効率と無常の間 村上春樹のスピーチが意味するもの
村上春樹がスペインで行ったスピーチ、
自分自身を「非現実的な夢想家として」として原発を原爆と同義に捉え、日本人固有の世界観の危うさを論理的に分析している。
何故、被爆国でありながら55機もの原発の存在を是としているのか?
日本人固有の無常観からすれば、天災を含め自然なりあるがままに受け入れるべきなのに"現実"という名の"効率"の前には、受け入れるものを"便宜"に置き換えてしまうらしい。この場合に受け入れるべきものはやせ我慢と言われながらも原発に手を出す事無く、電力不足からくる"不便"だったと思うが・・(無論、原発が使えないという状況下では日本人の知己としてもっとスピーディに他の再生可能エネルギーへの転換スムーズに図られたであろうことは間違いない)
にもかかわらず核アレルギーがある日本が原発推進を図った理由について、冷戦構造が無縁でないことは悲しい限りで、日本の権力者のどこかに原子爆弾研究を何らかの形で温存するためにも平和目的という誠に耳障りのいい言葉にすりかえて推進を図った歴史がある。何しろ1954年の最初の原発予算を提案したのは中曽根康弘、稲葉修、川崎秀二らであり、1955年に成立した原子力基本法を受けて1956年に設立された原子力委員会の初代委員長は当時の読売新聞社主正力松太郎である。もうこのころからメディアと原子力はズブズブの関係だったわけだ。
そしてこうした人類にとって2度に渡る悲惨な被爆国となった日本がそれでも原発を止められない一番の理由が、電力開発やエネルギー問題よりも佐藤優氏が言うように(多分、これだけなら他の方向性も十分あるだろうが)原爆を含めた核開発技術、技術者の温存であるとしたら、広島、長崎だけでなく福島の人々にとってもこれ以上の裏切りはないと思うのだが・・(少なくとも廃棄物処理まで含めたコストを考える限り、原発が低コストであるというマヤカシを信じるものは余程の馬鹿でない限りいないだろう)。
その意味では果たして本当の「非現実的な夢想家」はどちらなのだろうか?
悲劇に悲劇を重ねていく現実の事態に市民の悲しみが安らぐ日が訪れるはいつになるのだろうか?
少なくとも無能な首相が居座ることで少しでも遅れることは許されないのだが。
無常観に通じながらも、そこから立ち上がる勇気を感じさせてくれる歌。
それにしても吉田美和の歌唱力は歌の力を確信させてくれる。
何度でもLOVELOVELOVE
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