまでもない。

考えてみると、そもそもレコード=CDは、そのパフォーマンスに直接立ち合うことができないファンのためにそのエッセンスというか試供品としてパフォマンスの一部を切り取って"記録"したものではないかと思う。
その意味では、CDはそれを聴いて、生のライブに誘因するためのもので、歌謡曲、演歌のようにCDを売ることで完結するレコード会社にとってのビジネスとしての"記録物"とは一線を画すべきものでないかと思うのだが・・

今から35年前、こうしたビジネスとしての"記録物"であったレコードに反旗を翻して、アーティストメインのレコードを創ろうとして発足したのがフォーライフだったと思う。そして初代の社長は小室さんだった。月日はながれ今や大手のレコード会社となったフォーライフも結果、売れてなんぼのレコード会社でなくては生きていけない所にこの業界の閉鎖性というか、ビジネスモデルの古さが垣間見える。寄ってたかってレコード=CDが売れなくなったと嘆いている現実では、真の記憶に繋がる"記録"としてのCD、レコードとして再構築を図らない限り、護送船団のように全体で沈んでいくだけのように思うのだが。

さてややこしい話はこの辺りにして、地方のライブに伺って思う、おけいさんのライブの意味づけについて考えてみた。

果たして、当時ですら六文銭は知る人ぞ知る存在で、そのパフォーマンスに見合う一般的な認知があった訳ではない。確かに出発の歌で一瞬時代の寵児になったのは確かだけれど、先ほどの話ではないが数としての記録としてはともかく、それが六文銭という魅力的なユニットを代表するものであったとは、少なくとも当時のファンであれば思っていなかったと思う。

そしてそんな六文銭の最後の1年間だけ在籍していたおけいさんのことをどれだけの人が記憶していたのだろう。ましてや六文銭'09としてではなく、四角佳子としてのソロとしての記憶は皆無だと思うのだが。
結果、おけいさん本人直接ではなく、おけいさん周辺の記憶の一部として認知しているファンが大半であることは、ある面仕方がないのかも知れない。

勢いライブの構成についても、こうしたオーディエンスの趣向に合わせることになるのだけれど、異質?なファンなのかも知れない私としては、懐かしさではなく、そのままのおけいさんの魅力がもっと伝わればいいなと常々思っている。

懐かしさや過去の記録は、ある面その魅力を伝えるのに有効なのは事実だけれど、同時にオーディエンスの記憶の中から抜け出すことがなかなかできない、ファンのノスタルジーに付き合わざるを得ないというジレンマがある。
その意味では、そうした制約が少ないおけいさんは、過去にとらわれることなく新しい魅力、今の等身大の魅力を伝えやすいのではと。
だから、CDにも納められている、ある面ファンの抱いているイメージをいい意味で裏切るよう歌をどんどんアピールされていくことが、より多くのファン、新しいオーディエンスの開拓に繋がっていくような気がする。
勿論、それはおけいさんがそうした魅力に溢れたアーティストであるからこその想いだけど・・

ということでライブ本編へ。
今回のツアーは11月に3連休に越前、富山、砺波を巡るもの。
北陸は猫とのジョイントでは何度か訪れられているがソロとしては初めてだと思う。最初の地、越前は今年5月、猫とのジョイントが開催された茶コールで行われた。

越前までは片道150km、最近のツアー行脚から見ればほんのご近所という感覚だが・・3連休の初日でも、夕方近くになれば高速のクルマの量は少なく、渋滞もなく予定どおりの時間に着いた。

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※名物でもある越前そばを夕食代わりに。そして説明不要の長~い脚。因みにヒール無のいつものペッタンコの靴です。念のため。
今日のおけいさんは黒の細身のパンツにボーダーのシャツ、黒のジャケット。
それにしても相変わらずの脚の長さだ。
この日のオーディエンスの一人に若い白人がいた。彼の素性は不明だが、日本語は完全に理解できているようで"ヨスミサンノコエハトテモキレイデキキヤスイデス"と話していた。彼におけいさんの歳のことを話したらもっと驚くだろうな!でも、それは秘密のままで(笑)

そして2日目は富山県へ。
富山までは東海北陸自動車道で約220km,ほとんど山岳路で半分近くがトンネルと言う感じ、ルートはもうひとつ名神/北陸道経由があるがこちらは大回りに海岸線を通ることもあり300km超となる。まあそれでも苦になる距離ではないかな・・・。

今日の会場のカプリチョはおけいさんも初めてとのこと。場所は富山駅の北側、つまり港寄りとなる。昨年末、こちらも猫とのジョイントで訪れたのは駅の南側、繁華街の一角にあるサマーナイトとは街並もお店の印象も異なる雰囲気で、会場全体がアットホームな雰囲気を醸し出していた。

さて、ライブ開催までの間、昨年末に行けなかった港とそこに通じるライトレールを見る事にした。ライトレールは富山駅北から路面を経由して港まで繋がるモダンな2両編成の電車だ。駅の南を走る路面電車とは趣が随分異なる。発着は富山駅の北側、一部は路面をクルマと一緒の走るが、大半は専用の軌道がある。それにしても駅の北側はほとんど人の気配がなく、それでも輝くクリスマスイルミネーションが、何故か淋しい感じを抱かせていた。
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定刻の7時、会場は老若男女、というか圧倒的に老の比率が高いようだけど、11月22日、いい夫婦というからかご夫妻での来場が多い感じがした。
ステージのバックにはライティングされた中庭があり、ちょうど今日、雪つりがされたばかりで富山の冬を演出しているようだった。
             
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スタートはご挨拶代わりの"雨が空から降れば"。続いて"ネコの歌"と昔の六文銭時代の歌となる。

更には"この大空に捨ててしまおう"が。実はご本人も最近聞かれたとのことだけど、この歌、当時弘田美枝子さんの為に創られた歌とのことだった。あの弘田美枝子が・・まさに当時のフォークブームの凄さが伺えるお話でもある。

引き続き、まる六時代の歌として"あめのうた"そしてまさにおけいさんの為に創られた”ただあたたかくカラッポに”を。どうやら、前半は地方のファンにおけいさんの歩んで見えた道程を巡る構成のようである。

更にはおとのばまで飛んで糸田さんの"一緒に帰ろう"。実はこの世とあの世の狭間の中で彷徨う魂を歌ったものではあるがおけいさんの爽やかなヴォーカルで何故かかわいい歌にも聞こえてくる。
そして一気に初ソロCDの為の書き下ろしでもある"初恋"を。そしてまた新しいチャレンジでもあるスタンダードナンバーとしての"私の青空"へと一気に過去から今のおけいさんをプロローグするものになっていた。

それにしてもこの店のオーディエンスは年齢の割に(失礼)ノリがいいようで、おけいさんもどんどんノっていくのが判る。

さて,後半はCD収録曲を中心に今のおけいさんをアピールする構成か?
1曲目は再び歌い始めた頃の想いをおけいさん自ら曲にした"うれしくて"から。CDではアップテンポの感じに仕上がっているが、ライブではいつもおけいさんの素直な感謝、うれしさが伝わってくるステキな曲である。
そして、おけいさんが初めて作曲した曲でもある”ホワンポウエルの街"へ続く。

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いよいよ、ご本人曰く問題の曲となる。
この曲を初めて聞いたのは1年程前の渋谷でのSQUAREだった。おけいさんの歌は少女のような清々しい、透明感のある歌が多いのだが、この曲は等身大というか,大人の女性がサラって歌うシャンソンのような、ミュージカルの一節のような歌でもある。その時から、とっても気になる曲ではあったのだけれど、CD発売までの間はしばらくライブでもほとんど歌われることがなかった。どうしたんだろうと思っていたら突然、当時は仮称”たまにはね"と言われていた曲が"シアワセになれる天才"という曲名で収録されることが判り、飛び上がって喜んだ記憶がある。
その後、イルカさんや小室さんもとても気に入られているという話をお聞きして、やはりおけいさんの新たな魅力を表現する曲に間違いないと思ったのだが・・。
確かにある面、昔やその周辺の記憶として勝手にイメージしているオーディエンスに対しては裏切りのような曲かも知れないが、だからいいのかも知れない。
そう、おけいさんはノスタルジィの沼に埋もれるアーティストではなく、今も進化し続ける歌姫だから。

因みに富山の当日はいい夫婦の日でもあるから、とってもあっている曲なのかも知れない。そしてもうひとつの発見は、おけいさんの声色は凄かった。誰の真似なのかは当日参加された方だけの秘密でいいのかな?

続くように歌われたのは、もうひとつの個人的には大好きな曲”しずかな雨"。ヴォーカリストとしてのおけいさんの面目躍如という感じで、エンディングに向けての透き通るような歌声はそのままどこかへ飛んでいってしまいそうな感じである。

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ここでいつもの一晃さんのチューニングが始まる。
次の曲に合わせてキーを下げている。それをダドカドと言うのだそうだけど・・そんなこんなで"ガラスの言葉"が始まる。

そして、ある意味オーディエンスにとっては一番おけいさんをイメージできる曲かも知れない曲。ただ、そのイメージとは全く異なる形で,今のおけいさんの歌として響いてくる"春の風が吹いていたら"。

いよいよエンディングに向ってラストスパート。
今のおけいさんそのもののように"旅の途中"、そして最後の曲は、一晃さん曰く演奏としては一番難しい"ささやかでも愛の歌"で。そして当然のようなアンコールはちょっぴりオーディエンスのノスタルジィに合わせて"インドの街を象にのって"で冬の北陸での暖かなソロライブはすべて終了した。

所謂フォークファンが集うこの店のオーディエンスの心には、今のおけいさんはどう響いていったのだろうか?彼らの記憶をまっさらに書き換えてしまったのは間違いない。懐かしさだけではない、今も新たな記憶を刻み続ける等身大のステキなおけいさんの輪がまたひとつ大きくなったように感じた夜だった。

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※ライトレールの終着駅は岩瀬浜という富山港の一角。立山連邦もすっかり冬景色になっていた。


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