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2011-03-16

気仙沼の赤いジャージー

前にも書いた津波に母親を奪われた女の子。
それはTBS系のものだったが、その後日テレ系でも同じ姿を見つけた。
同じ赤いジャージー姿。やはり母親は見つかっていないのか。

それにしても、彼女の姿、祈るような叫び声が琴線に響く。
同じように感じた方も多かったようで、その映像の一部がYouTubeにあった。

これを見るたび、決して危険の及ばない、自ら設定した計画停電のエリアからも意図的にはずされた東電の本社で、何の意味もない、出がらしにもならない情報をただただ、これも決して危険の及ばない机上の空論で出がらし情報を聞きあさる記者クラブメディア達に伝えるためだけの東電の広報マン達の姿を見るたび(社長、副社長連中は論外の論外だが)無性に憤りがマグマのようにわき起こってくる。
実は福島県庁の現地対策本部で同じくメディア対応をする福島営業所の連中の方がはるかに(メディアの面々も実感としての危機を伝えている)現実感がある。
そして同じようにスーツに身を固めたSPに守られる中、これ見よがしのジャンパー姿の菅直人も、同様に言葉のひとつひとつに何と実感のないことか。

君たちにあの少女の本当の哀しみが理解できるのか。
自分の立場のための危機感や仕事としての言葉には何の力も伝わらないことを知るべきだろう。東電の広報マンよ、菅直人よ、今こそ福島原発の現場で、自分の言葉で、人としての想いを持って語ってみろ。
気仙沼の女の子

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