那智ちゃんが・・
いろんな訃報があるけど・・
戸田恵子さんの活躍が,連想ゲームのように、薔薇座、アップルツリー、そして
パックインミュージック、金パ・・野沢那智さん。
あれだけ煙草がお好きで、
だから、だとは思えないけど、肺がんのため死去。72歳。
ナチチャコパックは六文銭とともに私が私らしく生きた時代の記念碑だった。
1982年、最後の金パの最後のお題。実はこれはずっと心に残っている。
六文銭の解散から10年後だった。
深夜放送への、ナッチャンからの弔辞のように・・
以下はそのお題を書きおこしたもの、あらためてその想いに触れてみたくなった。
1982.7月金パ最終回 最後のお題。
深夜放送とは、深夜に放送されて初めて価値をもつ番組のことをそう呼ぶ訳でその意味で昼間番組の延長線にある価値のない偽深夜放送にあぐらをかいていつにまにか鼻歌を歌うようになってしまった我々は、深夜放送の大罪人でありましょう。
我々の世代は今、もう子供のように、その日その日をただありのままに過ごしていくわけにはいかない。しかし、また世の大人たちほど現実の厳しさに、自分の理想を傷つけられ、可能性が擦り減らされているわけでもありません。
だから我々は子供とも話さないし、大人とも話をしない、本質的に両者とは相入れないからです。
子供は我々との間に言葉をもたず、大人はそれをすでに忘れてしまっている。今、我々は他のいかなる世代とも深い谷によってわかたれてしまっている、言わば隔絶の世代に位置しているのかも知れません。
しかし、我々はそれを自覚し、自分を保とうと懸命になる一方で、やはり一人では寂しいのです。
人はひとりではやるせない、だから我々は悲しみも喜びもお互いに分かち合い、分かち合える我々自身の世代に共通の広場を求める、そして、そんな広場は広ければ広いほど、我々にとって魅力的なものになる。
傷ついた時、悔しかった時、落ち込んだ時、頭にきた時、言いたいことを言ってやりたい時、あっと驚かせてやりたい時、そして大笑いしたい時、我々は自然に同じ広場に集う、そんな広場にはもうただいるだけでたまらなく底抜けに楽しいものです。
そしてそんな広場、ナチチャコパック我々、隔絶の世代にふさわしい深夜という、極めて非日常的な時間帯に電波という魔法の広がりを持って、今日まで多くの青春世代を暖かく向い入れてくれたのでした。
その意味で金パは人が必ず一度は通らねばはならない、自立好きで、それでいて寂しがり屋の青春世代の若者が集う、ひとつの世代文化の牙城であった。時代は移り、そして人も変わる。10年前のパックメイトはもうすでに金パを巣立ってしまったであろうし、いずれは我々も大人になります。しかし、金パに注ぎ込まれる隔絶された若者の、青春世代の爆発的なエネルギーには絶対に変化があってはならない。
金パは次代へ、夢は次の世代へ受け継がれなくてはならない。
若者の無限の可能性を孕んだ深夜放送は聴視者によって、我々の手によって作られなくてはならない。ボタンひとつですべてが消し飛んでしまうような、こんな不合理な世の中にあって、人間でいることが段々難しくなってきたこんな不自然な世の中にあって、より強力に機能されるべきこの金パという我々にとって、最も大切な発言の場が、皮肉にも我々自身の手によって葬りさられたということは、本当に悲しい。
我々現在の隔絶の世代は、もはやそれ自体で独立を保つことが難しくなり、一部は他の世代へ後退し、あるいは先行し、ついには世代間のバランスが崩れつつあるように見える。だが我々はまだまだ深夜の聖域を諦めはしない。必ずパックのような手作りの深夜放送を蘇えらせるべく立ち上がる日が来るに違いない。 パックは金パはいつの時代にも変わらない、青春世代の自分自身の姿の投影なのだから。
検索していたらネットで見つけました。
こちらはパックとしての最終回特番のエンディング。野沢那智さんの肉声です。
金パと同じようにシバの女王が流れています。MCはもっと早く逝ったミドリブタこと林美雄さん。あらためてお二人のご冥福をお祈りします。
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