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2011-06-01

生きているということ。生物としての一生

ホーキング博士は限りなく深く未知である宇宙の探求者でありながら、継続中のビックバンのサイズさえも計測できないにも関わらず(未確認であることで、微かな未知の世界を心のよりどころにすることで生きていることの不安との均衡を計っているのも事実だけれど)、明確に天国も地獄もないと断言している。

【5月17日 AFP】英国の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング(Stephen Hawking)博士は、16日の英紙ガーディアン(Guardian)のインタビューで、天国について「暗闇が怖い人間のための架空の世界」と述べ、宗教の根幹を成す概念を改めて否定した。

 ホーキング博士は、世界各地でベストセラーとなった『ホーキング、宇宙を語る(A Brief History of Time)』(1988)では「神というアイデアは宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」と記していたが、その後四半世紀で宗教に対する態度は著しく厳しいものになった。

 2010年の『ホーキング、宇宙と人間を語る(The Grand Design)』では、「宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない」と述べている。物理学における一連の進展により、そう確信するに至ったという。

 博士は今回のインタビューで、自分の考えは21歳の時に発症した運動ニューロン疾患との闘いにも影響されていると語った。

「わたしはこの49年間、死と隣り合わせに生きてきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。やりたいことがまだたくさんあるからね」

「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」(c)AFP

正確には引用の記事のように天国を『暗闇が怖い人間のための架空の世界』と断定した。あまたの宗教家にとってはまことに都合に悪い話ではある。現世と来世があることで成立する彼らの論理にとっては、そえを架空と言われた時点ですべてが破綻してしまう。

無論、宇宙の絶対神以外は信じない(神という表現は適切でないかも知れないけれど、無の世界からビックバンが起きた理由まで考えれば一種霊的なものを仮置しないと何も始まらないので、何せこの世の物質、原子の大半までもビックバン以前はないとなると、論理的な存在は定義できない)私も、それでも死後の世界、霊的世界が存在すると信じた方が昔より死期が確実に近づいているこの歳になると,死の恐怖との兼ね合いにおいて心の安定は図れるけれどね。
だから,ホーキング博士のこの話は当然のこととして受け止めるしかない。

つまり、どうあがいても生きるという実感は長くても100年程度のもので、無限ではないわけで、あたかも来世があるからと疎かに過ごすわけには行かない。
その意味でも人生をどう生きるかは、生きているということはとても重いものである。だからその大半を会社人として生きるなんてことはできっこない。会社人として生きるのは目的ではなく手段にすぎないことをここでもくどいくらいに書いてきたけれど、何が楽しくて会社にしがみつくのか、無論、大好きなことをするために会社人としている人まで否定はしないけれど、何に意味もない所詮会社内でしか通用しないヒエラルキーに汲々としている連中を見ると哀れに思えてくる。
無論、もっと悲惨なのはそのヒエラルキーに反り返っている実もない連中だけど。
経営陣なり,上司と言われる連中は少なくとも、会社人ではなく社会人として尊敬を得る存在でなくては単なるひな壇でしかないわけだから。まあ,得てして程度の低い会社ほど、社会人として存在すると出世とは無縁になるのがこの世の常ではあるけれど。

それでも考えようによっては、そんなはかない人生だから、人としてより物質的な幸福が得られやすい会社人として生きる方が得策という論理はまだある。
これの否定はなかなか難儀だけれど、多くの宗教人達にヒントを与えるようで少し気がひけるけれど、人の一生を”私”のものとすると確かにはかないが、そんな基準は多分文明人以外にはないわけで、例えばカマキリは自らの身体を餌とすることで子孫のDNAを伝えていく。つまり一生の定義を自らのDNAの連鎖と見れば、"私"には確かに来世は存在している。この連鎖の中では、生物としてのその人なりは間違いなくDNAを通じて伝わっていく。所詮伝わらないものがあるとすれば、脳細胞内のシナブスに瞬間蓄えられた"私"の記憶だけであり、命としての"私"は確実に繋がっていくわけだから(当然そこには会社人なんていうDNAはない)、こうして繋がっていく命に対して人としての尊厳を大事にしていくことには確実に意味があると思う。その意味での来世、あるいは精神的天国は確実に存在することになると思うが如何に。

唯一、今回の震災のように天災等でその命の連鎖が途切れることが本当の意味での悲劇ではないだろうか?

それを考えると原発事故発生以降、会社人の立場として明らかな噓や、理不尽な発表を繰り返す東電本店の記者会見を担当させられている彼らの心情はどんなものだろう?本音は"こんなことやってられねえや"じゃないのかしら。もはや企業としては実質的に破綻している東電だから、もはや会社人として振る舞っても意味がないと思うのだけど・・それでも会社人として噓やいい加減な情報しか発表できない彼らの増えた白髪がなぜか悲しい。
 
確かに会社人を捨てるのは結構大変だけど、仕事は会社がなくてもできるから、そろそろ衣を脱いでもいいのではと思う今日このごろ。

そして私は幸いにも来世となる存在があるのは幸せだけど、"私"として自分の来世達との関係はそれほど平坦ではないのは、・・これも絶対神が与えた試練なのかしら、生きているということ、私なりの人生を。


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