« ラジオCMって | トップページ | 違和感の原点。きたやまおさむ最後の授業から・・その2 »

2010-08-09

知人の死に思う

酷暑が続くこの夏、ひとりの知人を喪った。

人生の中で、いろんな死に巡り会うのだけれど、大抵は祖父、祖母からはじまり父母、あるいはペットなどおよそ時間の流れの中でそれに抗することができないものとしてやってくるものだと思う。無論、それはそれで哀しみが襲うのだけれど、どこかで寿命なり、致し方ないことと心の整理をつけることになる。

私も人生最初の死は祖父だった。
私は多分5歳、それでも趣味人の祖父にかわいがられた記憶は深く残っている。3歳くらいから抹茶を嗜み、多分その趣向が今に繋がっているのが自分なりにも理解できる。
その後、母方の祖父母の死、事故での叔父の死、何匹かのペットの死に立ち会ったが、やはり30代で迎えた母の死が一番悔いが残るような気がする。もう少し長生きしてもよかったのに・・、その悔いる想いの中心は自分自身の心根の部分が大きいけれど、やはり63歳の死は母自身にとっても悔いが残っているように思えてならない。
癌で余命が見えていた母自身も、あの父を残してという想いを語っていたのが今も蘇る。

それからしばらく幸いにも身近な死を経験することがなかったのだが・・・

丁度1年前、彼と地下鉄の栄駅の通路ですれ違った。
この業界では先輩であったが、会社を辞め独立して10数年経っていた。私が今の仕事について10数年、その前後を含めて30年近くの付き合いになる。彼の婚約パーティを当時名古屋で一番高い場所にある会場で主催した。
ただここ数年は仕事としての接点もなく、年賀状だけの付き合いになっていた。

そんな彼とすれ違った時、彼は私に気がつかなかったが、ほんの少しの酒臭さと何よりその土色の顔が気になった。
昔から酒焼けと色黒ではあったけれど、その土色は私には異常に思えた。もっと正直に言えば肝臓なりなんなりが癌に冒されていると直感した。
少しオカルトチックに言えば、何故か癌に冒されている人は顔を見るだけで判ってしまう・・・と言ってもまだ二人目だけど。

ひとりめは、これも知人だけど、数年ぶりに合ったその瞬間、顔色に生気のないことが気になった。まもなく大腸癌で手術した。幸いその後の経過もよく、今も元気に仕事を続けているだけでなく、危険な期間も過ぎて今では年齢を感じさせないくらいだ。同時に私の仕事の大事なパートナーでもある。

そして彼は私より3つ上、独身時代から結構、破天荒な生活をしていた。結婚しても果たしてうまくいくのか?正直人ごとながら心配していた。しかし別れたという話は聞かなかったのでその心配は杞憂だったのかも知れない。
そして嫌な予感から1週間も経たない頃、知人を通じて彼が喉頭がんに冒されていること、レベル4で手術は不可、放射線照射で患部を小さくする治療を行っていることを聞いた。
放射線治療は週3日、総放射線量の限度まで治療を行ったということで、知人二人とお見舞いに行った。50代の私、60代の心筋梗塞を患って第一線は退きながらも今も活躍するコピーライター、そして70代ながらも気分は50代の現役ばりばりの印刷会社の社長という組み合わせ。そう彼は私と同じ50代ということで若い分類にはいるのだけれど・・

しかし、見舞った先の彼は、あきれるほど元気で、退院後のことを話していた。重篤な状況を想像して見舞った3人をいい意味で裏切っていた。ほどなくして今年ほど暑くない去年の夏の終わり、彼の言葉どおりに退院を果たし、年末には自筆で完治したとの内容での手紙が届いていた。
彼の言うとおりなら奇跡が起こったことになるが・・やはり春には再び入院したという話を風の噂に聞いていた。

そしてこの8月、そろそろお見舞いに行こうかと話している中、訃報が届いた。丁度お見舞いに行って1年が経った頃だった。
奇跡は起こらずだったのか、あるいはよく1年も持ったということなのか、詳しくは家族でないと判らない。

通夜には同じく3人で伺う。
彼と私の大先輩二人とお通夜に向うというのは、何故か複雑な想いがする。先輩二人も十分若いが、それより若い死というのは、何より私とほとんど変わらない歳での死に向き合うのは心が重い。ご家族にかける言葉もないし、奥様とは結婚式以来だし・・

どうしても見て欲しいと促されてみた彼はことのほか安らかな顔だった。器具がいっぱいついて苦しそうだった顔が外した瞬間安堵した顔になったと奥様が話されていた。そのほっとした表情、言葉を聞いてほんの少し安心した。確かに本人以上に奥様や娘さんが苦しかったはずだから。

帰りのクルマの中で、なんとなく次は誰だろうと言う話になる。
一番年上が当然のように自分だと言うが、いや~憎まれもの世にはばかるの例えを3人3様にそれぞれに当てはめて話すのだが、長生きして思い出を語れる人が誰もいなくなってから死ぬのは淋しいと言う結論になった。同時に多くの知人を見送ることになるわけで、やはりことは順番であるのが一番いいのかも知れない。その意味でも順番を破った彼の罪は重い・・と思った。

まもなくお盆。
初盆がすぐ来る時期と言うのが、彼にとっては最後の家族孝行だったのかも知れない。

« ラジオCMって | トップページ | 違和感の原点。きたやまおさむ最後の授業から・・その2 »

ひとりごと。つぶやき。」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。