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2010-02-28

いろいろなこと・・

今日もまたいろんなことがあった。
とりとめがないが、感じたことを少しずつ・・

真央ちゃんって品があるよね。地元だからホントに小さな頃から知っていたけど、育ちの良さが見てとれる。
そんな彼女が勝つこと優先(そう,キムヨナは確かにノーミスだったけど何より得点方法、加点要素を研究し尽くした感があった。どうすれば勝てるか、プログラムそのものも勝つためのものであったように思う。どこかサイボーグのような完璧さ、それはそれでやや情緒的な真央ちゃんより先を行っていたのかも知れない)より、トリプルアクセルを成功させることが目的のような演技だった。無論、勝ちたい想いはあったのだけど、それより何より一番の演技、技術を魅せたいという意識が強いのだと思う。記録より記憶をめざしているような・・・
個人的には、そういうの好きです(笑)
余談だけど、ミキティは10代の頃からお水っぽい。ピーコさんじゃないけどお品がない衣装と化粧。まあ,彼女の性じゃないけど、商品としての彼女の魅せ方をブレーンが理解していないのかな?

続いて避けて通れないトヨタのリコール問題。
確かに日米関係のきしみを日本株式会社の中心メンバーのトヨタが一気に背負わされた感がある。ただ、それだけではないのも事実だと思う。深みの話は別の機会としてここではリコール本体の話で。
そもそもリコール制度は重篤な被害を避ける為に設定されたものだから、疑わしきは早めの対応が鉄則だろう。ただ,少なくともプリウスのブレーキに関しては、あまりに基礎的な知識が欠けているように思う。今やプリウスに限らずほとんどのクルマに標準装備化されたABSだけど、これは滑りやすい路面でブレーキを効きやすくするものではなく、ブレーキロックによるコントロール不能を避けるためのものであること。そのためブレーキがロックしそうになったら一旦ブレーキを緩める(ロックを防ぐために)ものだ。だからケースによっては制動距離は伸びることになる。
一方、自動車教習所では滑りやすい路面ではブレーキを目一杯踏むのではなく、ポンピングブレーキと言って何回かに分けて踏みなさいと今だに教えている。実はこれはABSの機能を人為的に行うのと同じことなのだ。
では、ABSのついているクルマでこのポンピングブレーキを行うとするとどうなるのだろう?ただでさえABSで制動距離が伸び気味の時にポンピングブレーキでブレーキを緩める訳だから一瞬ブレーキが効かなくなる感覚が起きても不思議ではない。ましてやプリウスの場合、回生ブレーキと言って制動力を電気に変える機構を持つので、その感覚が増幅されて感じられたのかも知れない。
言うまでもなく、ABS付のクルマであればポンピングブレーキは不要で、とにかく思いっきり踏めばいいのだが・・
最初の記者会見でトヨタ側が感覚の問題と言ったのも、まさにこのことだったのだと思う。しかし説明が足りなかった?あるいは記者クラブ無能記者連中にはそこまで理解して質問したり記事をかくことはできなかったのだと思う。その意味ではどちらもお粗末なんだなあ。
何よりその対策が0.06秒のズレの調整って言うんだけど、F1ドライバーでもない限りその違いが体感できるのか?何か対策しろと言われたからしただけで、それよりABS&回生ブレーキの特性の啓蒙の方がはるかに重要だと思うけれどね。

またぞろ記者クラブ批判ではないけれど・・
この国の民は支配されることに無情の喜びを感じる人種らしい。個性がない,自己主張がないというのは果たして民族性なのか?
仮に記者、ジャーナリストと呼ばれる連中に、わずかでも職務としての自覚があるのなら、そうした民だからこそ見失いがちな事実、真実にスポットを当てるべきだろうに。記者クラブなんぞという護送船団の中でぬくぬくと堕落することしかない、寄らば大樹の陰の典型的な連中ばかりだからこの国に真の民主主義は育たないのだと思う。
繰り返すがこれはけっして小沢擁護とか民主党寄りの意味で言うのではないことに念を押すけれど。
一連の小沢報道はあまりにも酷い。国会議員である石川氏の事務所を捜査令状無しに無断で入り込む、乳幼児を持つ子持ち秘書を同意もなく長時間拘束したり、恫喝まがいの同行を強要したり、およそ民主国家の検察の仕業とも思えない。
これは小沢関連だからこうした暴挙が許されるというものでなく、戦前の特高のようにいつ一市民が同じ目にあうかわからない極めて重要な問題なのである。こうした事実を記者クラブメディアは一切批判をしないどころか報道すらしない体たらくである。唯一伝えたのが記者クラブ批判の急先鋒上杉隆氏だけで、しかも彼に対し検察批判をすると微罪を理由に検挙されるぞと忠告するぐらいしかできない(そんなことを批判するのが先だろうに)
考えれば誰にでも判る事実がある。起訴前の石川議員の情報に関して、やれ自白しただの、水谷建設の関係者が5千万を渡しただのと報道があった。それを記者クラブメディアの連中は判を押したように関係者筋によるとという、あたかも事実のように報道したのだが、石川氏は拘束中で起訴前であるあの段階で取り調べ内容を伝えられるのは誰か?本人と彼の弁護士、それに東京地検の関係者しかいないはずである。少なくとも本人や弁護士が語る内容ではないとすれば,関係者と言えば東京地検しかいない。つまり起訴前であればそれが事実かどうかなど誰にもわかるはずもなく、その時点であたかも事実かのような報道をする根拠は無に等しい。しかも各紙同じ内容となればニュースソースが同一と見るのが正当だろう。つまりこれは明らかに東京地検側のリーク以外には成立しない。ところがこれも記者クラブメディアの連中は同じようにニュースソースは明かせないとか,突然社会部長名でリーク報道ではないとかいう記事を出している(あきらかに言い訳のように)。実はここでも彼らは墓穴を掘っている。そもそもメディアがニュースソースを明かせないというのは内部告発者など弱者や無用な圧力を排除するためのもので、東京地検という権力を持つ側からのものを秘匿する理由は存在しない。何より利害が対立する片方の情報だけを事実のように報道するのは大問題だし、権力をもつものが流す情報であればその背景なり、裏取りをしてから報道すべきで、少なくともその事実を持ってもう一方の小沢サイドの考えも報道した上で、読者に判断を仰ぐのが民主報道の原則ではないのかと思う。
この国は権力側が垂れ流す情報を何のためらいもなく事実として報道することで過去にどれだけ間違いを犯してきたのか?大本営発表となんら変わらない報道を繰り返す愚こそ非難されるべきだと考えるが如何に。
※より判りやすく伝えている上杉さんのサイトはこちら。

さて最後は楽しい?話で。
BSでバーブラストライサンドのライブをみた。
さすがショービズの女王というか、これぞライブというもの。
実に6年振りのライブとか。2006年に行われたそれはMCと歌が一体となったというか、彼女自身過去への拘りはまったくないらしい。御年○○歳には到底思えない若々しさ、かと言ってどこにも無駄な力が入ってない。ある面、アーティストとしての理想の姿だろうか?
そこにはベスト10に何回入ったとか、CDがどうのなんてこととは違う世界観がある。彼女自身作の曲であろうが、他者が作った曲であろうが、すべては彼女の自己表現、彼女自身の世界を表していた。

ご存知の方も多いと思うけれど彼女は民主党の熱烈な支持者、政治的な発言も積極的に行っている。歌うことも演ずることも、それはすべて彼女自身だからという自負があるのだろう。
日本では、みんなに気を使うのを美徳と考えるのも判るけれど、結局それって本当の自分自身を見せていないということだから、私はその方がはるかに冷たく、失礼なことだと思う。
思想、信条に関係なくいい歌はいい歌だし、好きな歌手でいいのだと思う。そして正に思想信条に関係なく、その人となり、その人自身の自己表現を魅せてくれた方がその人自身を感じられると思うのだけれど・・
※これってなぜか記者クラブと同じようなこの国の住人特有の発想だと思うけどなあ。

その意味でも彼女の自由なライブは、いい意味でのお手本のように思った。
追憶でロバートレッドフォードと共演したのは40年近く前、主題歌も同じく彼女が歌っているけど(原題はThe Way We Were)、それさえも彼女ならではの生き方に通じているように思うのは私だけだろうか?
いずれにしても自分自身を自分らしく演ずることができる彼女はある面、最もシアワセなアーティストなのかも知れない。

余談だけどこのライブのオーディエンスは凄かった。クリントン夫妻は無論のこと、トムハンクスやロバートデニーロなどが彼女のステージ、彼女の世界観に浸っていた。

ということで今回はここまで。

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