総理の脱原発宣言。
どこまで信念があるのかが一番の問題だが、
菅直人がお得意のアドバルーン"脱原発宣言"をぶち上げた。
同じ日、孫社長は35道府県と自然エネルギー協議会結成した。
このニュースの取り扱い方でメディアの噓が透けてみえる。
まあ,一番無難なのは政局と結びつけての菅直人批判。
同じく実効力を第三者的に批判するもの、さすが読売、あまりにらしい。
しかし、こうしたメディア以前に枝野の会見には口あんぐり以上にこいつは所詮、
悪徳弁護士くずれかと思ってしまう。
何が”総理の個人的な未来の希望"だ。記者会見は個人会見じゃなくて
"総理会見"である。時期とか行程について発言するのならともかく、会見の骨子まで否定するのなら即刻官房長官を辞めるべきだろう。少なくとも発言者が資質はともかく総理の発言としての重みは、国家として大切にできないのなら、もはやその体をなしていない。
正直、菅直人はどうでもいいが、少なくとも日本の最高権力者が
脱原発宣言したことをもっと真摯に伝えることはできないのか?
少なくとも次の総理はこの宣言に対しどう考えるかを明確にしなくてはならない。
菅直人が原発解散はしないと言ったのも
電気労連たよりの民主党主流も原発村の自民党も原発を止める気など
さらさらないので争点にならないからだ。
いっそのこと河野太郎をつれて新党でも結成した方がいいかも知れない。
昨夜の報道ステーション。
次期東電社長が余った電力を関西に融通したいとしゃーしゃーと言っていた。
実は電力危機でもなんでもなく、ただただ原発必要だとプロパガンダを
繰り返す御用メディアの噓にもう気づいてもいいと思うのに。
更には今でも使用されていない原発以外の埋蔵電力が原発14、5器分眠っていることを忘れてはならない。
今なら大転換ができるのに。それが菅直人頼みというのが一番の悲劇なのかも知れない。
※15日の文化放送で佐藤優が”脱原発”は帝国主義の発想だと批判していた。その前に今の日本の状況がヒトラー以前のドイツの状況に酷似していると発言しているが,そのこと自体には異論はなく衆愚政治の行き尽く先はアジテーターの独裁や軍国主義であることの懸念は同じだが、ドイツやイタリアの例を引き合いに自国から原発を周辺弱小国に移管して収益のみを独占しようとする帝国主義と同等だというのには大きな視点が欠落しているように思える。その発想の前提は、まさに資本主義的な拡大再生産を必然とするもので、その資本主義自体の行き詰まり感(もはや資本主義が成立しているのは中国やインドなどだけだろう)を理解していない。また帝国主義の資本の定義はもはや国境を越えた存在であり、国体国の発想の中で判断する時代ではないことを忘れてはならないが。賢明な佐藤氏のこと、何らかの思惑の中であえての発言かも知れないが・・・。
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