違和感の原点。きたやまおさむ最後の授業から・・その1
月曜日から4日連続できたやまおさむさんの最後の授業が放映されている。
編集された30分にも満たない番組だけで、その内容を理解できる訳ではないけれど、彼がなぜ精神分析医の道にすすんだのか、何故マスコミュニケーションの世界と一線を画すようになったのかはよくわかったと思う。否、正確に言えば新しい発見というより思っていたとおりだった。
その生き方にあこがれ、本当の意味でかっこいいと思ったことが、そのままの形で表現されている様は30数年前の想いが間違いでなかったと、この歳ならではの安心感があった。
この感覚、実は数年前にも感じたものだった。
そう、生の"まるで六文銭のように"に出会ったこと、小室さんやこへさん、四角さんとお話をした時に感じたものだ。
きたやまさん同様に一番感性が研ぎすまされていた時代のあこがれが、錯覚や思い過ごしではなく、その瞬間,時空を越えて、その時代の想いが30数年経って実感として間違いでなかったと確信できたことは、多分、これまでの人生の中で一番幸せなことだと思う。
その感覚とは何だったのか、何故これまで変わることなくあこがれとして想いが続いてきたのかが、最後の授業で少し答が見えてきた。
と同時に、あれほど素敵で魅力的な四角さんのLIVEに感じたわずかな違和感、一番の楽しみだったそのLIVEに通うことが苦痛になってしまったのか、自分でもよくわからなくなっていたことが、私自身の中でようやく整理がついてきた。
北山教授は、マスコミュニケーションの権化のようなテレビと対にあるパーソナルコミュニケーションとしての精神分析を語っている。
それは裏と表、見えないことによって想像する心、探求する想いと見えている(見せられている)ことによってその本質を見る事ができない、裏にあるものに想いが及ばないこととの対比。
北山さんが創造者として,伝えたいもの、自らの心に問いかけて歌にしたものが、マスという表の装置に乗って心が置き去りになったまま、歌だけが流れていってしまったという。そんな心を取り戻すためにマスの世界から離れて最も裏の世界、本質の心の世界である臨床心理学の世界に身を置く事にしたと話されていた。
北山さんも、そして六文銭も自らの想いのたけとしての歌であり、マスに乗って聞かせることよりも自らのために歌い、その共感としての広がりだけは否定しない世界にあったと思う。つまり、歌と言えども極めてパーソナルなものとして存在していた。仮にオーディエンスが数多くいたとしても、その中ではあくまで1対1のコミュニケーションとして心に伝わっていたのだと思う。
その意味でも不特定多数を対象とした歌謡曲とは一線を画していたのだと思う。余談だがこの場合は歌謡曲とはジャンルとしてのそれではなく、作り手側の考え方、発信の仕方の意味である点で多くのなつかしのフォークも歌謡曲の一部といえると思う。
何よりパーソナルなものであるから、歌の裏側、その歌を生み出したその人そのものやその背景にあるものへの共感として深く、長く心に刻みこまれていったからこそ、その想いは時空さえも越えていったのだと考える。
六文銭がまるで六文銭のようにと名を変え、やがて六文銭'09となっても、進化し続けるその音楽性とは別に、その歌の存在、意味については見事にパーソナルなものとして、歌だけが先走ることは決してない。
それはそのユニットを支える小室さんやこへさんのソロや別のユニットとしての活動においても同様だと思う。
そして四角さんも28年振りに新たに歌い始めたという事実以上に歌うことそのものを誰よりも楽しんでみえる四角さんの姿が印象的だった。
だからこそ、そんな四角さんを微力ながらもお手伝いできることはないだろうかと、何よりその歌声によって心の安らぎを得られる喜びと共に共有することができていたと思う。
私ができることと言えば、このすばらしい歌姫の魅力をひとりでも多くのオーディエンスに体感して頂けるようにという想いから、自らLIVEを主催したり、数多くのLIVEに参加してこの場やブログ等でその魅力を伝えることだと思っていた。
前述のようにそれは1対1のパーソナルなコミュニケーションの中でより輝くものである。そして歌だけでなく、四角さんそのものを感じられるLIVEでこそ、そのすばらしさが伝わると信じていたから・・
そんな中での違和感はある面、突然訪れたのかも知れない。
最初は自分の中でも、それが何なのかはわからなかった。
些細な誤解や思い過ごしに過ぎないとも思っていたがLIVEに通うたび、悪魔のささやきのようにそれは誤解や思い過ごしでないことを認識せざるを得ないようにどんどんと追い込まれていくようだった。
それが、きたやまさんのお話の中で少しづつ分析されていくように思えた。
残念ながら、それをこの時点で文章として表現する所までは至っていないが
残り2日の授業を受けた後に、この時点での分析はしてみようとは思うけれど・・・
個人的には(続く)
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