Idol? not Artist!
NHK BSでアッコちゃんを観た。
アッコちゃんの映像は可能な限り撮ってある。ジャパニーズガールのデビューの頃からこの不思議なアーティストをフォローしてきた。
教授より前の矢野誠さんと結婚されていた時代、ムーンライダーズやユーミンなんかのアルバムにピアニストとしてのクレジットも多数あった。細野さんとはその頃からのおつきあいだと思う。映像や音源はテレビの録画やFMのエアチェックがほとんどだが(当時の貧乏学生ではこれが限界)何故か1枚だけあったLPはムーンライダーズのかしぶち哲郎さんとのコラボである"リラのホテル"だった。このLPをあらためてみて見るとストリングスアレンジャーとして矢野誠さんと教授の名前が仲良く並んでいる時代ではある。
記憶違いでなければ、映像としてのアッコちゃんは、1979年の夜のヒットスタジオ、小室さんが谷川俊太郎の詩に全編、曲をつけたLP"いま生きているということ"内の同名の曲をカット無!(約8分の長い曲だ)で演奏した際の伴奏者としてピアノを弾いていた時だと思う。(因みにLPではムーンライダースが演奏として参加しており、その中で慶一さんとの掛け合いの『立ち話』は大好きな曲でもある。さらに言えば、山田太一さんの田宮二郎版『高原へいらっしゃい』の最終回エンディング曲でもあり、このドラマの主題歌はそのLPにも収められている『お早うの朝』)
この時の映像は、当時のマネージャーであったUさんに後年お聞きしたところ、出演に際しては演奏の省略無、ハンディカメラ1台が小室さんと対峙する形で撮るというスリリングなものだった(ご存知のように夜ヒットは月曜10時からの生放送の歌番組、そこで8分もの演奏というのは凄いことだ)。小室さんを至近距離でとらえるカメラ以上に小室さんのギターとまるでジャズのように変幻自在にセッションするピアノの音がとにかく魅力的だった。後半炊かれたスモークから表れた白いグランドピアノに座っていたのがアッコちゃんで、その時初めて紹介されたのだった。
※写真は後年CSで放送された夜ヒットの映像を記録したもの。当時は当然ビデオなんか持っていない。
と随分長い前書きになってしまった。
アッコちゃんを何故好きになったかと言えば、やはり小室さんの影響が大きい・・というか小室さんを追いかける中で,ムーンライダースに出会い、はっぴいえんどに至り、必然のようにアッコちゃんの世界に入っていった。
音楽的素養のない私が偉そうなことは言えないが、その音楽はジャンルを越えてまさにアーティストそのもののような感じがしていた。ジャパニーズガールで『丘を越えて』をピアノとデュエット!?するアッコちゃんの前では音楽のジャンルなんて全く意味を持たないものにように見える。
当時、小室さん、六文銭の音楽もまた、それがフォークと呼ばれるジャンルに仕分けられていただけで、私にとっては六文銭、小室さんの音楽以外の何物でもなかった。だから、ここでも何度も書いてきたように団塊世代狙いの、懐メロのような今の"フォークソングブーム"には何の感傷も抱かないし、その精神的ノスタルジーの権化のような拓郎にも、彼らほどのシンパシーは感じないのである。
当時の感覚でも,彼には"流行歌(はやりうた)”の作り手としての才能は認めていたものの、それはアッコちゃんや六文銭、小室さんに感じたアーティスティックなものではなかったし、あの時代との親和性が優先された存在だったのではと思う。そして流行歌はノスタルジーの対象になっても、時代を越えて価値のあるものとは違うものだし、何よりアーティステックなものは時代が変わっても今の時代に必要なものとして存在することが大切なのだと思う。
さてこの番組は"18年後のスーパーフォークソング・矢野顕子・歌とピアノと絆の物語”として放送されたものである。
18年前に"スーパーフォークソング"という全編ピアノ弾き語りのCDを発表したアッコちゃんが、再びピアノとヴォーカルだけのCDを創ろうとして信頼するレコーディングエンジニアの吉野金次と連絡を取っていた矢先、吉野さんが脳溢血で倒れてしまった。彼無しの創作はできないと考えた矢野さんが、応援コンサートも開催して支援をしながら吉野さんの回復(医師からは寝たきりが当然のように言われていたそうで、ある面奇跡的回復だと言える、彼もまたアッコちゃんのCDを創るという目標を持ってリハビリに励んだ結果だった)を待った。そして2009年に半身不自由でありながらようやく創作にこぎつけたCDが"音楽堂"、その制作の過程と同名のタイトルで行われたアッコちゃんのコンサート(CD収録の場である神奈川県立音楽堂での)の様子を紡いだ内容だった。因みにその模様は番組とは別に"ほぼ日刊イトイ新聞"内の動画でも公開されている。
吉野金次、名前だけは聞いたことがあるが詳しくは知らなかったけれど、希代のレコーディングエンジニア、打ち込み全盛の今では考えられないがアーティストの奏でる音を最高の形で記録する才能の持ち主である(彼の手がけたレコードやCDはアーティストとの一体感を感じられるものばかりで特にアコースティックな物に関しては右に出る者がいない存在。)。wikiで調べてみるとあの吉田美奈子さんの最初の旦那さんでもあるそうな(彼女も伝説の歌姫である)。ひょっとしてそんな時代、LPのクレジットを眺めていた時にに記憶したのかも知れない。
※吉野さんについて細野晴臣さんの素敵な文章をみつけたのでリンクを貼っておきます。
天才であるアッコちゃんがこの人でなくてはできないと言わしめた吉野さんもやはり天才なのだと思う。そんなアッコちゃんの魅力を番組の中で吉野さんはこんな風に表現されている。思わずさすが、そうなんだよなって納得してしまった。
つまりアッコちゃんはピアノが歌い、アッコちゃんが旋律を奏でるように歌とピアノが一卵性双生児のように一体となっているとのこと、あまたいる弾き語りの多くはどうしても歌う時は歌い手の目になり,演奏しているとピアニストの目になってしまい、感情が一瞬途切れてしまうとのことだった。
確かに4日間の神奈川県立音楽堂でのレコーディングにおいて、初日は吉野さんが用意した"10年物のピアノ(スタインウェイ)"との対話から始まって(吉野さんはCDの収録にあたってスタジオではなくそんなアッコちゃんの魅力が一番表現できる会場選びからはじめ、そこにある2台のピアノの内彼女にフィットするものを選んだのだという)、ピアノと一体となるための会話を続け、まるでお互いの身の上話や好物などをピアノのキーをパソコンのキーのようにして音を通じて言葉のやりとりをしている様子が映像を通じて伝わってくるようでとても印象的だった。
そして収録された楽曲の大半は今回もオリジナル曲ではない(オリジナルは『あるへびの泣く夜』と忌野清志郎へのオマージュでもある『きよしちゃん』と『My Love』の3曲のみ)。前回のスーパーフォークソング以上にバラエティにとんでいる。くるりや岡林はともかく唱歌や和田アキ子、山口百恵までカバーするそれは、多分アッコちゃんでなければごった煮になってしまうところだが、元歌がどんなジャンルであろうが、誰が創ったものであろうが完全にアッコちゃんの音楽に昇華しているのは驚異的でもある。
CDのタイトルはその録音の場として使用した会場そのもの、そしてそこで奏でられるアッコちゃんサウンドそのものとして"音楽堂"と名付けられた。
そして18年前のスーパーフォークソングでは、その中の『中央線』が担った役割を、今回の音楽堂では、ELLEGARDENの細美武士が作った『右手』になるのではと思う。ピアノの超絶な技法とアッコちゃんの歌唱との信じられないシンクロはもう魔法を越えているのだが、そして脳溢血で今なお不自由な左半身を背負って右手だけでこのCDを作り上げた吉野金次さんへのリスペクトを通じて、真の意味での"スーパーフォークソング"になっていると思った。
僕らの両手はどこまで伸ばせば
誰かに触れるかって ねえきっと
僕らの右手はどこまで上げれば
誰かに見えるかって それだけ
細美武士:"右手"より
アッコちゃんは、小室さんを通じて私の音楽の原点のひとり。
今でも六文銭を愛せるのは、いいお音楽を愛せるのはそんなところにあるのかも知れない。
でも・・もうひとりのあこがれの歌姫は
ノスタルジーに浸る流行歌としての狭義のフォークソングの世界での
アイドルをめざしてしまっているのかしら?
確かに居心地がいいのは理解できるけど・・
私は彼女も間違いなく時代を越えるArtistであると信じているのだけど・・
早く本当の居場所を彼女自身で見つけてくれることを願って。
アッコちゃんの"右手"。そしてELLEGARDENのオリジナルも。
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