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2010-08-15

違和感の原点。きたやまおさむ最後の授業から・・その2

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大分間が空いてしまったけれど・・・

北山教授の授業内容をすべて理解したわけでは当然ないのだけれど、
つまるところ、目に見えるものは意味があるのだろうか?
カウンセラーの役割は心のリフレクターになることとおっしゃっているが、同時に写ることのない心のリクレクターは何を反射すればいいのだろうか?
生まれて初めての赤ちゃんにとってのそれは、母親の瞳だという。その瞳は赤ちゃんの心に母親の想いを返すという。
フロイドの精神分析においては、心理分析をするに当って、あえて面と向わずに話を聞くという。見えることで,本当の姿が,心が見えなくなるということか・・
確かに見えていること=理解することではないのは確かだ。問題なのは、見えていることで判ったつもりになってしまうことだろう。更にこそ、本当の姿、その心まで想いが及ばなくなってしまうことだと思う。

そして、北山教授の授業にもあったように、この時代のテクノロジーの大半が見えるもの=表面と言ってもいいのかも知れない、をより良く、手軽にすることにのみ深化し、見えないものはより見えなくなってしまったように思う。
人は他者にどう見られるかに注意を払い、やがて自らを目に見える自分のための(本心というか、その人そのものでなく、どう見られたいかという他者の期待に応えるための)操り人形とし、結果自らさえも判らなくなってしまっているように思う。

さて、問題の違和感である。
北山教授の最後のメッセージとして紹介されたのは、消えいくことも大事だということ。いかに上手く消えるのか、消えることで心に残ることもできるということである。
その点で言えば、六文銭は1972年に見事に消えていった。

以来28年、ある意味レジェンドとして私の心に大きな存在と位置していた。視覚的には"出発の歌"以降のわずかなテレビの映像とレコード等の写真だけだった。その大半はレコードとラジオ、何より"フォーシーズン"に記録されたわずかな言葉だけが、音楽以外の人となりに辿りつく道しるべだった。
その中で心の中ではますますその存在が大きくなっていたように思う。
そんな状態の中での30数年を経て、ある日突然に手の届く距離に、肉声が届く距離の存在として現れた"まる六"はあまりに刺激的で、魅力的だった。

北山教授の授業内容とは無縁に、目の前に”見える”ことで、毎日が夢のように過ぎていった・・
否、実は授業どおりだったのかも知れない。
余に近づき過ぎたことで、見えているものをすべて理解していると錯覚してしまっていたのかも知れない。自らは心のリフレクターとして30数年分の想いを照り返していたつもりだったが・・・。
この世界にその30数年間も実像として存在し続けた小室さん、こへさんと異なり、まさに存在せずに蘇った四角さんには、同じように照り返すことになっていなかったのかも知れない。実はその裏返しとして私もその照り返されることで自分自身の存在証明にしていたのだけれど・・

そしてまる六として、六文銭'09としては変わらず焦点を結ぶ心のプリズムが、何故か四角さんとなるとその焦点が徐々にずれていくようになっていった。
何とかそれを修正しょうとすればするほど、その像は滲んでいく。そして遂にはどこにも焦点を結ばなくなっていった。
心が通じなくなることをこれほど感じたことはなかった。
どんなに肯定的な言葉もすべて否定的な想いで返ってくる。やがて、その修正方法さえも見つからなくなってしまった。

その原因は今となっては想像することしかできないけれど、
自信を持っていえることは、30数年前から私の心のリフレクターは何も変わってはいなかったことだろうか。
変わらなかったことが、この世界で新たな歩みを始めた四角さんとのベクトルの違いが大きくなってしまった・・としか今は言えない。
四角さんの類い稀な才能とその人間性の素晴らしさは何も変わらないのだけれど、同じように30数年前と変わらない私は
四角さんにとっての"見える"ファンの定義とは合わなくなってしまったのかも知れない。

小さな違和感の原点。
やはりここは上手く消えていくことがいいのかも・・

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