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2010-12-31

ラジ子 "イキマ〜ス!?"

今やラジカセの存在を知らない世代が増えているという。
言葉は知っていてもそれが何の略語か判らないらしい。確かにカセットテープもラジオも今の時代、誰でも目にできるものではなくなっていた・・

そうなるとオープンリールのデッキに至ってはもはや化石なのかも知れない。
ただ、今でも録音スタジオには大抵1器だけはDEONのオープンリールのテープレコーダが残っている。これはスポンサー(主にローカルの)には大昔に作ったCMを今でも使ったり、お尻だけ差し替えたりするので必須なのだそうだけど。

さてTEACのオープンリールにあこがれた世代としては、そうそう最初にみたコンピュータもオープンリールのテレコの親玉みたいなものだった。昔、データ会社から映画のフィルムみたいな登録データを会社のコンピュータに登録(多分、これってダビングみたいなものだったと思う)していたのを思い出す。とにかくあの時代、コンピュータルームは別世界の様にエアコンがガンガンに効いていた。暑い夏にはよく涼んでいた。

いつもように寄り道したけれど、今より電離層の関係なのか、そもそも妨害する電波自体が少なかったからか。電波状態がよかったこの頃、それでも結構必死にTBSラジオをエアチェック(これも死語だなあ)していた。最初の永さんの土曜ワイド(久米さんが病み上がりのレポータだった!)も、平日の昼間も何とか"キンキンケンケンのそれ行け歌謡曲"も聴いていた。宅浪していたから時間は山ほどあったわけで、パックの延長でずっとラジオはTBSだった・・・

その深夜となればまるで地元の局のようにパックや馬場こずえさんの深夜営業、亡くなった那智さんも出てみえたラジオマンガ(水森亜土さんやナレーションは小島一慶さんだった)、中山千夏&佐藤允彦さんの"あなたまかせ”と聴いても聴いても尽きることのない、田舎住まいの宅浪生としてはテレビでは決して入手できない最新かつあまりにも刺激的なサブカルチャー情報の宝庫だった。
かの六文銭もヤングスタジオラブという月金の帯番組があって、その準レギュラーとして出発の歌以前に後にキングサーモンやメモリアルに収められた宝石のような曲を生で歌われていたのが出会いだった。
ラジオ、とりわけ何故TBSかって言えば、永さんがいて、小室さん、きたやまさん(いずれもパックをやってみえた)がいて、那智チャコパックがあって,ミドリブタやこずえさんがいたTBSに対し、ニッポン放送や文化放送はあくまでテレビの2次的な情報しか発信していなかったように思う。つまり、当時からラジオに対してひがみ根性があったこの2局に対し、TBS-Rは正に"もうひとつの別の広場"としてラジオならではの世界を見つけていたのだと思う。

さて本題に入ろう。
ラジカセがCDラジカセとなり、MD付となり、ウォークマンの登場で、もはや重くてでかいこのコンビ家電は行き場を失った。と同時にその主要音源だったラジオもレコード、CDのレンタルビジネスの隆盛を受けていつしか無用の長物となっていた。それは音楽を流すだけしかできなかったラジオの終焉でもあった。
確かにリクエストという手段でいつかかるかどうかも判らない放送を待つよりは、僅かな金額で好きなものをレンタルして録音する方がてっとり早い。
しかし、そんなレンタル自体もやがてネットの時代となり、借りるために店に出かかることまで面倒?と考えるようになり楽曲のネット配信にその座を受け渡すようになっていったのだが・・
そう、ラジオは(少なくも、音楽を垂れ流すだけの)過去のメディアとなり、それを支える広告収入もネットに抜かれて媒体価値がどんどん低下していく。

しかし、こうした媒体としての地盤沈下とは別に、少なくとも一部ではラジオが新しい鉱脈を見つけ出していた。というか、正にもうひとつの別の広場が広がっていただけなのかも知れない。

音楽を流すだけの箱としての価値は薄れてしまったけれど、ラジオとしてのもうひとつの特性がラジオ再生の重要なポイントだった。
それはパーソナルメディアとでも言おうか、発信者と受け手であるリスナーがテレビのそれとは違いマンツーマンの関係で成り立っていること。つまり不特定多数に対し、その最大公約数でしか発信できないテレビに対し、ラジオは広場に集っているひとりひとりに発信している。極めてパーソナルな内容であっても広場に集っている人は共感、あるいは反論というカタチでかかわり合っていけるメディアであることがラジオならではの特徴であることを・・

ただそれを実現するためには、リスナーとの同時性、仮に擬似的であっても双方向性が担保される必要があり、そのためには所謂生ワイドというか生放送でかつパーソナリティの力量がなくてはならないのは言うまでもない。

もうお気づきの方が見えると思うけど、この構成ってまさに深夜放送そのものである。あの深夜放送のスタイルがラジオ再生のキーとなっている。実は深夜放送のフォーマットこそラジオの特性を最大限に活かしたフォーマットなのだと思う。言うまでもなくラジオは音だけと言う事で同時に別のことができる。深夜放送が受験勉強の友だったのと同様に運転をしながらとか作業をしながらといった聴取形態が可能なメディアであること。視覚まで奪われるテレビはそうはいかない。
そして当時よりタイムラグはあったもののハガキ職人に代表されるように、放送の主要コンテンツは実は聴取者であるリスナーが担っていたこと、つまり双方向性が担保されたメディアである。リクエストに対して曲を"かけてやる"と言うDJスタイルではないフォーマットこそが重要なのだと思う。

そして忘れていけないのは、現在のヘビーリスナーがこの深夜放送を体験した世代が中心であること。彼らにとってはこのフォーマットは体に染み付いたものであり、メディア自体にシンパシーを、無論それを伝えるパーソナリティの魅力があってこそだけど、抱きやすい。結果、テレビと異なってより主体的に接しているように思う。

更には、この古くて新しいフォーマットこそ今のネット時代に実は非常にフィットしていることだ。ハガキと異なりタイムラグもなく、FAXという専用の機器がなくとも仕事で使っているPCやケータイから簡単に番組に参画できる。そしてテレビと違って双方向性を想定している番組は参画に障壁はより低く設定されている。

これらの特性が循環する中で、既製品ではない、パーソナルメイドのメディアとして存在しているように思う。
何より、その司令塔とも言うべきMC=パーソナリティも、がんじがらめに秒に追われて進行するだけのテレビと違って正にパーソナリティとしての個性、自分らしさを表現できるラジオに魅力を感じている人が多いのも忘れてならない。

ラジオをあえて中心に置いて活動する永さんは当然のこととして、再びそのフィールドに戻ってきた久米さん、ラジオならではと活き活きとしている安住君や伊集院さん、フリー宣言の際、あえてラジオパーソナリティを宣言した小島慶子さん、あえてラジオしか出ない小島さんの後輩、外山恵理さんもラジオの魅力を理解しているひとりだ。
大竹まことさんにしても月金のラジオで魅せる姿こそが本当の姿だと実感できるし、多分、ラジオだとすべての虚飾が脱ぎ捨てられ生身の姿がリスナーにも伝わるからなのだろうか?

そう、ラジオって実は一番古くて一番新しいメディアなのだと思う。
参考までTBSラジオの平日編成表をご案内しよう。56回連続で聴取率トップを誇るTBSの理由の一旦が、編成上の生番組の多さだと思う。平日は22時間以上が生ワイドとなっている!
<平日TBS-Rの生ワイド番組>
  5:00~ 6:30 生島ヒロシ おはよう一直線
  6:30~ 8:30 森本毅郎 TBSラジオスタンバイ
  8:30~13:00 大沢悠里ゆうゆうワイド
13:00~15:30 小島慶子キラキラ
 15:30~17:50 荒川強啓デイキャッチ
 18:00~21:00 カキーン(12/31は特番)
 22:00~ 1:00  Dig
1:00~ 3:00  JUNK
 ※つまり24時間中22時間が生ワイド番組というラジオの特性を活かした編成。

これらの番組の多くが番組内でメールを受け付けており、極めてタイムリーにその内容が紹介される構成になっている。こうしてみるとラジオとインターネットの親和性の高さが際立ってくる。ラジオを営業的には第4メディアに追いやったインターネットがこうしてラジオの救世主になるとは,皮肉と言えば皮肉だが、逆の見方をすれば両者の根っこが同じだからこそ救世主になり得たとも言える。

そして正式にはこの12月、ラジオはそのネットとの親和性を一段とすすめた。
実際には3月から実施しているradikoの登場である。
東京圏、関西圏以外の方がリンクすると多分こんな画面になる
Ishot3
しかし、東京圏ではこんな画面になってネット上で放送がダイレクトに楽しむ事ができる。
Ishot2_3
しかもこの放送は他のインターネット放送と異なって音楽やCMもそのまま流れるサイマル放送だ。更にはFM放送以上の音質で雑音とは無縁の放送を楽しむことができる。
残念ながらこれの運営主体が電通ということで建前はエリア内の難聴取対応ということで、本音はリーチが少ないということでCM営業が苦しくなってきたのを何とかしたいということなので、本来の放送免許エリア外ではネットでの聴取ができなくなっている。これについてはいろいろ言いたいことがあるが、それは別の機会にするが、とにかくラジオが新しい世界に踏み入れたことは確かである。

その意味でも地デジ以上に2011年は新しいラジオのスタートとも言える。
何故radikoなのかと言えば、従来のradioがラジ男なら、新しい放送はradiko,
つまりラジ子という訳だ。
まだお気づきでない方は是非、その世界に踏み入れて頂きたいと思うのが2010年最後の日記となった。

では皆様より良いお年をお迎えください。

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