2009-10-18

本当の悲しみ について

昨日からかとうかずひこさんの死を伝えるNEWSが流され続けている。
自殺だなんて。
ただ今わかっているのはそれだけ。
だから、当たり前のお悔やみ言葉を発するのはあまりに事務的でセレモニー臭さすらする。
本当ならバカヤロー、なんで死んだりするんだと怒ることが死者への最大の賛辞でないかとも思う。

だから紙面やテレビでどこまで加藤さんのことを知っているんだろうと思う輩が
ありきたりのコメントを寄せているのを見ると
嫌悪感すら感じてしまう自分がいる。

仮に伝えられるように鬱病を患われていたのだとすれば
彼の側には彼を一番知る希代の精神科医がいた訳だから
安易に病に触れたコメントも失礼だと思う、

やはり、当然のようにきたやまさんは何らコメントを発していない。
と言うより、メディアに発表する必要がないことはきたやまさんなら十分理解している
同じように身近だと思われる方の死であっても永さんもメディアにはコメントしないことは
徹底しているように思う。

コメントできるのはそれだけ遠いからなのだろう。

さて、それでは人は
一生の間に何度本当の悲しみに立ち会うのだろうか?

ホントの悲しみ・・実はそれがどのレベルのことを言うのかよく判らない。
確かに人の死に立ち会うことはそれに近いのだろうが、身近なほど悲しみが大きいのかと言えば、母の死はどうだったのだろう?悲しみが無かったと言えばそれは嘘になるけど、それよりはほぼ1年前、すでに転移した癌が見つかり、命の限りが現実となった時の方が悲しみは大きかったような気がする。

無論、身内の死でも多少の前後はあっても歳の順であれば許容の範囲の悲しみなのか?
幸いなことに妻や子供に先立たれることはないので、そこに感じる悲しみがホントの悲しみに近いのかも知れない。ただ、それさえも事故などの突然のものでなければ、そのこと自体がどうしようもない悲しみなのかどうかも判断できない。

となれば、本当の悲しみは、そう自分自身の死しかないような気がする。
どんなに辛くても
どんなにくやしくても
どんなにやるせなくても
そして、もちろんどんなに悲しくても

それを感じられなくなることが,私は一番の悲しみだと思う。

だから私は自殺は断じて肯定しない。
存在することで、感じることで,悩むことで、生きていることが実感できる。
それを自ら断つなんて、やはり私にはできない。

癌が全身を侵しまくっても
心臓がその動きを止める瞬間であっても
絶対死にたくないと本当の悲しみに感じると思う。

安らかな死なんて
ましてや自殺なんて

悲しみとは~ 悲しみとは~
何故かこへさん作詞のおけいさんの歌"初恋"の最後のフレーズが頭を駆け巡る。

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2009-10-07

記念品が届いて・・改めて考えてみた。

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先日の日記で書いたおけいさんのニッポン放送ご出演時に、
投稿したメールが採用された記念品が届いた。

と同時にその部分だけだけど放送された内容を教えて頂いた。
ほぼ投稿した内容どおりにイルカさんに読んで頂いていた。
何より嬉しかったのはリクエストした"シアワセになれる天才"を
ON AIRされただけでなく
私と同じようにイルカさんがとってもこの曲を絶賛されていたこと。

"今"のおけいさんの歌を評価されていることがとにかくうれしかった。
それだけでも我意を得たりという感じだろうか。
ここでも何度も言っている懐かしさではない,今生きる歌姫としての歌を
絶賛されるということで、おけいさんの新たなステップアップに繋がると
いいなって思った次第。

とにかく懐メロフォークはそれが好きな人と
それしかできない人達にまかせておきましょう!
そうですよね・・
おけいさんにふさわしい、もっとステキなマーケットにチャレンジしましょうよ。

って考えていた。

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2009-10-04

おけいさんが、ニッポン放送で"たまにはね"

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おけいさんのファンの方はご存知かも知れませんが、
本日4日朝7時から、おけいさんがニッポン放送に出演されました。
(もちろん録音だと思いますが)
番組はイルカのミュージックハーモニーです。
残念ながら、愛知県では聴けなかったのですが番組終了後、番組からメールが届いた。

どうやら私のリクエストが採用されたようだ。
記念品を送るので名前と住所を知らせろとのことだった。やったあ・・とは思ったものの
肝心の放送は当然聴けていないので・・
早速、番組のHPを見ると
リクエストした"シアワセになれる天才"がON AIRされたよう。
しかも、SQUAREを拝見するとイルカさんがこの曲を絶賛されたそうです。
よかった。

この曲、まだタイトルがついていない、多分最初にお披露目された頃から大好きだったものですし、今のおけいさんには一番合っているような曲で、CDに収録されただけでもうれしかったのですが、イルカさんもいい曲とおっしゃたのならますますうれしい限りです。

因みに、最初は、無題、仮称”たまにはね"と言われていた曲です。
おけいさんの詞と香真良君の曲がベストマッチです。

初めて披露されたのはOK's SQUARE 7tnでした。
その時の日記の一部を以下に。

何しろ2日前に完成したばかりとのこと、当然完成度的にはこれからだろうけど、極めてチャレンジフルな曲である。これまで比較的ラブソングでも恋人っぽいものが多かったおけいさんの詞だが、この曲は長い時間を共有した二人を歌ったものになっている。そう冒頭のドラマのシーンがなんとなく浮かんでくる。愛する者同士故の意地の張り合いは、単なる男女の恋の駆け引きとは違う何かがある。
そんな心の機微をおけいさんはシャンソンのように語るように歌われる、何をイメージされているのか、聞いてみたいような聞くのが怖いような曲だった。因みにタイトルはまだない・・とのこと。オーディエンスから思わず拍手や笑いが起きる、会場には身につまされるであろうご夫婦や片割れの姿も多かったが・・。

早く、録音した番組をききたいなあ~

更に今日は金曜日の再放送だけど、今年8月に行われた38年ぶりの中津川FJを追ったドキュメンタリーでおけいさんのインタビューが20秒程度流れていた。肝心の歌唱場面はなかったけれど・・(NHK岐阜制作で東海3県のみの放送でした。)

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2009-09-12

あこがれの場所で・・呑川緑道のように

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そこには(多分)ステキな人が生活している
大都会の片隅なのに、街の汚れが無縁のようなたたづまい

数年前まで,何度も近くを訪れていたのにその存在にすら気づかなかった
それがこの街の奥深さなのか・・

人の心も同じなのかも知れない
見えているものと見えないもの
見せたいものと隠しておきたいもの

偶然を装い何度も邂逅を試みても出会えない真実も
目の前でほほえんでいるだけなのかも知れない

きっと誰の目の前にもあるのだけれど
それを感じ取るこころの有無だけなのだと

それとも、
見えているのに見たくないだけなのか
見たいものだけ見ているだけなのか

だから気ずかないだけの方がシアワセな時もあるかもしれない。きっと。

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2009-09-03

9月になって

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結局、選挙と共に夏もどこかへ行ってしまった。
日本人の特性なのか、ことさら政治・信条に関して公に語ることを
避ける傾向があるのは困ったもので、
このあたりにも実際何を考えているかよく判らない不気味さに繋がるのかも知れない。

さて、予定どおり自民党の大敗で終えた選挙、
それでも河野太郎によれば勝ち過ぎているのだそうだ。
この政党、すでにその役割を終えていることに気づいていない連中が幅を効かせている限り、再生はないと思う。
その意味で、所謂ゾンビ制度で生き返ったのが、時代遅れの派閥の領袖ばかりというのが、彼の言う勝ち過ぎの定義ということになるのだそうだ。

それにしても、思想信条を臆面も無く出しているのが、不気味な宗教政治屋団体と右翼、左翼だけというのはいかがなものなのか?
市井の市民が普通に政治を語れないところに、この国に真の民主主義が根付かない根源があると思うのは私だけだろうか?
同時に責任逃れのお上意識も何とかしないと、今回の選挙のように、散々の状況にならないと意志決定ができないという愚を繰り返すことになると思う。

とある人が、私が政治家を批判していることを指して、私がリスペクトしているアーティストに迷惑がかかると言ったことがあるが(当然、私は自分自身の信条を発言することはあっても、そのこととアーティストと関連づけて表現したことはない)、これについては全く理解できなかった。多分、平穏に、争う事を少しでも避けたいという想いからだと思うけれど、これこそ、この国の住人の得意な事なかれ主義の典型で、何よりそんな考え方の方が遥かに私のリスペクトするアーティストに対してマイナスの印象しか与えないと思うのだけど、本当に悲しいことだと思った。ただ、これがこの国でいう大人の常識なのかも知れない。

話を戻して、
前にもここで書いたように、この国に必要なのは民主党政権ではなく、政権交代なのだけど、その意味では今回の選挙結果は第一段階としては正解だと思う。
そして自民党にも、権力の呪縛から離れると先ほどの河野太郎みたいなまともな発想ができる連中も発言できるようになるのはいいことだと思う。ただ、マンガ太郎や細田のように、何故自民党が負けたのかも理解できないお粗末な連中も生き残っているのも事実で、この政党にとっては、政権奪還以上にこの時代に必要な政党として生き残れるかどうかが、最大の問題だと思う。

無論、民主党自体もある程度フリーハンドに政策を実効できる議席を得たことは、言い訳ができないという意味で責任が重いと思う。
何が変わらず、何が自民党と違うのかを明確にしないと、来年の参議院で一院を失うことになるかも知れない。
少なくとも、最高顧問の藤井さんの話を聞く限りは子供手当も高速無料化も単なるバラマキ施策でないことは理解できる。ただ,彼が代表の党ではないので、308人の議員が同様の意識で遂行できるか否かが今後の正否を握っていると思う。

単に日本だけを見ていると判らないが、世界は行き過ぎた自由主義から、一定の平等を保証する社会民主主義へと大きく舵をとっている。
その意味では今回の民主党の勝利は、小泉・竹中のアメリカ追随、新自由主義にかぶれた結果からの揺り戻しでもあると思う。
問題は、新自由主義とは行き詰まった資本主義の最後のカンフル注射であって、アダムスミスの神の手まで金で解決しようとする思想、つまり20世紀を引っぱった資本主義自体も終焉を迎えていることだ。
66億の民と限りある資源の中で考えうる幸の最大化を図る真の21世紀思想を構築できない限り、地球全体でのレミングの集団自殺に向かうシナリオの変更はできないような気がする。

ただ,だからといって宗教屋の出る幕でないのも明らかなので念のため。
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しばしは現代芸術で、秋を感じていようかな。
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2009-08-13

24年目の夏、クライマーズ・ハイ。

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考えてみるとこの世に生を受けて半世紀、幸いなことに戦争の実体験はなかったけれどいろんな事件に出くわしていることに気づく。
最後の六文銭を追ったドキュメンタリー"フォーシーズンズ"でも1971年から72年の間に起きた事件を下敷として、こへさんが歌う春夏秋冬版の”春は日傘の"を狂言廻しのように進んでいくのだけれど、この1年の事件の密度の濃さは凄い、そんな年の六文銭、出発の歌であったからこそ、数十年の時を越えても私がその瞬間に戻れるのかも知れない。
それは同時にこの国にとっても沖縄返還、横井さんのグアムからの帰還、大久保清事件、中国の国連復帰、浅間山荘事件、成田闘争等など第2次世界大戦の残り火のような事件とガムシャラに過ぎていった戦後の復興の中での置き去りにした矛盾が一気に噴き出した時代だったのかも知れない。当時17、18歳の私にとってもほんの少し社会と関わりも感じ始めた時でもある・・実はこの年、24年前の事故とリンクする事件も起きているのだが。

時代をテーマでもある24年前に戻そう。
そんな凄い時代をすごして来たことを忘れてしまったかのように、平々凡々と暮らしていたお盆休みの夜、カミサンの実家でまだ幼ない子供達とテレビを見ている時にそのニュースは飛び込んできた。

そして更に時は遡り、現代に。
1年前、見たいと思って見逃してしまった"クライマーズ・ハイ"が地上波で放送されるのに気づいて、慌てて録画準備をしておいた。
余談だけど最近の映画のテレビで放映されるサイクルは随分早い。まあ、映画自体の出資形態がテレビ局や代理店、出版社などの委員会方式で、各社が自分のゲインだけに興味がないような,言い換えれば当ればメッケモン、ダメでも傷は浅いというという、総無責任体制のようなやり方は、果たして映画作りにプラスになるのだろうか?

まあ、そんなことはともかく早く見られる、しかもハイビジョンなので文句はあるまい。原作は横山秀夫、地方新聞記者出身で、この日航事故も取材しているのだから当然と言えばそうだが、この手の作品における心理描写、個とは違う組織の持つ理不尽さの描写の緻密さについては文句のつけようがない。監督は実録物が得意?な原田眞人、主演がJAC出身ながら何故か演技が好きな堤真一、そして(公開当時は篤姫で話題の)堺雅人ということで、この題材でなくても見てみたい組み合わせである。
いずれにしてもリアルタイムで知っている事故だけに、その時の感情、感覚と合わせどこかドキュメンタリーを見ているような錯覚を感じながら見入ってしまっていることに気づく。

映画を見て行く内に、現在と24年前、そして37年前の時代が頭の中で複雑にシンクロしている自分がいた。
映画は8/12日を起点として御巣鷹山の悲劇を報じていく地方新聞社の現場を描いていく。その現場のやり取りと見ているとふ〜っと子供の頃に見た"事件記者"のシーンが浮かんでくる。全国紙に対する地方紙、ジャーナリズムとは対極にあるオーナーの理不尽さも、決して誇張に思えないほど、活字の裏側もなんとなく想像できてしまう今の自分がいる。
オーナー白河や販売局長伊藤の姿は、理想や正義感だけに見える新聞の現場が、実はビジネスや地方の名士、権力の一端として成り立っていることを当たり前のように見せることで、現実が救い様の無い空しさの塊であることを否応無しに見せつける。
そんな中で未曾有の事件の現場に接した人間が、ある種の打算を越えてハイテンションのまま突っ走り、それでいてそのギリギリのところで一線を越えられない心情を横山秀夫は”クライマーズ・ハイ"と表現したかったのだろうか?
あるいは、それさえも越えた親子として、家族としての心の繋がりがすべてを超越するものとして描きたかったのだろうか?残念ながら原作本を読んでいない今の段階では判らない。
いずれにしても、現実の事故の記憶が、それを実経験した過去の自分とのリンクとなり、そこに描かれる人間模様にその時代、時代の自らの心情を投影することで疑似タイムトリップを繰り返しているような気がした。

主人公の悠木とは7、8歳程の差はあるけれど、なんとなく過ごしてきた時代の空気に共有感を感じた。その意味では、ひとつの映画を見たという感覚とは違う想いが見終わった後も続いている。

24年前の日航機事故、そして今の自分の起点でもある37年前に起きた事件の数々(実はこの年、雫石では自衛隊機と全日空機との空中衝突があり、バンダイ号の事故も起きており,奇妙な符号を感じるが)、そして今に至るまでにはオウム事件や9.11、ベルリンの壁の崩壊、そしてある面資本主義の崩壊、とりもなおさず成長思想の限界を明示したサブプライム恐慌まで体験すると、そこにはその先の未来ではなく,過去のターニングポイントでの違う進路の未来を考えることが必要になってくる感覚に襲われてくる。

いずれにしても、日航事故が起きたその日に、それを取り扱った(実は人の生き方、家族との繋がりを綴るためのINDEXにしかすぎないけれど)映画を見るという感覚は、何となく疑似タイムマシンに乗ってその時代に瞬間移動をしているようなものかも知れない。それは事件の現場に行くというのではなく、その時代の自分の場に戻る感覚、ある面,自分のターニングポイントに立ち戻る感覚なのだけど、実際にはやり直すことができない現実の人生とは別に、その時、その瞬間の判断で、もうひとつの別の人生に想いを馳せることができるだけ、意味があるような気がする。

24年前と37年前、少なくとも今の私の生き方の原点として、37年前の時空の旅は精神的に大きな比重を占めている中、もうひとつの立ち止まるポイントになるかもしれない。

まもなくお盆。自分自身の失われた過去にも想いを馳せる時期にもなった映画だった。

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2009-08-02

2009年、8枚目のカレンダー。

年12枚のカレンダー、今日から8枚目に入った。
日々の積み重ねより季節の移り具合で感じる時の流れも
いっこうに開けそうにない梅雨の態度に夏であることさえ忘れていた。

学生なら夏休みとか受験などで,否応無しにカレンダーを意識するのだけれど
昨日と変わらない今日が当たり前になっている身としては
自らの老いという季節を越えたロングスパンの時の流れしか能動的に感じることはできなくなっているのかも知れない。

2009年という、いかにも中途半端な区切りのない年の宿命なのかしら。
鉄腕アトムを楽しみにしていた時代に夢をはせた21世紀が目の廻りに溢れているはずなのに、夢の未来はそこにはない。

確かにパソコンや携帯電話はほんの15年程前のエヴォンゲリオンの予測よりも進化しているのかも知れないけれど、アトムの時代に夢見た未来はIT進化よりも人としての心の豊かさも進化のひとつだったはずなのに、無機物の進化とは裏腹にそれを享受すべき人の心は停滞したままなのは何故だろうか?

まさか21世紀の未来に宗教観を土台とした殺戮がくりかえされ続けることを誰が予想したのだろう?
そう、未来は思想も宗教も人種も(ホントは宇宙もだけど)越えた豊かさがキーワードだったはずなのに、進化の幅だけ格差はかえって広がってしまい、その心の隙に既存の宗教だけでなく、エセ宗教、カルトまで浸食してしまっている。現実の未来には物質的格差のはけ口として心の傷にそれはどんどん浸食し続けてしまっている。

どうしてなのだろうか?

残念ながらその答は19世紀に出ていたのかも知れない。
結局、この時代まで進化の原動力となった資本主義は実はもともと限界のある思想だった。資本主義の基本って、拡大再生産。そう、近代資本主義って際限のない市場と資源を前提としたもので、誰もが宇宙船地球号じゃないけれど、そのいずれもが有限であるという現実を知ってしまった今では、その進化の根拠を失ってしまったと言える。

実はこのことに一番最初に気づいたのは誰あろう、その資本主義の権化でもあるアメリカだった。今の不況の元凶でもあるサブプライムを発端とする金融恐慌は実は資本主義の限界を知ったアメリカの最後の劇薬によりカンフル注射だったのだ。すでにモノ作りの基盤を失っていたアメリカには軍需産業以外さしたる産業はなく、この国の最後の賭けはバーチャル資本主義とでも言える、究極の錬金術だった。金で金を生む、ヘッジファンド。しかしそのヘッジファンドの資金こそ、アメリカが国家がかりで取り組んだ金融政策だった。

すでに世界最大の債務国であったアメリカの通貨であるドル。変動相場制の中、大幅下落して当たり前なのに、当時のFRB議長(まあ,日本で言えば日銀総裁かな)は高金利政策を取って、世界中から9兆円もの資金を集め、内6兆円を国内にバラマキ、残りの3兆円を運用することで(6兆円の運用益を得る)ことで金融バランスを取るという綱渡りのような政策だった。

実はこの政策は日本の経済政策とも密接にリンクしていて、本来なら大債務国のアメリカに物を買う余力などないのだが,先ほどのバラマキ施策と相対的な作られた円安によってクルマや電気製品の巨大で実体のない市場を作り上げてしまった。

そう,金がないのにバーチャルな金に踊る市場に踊らされて、見かけの好況を作り上げたあげく、その輸出産業の失速で、本来金融不況とは最も遠いと思われた日本の受けた傷の深さは今もまだ続いている。

おっといけない。横道に大きく逸れてしまったけれど、
言いたかったのは、今回の不況は80年代のバブルの後遺症とは根本的に異なる、ある面20世紀の繁栄のつけがきた、極めて構造的な不況であること。それにもかかわらず金融緩和策で再び流動性資金を膨らませたり、バカのひとつ覚えのように、それに乗じた機関投資家の思惑のみの株価アップに不況脱出を関連づけている連中には、この不況というか経済状況から脱出はできないだろうと・・
株価が10000円を越えたからと言って、庶民感覚では景気が良くなった実感がないとは当たり前のことなのだけど。

別の視点で言えば、
いつしか人件費を原材料費同様にコストのひとつとしてしか見なくなってしまった企業ばかりになってしまったこの国にとって、収益アップの一番の要因が人件費抑制である以上、株価が上がったり、経常利益が向上したからと言って真の景況感アップには繋がらない。

年功序列はともかく、労働者の大半が企業の一員として一体化していた時代とは根本的に異なる、リストラした経営者が評価され、受け皿のない労働難民が溢れても企業さえ生き延びればいい、自己責任という耳障りのよい言葉で社会の一員である企業としての責任の放棄を当たり前のようにしてしまった今の日本において(スクラッチ&ビルドではなく、前述のようにビルドする余力がすでに無くなってしまった今では)果たして企業収益向上だけで景気向上が図れるのかということを気がついてもいいのだけど・・

こんな社会環境が根本的に変わっているにも関わらず昔ながらの企業のみに焦点を当てた政策の羅列では、逆に格差の拡大を助長してしまうことを政治家もいい加減に学ぶべきだろう。

8枚目のカレンダーをめくってみて、
その変化の無さと、出口のないことを知ってしまった世界の未来。
多分、物質的な未来は、奇跡のような偶然で地球以外の新たな惑星でも見つからない限りは本質的には訪れないだろう。
結局、それまでは形を変えたトリックのようなバーチャルゲームで時間稼ぎをするしかないのかも知れないけれど・・
真の21世紀型、シアワセの形のような物質的には少し逆戻りしても、心の進化を考える時代になってもいいのかなと、梅雨の中で迎えた8月に考えていた。

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2009-07-26

許容範囲内の感動と悲しみ、そして・・

再び赤いオクラのお話です。
比較的栽培しやすい部類の野菜だけど、効率論でみるとスペースの割に収穫量は限られます。
こんな大きな花に1個しかなりません。花は順次咲いていきますが、我が家でも10株ほどありますが、1日に収穫できるのは4〜5個程度なので仮にオクラ農家となると余程高価でないと成り立たない計算になりますね。
前にも書きましたが赤と緑のオクラは色だけ、しかし茎自体も赤いのは不思議。
花は同じ薄い黄色の大きな花が咲きます。
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※赤オクラと普通のオクラの身と花です。

さて、大竹まことのゴールデンラジオ7月16日のオープニングで紹介された朝日新聞に寄稿された辺見康の文章、主体は死刑制度についてのものだけど、ジャパネスクとして論じられた日本人論の定義に何故か釘付けになった。
時あたかも各局のネット強化月間なのかマラソンプログラムが続いている。そこで繰り広げられる"感動"プログラムを見ると、見事までに予定された"感動”を日本人に合わせて見せ物として演出されていることに愕然とした。
来月末には政治ショーと同じ日に予定されている24時間マラソンも控えている。予定調和の中の感動ストーリーもまた、この日本人論の範疇で繰り広げられるのだろう。

肝心のその日本人の精神構造について、
"概して悩む事ができることしか悩まない、耐えることができる悲しみしか悲しまない、自分の苦悩の器を越える大きな悩みや悲しみを無意識の内になかったことのようにする傾向がある"
と定義している。

問題はこの世の中に起きる悩みや悲しみの大半はこの範囲を越えているもの。
当事者になれば否応無しに自らのものになるものの、そうでなければ、そこへの想いが及ばない。及ばないどころか自分とは無関係のものとして平気で無視できてしまうことが恐ろしい。
あるいは、真の悩みや悲しみから目をそらすための道具として機能しているとしたら、その為に見失ってしまうものこそ大事なものではないかと思う。

当事者とそうでないものとの間にある断絶。
その中で完結してしまう悲しみや悩みに何の意味があるのだろう。
人ごとだからできる感動なんて、本物じゃないよね。
作り物は所詮作り物、それをあたかも現実のように演出されて、それに涙することで自己完結してしまうなんて、心までプログラミングされてしまっているようで、たった1回限りの人生をフィクションで生きるみたいで、どうにもやるせないし、少なくとも私の人生ではあって欲しくない。

そんなことを考えていたら、
大雨と
雷と
スコールのような豪雨の合間に
天使のように舞い降りた蝶の姿があった

でもあの突風と豪雨をどうやって避けているのだろうかなあ。


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2009-07-15

北海道のカラスに関する教訓2

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※これレンタカー村の航空写真です。全部レンタカーの会社です。

日帰り仕事で北海道へ行ってきた。
朝9:00の飛行機で新千歳空港へ
実はこの季節、北海道はレンタカー天国となる。

千歳空港のすぐ近くに広大なレンタカー団地がある。
すぐ近くと言っても広大な空港のこと。実はこれが悲劇のはじまり。
空港には空港内のカウンターで手続きをすると各レンタカーのマイクロバスが
そのレンタカー団地へお客を運んでいく。
その数、トヨタレンタカーから日産、本田、マツダのメーカー系にニッポン、オリックス、Jネット、ジャパレンなど考えられないくらい空港と団地を往復している。

今日の仕事はその団地内。
基本的に空港からは予約した者しかこのバスに乗れないので
タクシーも近すぎて怒られるかなあって,時間もあるから歩くことにした。

これが悲劇の二つ目

広大でまっすぐで広い道を例のレンタカーバス、タクシー、勿論大型観光バスが札幌方面にめがけて走っていく。同じペースでレンタカー団地から帰る客を乗せた各社のレンタカーバスとやタクシーが空港へ向かっていく。

そんな中、私はレンタカーバスの向かう先を目印に広い歩道を、歩いていく。
只でさえ人が少ない北海道で、空港エリア、まっすぐのびる歩道には,否視界が効く360度見渡してもクルマ以外の人影は見えない。

30分位歩いただろうか?
荒野を進む(そう空港エリアということで道の廻りには木陰さえない。あるのは高さ3m以上の街路灯のみ)感じで一向に進んでいる感覚がない。
周囲が明るすぎて携帯のナビ画面が見えないので自分の位置も確認できない。

北海道とは言え日差しは強く、う〜んこの辺りが潮時と思い、歩道横の2mくらいのグリーンベルトを横切って道路脇まで行って空車のタクシーでもいないかと探ってみた。
しかし、当然だけどそんなタクシーは皆無で、歩きながら見つけることにした。

仕方なく歩いていると,突然頭に衝撃が!
えっ何って思って後方を見ると、黒くて大きなカラスが再びこちらに向かってくる。思わず頭を抱えようとする間もなく第2波が襲ってきた。"痛っ"
人間なら何するんだよう!って言うところが、カラスに通じるはずもなく、
第3波、4波と合計4発の爆撃を食らってしまった。
幸いというか衝撃の感覚から、あの鋭いくちばしではなく、何本かの足の感覚があったので足蹴りのような感じなのか・・

何これ、
ヒッチコックじゃあるまいし、
どうみても野うさぎや鼠には見えないでしょ?
とにかく襲われた理由は判らないけれど、変な恐怖が残っている。

すると、まさかこの様子を見ていたわけじゃないけど,空港へ向かうタクシーが急停止した。このチャンスを逃すまじと大きく手を上げると、タクシーがバックして戻ってくる。
"やった。助かった!。これこそ地獄で仏だ"とタクシーに乗り込んだ。
"すいません、本当に近くて申し訳ないけどレンタカー団地へお願いします"
すると初老の運転手さんは"よかった!12時50分までに空港へ行かなくちゃいけないので、遠くへ行ってくれって言われたらどうしようかと思ったんだ。"と続けて"いや〜、こんなところをスーツ着た人がひとりで歩いているんで、おかしいなって思って止まったんですよ”とも。
まあ、それだけ私の行為はこの地では常規を逸した行為だったみたい。

実は団地まで950円。約3km近くは歩いているから、空港からの距離は5Kmはあった計算になる。歩かなくてよかった(ホッ)
目的のレンタカー店に着くと、このタクシーを待っていたかのように一人の方が"運転手さん、空港まで急いでいってくれ"って乗り込んでいった。シャトル便は5〜10分間隔で運行しているから、こんな所にタクシーなんてめったに来る事がないはずなのに・・
くだんの運転手さんは私の方を見て、にっこり笑って手を振って空港へ向かっていった。
そう、情けは人の為ならず。空港へ空車で向かうはずが、2人もお客をロス無しで拾えたのだから。

皆さん教訓です。
困ってそうな人がいたらまずは助けると、いいことありそうですよ!?

さて、カラスの襲撃の理由は・・・
あの運転手さん曰く"今ねカラスの巣作りの最中だから、お客さんが巣を荒らしにきたと思ったんじゃないかな?何せ、クルマにも襲ってくるくらいだから"ですって"

ここでもうひとつの教訓。
北海道では荒野の一人歩きは危険です
。 ですか?

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2009-07-07

たなばたの日 おけいさんの初CDについて・・

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今日はたなばた。
2年前の七夕はおけいさんのライブで茅ヶ崎へ行っていた。
茅ヶ崎は平塚の近くということもあるのか、結構賑わっていた思い出が蘇る。

あれから2年しか経ってないのか・・
正直、CDを出すだけならライブ盤でも、インディーズでも出せるし、何よりこのすばらしさを
この場に立ち会えない多くのオーディエンスに知らしめることの方が重要だと考えていたのだが・・そんな我々のせっかちな想いをよそに
おけいさん自身はずっと期が熟すのを辛抱強く待っているように思えた。

そして明日8日には待望のおけいさん初のソロCDが発売される。

そんな意味でもこのソロCDの発売、おけいさんの夢のひとつであるのは確かだろう。
とにかく、この歌姫ときたら、
こんなにステキなパフォーマンスを我々に魅せてくれるのに
どこまでも謙虚で、ご自身の魅力にはなぜか懐疑的な感じがしてならない。
そんな彼女にとって、
ご自身のパフォーマンスがCDという形で記録されること、
メジャーレーベルから発売されることで
唯一自らの価値を確信できるのかも知れない。

勿論、我々にできることと言ったら
心からリスペクトすることはできても、
その想いを具体的に伝える術をもたない。
ライブに集うこと、声援や感動の拍手を送る事はできても
彼女自身に自らの魅力を納得させるにはあまりに無力のような気がする。

30数年前、六文銭としての1枚のLP
六文銭としての出発の歌
メモリアルとしての2枚のLP
・・・
そして
28年振りに再開した活動での2枚のCD

確かにそれは彼女だけの魅力の証ではなかったのかも知れない。
そうじゃないですよ!それらはすべておけいさんあっての
魅力なのですよって言ったところで、彼女自身を納得させるだけの
言葉も力も持ち得ていない。

そんな意味でも明日発売される"初恋"で
歌に、そして歌う事に恋したおけいさんが自らの魅力を確信して頂けるのなら
我々は、少なくとも私はどんなにうれしいことだろう。

そう貴女は本当にステキな歌姫なのです。
歌う事で、その場にいるだけでどれだけの心の安らぎを与え、
遠い記憶を瞬間に時空を越えて蘇らせることができるのかを
そんな魔法の歌声を、あらかじめ与えられた天賦の才能であることを
どうか確信してください。

そして同時に、貴女自身の魅力は
CDの中だけに留めることは到底不可能なことであることを。

たなばたは1年に1度のめぐりあいかも知れないけれど
このCDは30数年目にしてはじめてのおけいさんのマイルストーン、
ただ、おけいさん、これは決して目標ではないですよ!
単なるはじまりにしかすぎません。
貴女自身がご自身の魅力を確信して、より多くのオーディエンスに
魅惑の歌声を伝えるスタートなのだと思います。

たなばたの日に願いを込めて。

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2009-06-29

だいえっとの真実?

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※ダイエット後の体重と体脂肪率。
実は半年以上前からダイエットに取り組んでいます。

私の姿をご存知の方からは"痩せてていいね"言われることはあるんですが、
自分自身としては、18歳の頃の体型に何とか戻れないものかと願っていたんです。

くどいくらいに書いた、おけいさんや六文銭'09の皆さんにお会いして、
10代と時空が繋がったと言っているのに,鏡に写る己の姿を見て脂汗タラ〜リでは片手落ちのような気がして・・ネ。

お会いになったことがない方には信じられないでしょうが、おけいさんときたら、信じられないほどの若さと美しさ、スマート&スタイリッシュ、どうしてこの方がお姉様なのかと、横目でちらり見する同居人の姿からはとても同じ生物とは思えないお姿なんです。

しかも、お聞きするところにによるとおけいさんは120歳まで頑張るとのこと。同じことを桃井かおりさんも言っていたって?、正直、今のお姿を見る限り、あながち冗談とも思えないのです。

おけいさんが120歳なら、こちらも頑張らねばなりません。時の流れにまかせて怠惰になった体型も、心&精神同様10代に戻して、しっかり追いかけねばと思った次第。

因みにおけいさんの若さの秘訣は毎日欠かさぬストレッチとか!?
無論、ものが違うのでそれだけで若さを維持できるはずもないですが。

さて、取り組む前の数値は175cm/体重67kg/体脂肪率は20%前後。 ウエスト80〜81ってところです。まあ、年齢的には中肉中背平均値ってとこでしょうか?

とは言え、特別なことをするわけではありません。
主体はテレビで見た骨盤回し&腹筋ストレッチです。時間にして朝晩5分+α、それ以外には特にスポーツをするわけでないので、とにかく継続だけは心かけました。

しかし、数ヶ月は全くと言っていいほど変化なし。わずかにお腹廻りのゆるみが少し変わったかなっていう程度です。
更に問題は、野球好きの山岳部だったせいか、体重以上に腰回り&太腿が大きく、上着がY体でもパンツは1サイズ大きなものでないとという感じなのです。

しかし、やはり継続は大事ですね。
朝、朝食後に骨盤回し左右50回、八の字回し50回、仰向けになっての骨盤踏み込み50回に腹筋10回のセット。
お風呂の前に骨盤回し左右50回、八の字回し50回。
そして寝る前に再び仰向けになっての骨盤踏み込み50回に腹筋10回、但しこれは居眠りしてよく休んでしまいます・・。
それでも、なんだかんだで半年以上は確実に続けてきました。

変化は突然?やってきました。
クールビズ用にジャケットとパンツを買いにいった時に、いつものA6体のパンツ、ウェスト82cm用をはいてもどうもしっくりこない。数年振りにプロにウエスト計ってもらったら"77cmしかないですよ"ですって。ええ〜10代のウエスト76cmにニアミスじゃん。
どおりで最近ジーンズが緩んでくるなって思っていたけど・・

そして、リフォームついでに体脂肪まで図れる体重計を購入して・・
体重62.1Kg 体脂肪15.1% エ〜っていう感じです。
予想を上回る効果です。
となるとこれをどう維持するか?
そうしないと購入したパンツが今度は履けなくなってしまいますもの。

ところが、です。
好事魔多しとはこのこと。と言うか、
前の会社の時、20年近く仕事を一緒にしていた知人、
彼も当時の会社を辞め、独立して同じような仕事をしていたのは知っていたのですが、そう彼はおけいさんと同じ年のはず。
実は数ヶ月前に偶然駅で見かけたのですが、顔は土色、生気が感じられなくて結局、声もかけられなかったのですが、今も時々合う共通の知人に"彼大丈夫なの、肝臓かどこか絶対やられているよ"って話していたのですが・・

数日前、その共通の知人から、その彼が"喉頭癌で、転移までしている"そうだ"酒を飲むのにも喉が痛くてようやく医者に行って判った"とか・・
彼らしいというか、昼間から酒をのみ,ヘビースモーカー&麻雀好きで不規則な生活習慣だったけど。彼はある面、自業自得だけど、婚約パーティを企画した身としては奇麗な奥様と成人しているとは言え、ひとり娘のお嬢様が気の毒で仕方ない。
話では、地元の総合病院では手に負えず、休み明けには癌センターへ入院するそうだ。

その話をカミサンにしたら、
"あなた、ダイエットしたって言ってたけど、癌じゃないの?"ですって。
余り健康すぎても心配されるみたいです。

でもね・・
といろいろ考えさせられる夜でした。

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2009-06-05

再び巡礼の旅へ・・

GW明けから始まった40年振りの母屋のリフォームも予定より2、3日の遅れでようやく完了しました。
・・と言っても外壁などの塗装だけは残っていますが,生活空間は一新されました。一時避難の荷物を少しづつ戻しながら週末にかけてもとの生活に戻していきたいと思います。しかし、最近のリフォームの凄さというか進歩をいろいろ垣間みることができて、興味深いものでした。基礎から内装、カバー工法によるサッシや玄関ドアの改装、対面キッチンやユニットバスまで3週間程度で全部こなしてしまう手際良さ、しかも解体工事の途中で床面高さを変えてしまうフレキシビリティには(しかも予算変更無)驚くばかりです。
以上、殊勝な同居人としての行いに免じて、再び北の大地への巡礼の旅のお許しを頂戴しました

昨年3月、まだ春遠い道東から札幌まで,当時の"まるで六文銭のように"のライブを追っかけました。海霧に煙る釧路、突然の大雪の鶴居、このユニットで多分初めて歌った"出発の歌"は帯広のメガストーンでのことでした。そして六文銭'09のメンバーとなったゆいさんが当時はマネージャーとして介護?の旅を続けている中、初めてまる六プラスでステージに立ったいざ拓のライブにも立ち会うことができました。

あれから、本当は1年ちょっとしか経っていないのに、ゆいさんが正式に加わり、まる六から六文銭'09に進化し、新しいCDも発売され、そして何より7月にはおけいさんのソロCDが発売になるなど、どんどん時代が流れています。
そして、本来なら6の日には何があっても参加しなくてはいけないのですが、リフォームの関係で行けないのです。行けない口惜しさを解消するという、カミサンにしか通用しない言い訳で、北の大地の旅立つことになりました

今回は日程の都合で2ヶ所だけですが、
函館山の頂上と小樽で六文銭'09の迫真のライブに参戦したいと思います。
多分、これからも続く巡礼の旅。
今回も忘れられない旅となりますように。

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2009-05-23

やはり、初恋だったのか・・

すでに旧聞ではありますが、
大好きなおけいさんの、ファンだけでなく
何よりおけいさん自身にとっても念願のオリジナルCDの発売が決定しました。

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おけいさんが再び歌の世界に戻られて9年目、
Uさん達のご尽力でソロとして歌い始めて4年目の2009年、
ライブにお伺いして、六文銭時代の歌だけでなく
スタンダードとも言うべきステキな国内外の歌を
おけいさんらしく歌われるのに接する度、
おけいさん自身や当初のサポートギタリスト木村香真良さんが創った
オリジナル曲に触れる度、
このステキな歌姫の魅力を、底知れぬパワーを
この場にいないオーディエンスに伝える術はないものかと考えたり、
逆に、このステキさ、透明感を冷たい銀盤に押し込めることで
そのすばらしさが本当に伝わるものなのかと考えたり、
勝手なジレンマに想いをめぐらす日々を重ねていました。

確かにまる六として、六文銭'09として、その存在感の確かさ、
留まる事の無い進化を目の当たりにしてはいましたが、
それとは違う、ハーモニーの核としてのすばらしさとは
ベクトルの異なる魅力はソロならではのものだと思います。
少しばかり自らの趣味を優先させれば、
猫とのジョイントでのソロパートとも明らかに違う魅力があると思います。

少なくとも昨年、多分、ご本人を除けば一番多くソロの歌に接することができたという
小さな自負でも断言できます。
ソロのおけいさんの魅力は、ありとあらゆる前提条件、過去の記憶や経歴をどがえししても、今、この瞬間の私に時代に必要な歌として響いて、滲みてくることだと思うのです。

30数年前、六文銭時代の1年間の記憶は、一番多感な時代の私自身にとっては初恋のような記憶なのかも知れません。恥ずかしながら、同じ時代、今まで一番、心焦がした(カミサンゴメン!)彼女は偶然なのか名前は"KEIKO"でした。ただ佳き子のおけいさんとは異なり、能面のような桂の子でしたが・・。その意味では二つの初恋の記憶が、その後今に至るまで私の心を支配してきたのかも知れません。

ただし、多くの常識でいえば、初恋の記憶はその瞬間だけに存在することで意味を持つのですが、おけいさんの場合は、30数年後にお会いして、瞬間に時空の壁が無くなったように、10代のあのままの想いが、佳き思い出ではなく、現実の生きた夢物語のように続いていたことを証明してくれました。この感覚は、結果として10代の私自身の存在証明をして頂いたようで、その後の汚れた、小賢しくなってしまっている自分は本当の自分ではないよって、叫びたい想いを叫ばなくても、ここにいるよって優しく諭していてくれる感覚だと思います。
もう、ひとつの初恋の記憶の方は、例の名古屋駅事件以来30年、今まで一度も巡り会うことなく過ぎていっています。多分、こちらは30年前のままの記憶としておく方がいいのだとは思いますが・・

そう、そんなおけいさんの初CDのタイトルが"初恋"だなんて。
何故か、私には、初恋のままでいて良かったんだよって、
初恋の対象で間違っていなかったんだよって、
やさしく肩を抱かれているような気がしています。

2009年7月8日。
何故か七夕の翌日、年に一度の再会の後でもずっと甘酸っぱい日が
続くように、そんな日になりそうです。

ただ、どんなに解凍技術が進んでもCDはあくまで瞬間冷凍食品です。
そのすばらしさに少しでも気がついたなら、是非、生のおけいさんの
素晴らしさに触れて欲しいと思う今日この頃です。

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2009-05-06

ロックの神?とフォークの・・三昧のあいだ。

忌野清志郎が亡くなって、いろんなコメントが飛び交った日が過ぎていった。
三浦友和が同窓だったというのは知らなかったけど、考えてみると彼の死のことがこれほど多く語られるというのは不思議な気がする。

ほんとかいなと思うほど多くのコメンテーターが彼のことを語っているけど、正直どれほど知っているのか?所詮、タレント要覧に目を通し、聞きかじりの知識で判った風にしたり顔で語る姿に嫌悪感をどれほど感じたことか?
"あれっ、あいつ一度も話したことないけど"って、宝くじが当ると急に知り合いが増えた感覚で苦笑している清志郎さんの姿が目の浮かぶようだ。

THE GOD OF ROCKと言われても、あの時代のアーティストは反体制であることがその存在証明みたいなもので、そもそも彼がロックなのかフォークなのかと問われれば、私の中ではフォークの領域だと思うし。何より60年代後半から70年代においては、フォークであろうがロックであろうが、その後の造語的意味とは異なり、既存の音楽に対するアンチテーゼとしてのニューミュージック、新音楽という領域での区分にすぎないのだと思う。

あるいはそうした大きなジャンルからやがてそれ自身が既存の音楽のひとつとして体制そのものとなったものもあれば、その意味のままの存在として今に繋がっているものもあり、はたまた精神はそのままにアコギからエレキギターに代わり、ベースやドラムスという編成の違いだけでロックと規定するのもどうかと思う。

基本的にはジャンルで区分するものではなく、彼の音楽は何かと問えば、デビュー以来変わらぬ忌野清志郎の音楽というべきで、あまたジャンルの枠に収まることでしか存在できない多くのフォークシンガー、ロックミュージシャンとは区別すべき存在だと思う。
更に言えば、音楽はすなわち表現手段にすぎず、歌の成り立ち、テーマのみで定義するのではなくアーティストの想いなり精神性、生き様をどう評価すべきかが,本来問うべきものだと思う。

平和や核の問題を語るのは何も破天荒で反体制だからではなく、人として守るべき家庭というか家族を大事に思う心がその基本になくてはならない。歌のために家庭や家族をも顧みないというのは大きな偏見で、愛するものがあるからこそ、それを守るために社会正義を大切にするのだと思う。
その意味では清志郎さんはブレはないように思うし、それが魅力のひとつだと思う。ただ一般的には、年を重ね、そんな世界に身を置いている中で変わらないままいることは、一時的に反抗したり,アウトローぶることと違ってその何倍も何倍もエネルギーというか信念がないと続けることはできない。

私見だけど拓郎の場合は、瞬間の、誰もが同じように反発した中での存在感が大きかっただけで、その後の生き様の中でそれが維持されているとは,残念ながら思えない。そしてその後を見る限りは彼が目指したのは新しいPOPスターだったと言ってくれる方が余程納得がいくし、時代を敏感に感じ取るすぐれたPOPメーカーとしては(ある面、ユーミンに通じるけれど)十分に尊敬に足る存在だとは思うのだが・・

そんな拓郎を自らの体験、懐かしの存在に重ね合わせてリスペクトする想いに何の疑問はないものの、清志郎をGOD OF ROCKとして評論する基準でフォークの神様なりの形容詞であがめ奉ることには全く同意はできない。
まあ、勝手な推論だけど彼自身もPOPスターの称号には異論はなくて、でも不世出のフォーク歌手なり、フォークの貴公子、神様という称号はファンの自らのあこがれとする偶像でしかないように思っているのではないかと・・。少なくとも拓郎は清志郎より相対的な位置ではジュリーなり御三家、裕次郎に近い匂いを感じるのは私だけだろうか?その違いは彼自身というより背負っている時代を異にするオーディエンスの違いの方が多大きいのかと・・。

そんなことを考えていたら、5月5日はNHKお得意のまる事拓郎三昧の日を繰り広げていた。まるで例の年末の歌番組の目玉にと狙うために媚を売っているように、田家さんを使ったそんな想いに迎合するようなべったりの解説で・・。
せめて1コーナーでも、同じ時代を生き抜けた清志郎さんの曲を流せば、救われたのにと思った子供の日だった。

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2009-04-18

愚か国のマンガ太郎は・・

最近の出来事を追っていくとこの国の国民であることがはずかしくなる。
裏返せばそれだけ呑気でいられる分余裕があるのかは知れないが、
日本人がガザに放り込まれたら誰ひとり生き残ることができないのではないかと思えてくる。

私の基本スタンスには何の変わりもない。
反権力ではあるが思想的な偏向はない。強いて言えば真の平和をめざす自然主義、あるがままを大切にするということで、どっちつかずの中間でもない。まあ、思想なんてつまるところ人間が自らを定義したくて考えたもので思想の後に人があるとは思えないので・・

まあ、自民と民主で何が違うかは難しいところ、権力を持つか持たないかの方が定義しやすいのは確かだろう。仮に民主が60年権力を握り続ければ今の自民と同様の末路を辿ることにも疑問はない。但し、現状という認識の上では、自民という鎧を最大限活用して自己保身を最大の目的とする妖怪のような官僚組織をこのままにしておくことがこの国にとってメリットがあるとは考えにくいのも事実だ。そしてそんな官僚連中にとって何が困るかと言えば小沢が権力を握ることなのは明白である。その1点だけで、政権交代させることがこの国にとってベターだと思う。何より大切なことは、官僚支配からの脱却であり、それを成し遂げた上で定期的に権力の移行を繰り返すのが、この支配されたい(自分で考えることができない)症候群の国民が真の民主主義を手に入れる唯一の方法だと思う。
自民であれ、民主であれ、無論他の政党(但し新興?宗教が生活より大事なところは願いさげだが)でもかまわないけれど、民主主義の本質を得た国民の支持を得るよう切磋琢磨すればいいと思う。

さて、それでも権力を握り続けたい自民+官僚が繰り広げた(そしてまんまともうひとつの権力であるメディアも加担してのせられた愚か国の国民の)悪知恵を検証してみよう。

日本の景気が半年でオセロのように裏返ったように
倒壊寸前のマンガ太郎が突然息を吹き返した過程を追っていくと

小沢公設秘書の逮捕 実はこれにも伏線があって、小沢スキャンダル探しに躍起になった中、次回総選挙で小沢選挙区から自民公認で出る元秘書のチクリを発端に西松ラインをほじくり、小沢が表金として処理したものの記載内容に目をつけて無理矢理逮捕して起訴まで強行した。確かに記載内容に問題があったのかも知れないが従来なら過去に遡って修正することでおとがめ無しにしてきた案件である。小沢は表金として処理することで問題ないとの判断しており(これは疑義がないということではなく、ザル法であっても、法に触れないように処理しているということだが),だからこそ公設秘書を会計責任者にしていたというわけだ。検察は懸命に国策捜査でないことをアピールしながら、御用記者クラブを使ってグレー情報を垂れ流しリークし世論操作を行った。いい悪いを別にして,法治国家である以上グレーでは逮捕できない。しかしグレーであることをリークしてグレー=悪者であるという環境を造り上げた。愚か国ではこの程度の世論操作で簡単に状況を変換できるわけだから、権力は一端握ったら止められないということだろう。

これを国策捜査かどうかと言えば、多分違うだろう。但し、漆間に代表される検察官僚が官僚全体の利益保全とマンガ太郎に対する論功行賞というか恩をうることでより御しやすくするのを狙って働きかけたのは間違いないことだと思う。唯一計算違いは無理矢理でも逮捕すれば何か出てくると踏んでいたところが結局何も出てこなかったことだろう。出てくることで不当逮捕という避難をかわそうとしたのは明らかだ。
そこで慌てて二階を人身御供にして、逮捕の正当性を確保しようとしたものの、そもそも目的が違うため、二階を逮捕することもできず時間稼ぎでお茶を濁すことになったことか。
ただ忘れないで欲しい、小沢はあくまで表金の記載ミスなのに対し二階に代表される自民の連中はすべて裏金疑惑であることを。どちらが質が悪いかは言わずもがなだろう。その意味でも、今回の検察の動きは小沢潰しが主目的であったのは間違いなく、本質に迫れば自民が困るわけで自然消滅が一番都合がいい訳だ。これに騙される愚か国の国民も救いようがないが、その片棒を担ぎ続ける御用メディアは一番罪が重いと言わざるを得ない。

そしてマンガ太郎の目くらまし第2弾が、お得意の北朝鮮ネタである。
拉致家族の方々には申し訳ないが、露払いはキムヒョンヒである。完全に過去の人、彼女より最近まで北朝鮮にいた拉致被害帰国者がいるにも関わらず彼女に何を語らせようというのか?完全に愚か国の国民に北朝鮮という悪の存在を印象つけることが目的だろう。

そしてあのミサイル騒動である。確かに意思決定過程の不透明さが不気味である北朝鮮が大陸弾道弾にもなりうるロケットの実験をすると聴けば、すわ核ミサイルかなんて思うのもわからないではないけど、少なくとも北朝鮮はロケット実験であることを国際法に基づいて公表している。つまり危険が及ぶ空域への侵入を避けるように案内している。まあ、そんな危険な可能性のあることを避けるために国際社会がなだめてきたことも事実なので、それに対する裏切りとして非難することは可能だろう。こころがマンガ太郎と来たら、ここぞとばかり射程が異なる迎撃システムで撃ち落とすなんてホントにマンガみたいな発想でイージス艦を向かわせたり、あたかもロケット=ミサイルが日本本土をめがけて飛んでくるようなアジテーションで危機感を演出していた。

これもまた御用メディアがこのはったりに載って同じように騒ぎを演出することで、あろうことかマンガ太郎を悪に立ち向かうヒーローのような扱いで盛り上げていくのだから質が悪い。
お粗末なのは、いつどこで発射する可能性が高いことまでわかっていながら、発射誤報を流す低レベルで、本当に軍事的な狙いで発射されるミサイルを感知などできるはずもないことを露呈してしまった。
これさえも糾弾できない日本のメディアって何のために存在しているのかわからなくなる。
これから種子島で発射されるH2ロケットも北朝鮮からミサイルとののしられても返す言葉はなくなると思うのだけど如何に。
およそ科学技術なんて戦争と平和の両面があるのは当然のことで、問題はそのものではなく、それを使う人的問題であることを今一度冷静になって考えるべきだと思う、

果たしてマンガ太郎の猿芝居にまんまとのって、支持率がアップするのだから、情けないというより、日本国民の一員であることが恥ずかしく感じる今日この頃ではある。

こうなるとマンガ太郎及びそれを御しやすいと隠れ蓑にする官僚組織が悪なのか
そんな自明の論理さえ理解できない愚か国の国民が馬鹿なのかがわからなくなってきた。

そう言えば千葉にも中身の無さではマンガ太郎に劣らない知事が生まれたけど・・

本当にこの国って奴は・・。

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2009-04-11

生と死と。

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人は何のために生きるのか?って今更のテーマですが、
結局のところどう死ぬかにかかっていると思います。
つまり、どう生きたかの評価なんて死んでからでないとわからないというか、
命がある間はその生は生きている本人のためのもので、それを他人がとやかく言っても仕方がないと思うのです。
それが死んでしまうとそれは本人がどう思っていたかは関係なく、本人以外の評価がすべてになるのかなと思うのです。
日本人が好きな桜もパッと咲き、パッと散る姿に共感すると思うのですが、その桜がなんのために咲くのかと言えばその後葉が出て実をつけるためだと言えば、何となく散るまでが人生だと思っている人の性とは異なり、実はその後が本当の生き様、ある面、死に様の方が大切だと思う今日この頃です。

日本では年間3万人もの方が自ら死を選んでいると言われます。ただこの3万人は遺書なり対外的に自殺と思われたものであり、例えば自宅等で無くなった場合、残された家族のために呼ばれた医師が下す診断は"心不全"となる病死が大半であるのが現実です。ある方によればこうしたものも自殺に加えれば、実質日本の自殺者は年間10万人にも及ぶと言われています。

そう3万人でも驚異的な数なのですが10万人となれば、戦死者としても多すぎる数だと思います。無論、その選択の原因は様々、最早死を待つだけの状態での無常観からのものがあるとしても、自ら選ぶ死というのは私にとっては全く理解の外にあるものです。誤解を恐れず言えば死を選択する人は殺人者と同意のような気がします。つまり死を選択した感情なり意志なりは少なくとも永遠のものではないと思います。仮にその時の想いがどんなに重いものであったとしてもその命というのはその人のすべて、仮に30歳だとしても30年間すべてではないはずです。つまりその瞬間の想いですべての命を断つことは、その瞬間だけで命ではなく、そう思わないで過ごしてきた自分自身を殺す権利はやはりないような気がします。その意味では殺人です。間違いなく・・

多分多くの方がそれはお前が恵まれているからだと言われると思います。確かにそうなのかも知れません。でもね、私は今、この瞬間、自分自身が時間の一部として存在していることは凄いことだと思うのです。しかもそれは自分だけの力ではどうしようもないこと、それは生物学的なことだけでなく、自分を取り巻く人の輪、関わった人々のすべて、環境があって存在している訳で、それ自身はありとあらゆる偶然ときっかけの組み合わせの結果であり、その瞬間は2度と再現できないものなのです。そんな凄い瞬間を意味なく断つほど人は大きな存在でないと思うのですが。

そして何より命があるということは、その瞬間、奇跡の連続がこれからも続いていくということで、そんなすばらしいことを何故自ら止めることができるのか全く理解できないことだと思います。つまりあなたの命はあなただけでできている訳でないことを理解しなくては。
だからこそ、他人によってその命を断つ殺人はどんなことがあっても許されないことであって、戦争も同様に他人の命を断つという意味で全く許されることではないのであり、それはすべての宗教、思想以前の定理だと思うのです。
その意味で、どんなに辛い、絶望よりも大事なものが命でなかれば、そんな人は殺人を肯定しているのと同じといえば言い過ぎでしょうか?。

実はつい最近、近しい人が自殺しました。仕事や家族を残しての死でした。多分人には言えないほどの訳があったのだと思います。でもあえて言います。でも死ぬことはなかったと。死ぬことで解決することなんてないと。死ぬ事より価値のある命は無限にあることを。

かく言う私は、小学生の頃に絶対死にたくないと思いました。
この時空の中に存在していたいと願っていました。
それは、地球や太陽が何十億年という寿命を経てそれ自体が存在しなくなることを最大の恐怖として感じた時でした。そのことで自分が存在していたこと自体が無くなってしまうことが理解できなかったのです。
永遠の命、それもまたあり得ないことですが、少なくとも今、この瞬間は自らが老いて亡くなることは全く意識していません。今、この瞬間に生きていること、存在しているこのを最大の喜びとして過ごしています。変かなあ?

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2009-03-29

まつりのあと・・

まもなく3月も終わり、ある面燃え尽き症候群のようになっていたけど、季節の歩みはそんなことおかまい無しに進んでいく。

日本では二人のイチローが話題の中心だった。
何も小沢一郎をかばうつもりはないけど、少なくとも政治資金規正法の記述不正による起訴しかできなかった時点で検察はあくまで恣意的な逮捕であったことを認めたようなものである。国策捜査とまでは言わないが、また小沢一郎の持つうさん臭さも否定はしないけれど、法治国家である以上イメージで人を裁くことはできない。しかし、今回のことは結果として微罪(そう、これまでなら記載ミスということで修正するだけで済んでいたレベルの容疑である。検察はくるしまぎれに金額の大きさ等を述べているが、少なくともこれまでの経緯で言えばもっと大きな金額であっても逮捕まではしなかった。)で、逮捕/起訴に至る事案でないことは法務関係者の間では常識だと思う。仮にこれをきっかけにもっと大きな犯罪を狙っていたのかも知れないが、それができなかった時点で検察の負けである。と同時に明らかに功を焦った勇み足であることを認めるべきだろう。少なくともその影響の大きさを考えるならば。
更に問題なのは、まるでメディアの連中も政権交代を望んでいないかの如く、小沢側に不利な情報というか、権力側が垂れ流す情報を鵜呑みにするだけで、その意図、裏側をえぐろうと言う気概さえもないのは情けないというより怠慢以外の何者でもないだろう。

漆間官房副長官の事件など、明らかに権力とその記者クラブという御用組織との癒着以外の何者でもないだろう。中川ヨッパライ大臣の時もそうだが、権力側に擦り寄り、情報を頂戴する以外何もできない奴らにはジャーナリストを語る資格はないと思う。少なくとも今回の小沢公設秘書が逮捕されるのなら、自民党は元より野党も含めて大半の議員も同罪、大同小異のレベルのはずだ。
今ここぞとばかり叫んでいる自民党の連中は、まさに天に唾するようなものだと思う。

案の定、60年続いた日本の衆愚政治は、これで官僚連中の支配から逃れる最大のチャンスを無くしたかも知れない。そう、漆間も警察官僚出であるのと同様に検察もまた官僚組織の一部であることを忘れてはならないと思う。

誤解があるといけないが小沢が潔白と言っているのではない。民主党政権が大事なのではなく政権交代が大事なのだ。権力構造が定期的に変わることでのみ腐敗する権力を防ぐことはできない。いろいろ問題があるアメリカだけど唯一認めなければならないのはどんな大統領でも2期8年が最長であるということだろう。しかも大統領が変わると一部の下級官僚以外はすべて総取っ替えになる。つまり悪事を働いてもと8年後にはバレてしまうということだ。だから少なくとも権力内にいる間でも不正はできない。それくらい人間って弱いものだということであると思う。

果たしてマンガ太郎はほくそ笑んでいるみたいだけど、馬鹿でも勤まるほど呑気な世界情勢ではないことは間違いのない所だと思うけど・・

さてもうひとりのイチロー。そのカリスマ性がはがされる寸前で、また伝説になってしまった。それもまた運のひとつに違いない。このスーパースターが色あせないのは、期待以上はないかわりに、期待には十分応えることだろう。日本に数少ない天才のひとりだ。確かにWBCが野球の最高峰かどうかは疑問だけど(MLBの人材発掘オーディションとも言われるが)日本人の趣向には会っているのだと思う。

続いて重要で、かつ残念なニュースである。
以前からラジオの時代と書いてきたのに、この3月で7年続いたTBSのストリームが終了してしまった。小西克哉とマッピーのコンビで、報道のTBSの名残を残す希有なプログラムだったのに、TBSはずっとラジオ部門ではダントツトップだったのに、この経済不況が足を引っぱったのか?少なくともその報道姿勢が気にくわないという理由だったら、TBSもすでに死んでしまったことになる。ラジオ、テレビを通じても昼のストリーム、夜のアクセスが唯一TBSらしい番組だっただけに、この番組終了はあまりに痛いと思う。

なんとなく1982年のパック終了の悪夢の再来のようで、これ以上メディアが大本営発表の情報を垂れ流す金太郎飴みたいな時代にはなっては欲しくないと思う。

最後はうれしい、でも少し微妙なニュース。
週末から始まったF1からビックニュースが飛び込んできた。なんと開幕のオーストラリアGP予選でブラウンGPがフロントローを独占したというのだ。ピンとこない方が多いと思うけどこれって凄いことなんです。

雨などで大波乱の結果ではなく、ガチンコ予選でダントツの1,2位というのはそのマシンのポテンシャルがずば抜けていると言える。しかも、エンジンとシャシーとのドッキングからわずか1ヶ月足らず、というよりチームが正式に発足してからも1ヶ月というのは、奇跡と言っても言い過ぎではない。実はこのブラウンGP、中身はホンダF1なのだ。ホンダがF1を撤退したのを受けてチームマネージャーだったロスブラウン=フェラーリの黄金時代を支えた名マネージャー、が自ら買い取ったチームなのだ。実は昨年、ホンダは08シーズンを棒に降ってでも今年のレースに賭けてロスブラウンを迎え、チームを一から作り替え、マシンもレギュレーションの大幅変更を見据えて開発していたのである。その意味でも09年にF1を撤退すると聞いた時は嘘だろう!何のために08シーズンを捨てたのって思っていたのだけど。ホンダの連中もさぞや悔しがっているだろうなって思う。

さて明日の決勝、このままブラウンGPが優勝したら・・実はその可能性はかなり高いのだけど、天国の本田宗一郎さんや中村良夫さんは自分のことのように喜ぶんだろうかなって思う。但しエンジンはメルセデスだけどね。

果たしてこちらも祭の後になるのか?あるいは後の祭りかな・・
まあ、少なくとも政権交代の祭りだけはもう少し頑張って欲しいけど。

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2009-02-21

ラジオの話 その2

言うまでもなく放送の原点はラジオにありました。
更に言えば、ラジオ放送の原点はライブ、実況中継にあると思います。
その空気感というか、電波を通じながらも現場と繋がって同じ時間、空間を共有している感覚がラジオの命なのだと思います。

その点、テレビは映画の代わりのような気がしてなりません。
ライブ感とは別の世界観がそこにあるように思います。
それだけ"絵"という最大の情報を強制的に見せられることにより、テレビは情報を一方的に受け続けているような気がします。だからこそよりエンターテンメントなものを求める、同時に情報を受け取る準備を無意識な内にしているために意味が希薄な瞬間芸なり、ワンフレーズを意味あるものとして認識してしまう恐ろしさがあるのだと思います。無論、それがエンターテイメントなものであれば罪はないのですが、意図的に利用するものが現れると例の小泉劇場みたいなものに巻き込まれてしまいます。

テレビの黎明期に故大宅壮一は一億総白痴化とその功罪を語ったのですが、ある面それは今の状況を言い当てていたのだと思います。つまりテレビとは考える力、創造する意識を巧妙に奪ってしまう魔力があるのかも知れません。

だから、テレビが嫌いと言うわけではありません。
つまり受けて側の意識さえしっかりしておけば、より短時間により多くの情報を得ることができる訳ですから。だからこそ熟成吟味したものがより重要なのだと思います。だから生が似合わない?そう、テレビの価値って、結局録画してでも見てみたいと思うかどうかだと思うのですがいかがでしょうか。

いやいやテレビこそNEWSショーなど生の醍醐味が生きるメディアだとおっしゃるかも知れません。ある面、同じ言葉でもそれを伝える顔、表情で印象が変わるのも事実だと思います。しかし、そこにはとても大きなフィルターがかかっていることを忘れてはなりません。スポンサーあってのテレビだなんて陳腐な理屈は置いといて(以前、金持ちのパトロン気取りでメディアに復讐してやるなんて言っていた大企業の元トップがいたのは事実ではありますが),やはり何より時間の壁が大きいのだと思います。短い時間で如何に伝えるかに腐心する余りその本質を見失ってしまう。啓蒙を忘れ"判りやすさ"という呪縛の中で真実の重さを無くしているように思えてなりません。前にも書いたように、考えることを放棄させ写しだされるものをすべて事実と錯覚させることがあることを忘れてはならないと思います。
だから、私にとってのテレビはドラマやスポーツ中継を見るもので、NEWSショーはあくまで情報収集の一部として見る事にしています。

さてさてテレビ論ではなく、ラジオの話です。
やはり私のラジオは深夜放送に行き当たります。パーソナリティと言う言葉の如くその人に与えられた2時間が何とも魅力的でした。テレビのように30秒だと誤摩化せても2時間はとても持ちません。とりわけパックインミュージックはもうひとつの別の広場として、放送を通じて時間/空間を共有できることを感じた初めての番組だったような気がします。そうラジオと言っても生ワイド、限られた時間内に伝えようとするのではなく、伝えることがあっての時間であることが重要なのだと思います。更には、絵による情報がないことは伝える側にはそれだけ高度な能力が要求され、同時に受けて側には音だけで伝えられるものを理解するための想像力、創造性が求められると思います。

その1でもご紹介した安住君の日曜天国、2時間の生ワイドですが冒頭の30分近くを正にオープニングとして話だけで進行されます。これが抜群に面白いんですね。何より安住君の人となりがダイレクトに伝わってくる気がします。そこにはテレビでは決して伝わらない素の姿がありました。理屈抜きにどんなお笑いネタより心から笑えます。彼は多分21世紀の久米宏として今後ますます成長していくような気がします。そんな彼が今でもラジオにホームグランドを持っていることがステキなことだと思います。
ここで最新ネタを。醤油フリークの彼に送られた醤油をプレゼントするにあたり聴取者まで巻き込んだ話。笑わずにいられる方が見えたら国宝級です。

試聴 口の固い男

それではご紹介第2弾として、エリア外でもPCやPodcastでも聴けるおすすめ番組を紹介します。
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まずは、TBS以外ということで文化放送”大竹まことのゴールデンラジオ"です。あの大竹まことが月-金で毎日2時間半の生放送です。全編ではありませんが都合1時間程度を3つのコーナーに分けてPodcastで聴く事ができます。
この番組の魅力は大竹まことがゲストと繰り広げるメインディッシュ。この出来の善し悪しが大竹さんの好き嫌いで明確に出るのが面白いですね。予定稿のようには行かない、ゲスト側も何らかの思惑で出ているのですが、予定調和のない中で無意識の内に素が出てきます。

<試聴>メインディッシュ2月18日 長妻昭さん

<視聴>紳士交友録(月曜レギィラー) 森永卓郎さん

次は再びTBSですが、逆にエリアの方がラジオで聴くのが困難です。何故ならゴールデンラジオの完全裏番組なのです。同時通訳でも有名な小西克哉さんとマッピーこと松本ともこさんのコンビで月-金生ワイドのストリームです。

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ゴールデンラジオも同様ですがレギュラーゲストが多彩でそれも魅力のひとつになっています。
特におすすめはアメリカ在住の町山智浩さん、勝谷誠彦さん、そしてブックレビューでもおなじみの豊崎由美さん(彼女のコンビでもあり大森望さんはゴールデンラジオのレギュラーでブックレビュー担当なのも面白いですね)ですね。こちらもPodcastが充実しています。合計1時間近くが毎日配信されています。実は小西さんは私と同い年、誕生日も1週間近くしか離れていないので勝手な親近感があるのと、多分同じ空間を共有してきた感じがトークに端々に感じられてうれしい感じがします。

<視聴>コラムの花道 090217町山智浩さん

<視聴>コラムの花道 090129豊崎由美さん

最後は唯一、昔の深夜放送の香りが残る番組を。
言い忘れましたが、深夜放送の後、そうフォークがニューミュージックと衣替えするのに合わせて中波からFMへラジオの主役が変わっていきました。確かにクリアな音質は新しい時代、アナログレコードがCDに変わったような感覚があったのですが、結局音楽を流すだけなら何もブロードキャストである必然性もなく、人の言葉の暖かさについてはAMには及ばないということで、同時に深夜放送世代が再びAMに戻ってきたということでAMラジオが復活しつつあるということだと思います。

最初は伊集院光の深夜の馬鹿力です。
彼はもう30年近く前からラジオの世界の住人です。当時はANNのパーソナリティ。基本的にブラックです。テレビに出て博識ぶりを見せる彼とはジキルとハイドのように違います。どちらが本物の彼なのか?

そして同じくTBSの爆笑問題カーボーイ。こちらもブラックに磨きのかかった太田光がいます。説明は不要ですね。


では次はまたいつか。

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2009-02-19

ラジオの話 番外編 小泉ってやつは・・

今更腰抜けメディアの定見の無さには驚かないけれど、
ミニ小泉フィーバーって醜いですね。何が小泉劇場でしょう?
今、日本で起きている(その元が小泉/竹中のお手本アメリカとは言え)派遣切りや格差拡大を招いた張本人であることをいつ忘れたのでしょう?
彼のはったり選挙で得た2/3の性で、能無し総理が何人も続いているのに、もういい加減にしたら。それにのって元秘書やチルドレン連中が勢いづいているのをみると日本って衆愚政治のお手本のような国だと思います。

マンガ太郎が総理大臣になれたのもお前の性だろうって、どうして誰も言わないのだろう。政治屋も酷いけどメディアも底なしですね。例の酔いどれ大臣の酔態も同行記者クラブ連中が一緒に酒を飲んでいるのに、会見時に誰ひとりとしてそれを質問さえしない、薬の性だというインチキの予定稿を仲良く見せ合って日本に配信するようなメディアこそ衆愚政治の先兵だと思います。

ところでラジオの話です。
別にTBSラジオのパブリではありませんが、小泉の本性を少しご紹介します。
実は今度の土曜日1時からオンエアの久米宏ラジオなんですの内容は、今の日本の元凶でもある小泉純一郎氏をスタジオに招いていろいろ聞いてみようという企画。久米宏さん自ら番組中に出演依頼のFAXを小泉事務所に送りました。案の定?断りのTELが上から目線でかかってきました。
そこでせめて電話出演をということで再度久米さん自らFAXを送信。まあ、どうせ逃げまくるのは目に見えているのですが・・果たして。モスクワでオペラを見る暇があれば、本当に自分は間違っていないと思っているのなら、どうどうと出演すればいいのに。・・でもねここでも書いたようにラジオってバレちゃうんですよ、その人の本性が。出れないよね〜(例の感じで)

この日はスペシャルウィークで本来は関東ローカルですが、インターネットで全編生オンエアされますので、お聞き逃し無く。
そうそう、小泉のかわりは上杉隆さん。元ニューヨークタイムズの日本特派員、鳩山邦夫の秘書の経歴を持つ政治ジャーナリストです。特派員時代に日本の記者クラブ制度の酷さにへきへきとしていた経験を持っています。果たして久米さんとのぎりぎりトークに乞うご期待です。

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2009-02-17

ラジオの話 その1 まるで偶然のようですが

予告は偶然ですが、ある方から、お知らせメールが届きました。2月の23日月曜から金曜までの5日連続できたやまおさむさんがラジオに出演とのことでした。丁度北山修 百歌選という本を出されたばかりということで、それにちなんでの番組とのことでした。

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その番組はニッポン放送55周年記念番組あのすばらしい愛をもう一度ということで、残念ながら関東地区でしか聴けません。エリアの方は是非、お聞き逃しなくという感じです。

と言うように、せっかくのラジオの話ですが先日紹介した方々の番組の多くは関東ローカルで、昔より電離層の影響が大きくなったのか、愛知県で聴くのは絶望的な状況です。それでも、昔はTBSの7時半頃からの放送だった"ヤングスタジオラブ"の準レギュラーだった六文銭をラジオにかじりつくように聴いていました。確かに雑音はありましたが、そこでしか聴けない六文銭の歌のいくつかがカセットテープに残っています。多分、一番レアなのは小室さんが当時まだ赤ちゃんだったゆいさんのために作った"ゆいちゃんの子守唄"でしょうか?勿論、二十歳のおけいさんの歌声も残っています・・。

昔話はともかく、それじゃ聴きたくても聴けないじゃないとお叱りを受けそうだけど、このアナログの代表のような中波のラジオが、最新のデジタルでもあるPodcastとしてエリア外でも一部だけど楽しめるんですね。
と言うことで、ラジオの話、初回としてはパソコンやiPodがあればエリア外でも楽しめるラジオ番組をご紹介することにします。

とにかくこのPodcastはバカにできません。確かに全体を聴く事はできませんが番組のエッセンスは十分に楽しむことができます。まずは、お聞きになることが一番なので、そのご紹介から、私のどうでもいい説明より聴いて頂くとその良さが判って頂けると思います。

まずおなじみの所から
あの久米宏さんがラジオに戻ってきました。そう私が初めて聞いたのは永さんの土曜ワイドでレポータをしている久米さんでした。確か"東京の街ここはどこでしょう"でした。それからはあれよあれよという間に花形アナへ、ラジオを離れニュースステーションへ・・。そんな彼が原点であるラジオの生ワイド、しかも土曜日永さんの後の生ワイドです。最近では逆輸入のようにテレビに"テレビって奴は"というラジオみたいなテレビ番組もやっています。

■久米宏 ラジオなんですけど※毎週土曜日1時〜3時に生放送です。
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<視聴>2/7のオープニングトーク
※竹中よりも先に構造改革を叫び、最近自己懺悔のように"資本主義はなぜ自滅したのか"を出版した中谷巌さんについて語っています。

そして、2月21日はスペシャルウィークでパソコンで2時間全編を視聴することができます。エリア外の方にはチャンスです。

続いては、聴いたことがない方には多分意外なブラック安住紳一郎君です。今やTBSを背負うアナウンサーですが、明治大学補欠入学という経歴を持つ彼は相当のひねくれ者です。そしてラジオではそんな性格を全く隠そうともせず、アシスタントのユミタンこと中澤有美子さんとの絶妙なトークを繰り広げます。醤油ネタ、パンダネタ、etcとにかくその拘りはテレビでは決して見せない素の姿に思わず笑ってしまいます。

■安住紳一郎の日曜天国毎週日曜10時〜12時の生放送です。
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<視聴>20081116「お梅さんと永明さんの事情」
このタイトルだけで内容は理解できません。ヒントはパンダ。とにかく笑ってください。
こちらはHPでかなり前まで試聴ができます。

なぜかTBSラジオが多いですね!私、隠れ?TBSラジオファンなのです。名古屋にいながら深夜放送はパックしか聴きませんでした。先ほどのヤングスタジオラブもTBSです。理由はよく判りません。古い言い方ですがフィーリングとしかいいようがありません。

さて、この2本はTBSローカルで関東以外では聴くことができません。だから私は時々のWEB放送とPodcastが頼りです。それでもIPodには100時間以上の番組が入っています。ドライブの時はもっぱらこれを聴いているという感じです。

まだまだいっぱいありますが、今回はもう1本ご紹介します。これは一応全国ネットなので、リアルで聴くことができます。その分、Podcastではほんの数分しか公開されていません。それはアクセス。TBS系列で月-金でPM10時〜11時半放送されています。この番組の魅力は日かわりのトークパーソナリティです。おすすめは月曜日の田中康夫&えのきどいちろうさん、火曜日の宮崎哲弥さん、木曜日の井上トシユキさんでしょうか。そしてそれ以上に魅力的なのは月-木のMC渡辺真理さんです。彼女の魅力もテレビよりラジオで輝いていると思います。

■バトルトークラジオ アクセス※TBS系列月-金PM10時〜11時半です。
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<試聴>020090112「M2のサブカル批評2008!」 〜宮台真司vs宮崎哲弥vs渡辺真理〜

聴いて頂きたいのは社会学者の宮台真司さんと宮崎哲弥さんで毎年サブカルチャーを総括しているものです。彼らの話自体も面白いのですが、このクセ者を見事に操る真理さんを是非確認して頂きたいと思います。

ということでラジオの話その1はご紹介編ということで、ラジオ論までは書けませんでした。それは次回、同時に更におすすめの番組も(TBS以外も)紹介したいと思います。

では次回。

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予告 ラジオの話

すでに予告したのに くどくの予告です。
ラジオについて書きたいですね。是非。
今、ラジオが面白いんです。比例してテレビが面白くない。
その人が出ない。時間にしばられている。
スポンサーへの配慮という名の遠慮。
伝わるのに3分は必要なのに30秒に賭ける愚かさ。
だから小泉みたいな奴が出てくる。これ現代のヒトラーと同じ構図です。
30秒で判断してしまう見る側に問題もあるけど・・

面白いのは音だけなのに、逆にラジオはごまかしが効きません。
その人となりが出てしまう。見かけではったりがききません。
知性が出ます。本当の知性がないと相手に伝わりません。

だから、多分、大好きな人の多くはラジオ重視派です。
永さん
きたやまおさむさん
久米ひろしさん
渡辺真理さん
田中康夫ちゃん(ラジオではとっても知性派です)
そしてテレビとは全く違う姿を見せる、それが魅力的なのは
安住君(正にブラック安住です)
伊集院(テレビで凄い知性を見せる彼の本性?が魅力です)
大竹まこと(かってのテレビ暴走王の本音がいいですね)
爆笑の太田君の本性も実はラジオ発なんです
かってのミスターCNN小西克哉さんもマッピーといいコンビです
もちろん
深夜放送世代としては
故林美雄さんにいろんなことを教えて頂きました
馬場こずえさんにも(今どうしてみえるのかしら)
那智ちゃんチャコちゃんは芸術文化の領域です
大昔の三枝は深夜営業ではいい味出していました
とにかくラジオ、生ワイドは一番大事な時間を大切にして
はしょりません。
はしょりまくるテレビがそれをエッセンスで見せるのならいいのですが
今のテレビマンにはそれを切り取る能力がないような気がします
だから今上げた人達だけでいくらでも書く事ができます
乞うご期待?
そのうち書くぞ。

最後余談ですが、
当初渡辺真理さんのかわりにアクセスに起用され
NEWS23にそしてサキヨミにと
多分見かけを武器に徴用されていた
山本モナ
彼女の事件そのものはどうでもいいのですが
ゴールデンラジオに復活したのですが
全くダメです
ラジオの凄さ、パワーを彼女は理解していません。
だから全くラジオでは輝きません。
本人は気づかないのですがラジオだからごまかせるという
錯覚が伝わってきます。ごまかせないことを知らない稚拙さが
逆に伝わってきます。
ラジオ的には全く魅力がないんですね
事務所の方針だろうけど
ピンチヒッターの中島美和子の方が数段輝いていた
かわいそうだけど愚かな女性です
本編では書かないのでここで断言してきましょう。

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2009-02-15

書きたいことが山ほどあるけど・・

この金融不況、不思議なことがいっぱいです。
自覚はないのですが、世界から見れば日本は銀行をはじめ、金融関係は先進国で一番安定しています。まあ税金を払わずにアメリカみたいに悪さをしていたら死刑に当りますが・・。また派遣切りや赤字決算続出でも、信じられない程の内部留保を持つ大企業に代表されるようにファンダメンタルは底固い(あくまで比較ですが)日本は、経済的な安定度では群を抜いている状況です。その結果が円高、確かに円高は輸出依存の日本経済にとって決していいわけではありませんが、長い目で見れば同時に資源を輸入に頼る日本にとってはプラスに働く要素でもあります。・・でも株価が上がらないと嘆く方も見えるかも知れませんが、考えてみてください。今や日本の株式を買っていたのはファンドも含め海外マネーです。アメリカに代表される彼らの通貨は大幅に価値が下がっています。ましてや現ナマが欲しい彼らが円高の状況で保有株を売りに出すのは当然で、それで下がっていると考えたら、そんなに悲観的になる必要はありますまい。ましてやグローバルに見れば、仮に株価が下がったとしても、円自体の価値が2割以上アップしている訳ですから、株価2割ダウンでトントンです。すべては悲観的に見る傾向というか心の持ちようだと考えましょう。

これまで栄華を誇ったメディア連中(彼らの給与って考えられない程高いのです)が、スポンサー離れ(何せメディアのパトロンであるトヨタが3割広告費カットなのですから)を受けて、大騒ぎをしているだけだと言えば、言い過ぎでしょうか。

逆に言えば、アメリカやロシア等金融、資源バブルで見せかけの好景気に酔っていた国は本当に深刻です。物作りを忘れてマネーゲームだけに走っていたわけですから(と言うか物作りの実体経済破綻を誤摩化すための金融バブルだった)実体に戻ろうにも戻れない、これはオバマであっても、そうこちらは気分だけでは何ともならないほど疲弊しているので、熱が冷めた後が更に大変になると思います。言い換えれば、アメリカの景気回復を当てにしているとしたら、日本も遅れて沈没することになります。内需プラスアメリカに頼らない体制をどう整えるかだと思います。

さて、問題は政治です。これもこれだけ政治が愚かでも国が滅びないというのはそれだけファンダメンタルがしっかりしている証明というのが悲しい証拠です。それにしても酷い、反省も自覚もない政治屋ばかりが、未だに衆愚政治だのみで元秘書なり、本人が大物面をし、それにぶら下がる金魚の糞のような政治屋チルドレンが影に隠れながら小石を投げている様はみっともなさ過ぎます。それを記事にしてしたり顔のメディアも、まずは反省を求めてからでしょうに。

それにしても、赤信号みんなで渡れば恐くないみたいにどんどん企業スポーツを中止していく大企業って情けない。何やら止める口実を探していたみたいでお里が知れてしまいます。

まあ、本業と関係ないスポーツについては100歩譲るにしても、クルマ屋がモータースポーツを止めるのは頂けません。最たるものはホンダのF1です。トヨタがどうしても企業イメージで追いつけなかった財産を自ら放棄するのは愚か以上の何者でもありません。ホンダにとってのF1は何より、それに参加することに意義があります。確かに以前ほどフィードバックする技術がないことは認めます。しかし、苦しくても、金にならなくてもF1に参加するスピリッツが従業員だけでなく、ホンダ車を選択しているファンにとってどれだけ大きかったのか?はっきり言って自殺行為です。ライフであってもどこかにF1にかたむける情熱のかけらをファンはイメージしていたはずです。ホンダファン(株主以外は)は一人としてトヨタのようなメーカーになることを望んではいないのです。
天国の宗一郎さんや中村良夫さんが嘆いているだろうな。

何かとりとめのない日記になってしまいました。
次はラジオの話題で書いてみたいと思います。

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2009-02-12

人生の駅

僕らは生まれてすぐその列車に乗せられた
終着駅まで止まる事のない列車だと思っていた
誤って降りたりすると
2度と追いつく事が出来ないと
だから、何の疑いもなく列車から振り落とされないように
走り続けることばかり考えていた
いつか、何故乗っているのか判らなくなった
自分で乗った列車でないことに気がついた
そして
思い切って降りてみることにした
不思議な事に降りようと決心すると
さっきまで何もなかったところに駅ができて
列車はなんのためらいもなく停車した
しかし降りるとすぐに止まったことさえなかったように
列車は走り去っていた
列車の窓からいろんな人の顔が見えた
心配そうな目、
だけどいくつか羨ましそうな目も確かに見えた
これからどこへ行こう
線路の向こうには今まで気がつかなかった世界が広がっている
確かに線路も道もないけれど
自分だけの世界がそこにはある
ふと振り向くと
そこには振り落とされないようにと必死に
しがみついている人が何人も見えた
まるでさっきまでの自分のように
列車を降りたのが良かったのか失敗だったのか
まだ判らない
判るようになるのかも判らない
さあこれからどうしよう
まずは近くから何があるのかみてみよう
そしていつかまた
人生という名の列車に乗る事になる
でも今度は
自分で乗り込むことになる
しがみつくこともなく
いつしか自分の速度で列車が動いていることに気づく
人生の駅
やっぱり自分で見つけるしかなかった
もう2度と追いつく事がないと思っていた列車が
そこにはちゃんと待っていてくれた

ゴールデンラジオに久しぶりに登場したサムこと北山教授は
オバマの登場に1963年のワシントン大行進を記憶を重ね
ご自分がフォークソングを作り出したきっかけを話してました。
同時にみんな途中下車をすることを恐れ過ぎだと
人生の中で1年やそこら回り道をした方が絶対いいと
ついていくことに必死で何の為に生きているのかを忘れていると
それで自分の人生を振り返ってみました
自分で意志ではなかったけれど随分回り道したなって(^-^;
でも確かにそんな回り道がなかったら出会わなかった素敵な人達が
いっぱいいました。
やっぱり幸運な人生だったなって思う今日この頃です。

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2009-01-20

今時のPP&Mです。

いよいよオバマが大統領にということでアメリカは大騒ぎです。
関係ない日本人までウキウキしている姿を見ると、その前にマンガ太郎をなんとかしろよって言いたくなるのですが、総理大臣以前に政治家にしちゃいけないのに、日本では政治屋が家業になってしまっているので、こんなおばかがなってしまうんですね。この閉塞感、誰も支持しなくても本人が言わない限り、解散も辞任もさせられないわけですから困ったものです。まあ、救いと言えば、9月までには終わるということぐらいでしょうか?ただ、その間に官僚連中は着々と悪知恵を働かせていくのでしょう。日本は議会制民主主義ではなく、官僚制独裁主義なのですから。民主がいい悪いは別にして、傲慢な官僚組織にどちらが対抗できるかが一番の判断基準だと思います。

さて先週の土曜日、NHK-BSのリクエスト大会の影に隠れて、ひっそり放映されたのがPP&Mのシドニーでのスタジアムライブ(1964年!)でした。結構、直前に放映内容がオープンされたものなので予約ができなかったのですが、後半30分程度をなんとか録画することができました。
もちろんPP&Mは知ってはいたものの、映像的にはそれほど記憶にはなく、画質の悪いモノクロ映像でしたが結構興味深いものでした。
何より、小室さんが最初に作ったグループがPPMフォロワーズ、つまりPPMのコピーバンドですが、その意味がなんとなく判ったような気がします。男性2名+女性1名のユニットで、女性はヴォーカル専用、そう、まる六と同じなんですね。美しいマリーさんはまるでおけいさんのようです。まる六をご覧になったことがある方にはおなじみかも知れませんが、曲によりリードヴォーカルを取る人によって微妙に立ち位置を変えたり、引いたりする様が"あっ、まる六と同じだ"と思ってしまいました。ソロだったり、3人のハーモニーで聴かせたりするのも良く似ていますね。
ひょっとして、小室さんがやりたかったのは六文銭より、まる六の方なのかもと思ってしまいました。とにかく、すばらしいかったです。
そのライブとは違いますが、まずは"時代は変わる"

そして、アンディウイリアムズショーでしょうか?"悲惨な戦争"

最後は、シドニーのライブで最後に歌われたのは"天使のハンマー"ですが、この歌は1963年のキング牧師も参加した20万人ワシントン大行進で歌われていたのが有名でした。それから46年、そのワシントンでオバマが大統領受諾宣言をする。正直、あの時代のエネルギーがオバマやアメリカにあるとは思えませんが、象徴的であることには違いがありません。歌自体が力を持っていた時代は、もうないのかも知れませんが、私にとっては今に生きるPPMとしての"まる六"にそしておけいさんに、そんな力を感じたいと思っています。

そんなPP&Mが最後の六文銭と同じ時期、ベトナム戦争反対集会に参加して歌っている"風に吹かれて"です。1971.4.24ワシントンDC

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2009-01-10

思い込み 吉本隆明の続き

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単純な性格なので(よく言えば脳みそが海綿体のようなので)いろんなものに
影響されやすいのです。

と言うことで今はお正月に見たETV特集から頭の中に"吉本隆明"が占めています。
さっそくAmazonで何冊か本を頼んだり、糸井さんのサイトで吉本さん講演集の音源を頼んだりしています。

とりあえずは先日のETV特集の講演では、彼を思想家とみるのか文芸?評論家と見るのか、はたまた詩人と見るのか?60年代から70年代にかけての学生運動の精神的支柱であったという一般的な情報では計り知れない想いがあります。

ある面意外な取り合わせの糸井さんが全面バックアップするのは、評価はともかくお二人とも"言語"、”言葉"と共に生きてきたということでしょうか?

何より意外だったのは、吉本さんは主戦派で、終戦時に玉音放送を聴いてひとり涙したと言うのです。同時に戦地に赴く友人には天皇の為に死ねる喜びを詩にして託したというのは驚き以外の何者でもありませんでした。
当時は東工大の学生として富山の化学工場で戦闘機のジェット燃料開発に携わっていた、同時に詩を創作する文学青年であったという多面性のみが、その後の吉本さんにつながる部分だと思います。

そして、吉本さんは終戦によりそれまで読んだ書物をすべて処分し、自ら真の世界観を把握する意味で、アダムスミスからマルクスまでの古典経済学を学び始めたのだそうです。この切り替えというか、価値観のリセットができるというがなんとも凄いという感じです。

そんな背景の中で芸術言語論を展開していくのですが、まだまだ理解が足らないのですが、言語に携わりながら言語の本質を"沈黙"というのはなんということでしょう。それを解説する能力はないので以下に、自ら講演で紹介された話をご案内します。

言語の幹や根は"沈黙"にあるというのです。凡人には言語によってコミュケーションを取りその意味を表現すると思うのですが、芸術においてはそれはあくまで枝葉でしかないというのです。これでもよくわかりませんね。

つまり、美しい花を見た時、言葉にならない美しいと思う心、想いが本質で、これを吉本さんは"自己表出"と呼んでいます。そしてその想いを第三者に伝えようとするためだけに"綺麗な花だね"という言葉を発する(これを枝葉や花という意味で)これを"指示表出"と言うのだそうです。まだまだよくわからない?

例えばこの"奇麗な花だね"というのを歌に置き換えましょうか?
吉本さんは講演の中ではモーツァルトの例で話されていましたが、私はやはりこちらの例でいかなきゃですね(^-^;
仮にこの"綺麗な花だね"というのが歌詞やメロディだとしましょう。それが芸術の本質だとすれば、その歌詞どおり、音符どおりに演奏すれば、誰でもいいことになります。もちろん違いますよね。まる六が演奏することで感動するのであって誰でもいいものでは決してありません。まる六が歌うことによってのみ伝わってくるその本質というものがあると考えればなんとなく判るような気がしますがいかがでしょうか?
同じ意味で春の風が吹いていたらも今のおけいさんが歌われることで心にズンズン滲みてくるわけですね。
もうひとつ、これこそ、おけいさんやまる六と懐かしのフォークブームとの根本的な違いで(これまでなんども書いててもうまく表現できませんでしたが)、おけいさんやまる六には"自己表出"を感じ(これも聴く側もですが)、懐かしフォークでは単に"指示表出"をお互い共有しているだけなのだと思います。

そしてもうひとつの例ですが、フランス文学者である桑原武夫が言う第二芸術論について明確に論破することができることです。(こちらもご参考に

つまり、第二芸術論は桑原武夫曰く、俳句なんてものは芸術なんかとは呼べないと言うのです。その実証として作者を伏した俳句を並べてどれが優れているか選ばせたら素人と有名な俳人との区別がなかったからという論旨です。
しかし、これも芸術言語論で言えば、575で表現された"指示表出"だけで語っているだけで何ら芸術論ではないことになります。逆に575に集積する分、"自己表出" に近いかも知れないとなると、違う次元で評価しているとしか言えなくなりますね。

いずれにしても、まだすべて吉本隆明を正とするわけではありませんが、私が何故、小室さんや、こへさん、そしておけいさんの歌に傾倒しているのか、同時に所謂懐かしのフォークブームやそれに単純に共感することに違和感を感じるのかを、明確に説明されたようで、まだまだこれから入っていくのだと思った次第です。

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2008-12-28

30数年振りにやっと・・フォローミー

Mia01高校/浪人から大学生の頃

TBSの深夜放送を聞いていた

永さん、サム、小室さんも少し雑音に邪魔されながらも聞いていた

愛知から見れば、東京は今より遥かに都会で遠くあこがれも多かった

とてもじゃないが名古屋のかったるい放送なんて聴く気もおこらず

それでいて全国一律に垂れ流されるテレビや通常放送には飽き足らず

名言でもある、深夜が深夜として特別な時間として存在していた
"もうひとつの別の広場"に入り浸っていた

元祖テレビッ子として知識の間口を広げ
深夜放送、特にパックインミュージックでその深度を深めていった

だから、今の私は
30%のテレビと30%の深夜放送と30%の六文銭&まる六と10%の珈琲で
できていると言ってもいいすぎじゃないかも知れない[m:209]

そんな中で、ミドリブタこと故林美雄が大好きだと言っていた映画、
彼はロマンポルノ、鈴木清順、藤田敏八等日本映画専門だけど
この映画だけは別格だったのだろう

フォローミー(何故か米国ではThe Public Eye)
ラジオだからジョンバリーのテーマソングで完全にイメージが
出来上がって(自分の中では)いた。
青春の蹉跌や約束みたいにテーマソングが良くても・・という映画も
あるけど、結局この映画そのものを見るチャンスはなかった

だから以来30数年、見たいという欲望とその音楽で十分出来上がった
イメージだけで十分と思う葛藤の中で、でも見るチャンスを願っていた

それがようやく昨日(正確には今日の深夜)実現した[m:179]
録画してあったので朝見るつもりだったけど
ついつい最後まで見てしまった
1972年の映画、時代だけでもいろんなことが蘇る
六文銭の解散・・
Mia3 Mia991

ジョンバリーの音楽は別格としても
ミアファロー、トポル、ロンドンの名所の数々
本当の自由 本当の愛、本当の恋・・
会話のない鬼ごっこ、でも途中で鬼も入れ替わる
大好きなのに疑ってしまう夫婦
全体がひとつの詩のような映画、90分の叙情詩
何か、おけいさんに30数年目にはじめて生の歌、姿に触れたような
感動(そんな陳腐な表現は似合わないけど)
それに通じる、ずっと好きでよかったと思わせる映画だった
第3の男のキャロルリード監督が力まず、やさしく演出している
※結果としてよかったと思うけど、こんないい映画なのに
 ビデオやDVDになっていない。
 だから、こう書いていても見ることができない映画だけど。

決して美人ではないミアファロー、でもいとおしいその姿
実存としてもビートルズやダリ、ウディアレンとの関係
何かあの時代のすべてを背負っているような女性でもあった

フォローミー
お互いを知らぬまま
10mの距離でその存在を確認しあう関係

なんとなくおけいさんは自由なベリンダであることは間違いないけど
自分はトポルになれればいいなと思った深夜だった

そして今、ラジオではサムがNHKでDJをやっている
あ〜友也さんがゲストで出て来た
やはり72年って大事な年だった。

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2008-12-13

どうしようもなく、辛い事・・

今日は少し哲学的な話を(似合わないってって言われそう)

この年ともなれば、別れというと死を意味すると思うんだけど、
そうじゃないんだなあ。

半年程前、あるネットで知り合った方とお別れした。
彼はネットの住人としては大先輩で、私のようにネットと言っても単に自己発信の場ぐらいしか考えていない者を当初から危なっかしい目で眺めていたのだと思う。
それでも共通の趣味があり、それについては長く生きてきただけあって、少しは私の方が詳しい部分もあって、なんとかおつきあいをして頂いていたようだ。
と言うか鈍感な、否これでも十分思慮深いとの自負はあるけど、更に言えば人見知りも激しい質の私の場合、一端心を許してしまうと、一気に緊張の糸が緩むのか、あえての説明を省いてしまう悪い癖もあって、そう、判っていてくれるという勝手な安心感、思い込みが災いしてしまうのか。ましてやこの方とは共通の趣味によってお会いしてじっくりお話までさせて頂いたのだけれど・・

何度かメールをやり取りをしている間に、多分先方にはどんどんストレスが溜まっていったのだと思う。結果として、突然舞い込んだメールに、私の理解力が着いていかなくなってしまった。

彼と決定的に見解が相違したのは、自分のサイトの捉え方なのだが、私にとってはネット上の自分の庭、それに対して彼は大きな公園に区画された一部にすぎないということか(これも違うと言われるかも知れないので私の理解で)。勿論、自分の庭なので、できれば自分の言葉で、自分の思いで語りたいと考えているのだが、とは言えサンマの煙を他所様の庭にまき散らしていいとは思っているわけでない。また、自分の庭においで頂く方には最大限の敬意を払うけれど、他人様の目を気にして自分の庭での発言なり思いを制限するなんてことを(決して誹謗/中傷ということでなく)考えてもみなかった。しかし、彼はそれをネットマナーとかいう価値観で制限すべしというスタンスの方だった。

ネットとは言え、所詮は大きな公園の一部を貸し与えられているだけなので自分の思いで語ってはいけないのだと言う。但し誤解ないように言えば、彼からみればヨチヨチ歩きに見える私に対しての忠告という意味で、ネット右翼や洞穴の住人達の餌食にならないようにとの親切心からなのだった。

しかし、生まれながらの天の邪鬼、いい子ぶって生きるのが嫌で、会社のヒエラルキーも無視することで生きるエネルギーししてきた身からすると、その忠告自体も窮屈に感じてしまうんだなあ。

結局、この話をベースとするだけならなんとかなったのかも知れないけれど、私にとってはもうひとつの大事なものに絡めてこの話になった時点で、もう疲れ果ててしまった。つまり、何故、彼に私自身の理解を求めているのか判らなくなってしまったのだ。

子供の頃からある変な自信というか、私が心を開いた(あくまで、こちら側の一方的な想いだけど)相手っていうのは、私にとっては財産みたいなもので、ある面家族以上に私の理解者であると勝手に思ってしまうのである。従って、少なくとも私側の都合で離れてしまうことはなかった。確かに離れてしまった方はいるにはいるけど、基本的には私自身をよりよく理解された上で、だからこそ距離を置かれた方ばかりである。私自身は辛い別れではあったけれど、少なくとも誤解を受けたまま別れたのであれば悔いが一生残るけど、そうした悔いはないし、だからこそ例えば30年前に別れた人でも今でも、同じ気持ちで合う事ができると思う。

その意味では、理解されないまま別れる感覚というのが実に辛いというか、初めての感覚であった。だから、今でも私サイドに関してはドアはフルオープンにしているのだが・・。ただ未練がましいというのとは違うんだなあ。あくまで去るものは追わず、されど来る物は拒まずということで。

でもね、例えば理解されない感覚って時間の多さじゃないような気がする。ネットで知り合ったから理解されないというのも違うと思う。夫婦にしたって長くつきあった末の夫婦なら判り合えているかと言えばそれも違うし、結局は理解しあっていると思うお互いの錯覚が、そのまま続くのか、あるいは錯覚が確信に変わるのか、はたまた錯覚と気づいて別れるかしかないと思うし。

ありゃりゃ、なんか全然哲学的な話になってないや(やっぱり)

そう、悲しい話だった。彼と別れたことは悲しい話じゃないな。なんていうか理解されていないなあっていう感覚で、それってとっても淋しい話なんだな。つまり、理解してもらえなかった自分が口惜しくて、自分の力の無さを痛感するばかりなのだ。
このことって随分、精神的には引きずったのだけれど、何とか乗り切れそうな感じで年の瀬は迎えられたのだが・・

まさか今年、これ以上に辛くて悲しくて、淋しいことがあるとは思わなかった。

人生の上でも、とっても大切にしている方の話。
私自身はいつものように勝手に理解しているつもりなんだけど、
その方からのメールで、その理解が伝わっていない以上に
まったく私の想いとは正反対の感覚で捉えられていることにきずいてしまった。
誤解より辛い感覚、説明のしようがない切なさ、
無論、私の責任だけど、何より自分の気持ちというか想いが、伝わらないんだと自覚することで伝えることが恐くなる感覚、どうしよう?
結局、よかれと思う事が迷惑以外の何者でもないとしたら、
どうでもいい方ならともかく。大切な方だと思えば思う程
出口が見つからないんだよね。

年の瀬に味わう袋小路。閉塞感。迷惑だと思われながらしなくてはならないことが山ほどあるのに、どうしたらいいのだろう?
やっぱり年は越せないなあ・・

意味の無い日記でごめんなさい。

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2008-11-29

おけいさんの新曲、そしてアリマキ

おけいさんの一番新しいオリジナルに"たまにはね"但しまだ仮称というシャレた曲がある。
11月15日のOk's SQUARE 7thで衝撃的?に披露され、訪れていたお父様達には耳の痛い歌詞で、同時に奥様達からは喝采を浴びた曲だった。何より意味深ないたずらっぽい目で語るように歌うおけいさんに、いろんな想いが交錯してしまった。
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常識的にはこの世には子孫繁栄という大命題のもと、男と女、オスとメスが存在すると思っていたのだけど、どうやらこれは間違っているらしい。"生物と無生物のあいだ"で生命科学の話を文学作品にした福岡伸一先生の新著によると、地球上に生物が誕生して10億年程度の間は、オスなんてこの世には存在しなかったそうだ。つまり、すべてメスだけの子孫というよりクローンみたいな自己複製を繰り返していたらしい。確かに現在でも子孫繁栄と言いながらオスなんて瞬間的に精子をふりまくだけで大半はメスの領域で成立している。

人間なんていう複雑そうな生物であっても、生物学的に見れば餌=金を運んでくる以外にさしたる貢献をしているわけではないのだから。子供が大きくなって父親より母親を大事にする確率が高いのもうなずける。何より、餌を運ぶだけなら何も精子をふりまいた父親じゃなくてもいいわけで、代わりはいくらでもいるわけだ。しかし10月10日同じ体内で共生していた母親の代わりは基本的にはいないということだろう。

結果、おけいさんの歌の歌詞じゃないけれど、父親=夫としての存在感は精神的なものでしかない。逆の意味でその精神性も補完できないのなら、"あんたなんかどこかへ行ってしまいなさい"と餌を運ぶ能力が無くなった時点でポイ棄てされると言うことだろう。

だから"月一二人で出かけたい 昔のように映画を見て
ちゃんと目をみてね お話しましょう
だってもう老い先短いのだから・・
"というのは決して嫌みではなく
最高の愛情表現だと思うのだけど。(そうですよね?おけいさん)

さて、話を戻して、その福岡せんせいの本が"できそこないの男たち"である。但しこの福岡せんせい、BSEの専門家でありながら文学的な評価の高い文章力でベストセラーを輩出しているのだけど、同じ科学者、理系の方々からは結構辛辣な批判を浴びている(まあ、amazonなどのレビューなどを参照してもらうしかないけど)という事で、書いてあることがすべて正しいと認識するだけの知識がない点はご了解いただきたい。

誤解があるといけないが、ここで言うのは男の中のできそこないの話ではない。そもそも男=オスというのは女、メスのできそこないだと書いてあるのだ。前述のように自己複製にはメスだけで事足りるのだが、そこは良くできたもので?染色体やDNAっていうのは複製を繰り返す内にどうしても傷がついたり欠けたりする、当然それを繰り返せば劣勢遺伝となり絶滅する可能性が出てくる。それを避けるためにたまに横道に逸れた子孫を作ることによって不測の事態に備える必要があるのだが、そのためには自己複製ではだめで、別の遺伝子が必要となる。その為に仕方なく男=オスが必要になるというわけだ。
しかし逆の言い方をすれば、そのためだけに必要な訳で、ある面できそこないで十分、完全個体はメスでいいので、つまり男なんて所詮その程度の存在であるということなのだ。

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この説明に、福岡せんせいはアリマキを例に解説している。アリマキは原則的にすべてメスである。今でもメスだけで自己複製を繰り返す。ところが1年の内、冬を控えた秋口だけに何故かオスがほんの少し生まれるのだそうだ。せんせいは生命の時間の経過を縦軸とするとそれはメスだけで成立し、亜種を生む横糸だけの存在がオスなのだと宣う。つまり秋に生まれたオスのアリマキは、一部の変種を生ますために存在するが、そこで生まれる変種はすべてメスしか生まれず、次の危機までオスは存在しなくてもよくなるというのだ。

そして、これは何もアリマキだけの例ではない。正統な存在がメスである証拠?に、日本では100歳以上の人口を比べると女性は3万数千人いるのに対し、男性は数千人しかいない。また受精後6週間程度は母体内の赤ちゃんはメスであるというのは有名な話だ。男性の体自体も性器部分については女体をベースに加工された痕があちこちにある。

ついでに言えば、男性には女装癖やOKAMA癖が多いのも、元を正せば生物の回帰現象なのかも知れない。確かに性同一性障害の方を除けば、女性の男装癖とかONABEと言っても基本的には精神的なものが多いので。

やはり男は女のできそこないであるのは間違いない。ただ懸命なる方は、しかしオリンピックの例を出すまでもなく男の方が体力に勝るし、アマゾネス社会を除けば政治経済でも男が中心であると考えるかも知れない。

これに対しても福岡せんせいは、体力に関しては、それこそ亜種、カスタマイズの結果だとおっしゃる。確かに。そしてあたかも世界の中心に男がいるように感じるものの、単に瞬間芸だけでよかった男共に、うざったい事もできるように欲張りな女=メスが高度にカスタマイズさせただけとも言える。何より、男中心と言いながら、その内容って生物的にはほとんど意味のないものばかりだしね。やはり人間の男もアリマキ以上ではないらしい。

男と女、生物学的にはあきらかに優劣が決しているこの関係に、かろうじて男が対抗するには精神性しかないのだけれど、それさえも亜種として切り捨てられないように懇願するための愛の歌を紡いでいるだけかも知れないな。何より愛する女性のために自らをカスタマイズするしか能のない男のなんと多い事よ。少し羨ましいけど。

決して男の復権を願う立場ではないけれど、
"女はねえ一言ですべて帳消しシアワセになれる天才だ"だから
強い女には男はどこまでも必要ないことを認識しなくては。

※引用は四角佳子さん作詞の"たまにはね(仮称)"より。

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2008-11-22

老害余波 もうジャーナリストとは言わせない!

津島某なり奥田某の妄言は論外としても、メディアの連中から反論らしい反論が出てこないのはどうしたことだろう。
自らが権力者の腰巾着であることを認めているのだろうか?
権力=金を傘に報道内容にまで口出しする輩に対し、借りてきた猫みたいにだんまりを決め込むのは情けないよりみすぼらしくも感じる。

民放って結局金次第で報道内容まで変えるのか?
奥田某の暴言も、実は脅せばなんとかなるという現実を理解しているからの発言だろう。その意味では同じ穴の狢。我々は無料で垂れ流される疑似報道で、常にねじ曲げられた、権力を持った者に都合のいいNEWSを見せられていることを忘れてはならないと思う。

何せ、民放の代表であるテレ朝の社長が、奥田某の妄言に対し、
奥田碩(ひろし)トヨタ自動車相談役(日本経団連名誉会長)が、2008年11月12日の政府懇談会で、マスコミの厚生労働省批判に対して「何か報復でもしてやろうか」と、自社の広告引き上げを示唆したことについて、日本民間放送連盟の広瀬道貞会長は2008年11月20日の定例会見で、「テレビの影響力を考えれば、ある種の節度が必要」と奥田発言に一定の理解を示した。

骨のある報道マンであれば、金で情報を買うような発想をする企業のスポンサードなど今後一切受けないくらいの気概を見せるのが普通だろう。仮にアメリカであれば、企業側が大バッシングを受けるはずだ。
ヘタをすればトヨタ車の不買運動に発展するレベルの発言だという自覚が余に足りないし、それを指摘する常識すら持ち得ていないことになる。

こんな時代だからこそ、人として、企業として金よりも大事なものが山ほどあることを見せることだし、これじゃサムプライム以前の金の亡者の発想のままだし、少なくともこんな非常識な老人のすみやかな退場を迫るのが普通であろう。
はっきり言って、このご仁はホリエモンや小室哲哉よりも人格が卑しく、品格を云々する以前の存在である。

明日のサンデーモーニングが最後の砦かも知れないが、そこでも何も発言がないようならこの国のメディアは自ら滅亡の道を選んだということか。

正直、近年これほど腹の立った"事件"はなかった。

まだ期待している私がバカなのかしら。
こんな時こそ、筑紫哲也さんにばっさり切って欲しいのに。本当に残念です。

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2008-11-05

夏・二人で 何かあったの?

ネットってほんとにわからないことだらけ。

実は昨日から突然、このサイトへの来訪者が増えている。

だいたい1日に5、6人が来訪すればいい方なのに、昨日今日で87人(21時現在)も

訪れている!!これは一大事というか、訳がわからない。と言う事で

アクセス解析を覗くと、ますます謎は深まってきた。

少し解説すると、このサイトへ来るには「もともとこのサイトを知っていた」か何かの目的をもって

「キーワード等でグーグルやyahooで検索して」来訪するかに限られる。

ところが、ここ2日の新規来訪者の8割が同じキーワ―ドで訪れている。

しかもそれは『夏の暑い盛り場を僕たちウキウキ歩いた』という夏・二人での歌詞なのだ。

同じ人が何度でもなら判るのだけど、添付画像で見てもわかるようにエリアも違う別人なのだ。

しかも前に『歌詞』とか『〜』『♪』なんかが付いていて、少なくとも何かで興味を持った人が

夏・二人での歌詞と知ってか知らずかで検索しているのだ。

何かあったの?

夏・二人でに。どなたが事情をご存知なら教えて欲しいけど。

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2008-10-18

我が家の"風のガーデン"

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◇快晴の空を背景にコスモス、蓑虫付の木蓮・・

10月は日本のテレビの改変期。ということで期初の特番攻勢もようやくひと段落し、そろそろ秋の新番組が本格的にはじまった。
TBSは社長の不倫騒動に少しばかり反省をしたのか、はたまたかっての民放の雄の誇りを取り戻したいのか,更にはたまたフジ、日テレ路線に走っても視聴率は取れないと悟ったのか、この秋の改変では一番力が入っているように思う。

しかし、TBSには安住君しかいないのか?彼の能力(特にしゃべり=ラジオがいいな!)は否定しないが、彼は器用だからなんでもこなすけれど、浪費はよくないな。彼の中心・軸というのを大切にして欲しい。でもかっての久米さんもなんでも有りだったけど、金スマは余分でしょ。NCをやらすんなら、もっと身軽にしてあげなくちゃ。社員だから嫌といえないのかな?

いずれにしてもチャラチャラした時間潰しのバラエティの代わりに報道、ドキュメンタリー枠を増やしたのは(しかもゴールデンタイムに)懸命かも。CSも含め多チャネルの時代なんだから地上波でも差別化が大事だと思うけどね。

さて、あまり期待はしていないけれど秋改変のドラマである。

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◇今年は花梨の実がたくさんなった。去年は1個だけだったのに・・

正直、見たのは"風のガーデン"だけだ。まあ、22日スタートの"相棒"は見ると思うけど。
さて、風のガーデン。倉本聡脚本、中井貴一、緒形拳、奥田瑛二、伊藤蘭などが出演の富良野が舞台のドラマとなれば、フジにとってはもち玉大放出でこれがダメならドラマを止めた方がいいというものだと思う。ただ実態は他のくだらないドラマを続けるための免罪符のつもりだろうけど・・

あまりにも完璧な(緒方さんはまるでそれを意図したような)プロモーションで、だめ押しまでされたので見ないわけにはいかない。確かにハイビジョンで見る富良野の景色を背景に繰り広げられるドラマはある面反則技だけど、それにも増して東京での貴一さんの演技はやはり群を抜いている。奥田瑛二が霞んで見える?蘭さんはまだ場面は多くないけど,今後増えることを期待しよう。
倉本脚本自体は少し教訓ぽくて、それほど好きじゃないけどこれは緒方さんに免じてそれも良しとして見ようかな?テレビって所詮テレビなので,それ以上でもそれ以下でもない。その中でバランスを取るから難しいような気がする。おかしな言い方だけど一番テレビ的でない緒方さんが,一番テレビ的な手法でプロモーションしたわけだから皮肉というより、遺言みたいな気がした。

さてさて、得意?の海外ドラマは4400がラインナップに加わって、この秋はますます時間がなくなってしまう。特に字幕は早送りやながら見ができないから、実時間が必要で、1日48時間ぐらいないとどんどんHDDの容量を浸食してしまうことになる。
因みに見逃せない海外ドラマは、HOUSETHE WEST WING(ホワイトハウス)DEAD ZONEコールドケースクローザーBONESゴーストこれに4400が加わる。終わってしまったけれど溜まっているHEROS24ボストンリーガルもあるし。

それにも増してそろそろ秋のLIVE行脚も本格化するから、時間が足りない、やっぱり120歳まで生きなくっちゃ・・

※庭で見つけた秋の場面と一緒に風のガーデンを気取ってみた。
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◇コスモスの顔、そして秋の桜の大木、まもなくまる坊主かな?
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◇ひとり生えのナンテン、色づきまで今一歩。

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2008-10-14

神の手 自由と平等の本当の意味。

まもなくアメリカの大統領選である。
誰がなっても、ブッシュという類いまれなおばか大統領の後だから、よりマシには違いないけれど、時代というか大きな歴史のウネリの中ではこんどはオバマが大統領になるのは避けられないだろう。

間、クリントンというエロ大統領の時代はあったけれど、アメリカの直近の30年はレーガニズムとも言うべき自由経済の30年だったと言える。リベラルからみれば自由経済っていいことみたいだけど、正確には自由放任経済ということで、つまり政府は経済には一切口を出さない、資本家のやりたいようにするという経済だった。所謂弱肉強食の時代で、強いものはより強く、弱い物は淘汰される時代ということである。

小泉改革とやらで、なんでも競争すべしという竹中平蔵がすべて善のように騙し続けた思想の根源ではある。竹中が無能というか,わかっていて知らんぷりをしたのは、競争の後に何があるかを明確にしなかったことだ。つまり、永遠に競争が続くことなんてあり得ない。ましてや規制緩和とやらで、どんどんフリーハンドを与えていくわけだから、やがて勝者と敗者に二分されることは自明の理である。まあ、村上なにがしがいみじくも言った"儲けてダメなんですか?"である。更に言えば、この結果としての勝者は、果たして敗者に想いをはせることなんてないのである。勝てば官軍、負ければ棄民であるからこそ,勝とうとするわけで、そこに新たな競争なんて生まれっこない。そもそも、こうした状況の中で最低限のセーフティネットなり、勝ち過ぎを防ぐために政府が存在するのに、政府自体が勝ちさえすればよしの精神で運営されておれば、社会全体が荒んで、殺伐とした社会になるのは当然の結果だと思う。その意味でも小泉/竹中に踊らされた日本社会と愚かな国民は今、不幸の選択の現実を突きつけられていると言ってもいいだろう。

唯一、彼らの理論に整合性を与えるとすれば、人は皆、善というか性善説だけがよりどころになるということだ。

しかし、資本家というか富を一端独占したものがとる道はおのずと決まっている。強者はより強者になるために弱者を吸収していく。金融機関のメガバンク化やデパート業界の再編なんて典型的だろう。更にいえば、それらは本業というか手間のかかる物作りで富を得るよりも、一端手にした富=資金で金儲けをする虚業に走るのは、これもまた当然の既決とも言える。

考えてみれば、その権化のアメリカには本当の意味の産業は、軍需産業以外は何もないことでも明らかだろう。アメリカの最大の産業は金融業である。金融工学とやらで金が金を生むシステムだけである。何しろ貧乏人に家を建てさせてそのローンを金融商品(証券化)にして,世界中にバラまいて投機の対象にするくらいだから。これが自由経済、放任経済のなれの果てである。そこにあるのは性善説ではなく、性悪説しかないのだから。

しかし、何故こんなことが当たり前に行われてきたのかと言えば、実に恐ろしいことにアダムスミスの時代に遡る。つまり,自由放任でもどこかで神の手が働くとこの21世紀の経済政策の根本として信じられているということであるという。まあ、共和党がキリスト教福音派(超保守)をその支持基盤にしているのと無縁ではない。だからこそ、中絶反対なので,神のなすままにするという根源的な発想があるのだ。
(この辺りについては、こうした宗教的発想を表面に出さず、日本にも同じ経済運営を持ち込んだ竹中の罪は重いと思う)

結論から言えば、当然のこと神の手は働かず、ましてやイスラムの民が保有するオイルマネーが自由放任経済破綻に向かう動きに更に拍車をかけたとすれば、キリスト教福音派にとってはこれ以上の皮肉はないと言える。

そこで民主党(アメリカの)である。つまり自由放任経済が行き過ぎた時の揺り戻しの受け皿としてあるのが、民主党の基盤でもある平等主義=社会自由経済主義である。つまり,レーガン以前の民主党全盛のアメリカ社会は、平等主義の行き過ぎの中で活力を失い、新たな社会不安を抱えていた。努力しようがしまいが結果にさほど差がないとすれば、行き着く先は共産主義社会となる。さすがにそこまでは行かないが、そうした社会矛盾をターゲットとして,競争を歌うレーガニズムが支持を得たのは当然だったと言える。

そう、その意味で競争至上主義の矛盾が行き着いたこの2008年だからこそ、今度の大統領、政権は民主党になるのが、必然ではある。その大きなうねりからみれば、有色人種の大統領なんてたいしたことではないというのは、なんとなく理解頂けるかと思うのだけど。

自由と平等、このいかにも親和性の高い思想が実はまったく正反対の意味合いを持っていることは興味深い。自由っていいことの代名詞のようだけど、何をやってもいい自由となれば、やはり意味が違って見えてくると思う。
その意味での2大政党制をひくアメリカというのは、少なくとも政治体制としては健全なのかも知れない。そして自由と平等、その裏側は神の存在を信じるかあるいは無神論かとも読めるところも忘れてはならない。

翻って、この国をみれば、その意味ほど2大政党制の意味はない。
やはりキリストに該当するほどの大きな神の存在を意味しない国民性かも知れない。(一部、人神のような政党もあるけど・・)
しかし、この国には神にも勝る巨大な妖怪が政治を牛耳っている。官僚という大妖怪。この国に2大政党の意味があるとすれば、この妖怪に擦り寄るしか能のない政党と真の意味で妖怪に戦いを挑めるのかの違いしかないだろう。
最後は国民自体が"okami"という思想をどう判断するかだと思うのだけど、やがてくる選挙はASOとICHIROという選択肢ではないことを理解できるかどうかだと思う。

こと政治制度に関してはアメリカには遠く及ばないのは,残念ながら現実だと思うが、もうそろそろ児童会や生徒会の時代を越えて、真の意味での政治を選択できるようになればいいと思うのだけど。どうかな?

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2008-07-18

歩きはじめて

今日もいつもの曲がり角にいた
少し浮きかけの腰をさとられないように
うそっぽく関心なさそうな視線は、
それでもどこか焦点が定まらずにいた
ここでどれだけ多くの時の群れを見送ったことか
みんなが乗り遅れないようにとメダカの群れのように繋がっていくのに
何故かいつも手を小さく振って見送っていた
時に遅れていくことを恐れることはなかったけれど
繋がって流れて行く塊達にはいとおしさも感じていた
だけど もう少し ほんの少し立ち止まっていたら
さっき見送ったはずの時の塊が遥か後方の角から砂煙を上げて
近づいてくるのが見えてきた
すでにそこは通り過ぎたことに気づいているのだろうか
再び目の前を同じように連なっていく姿に大きく手を振った
そして
僕はゆっくりと歩きはじめた
連なった時の塊達のようにこの角を訪れることはもうないだろう
そして同じように
見送った時の塊達に出会うことはない
きっと。

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2008-07-13

モナモナ

モナさんがまたやってしまった。
世の中には巨人ファンがまだまだ多いせいか、床屋に行くだけでなんとなく禊がすんだみたいな二岡に対し、モナさんは無期限番組謹慎とか?
あんなに怒っていた滝花オーナー(そう言えばナベツネ談話ってあったっけ)も、どさくさまぎれに2位になってしまったので、早めの1軍昇格を示唆している。ホント現金なものである。
しかし、考えてみると余程の野球ファンでない限り、選手が既婚かどうかなんて知りっこないよね。
ましてや酩酊状態。まさか二岡が"僕、子供いるけどいいですか?"なんて言わないだろうしね。
じゃあ仮に二岡が未婚なら、独身同士でとやかく言われる筋合いではない。多分。
無論ゴシップネタではあるけれど、番組降板とか謹慎にまでなっただろうか?

という井戸端会議レベルの話題だけれど、どうも天の邪鬼な性格なのかモナさんが孤立無縁となると、ついつい応援したくなる。とにかく、彼女にキャスターとしての自覚があったかどうかより、フジにしたってある面そういう彼女の危うさも番組の売りにしていたきらいは十分あったはずだ。その意味では彼女は期待どおりの成果をあげた訳で、それをとやかくいう権利は少なくともフジにはないと思うけど。
更に言えば、その番組"サキヨミ"自体を報道番組なんて思っている視聴者ってどれくらいいるんだろうか?バラエティ番組でしょ?NEWS枠や報道2008じゃないんだから、どっかおかしいよね。バラエティならかえって話題性になるって喜ばなくっちゃ!その方がよほどフジらしいと思うけど。何より彼女は一人で新宿で飲んでたんじゃないんでしょ?フジあるいはその制作会社、あるいはオフィス北野の関係者は誰も一緒じゃなかったのかしら?ある面、初回放送の打ち上げだと思うし、本当に彼女だけの責任にしてもいいのかなあ?

そして、男女の関係でどっちもどっちと思いながらもここは二岡の責任大だと思う。
前に書いたように、ある面モナさんはフリーの身、より気をつけるのはあんたの方でしょ。そして2億も年俸もらって今、ケガで2軍降格中の身なら朝の4時過ぎまで飲んでること自体どうなのかな?確かにプロだから結果だしてなんぼだけど、2軍じゃそれもできないんだから・・。
面白いのは巨人のOB,広岡さんや王さんの談話が的を得ている。広岡さんは男女の問題は個人のことだから言わないけど、ケガしてるんだったら酒飲むと直りが悪いと。そして王さんは、もっとすごくて天下の巨人軍のキャプテンが一流のタレントをラブホテルなんかに連れ込むなって。正直大人の対応です。お二人ともよほど度量がしっかりしてみえる。野球バカとは言わないが近大でも野球くらしかしてないと思うけどもう少し,大人の常識を身につけるべきでしょうね。
まあ、唯一、コメントでモナさんに迷惑かけたと言ったのは救いはあるけどね。

それにしてもモナさんも男を選ぶ目がないね。遊ぶ相手はちゃんと選ばなくっちゃ。せっかく大竹まことさんとのコンビでいい味出していたのに。これでまた風見チョウチョの小池百合子ちぇんちぇいにバカにされちゃうよね。

最後に我々って本当にテレビやメディアに出る人に清廉潔白な高潔なものを望んでいるのだろうか?
一般人(最近こちらも定義が難しいが)の基準で言ったら危なっかしい人達がテレビに出ていると思った方が間違いはない。芸人の世界に至っては、大御所ぶっている人でもほんとは危ない人は多い。今や大先生のビートたけしや知事の東国原にしたって警察のごやっかいになっている。大麻となれば限りはないし、それに比べてどうなの?って真剣に考えてしまう。

誤解されるといけないけど、だからそんな奴はテレビの出るなじゃなくて、そこで何をするかを見なくちゃ。詐欺まがいの商売して金儲けしているタレントにNEWSをやれって言うんじゃないんだから。そして今、これからテレビでの姿、姿勢を見なくっちゃねえ。そこで輝くかそうじゃないかで判断すればいい。

その意味で、初回のモナさんは存在感はなかったねえ。メインの器ではないかも知れない。それを自覚してのヤケ酒だったのなら、余計同情するけどね。

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2008-07-11

二つの月の記憶・・胸がきゅんとなること

Gsc_1501岸田今日子さんの遺作、二つの月の記憶を読んでいる。
短編7編からなるこの本は、書くのは得意でも読むのが苦手な私にはぴったりの本だ。
おばあさんが思春期時代の冒険を体験するオートバイからはじまる。
主人公は岸田さんのようで岸田さんでなく、ノンフィクションのようで、大人の童話の趣ですすんでいく。
この本,実は私の36年の時空を超えたメルヘンを聞いた知人というか大恩人が、そんな素敵なことは何とか物語に纏められたらいいねと、多分これを読めば参考になるよって勧めてくれた本でもある。

六文銭の解散でカラッポになっていた10代の心に
4年以上もすっぽりハマっていた彼女が、
訳も判らぬ間に離れていった30数年前の記憶が突然蘇ってくる
長過ぎた春っていう言葉より、春を長く待ち続けたような感じかな?
どちらもどんなに大事に思っていても、
最後の最後で相手の心がわからなることの怖さと
わかってもらえなかったのかなと疑心暗記になってしまった空しさが
同時に押し寄せてくる
約束の時間から待ち合わせの駅で5時間待っていた自分と
待っていると思ってやってきた彼女がそれでもわかりあえなかったこと
22歳の胸がきゅんとなる思い出

そしてタイトルの短編、二つの月の記憶。
これもずっと続いていたメルヘン
でも結局,本当のメルヘンには当事者は気づかないんだよね。

駅で会って、目的もなく地下街を歩いて、喫茶店で話をしても
どうして二人が別れるのかはわからなかった二人
そして5時間待った駅で彼女の街へ帰っていくのを見送った

二つの月の記憶では、子供の頃に遊んだおもちゃでようやくメルヘンに
気づくのだけれど

少し経ってから、彼女が嫁いだ先が毎日利用する駅の街であること知った
その駅で細身のストレートヘアの後姿を見るたびに
通路の向こうから彼女に似た人影が現れるたびに
猛烈に胸がきゅんとなった
果たして5時間待たせても必ず待っていると思った彼女も
この駅で胸がきゅんとなっているのだろうか
そして、多分あの日、待てずにあきらめて帰った自分と
待っていないと結局,駅へ行かなかった彼女であった方が
二人とも幸せだったのかも知れない

後5編残っているけど、今は怖くて読み進めない。
彼女は"桂子"と書いてけいこと読む。
多分、遅れて来た少年の初恋だった。

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2008-07-02

おけいさん、まる六との幸せな半年間、2008年も半分終了です。。

今日は7月1日、2008年の折り返しの日です。
しかし早い。もう今年も半分終わってしまいました。
若い方にはこの時間の歩みの早さは理解できないと思うけど、
本当に早いんです。色んな意味で終わりに向かっているのが実感coldsweats01できるんですね。判りやすい例で言えば、初めての場所へのドライブ、行きはなんか時間がかかったのに、帰りは案外早く帰れたような気がする、そんな感じでしょうか?

実はこの半年、私にとってはおけいさんとまる六のLIVEに明け暮れた半年でもありました。その意味ではとても充実した幸せな半年でありました。
その内容については、ここですべてレポートを書いているのでお判りかと思いますが、1月の名古屋にはじまり、2月の六本木、3月は道東ツアーで3回、4月は小田原、5月は再び六本木のKNOBと徳島、6月はまる六の日と名古屋得三、そして渋谷のSQUAREと合計11回、月平均2回弱というのはひとりというか特定の方々のLIVEだけとなると多いのかなとは思いますが本当に幸せな半年でした。おけいさんのソロが5回、まる六が5回、猫とのLIVEが1回という組み合わせは私的には理想的です。

問題は・・そう7月に入ってまさに反動のようにLIVEの予定がないんです。
心の張りがないっていうのは正にこのことを表すためにある言葉のように感ずる日々が続いています。weep

ところでおけいさんの応援サイトOK's SQUARE内にあるおけいさんのOK's FAVORITEによると、おけいさんがこの半年間にご覧になった映画は合計14本とのこと、FAVORITE内のmovie内にはご覧になった映画が紹介されている。14回vs11回か!?少し負けちゃったかな?

さあ、後半はどうなるのだろう?
予定が決まっているのは、多分11月頃のOK's SQUARE 7Thと12月のまる六の日だけ。後はこれからスケジュールが決まってくるのだろうけど、とにかく次のLIVEに早く行きたい。それだけです。

そして、この半年ではなく、2008年が幸せな1年だったと言いたいものです。いろんな意味で・・ね。もちろん、おけいさんやまる六の皆さんにとってもねshine

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2008-06-27

最低の東芝DVDサポート

以前書いた悲劇のRD-A301は今我が家にある。しかしこともあろうにこんな救世主に対して更なる悲劇を及ぼすなんて、東芝ってほんとに大丈夫なのか!
これでも、比較的冷静な方の私だけれど、理不尽と考えると多分、想像以上に燃え盛る性格だと認識している。

基本的に東芝のRD系(HDD/DVDレコーダ)にはシンパシーを感じているのに、そんなファンを裏切っちゃいけないよ。勿論、ハードだけは文句を言っても仕方ないのは判っているけど、せめてそれに対応するサポートには、その分余計すぎるくらい気を使って欲しいと思う。

なぜRDにシンパシーを感じるかと言えば、RD系(まあ、上位機種に限られるけど)はネットによるダビングやネット経由によるコントロールができるようなシステムも組み込んである。しかも大抵そうした場合はWin系には対応してもMacには非対応というのが世の常識だけど、ちゃんとMacに対応してるんですね。その心意気や良しです。
更にいえばブルーレイに負けてしまったけれど、HD DVDという既存のDVDが活用できる録画方式を採用して、劣勢の中,踏ん張っていた心意気にも拍手を送っていたのに。だから売り場から引き上げられたRD-A301をなんとか入手したのだった。そして、あまり注目されていなかったけれど普通のDVDに時間は短いながらもハイビジョン映像が記録できるHD Recもあって、短い番組なら普通のDVDにムーブして残していけるということで、先進性は十分に残っていたのだ。

ところが、このRD系の欠点である(つまりHDD/DVDレコーダと言いながらパソコンのような精密さを持ち合わせているのだが)暴走が時々起きるのだ。暴走というとなんだけど、電源が切れないとか、所謂パソコンで言う所のフリーズがよく起きる。対処法としてはこれもパソコン同様に電源ボタンの長押しでクリアする(これは正式な対処法)

もう1台のRD-Z1は結構起きたのに(すべてこの方法で対応済)A301はこれまで一度も起きなかった。それが、3日ほど前、起きてしまったのだ。当然電源ボタン長押しでクリアして、あ〜よかった!と思ったのもつかの間、録画やゴミ箱(これもパソコンっぽい)がカラにできなくなった。色々調べてみるとHDDが保護アリになっている。ところがこの解除の仕方はマニュアルにはない。いやな予感はしたけど、最初の暴走だし、なんとかなると思った。というより思いたかった。

何しろこのRD-A301のHDDには昨年のまる六のLIVEの模様が放送されたmusictideが2週分、それにボブディランの映画NO DIRECTION HOMEなど命より大事な映像がハイビジョンで記録してあるのだ!

そこで悲劇のサポートの登場である。
実は東芝のサポートには2種類あって、広範なDVDに関するサポートとRD系にしぼったサポートの二本立てがある。何故か前者はフリーダイヤルだけど、後者は有料である、ということでフリーダイヤルへ。これが悲劇の始まりだった。以前、RDの方へ掛けたときは完璧な対応で、その知識に問題はなかったが、フリーダイヤルの方はあまりにレベルが違いすぎた。
そのレベルは所詮マニュアルの代読レベル、知識というよりマニュアルどおりしゃべるマシーンみたいなものだ。ユーザー側のすがるような思いでなんとか大事な録画を残したいという気持ちをあざ笑いかのような木で鼻をくくったような対応だった。

主なやりとりは以下のとおり
●HDDに保護アリになって録画できないけど?
 ---初期化してください。
●大事な録画があるので初期化すると消えちゃうよ
 ---だったらDVDに落としてから初期化してください
●DVDに落とせって、DVD に録画できる時間は短いので無理じゃないの?
 ---だったら初期化してください
●まだ買って半年もたたないのにおかしいじゃないの?
 ---いえそもそもHDDは一時的な保管場所です。必要なものはDVDに
  落としておい手頂くようになっています。
●ちょっと待ってよ!それおかしいんじゃないの?だったら何故1TB(1000GB)もあるHDDレコーダーなんか売っているの?
 ---無言(そりゃ何も言えないけどね)
●もういい、あんたじゃ話にならない他の人にかわってよ!
 ---お待ちくだいと言って10分以上ほったらかし、やっと出たと思ったら
  さっきの馬鹿サポート嬢。本日は対応できるものがおりません!!

おいおいあんたみたいな馬鹿しかいないサポートなんて意味ないぞといいたかったけれど、バカらしくて電話を切った。

実はこの馬鹿サポート嬢、更に嘘を言っていた。
つまり、デジタル録画の場合、仮にHD DVDディスクがあって、録画時間に問題がなくてもHDDに保護がかかっているとダビング=この場合はムーブはできないのだ。できないことをしろっていったサポートって最低。

そして何より、大事な大事なまる六やディランの映画はすべてパーになってしまうことが確定した。
東芝の名誉のために、言っておくとこのあと連絡したRDサポートは、十分こちら側の気持ちをわかった正確な対応をしてくれた。結果は同じだったけれど、結局気持ちって大事だよねって再確認できたのが幸いかな?

でもまる六は帰ってこないんだよね!ああ悲しい悲しい悲しすぎる日記です。

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2008-06-19

SERI

16671769_847864883水谷豊が20数年ぶりにレコード(CD)を出すくらいだから驚かないけれど、
例のNHKのSONGSに石川せりが出演していた。
詳しくは知らなかったけれど、大病をされたようで
昔のエキゾチックな美しさはあるものの、随分ふくよかになっている。
肝心の歌声は、ボイストレーニングの甲斐もなく、
あくまで病気の性と信じたいが、PA無しでは聴けないものだ。
3人の母であることは尊敬するけど、陽水の妻であるというブランド無しには
新CDの発売はなかったように思う。
CDが売れないこの時代、いい歌だからCDが出せるのではなくて
中身よりは売れるか売れないかがCDを出せるか出せないのかの基準である。
以前、手間や気遣いをしなくてはならないのでベテランほど
CDが出せない時代になっていると聞いたことがある

ちなみにせりさんの一番好きな歌は写真のLPにも収められている"遠い海の記憶"
せりさんの声を初めて聴いたのはNHKの少年ドラマシリーズ(古い!)の新田次郎原作のつびやき岩の秘密の主題歌。そうNHKには浅からぬ縁があるんですね。ついでに言えばステージ101のメンバーでもありました。
縁で言えば、このステージ101には上条さんもいたし、2002年にはおけいさんも時々歌う武満徹さんの"つばさ"をCDでも出している。
そしてせりさんを決定的にしたのは、日本映画好きのミドリブタこと故林美雄さんがパックで掛けまくっていた"8月の濡れた砂"のエンディングテーマ、立派?な日活ロマンポルノだけど、日本のヌーベルバーグみたいな新進気鋭の映画監督が揃っていた時代である。藤田敏八監督のこの映画、今みると昼メロ程度のエロさだけれど、正直気持ちは判るがやはり未熟さが目立つ作品だった。
ついでに言えば、この映画の助監督であった長谷川和彦が監督した"青春の殺人者"の主演が水谷豊だった。話はめぐるかな?

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2008-05-30

食物連鎖と料亭廃業

ささやき女将の船場吉兆が自主廃業した。
信用(信頼とは違う?)が命のこうした料亭において、
仮に接待に誘う方も"舐めてるのか"と思われたり、深慮遠謀の裏読みを
されるような店は使わないだろう。
しかし、愉快なのはお一人様3万とか5万とかする料理も基本的には味わう、
あるいは味が判る客はほとんどいなかったということがバレてしまった。
いくらなんでも焼き魚をチンして出しても判らない輩に高級素材は不要だろう。
吉兆もそれを判って出していたというなら、ある面評価できるけど。
つまり、そんな場所では料理よりも他の目的で訪れていたのだろうし、
中身よりその料金の方が意味を持っていたのだと思う。
まあ、こんなことをよりによって船場吉兆だけしていたなんて方が不思議で
ある面この世界では常識だったのではと思うのは私だけか?
しかし、今日のテーマはそんなことではない。

ご存知だろうか?こうして社会の正義?に照らされてごみとなる廃棄食料の
総量を。実はその量というか金額の総量が実は約30数パーセントと言われる日本の食料自給率の総量に等しいことを。
つまり捨てられる食料分しか日本の食料自給率はないということだ。
そのことも驚きだけど、やれ賞味期間とか、使い回しとかで糾弾される先で
いかに多くの食料を無駄にしていることか?

このふたつの事象は立ち位置の違いでまったく別の評価になると思うのだが。

そしてもうひとつ。この地球上では新しい食物連鎖が起きていることを。
判りやすい例で言えば、アメリカで肉牛を育てるために消費される穀物だけで地球上の11億人分の食料に匹敵することを。まあ、世界中がベジタリアンになるだけで11億人が飢餓から救われるとしたら、100円マックって果たして喜んで食べてもいいのか考え込んでしまう。

ところがその肉牛のための穀物が、今度はバイオエタノールの原料として更に低効率で消費されようとしている。エコだエコだと言ってバイオ燃料のクルマを走らせ、マックに食らいつく生活って誰のためのエコで、地球規模でみれば犯罪級のことであるということは明白だと思うのだけど。

そしてそのトウモロコシを植えるために熱帯雨林を伐採して農地化するっていう本末転倒の動きも加速しているように思う。

結局、アメリカ人や我ら日本人も、ひとりが適当に暮らすために極貧国の人民を100人や200人食い潰しているのと同じだと思うと、なんか気が滅入ってしまう。

だからどうするって言えないけれど、ノー天気で暮らすのではなく、理解してというか想いを巡らして暮らしていくことが大事なのではと思う。払える金だからいいという問題じゃないんだよね。

ところがこんな世界を現実にまわしているのは実態のない投機マネーなんだよね。バーレル130ドルの原油も半分は投機によるかさ上げ分という。しかもなぜ上がると言えば、サブプライムで行き場をなくして取りあえずオイルでもと言って回ってきているのだが・・。怖いのはそんな投機マネーを誰も完全には否定できないこと。気づかないだけで、この投機マネーを支えているのは、あなたの貯金や年金、あるいは保険料だったりするのだから。

なんとなく人を頭からかぶりついている心のないお金の絵が浮かんできた。
これが21世紀の弱肉強食、食物連鎖の図だろうか?でも金の先には何があるんだろう。

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2008-05-23

生きている証に SONG TO SOUL~永遠の一曲~"結婚しようよ”

815004370_84_2 再放送だけどBSiでSONG TO SOUL~永遠の一曲~を見た
よくご存知の方なら意外と思われるかも知れないけれど、まず私の記事では取り上げられないだろうその曲は"結婚しようよ"である(1月の再放送)

この番組、内容は"あなたは、あなたの「永遠の一曲」にいつ、どこで、どんな状況で、めぐり会っ たのでしょうか。番組は、ある人物が心に抱く大切な音楽から始まります。そして、その音楽と出会った時代、その音楽が流行った時代、さらに、その音楽が誕 生した時代へと、次々と時空を遡りま<す。 "と案内されている。
ジャンルはなく、初回は"青い影"だった。

ということで60年代後半から70年代前半にかけて、彼がスターになっていく様を当時の関係者のインタビューやNEWS映像なんかを絡めて紹介されてい く。めずらしく番組を通じてこの曲を肯定的には描かれていなかった。坂崎さんも"この歌と旅の宿は当時のファンとしては嫌いな曲だった"とまで言い切って いた。そして一部では、この歌の意味をおけいさんとの関係で表現されるのだが、番組内ではその点については全く触れられていなかった。更に言えば、本人の 話がインタビューも含めて全くないのも、少し違和感を感じたが。

単に本来のフォークソングとは違うPOPな感覚の曲だとか、帰れコールに嫌気がさして篠島まで封印された曲っていう断定は、いろんな方にインタビューしている割には極めて断片的でちょっと短絡的だと思うけれど。

ほんの少しの収穫は、
一夜にして伝説となった71年の中津川の写真の中に、おけいさんの姿を発見したこと。そして、この曲のディレクターだった加藤和彦さんのお話。レコーディ ングは加藤さんの趣味で行われたこと、バックでインド製の椅子をたたいてリズムをとっているのは"あのすばらしい愛・・”と同じで、実際にリズムを刻んで いたのは林立夫さん、その他松任谷正隆も参加していることなどを話されていたことだろうか。

時代を感じさせる内容とつい昨日の出来事のように思える感覚、
その僅かな歴史の中に自分の足跡も見えるのは考えてみると不思議な感覚だと思う。自分の歩んだきた道も歴史の一部になってしまったのか・・

でも、いろんな意味でも私にとっては嫌いな曲のひとつではある。

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2008-04-26

ああCG だからクルマからは・・

最初は気がつかなかった。

ANN系でCG-TVが放映されて、もう何年になるのだろうか?
多分、20年以上経つはずである
MCも何度か変わったけれど、今の田辺&松任谷になってからも
かなりの年数が経っていると思う
CGの代表としての田辺さん、
そしてファン代表としてユーミンの旦那でもある松任谷氏という
組み合わせはこの地味な番組ではあるが
まあ、TV番組としては落ち着くところにに落ち着いたという感じだった
中学1年のころからCGを通じて正統派クルマ少年だった私も
ここ10年位はCG自体も見なくなったし、何よりクルマそのものに
魅力が少なくなってきたのも事実だった

それでも今でもCGには強い思い入れがあるのも事実だ
45周年ということでさすがにその号は購入したのだが・・・

今、CG-TVの正規放送はBS放送に移っている
ハイビジョンでの美しい映像は確かにCG-TVには合っているのだが、

耳と目を疑ったのは、そのBS朝日の番組を見ている時だった。
あまりにショック?で何の番組だったかも忘れてしまったが
それは映像では新型クラウンが走っているものだった
ナレーションというか、その映像に合わせて
新型クラウンの性能、評価についてのものだが
すべてが肯定的というか、多少歯が浮くようなくらい
そう、少なくとも"くらしの手帳"のように功罪を冷静に評価して
結論を語るというCG伝統のものでなく、
功の部分だけしか聞こえてこない
そして画面の右上には"CG-TVより"のテロップが表示されている

そう所謂インフォマーシャルというものだ
さすがにその映像内にはCM的な表示も何もない
CG-TVで放映されたクラウンの回から映像を繋いだのだろう
その際のコメントもこうした使い方をされるのを
知らされてはいなかったのかも知れない
しかし 少なくともこうした編集の上、インフォマーシャル的に
使用されることはその後間違いなく確認しているはずだ

と言うより、多分汐留の大会社がクラウンのCMスポットを放映するにあたり、T社にサービス的に(多分、まだまだ認知の少ないBSへのスポット投入を今後促進するにあたっての販促策として提案したのだろう)提供したのであろうことは、業界人なら容易に想像できる
(地上波と違ってCMの少ないBS内でより効果的にターゲットに訴求するため、あのCG-TVの映像を効果的に使うことができます、なんてね)

まあ、汐留や局側のその努力を非難するつもりはない。あのCGがこんなに評価するクラウンっていいに違いないというユーザー側の思いをたくみに利用できるメリットをアピールしたいというのは、評価すらしたいくらいだ。

しかし、あのCGである。仮にどんなにクラウンがすばらしい仕上がりのクルマになっていたとしても、それをこんな形で放映することは、CGの良心としても許すべきではなかったと思う。
雑誌内でいくら褒めてもいい。でもそれはCGの庭の中、CGの真摯な評価だと思うから我々はそうかなと思うのである。
それがあんな形で使われたことは、我々はCG内、CG-TV内の評価に対する信頼感を一気に失ったのも事実である。
CGよお前もか?"それをやっちゃおしまいヨ"って。

しばらく見ない間にCGも変わったのかしら?
最早,キレイなだけで他の業界誌と同類になってしまったのだろうか?

それを見てから、手元にある45周年のCGが寂しそうに見えて来た。

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2008-04-20

まほろば?の検索エンジン

実はココログ専用の記事はほとんど書いていない。
あるSNS用に書いたものの内、そのSNSに参加されていないお仲間も何人かお見えになる為
関連するものについては一部を修正してアップしている。

このココログにはいろんな機能があって
ご覧頂いた方がどこからおいでになったのかを生ログで確認できたりする。
まあ、経由したサーバー情報を拾ってくるので、どこまで正しいのかは
管理者(ニフティ)しかわからないのだけれど
SNSに比べて約倍の来訪者があったりするので、ふと皆さんが何に引っかかって(失礼)
おいでになっているのか暇な時にはリンク元を辿ったりしている

まあ、私の記事の大半はまる六やおけいさん関連なので
その筋の掲示板やそれに伴う検索エンジンのキーワードが大半、
あるいは記事内にあるアーティストや歌の名前なのだが、
無論、ややIT機種や政治、経済関係の文言も理解できるのだが、
ここの所、どう考えても理解に苦しむキーワードで来訪されるケースが
何度かあって、なぜここからリンクされるの?って
"考え出すと夜も眠れない"状態だ。

しかも、それでリンクされても私の記事内には露ほども関連する項目はなく
せっかくおいで頂いても申し訳ない(?)想いで一杯である

さてその理解不能な"検索ワード"だが
"札幌スワッピングサークル"とか単に"スワッピングパーティ"なのだ!!
私の記事内にはそんなワードなんてどこにもないのに・・
恐る恐るlovelyリンク元を辿ってみると、そこはこのキーワード候のサイトなのである
検索エンジンおかしいんじゃないの?こんな無関係なサイトをどうして選択しているのか
まあ、検索ロボットだから人為的なものはないとは思うけど

この辺り詳しい方(何にやねんwink)、いや勿論、検索エンジンの仕組みですが
ご教授賜りたく、そちらの趣味は全くないので
できれば、そんな検索君にひっかからない方法があれば
教えて欲しいと思った次第です。

※しかし、こんな記事がココログ専用の記事なんて申し訳ないですね。

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2008-02-17

もう一度。

まことに人というのは難しい。
同じ言語を話すもの同士でも理解しあうのは至難の技である。
確かに相性というものもある。
1対1で完結するのなら、無視することも可能なのだが
大抵の場合は、それ以外の第3者が存在するので、そちらの関係性のために
無視したくても無視できなくなる。
実はこんな時が一番ストレスたまるんですよね。皆さん。

こうなると触らぬ神(実は糞だが)にたたり無しで、可能な限り相手にしないのだが
敵?もさるもの?手を変え品をかえて絡んでくる。
"あ〜もう"って叫びたい気持ちを押さえて極力冷静を装うことになる
そう気にしちゃ駄目なんだよね。一番いいのは徹底的に無視しながら、絡んできたらうまく受け流す。
これができればいいんだけど・・
でもね、こちらも不完全な人間だからそうもいかない時もある。

と言うか、それでも無神経に絡んだり、的外れなことばかりを目にすると
(そう、直接はなくても第3者に関して否応なしに目にはいっちゃうんですね)
なんか、急に正義の味方みたいな気持ちになって、何とかしなくちゃって思ってしまう。
まだまだ人間ができていないんですね。

そんな反省を毎日しながら、もう一度、そんな輩の為に大事な第3者に迷惑をかけないためには
我慢をしなくちゃって思う次第である。

これも修行。一番大事な第3者のためなら我慢はできるよね。

・・今回は独白、自分に言い聞かせるための書き込みでした。

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