41年目の"出発の歌"の功罪
このサイトにお出でになる方はすでのご存知のことと思うけれど、
あくまで六文銭フリークとして、決してフォークを懐メロという視点では語らない者の
戯言であることをお断りしておく。・・でないとただでさえ敵の多い私でも、ことさら敵の数を増やすことが目的ではないので。
さて、呑気なファンサイトに7月4日のテレ東京系でジョーさんと六文銭が出演して"出発の歌”を歌う(正確には録画なので歌った)のだそうだ。正直なところ六文銭フリークにとってのこの歌は決してその代表曲ではない。勿論、上條さんもステキだし、こへさん作詞、小室さん作曲の歌自体に罪はないのだけど、あくまでこの曲はジョーさんのために、世界歌謡祭のために創られた曲で、六文銭のレパートリーとしてではない。まさにこのことが、不幸のはじまりで、知る人ぞ知る六文銭の代表曲がこの歌と定義されることで、この歌は時代のひだに囚われて懐メロになってしまったのだと思う。さすが懐メロの雄?の東テレが選ぶことはある。判りやすく言えば六文銭を出発の歌で認識している者の大半は、六文銭の本当のすばらしさを知らない連中と言い切っても間違いはないと思う。
そのことは、六文銭唯一のオリジナルアルバムたる傑作"キングサーモンのいる島"には、当然のように出発の歌は収められていない。それだけこの歌が六文銭にとっては異質な歌であるし、当時の六文銭にとってこの歌がいかに特殊な存在であったかは、彼らを1年追いかけたラジオドキュメンタリー(芸術祭大賞も受賞した)、フォーシーズンを聴くと良く判る。それは六文銭の解散を急がした理由のひとつであり、ある面TY氏と同罪なのかも。
2000年にまる六として活動を再開した時も、この歌が歌われることはなかった。
記憶違いでなければ、まる六としてこの歌が歌われたのは、実に8年後、私がまる六の追っかけをした2008年の道東ツアーの初日である釧路が最初だったと思う。この間にまる六としてこの歌をどう昇華したのかは、ご本人達にお聞きしないと判らないが、少なくとも36年後に聞いた出発の歌は、1972年のそれとは明らかに違い、ジョーさんの歌ではなく、まる六の歌になっていたことは目の前で聴いた本人として断言できる。
その意味でも、今回ジョーさんと組んで歌われた"出発の歌"は六文銭フリークとしては、素直に聴く事はできないのだけれど・・・
やはり12月の六の日は、生の六文銭に触れなくてはと思った次第。
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