2008-08-29

守らずにはいられない・・本当はできっこないのだけど。

Gsc_1504
谷川さんの詩の曲がある
そして小室さんの曲、歌。

1971年、1800円、キングレコード・・
小室等ファーストアルバム 私は月にはいかないだろう SKD1001

別役実 谷川俊太郎 高橋陸郎 かぜ耕士 松岡正剛 吉増剛造 茨木のり子
滝沢耕平 そして大岡信・・の作詞

おまえをみつめていると
おまえを守らずにはいられない
あらやる暴力から
あらゆる不幸からおまえを守り
こんなにも女らしいおまえを
こんなにもゆたかなおまえを
私は愛さずにはいられない

谷川俊太郎 守らずにはいられない より抜粋

街と飛行船が聴きたくて買ったLPだった。
でも それは無かった・・でもこれが六文銭の初めてのレコード
と同時にこれ以降六文銭と離れることがなくなったきっかけの
レコードだった・・
(あげますなんて詩を曲にしてしまう小室等という存在は驚異的だと思った)

クレジットには
六文銭として恒平さん、小室のり子さん、若松広正さんとある
しかしミュージシャンの中には佐藤允彦さん、成毛滋さん、ジミー竹内さんに混じって原茂さん、入川捷さん、木田高介さんなどの名がある

今から37年前のお話 でも今に繋がっているお話。

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2008-08-16

Here Comes the Sun いつか世界中に。

Gsc_1506団塊の世代は実はビートルズ世代でもある。
同時に日本ではフォークソング世代でもあるのだけれど、当時のフォークアーティストで全くビートルズの影響を受けなかった者はいないと思う。

ビートルズ、かすかにポスト・ビートルズ世代にあたる私は中学の頃のあこがれの人がビートルズファンであったことで初めて彼らを意識した記憶がある。

そしてビートルズの日本公演はテレビで見た記憶も十分ある。前座にドリフターズがいたとか、実は演奏してなかったとかいろいろ言われていたが、何より日本武道館での外タレの初公演というか初めての音楽イベントであったはずだ。(これはビートルズ側が1万人以上の小屋を指定したのに対し、ドーム球場もない時代、唯一それにあったのは武道館だけだったらしい)

これ以外にもいろんな逸話があるけど、一番意外なのはこの公演が何故か名古屋のCBC(中部日本放送)が読売新聞と共に主催になっていることである。ご存知のようにビートルズの日本公演は武道館だけで名古屋公演はない。当然CBCでは武道館公演を中継しているのだが、所謂中継キー局は日テレである。CBCの親会社は中日新聞ということで犬猿の中の読売新聞とCBCというのも異質だけど、TBSのネット局であるCBCが日テレの番組をネットしたというのも今では考えられないことであった。

何故こんなことになったのか?当時はまだ外貨規制があり、ギャラの支払いがドル建てであったため在京の局にはその余裕がなく、余裕のあったCBCに白羽の矢が立ったということらしい。(いまだにCBCではあのビートルズの公演を主催したということを自慢げに語ることがあるけれど・・)
この辺りの詳細は小林信彦の小説"Meet The Beatles"に詳しいし、スネークマンショーのCDにも一部は詳しいのでそちらへ(ついでに言うとこの小説については作者と松村雄策との他愛のないことでの大論争も有名。背後には萩原健太と渋谷陽一という洋楽界の2大首脳が控えているというのも話題だった)

毎度のことで恐縮だが、余談が長〜くなってしまった。
と言う事で私自身が大きくビートルズにのめり込む世代ではなかったけれど、ベースとなる詞から、メロディなりのすばらしさはリアルタイムというより、いろんな形でカバーされる中で認識していったという気がする。

さて、ビートルズと言えば、特にフォークの世界では圧倒的にジョンレノンの評価が高い、そしてポールマッカートニーではあるけれど、勿論彼らのすばらしさは言うまでもないが、今日はジョージハリソンの曲である。
ついでに言うと中学時代のあこがれの人は、一番のイケメンであったジョージのファンではあったけれど・・・。
1969年のあのアビーロード内に収められた曲である。しかしこの曲、まるで日本のフォークソングのようなメロディライン、そして歌詞の雰囲気があると思うのだけど。

物の本によればロンドンの長くて暗い冬を過ぎて訪れる春を歌ったものと言われているが、21世紀のこの時代に市民の力だけではなんともならないいろんな形の冬に耐えている国、地域があることを忘れてはならない。

地球規模で見れば飽食と飢餓があることでバランスを取っているような世界、宗教や思想を隠れ蓑にして(アメリカのように民主主義を盾に他国の市民の人権を蔑ろにしているのには呆れて物が言えないが)結局は資源の在処を奪い合う争いが続いている。
ロシアとグルジア、このスターリンやシュワルナゼを生んだ地とロシアの紛争でも表向きは民族の人権と言いながらその実は地下に眠る資源の争奪戦なのは明らかである。その中で市民が死の恐怖にさらされているのは、その瞬間だけみればソ連のチェコ侵攻時の悪夢のようだ。
昨日から今日だけみても、侵攻したロシア軍によって丸腰のカメラマンや女性レポーターが銃撃を受けている映像が流れている。

同じ時間、同じ地球上で平和の祭典としてのオリンピックが当事国も交えて開催されている。というよりその開幕を狙ったようにロシア軍の侵攻を指示した、新ロシア皇帝のプーチンは北京で各国元首と談笑をしているという不気味さ。そして死に体のブッシュに、自らがイラクで続けている愚行を前に、ロシアの行為を本気で非難することができるのだろうか?
この世紀になっても、人間というか欲にかられた連中の性はは変わらないように見えてしょうがない。

Here Comes the Sun それでもそんな地にもいつか春が訪れることを信じて・・。

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2008-08-12

NHK的懐メロフォーク大会!?

またまた懐かしのフォーク派の皆さんから非難を受けそうだけど、
先日の"BS永遠の音楽 大集合!青春のフォークソング"いや〜酷かった。と言うか一応小室さんが出ているので録画をしておいたが、とてもリアルタイムで見る気はおきなかった。

この番組を何の戸惑いもなく見られるというフォークファンの方々には、同好の志と思われなくてもかまわないな。

元より、今に活きるフォークを愛する身、時代を越えて今も存在理由のある歌をフォークと信じる身としては、懐かしさだけを全面に出たこの日の構成は、それだけしか意味のない歌はともかく、なんでもかんでも十把一絡にしてしまうNHK的発想は、正直な所歌達に失礼だと思う。

そして出演者の方々も、おいおい皆さん、いくら分別盛りは過ぎたからとは言っても物わかりが良すぎませんか?って思ってしまう。

別にフォークソングを狭義で定義するつもりはないけれど、あの時代、"悲しいいろやねん"や"大阪で生まれた女"をフォークとして歌っていた人っているのだろうか?そしてセリさんの"8月の濡れた砂"は確かに当時のやりきれない若者を題材とした映画の主題歌ではあるけれど、あれをフォークと呼んだら、当時のド演歌以外は全部フォークソングになってしまうんじゃないのか?

誤解があるといけないが、NHKが70〜80年代の懐かしの歌を集めた番組ですと言うのなら、見る見ないは別にしてお好きにどうぞと思うのだけど、あえて"青春のフォークソング"と言われるとほんまかいな?と思えてくる。

"フォークの達人"なんて番組をやっていたNHKだけど、小室さんの頃はともかく後半になると?な感じになってきた時、ある事情通の方から『あれはディレクターが途中で代ったんだけど、何も知らないのがやっているからダメなんだよ』って聞かされた。なるほどって思うと同時に、所謂放送現場に"判って"いる連中がいなくなってきていることを実感せざるを得ないのかも知れない。

そしてあえて苦言(まあ、当事者でもないのに余計なこととは思うけど)を呈するとすれば、加川良にしろ、風船にしろ1曲だけ歌うためだけに出演なんかするなよって。高節&いるかのMCって言うのも、あまりにさもありなんという感じでNHK的な気がする。
少なくとも貴方達が活躍した時代は、おしきせのテレビという枠の中で繰り広げられる音楽ショーの対極として、歌っていたのではありませんか?
ベストテン番組に出ないのは1曲だけで自分自身を表現することはできないという想いがあったからじゃありませんかって。
歌だけでなく、そんな既成の価値観に対峙するところから、スタートしたんじゃありませんかって言いたくなるんだけど。
あれじゃ、還暦前後の人達を集めた懐メロ大会でしょうに。

違う意味でよくこのメンバーでブッキングしたと思うけど、何やらよく判らないけど岡林なにがしだけは別格らしいので、別枠にしなくちゃいけないみたいな構成もどうなの?って思う。

教訓、悲しい色やねん、チューリップのアップリケが同じ番組内で歌われるなんて奇蹟というより、何故か笑っちゃうと思ったのは私だけなのかなあ?

その意味ではまる六が出なくてよかったと思う。
小室さんには申し訳ないけれど、多分大人の事情もいろいろあるはずだから、仕方ないのかな。

最近はあのノリの岡林さんだけど、突き抜けていると見るのと痛々しく感じるのかは紙一重のような気がする。

少なくともフォークル再結成の際のサムさんのスタンスの方が、私にはシンパシーを感じるなあ。
そして、おけいさん、こへさん、もちろん小室さん、まる六は決して懐メロじゃない。今に活きているから大好きなので。

歳を重ねて変に物わかりがよくならなくてもいいと思う。もっともっとやんちゃで、突っ張っていて欲しい、そして自分自身もと思った夜だった。

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"青春の輝き"と"雨の日と月曜日は"に思う。

"雨の日と月曜日は"って凄いタイトルだと思う。

カーペンターズの名曲だけど、そのストレートなタイトル。

原題も"Rainy days and Mondays"ということでそのまま。

恋?の歌だけど、かの国でも雨の日や月曜日は憂鬱なのか・・

そんな歌もカレンのヴォーカルでなぜかやさしく聞こえてくる。

それに引き換え"青春の輝き"って、なんていうタイトルだろう?

意訳というにも無理がある。 I Need to be In Loveがどうして

歌詞を見ても"青春の輝き"とはどこからくるのかっていう感じだけど。

でもいろんな訳を見ても、どうもピンとこないんだよね。

何故かというとOK's SQUARE 6Thでおけいさんの歌で聴いたから。

確かにカレンのヴォーカルはまさに歌い手そのもののように響いてくるけど

おけいさんの声で(シンさんのピアノも凄くて)

"ひとは求め合い、そして傷つけ合う。
   永遠はいけないと知っている。それも恋の魔法"

※記憶だよりなので間違っていたらごめんなさい。

魅力的な歌詞と声で聴かされてしまうと、

いろんな想いがこみ上げてきて、これ以外の訳なんて

どうでもよく思えてしまう。

・・でもいろいろ調べて見てもこんな訳はどこにもない。

一体、誰の訳なんだろう?おけいさんのオリジナルなのかなあ?

今ひとつ、気分的に盛り上がらないオリンピック一色の週末。

狙ったようにグルジアではロシアとの戦闘が悪化している。

あの強烈な花火をグルジアでは殺戮の火花なのかと思うと悲しくなってくる

反比例のようなカーペンターズの歌が爽やかに響いていた。

早く、おけいさんの歌で聴きたいな!今度は絶対歌詞を書き留めねばね・・

雨の日と月曜日は(カーペンターズ)


そして※I Need to be In Love(カーペンターズ)

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2008-08-03

街 あこがれ、思い出、やはり青春。

私の歌シリーズ(勝手に名付けてます)もYou Tubeあってこそなのですが、何しろこのシリーズ、聴いたことない人には何のこっちゃになってしまうので・・。

ということで紹介したくても紹介できない曲も多いのです。
その意味では最もマッチングしないと思ったのがこの曲です。勿論知っている方にはとってもポピュラーな曲ではあるのですが。
"街"思い込みとは恐ろしいもので、てっきりサムさんの作詞だと思っていたのですが、友也さん自らの作詞でした。作曲は友也さんと一時期六文銭のメンバーでもあった(そして不慮の事故で亡くなった)木田高介さんです。
街=京都そのものですが、古くて歴史が染み付いているイメージと私の世代では学生の街というイメージが混在しています。
同時にフォークソングの聖地というか・・、特に私の学生時代には大学というと東京というよりまず京都という時代、地域ではありました。何しろ、チェリッシュには"何故にあなたは京都に行くの?"なんて歌謡曲があった時代ですから。

  作詞 高石友也 作曲 木田高介 高石友也
 下駄の音、路地裏通り、雨上がりの屋根  
 窓ごしの手まり唄、おさげ髪の思い出
 (中略)
 街の角、喫茶店、古い美術館  山かげの細い道、初恋の涙
 (中略)
 大学通り、流れる川、走る路面電車
 背の低い山を見て、君と僕の明日
 この街が好きさ、君がいるから  
 この街が好きさ、君の微笑(ほほえみ)あるから

短く切られた単語のひとつ、ひとつに我々が抱く京都に対するイメージを
それぞれの想いで広げていけるところがいいのだろうか?

恒例の宵々山コンサートも終わった今、まもやく名残の夏になる。
それを過ぎると、1ヶ月以上お休みしていた私のLIVE行脚も再開することになるのだけれど・・(杞憂と信じたいこともないではないけど)

因みにこの歌、1975年の京都市民まつりの歌として制作されたとか・・!?

高石友也 街
※ともやさんのおちついたヴォーカルが何故か木田さんを偲んでいるように聞こえる。

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2008-07-31

After Years・・ 口惜しいけれどきゅんときます。

さすがにYou Tubeにはなかった。
しかし、個人的にはとっても気になる曲でした。

実はこの曲、いろんな意味で数奇?な運命を辿った曲でもあります。
最初に聴いたのは、ある番組のエンディングテーマとしてだった。
テレ朝系列のドキュメンタリー番組"素敵にドキュメント"、制作は大阪朝日放送。番組自体も結構センセーショナルでいい番組だったけど、あるヤラセ事件をきっかけに打ち切りとなってしまった。

まず、これが最初。
そしてこの番組のナビゲーターだったのが逸見 政孝さん。この番組が打ち切られたのが92年の9月。彼はこのヤラセ事件について「テレビマン、特にドキュメント番組の制作者が最もやっていけない事をやったのは失格です。私自身一人の放送人として我慢できません。タイトルに『いつみの情報案内人』と私の名前がついている以上、私の知らない所で行われた行為とは言え視聴者に対する責任を負わなければなりません」と言って自ら番組を降板、同時に番組も打ち切りとなっているのだが、ご存知のように彼はその数ヶ月後癌に侵されていることを知る。しかし、その後も無理を重ね番組降板から1年と少し経って帰らぬ人となる。それが二つ目。

そして最後は、この歌自体が最初はA面として発売された。この時のB面があの"駅"である。ご存知のようにこの駅はその後、竹内まりやの代表曲のひとつになっている。つまり、しばらくして当初A面だった"After Years"はB面へそして"駅"がA面として大ヒットへ。ねえ、結構数奇な運命でしょ。

でもね、駅って個人的にはどおってことない曲です。正直まわりの歌謡曲ファンは駅は好きだったけど。

さて本題。
この歌は歌詞が抜群にいいと思う。無論、女性から見た歌詞ではあるのだけれど、別れた恋人への精一杯の想いがなんとも切なく、胸がきゅんとなる瞬間があるように思う。

 テーブルの向こうには恋人だった彼が
 少しはにかみ顔で微笑みかけてる
 (中略)
 今、振られた頃より二人ともずっと
 大人になったけれども
 まだ少女の心を大切にしている私に気づいて欲しい
 そういつかあの人に負けない幸せ つかむその日が来るまで
 もう2度と戻れない青春のかけら この胸にしまいこむの
                 作詞 作曲 竹内まりや

これは2番の歌詞の一部だけれど、いろんなこと思い出してきゅんとなります。今となっては音源を持っていない限り、めったにかからない曲だけど、それでいいのかも知れない。今聴いたらもっともっときゅんとなってしまう気がするから。

最後は余談だけど、問題の?"駅"はもともと中森明菜用に書いた曲。だからB面にしていたのだけど、達郎氏はどうやら明菜バージョンの編曲がお気に召さなかったみたいで、それならって本人版でカバーしたという噂がある。いずれにしてもA面、B面ともエピソードには事欠かないということで・・

せっかくなのでまりやさんの最近好きな曲を"人生の扉"。おけいさん同様、半世紀過ぎても美しく素敵な人、そして曲である。

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2008-07-26

中央線・・夜を越え 僕をのせて

東京に住んだことはない
昔は新幹線で東京駅へ行き、銀座へはタクシーか地下鉄で
少し慣れて東銀座から有楽町経由で歩くのも好きだった
東京って言ったって、
渋谷や原宿へ行ったことなんてなかった
通過駅の東京、晴海や幕張に向かうだけだった
だから山手線にどんなに乗ってもなんの感慨も記憶も残っていない

そんな中、高尾に住む姉の所へ向かうため
中央線にだけは何度か乗った
高円寺や荻窪、吉祥寺、三鷹、国立・・
高校時代にいろんな学生達が街角で思い思いに歌っている
イメージだけが残っている駅を越えていく
上りと下りでこんなに違う路線はあるのだろうか?
八王子の呉服屋の娘が歌う中央フリーウェイもきっと中央線のことだろうと
勝手に思う
都心というブラックホールに人と人の生活感を無尽蔵に運ぶ道・・
都心から離れるごとに人らしさを取り返していく線路・・

宮沢和史が歌う中央線はそんなイメージを見事に歌っている
"君の家の方に流れ星が落ちた ぼくは歯磨き止めて電車に飛び乗る
 今頃君は流れ星砕いて 湯船に浮かべて僕を待っている
  走り出せ中央線 夜を越え 僕をのせて・・"

実は最初に聞いたのはうかつにもアッコちゃんの歌で。
うん、本当にいい歌だと思う。
東京に住んだことがない私でも
東京に住んでみたいと思わせてくれる。
できれば、都心から八王子へ高尾へと向かう列車に 走り出せ中央線
夜を超え 僕をのせて・・

オリジナルの中央線がYou Tubeにアップされていた。興味の有る方は以下で
http://jp.youtube.com/watch?v=95QwzcZFTfc

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2008-07-21

"夏・二人で"・・涼しげな夏の歌

夏の歌っていうとサザンだTUBEだと言われるみたいだけど、
暑い夏がますます暑くなるようで、今一歩気がすすまない。
私の勝手な想いとしては、夏の暑さより冬の寒さの方が人間的だと思う。
単に暑さに弱いっていうだけかも知れないけれど、
暑さはどうやっても暑い、努力しても涼しくはならないけれど、
寒いのはなんか体を動かしていれば、自分の努力の範囲で暖かくなるように
感じるんだけど・・、現に今年の釧路は寒かったけれど、汗かいたし・・。

それはさておき、夏の歌と言えば"夏・二人で"にとどめを指す。
何より今から36年前の歌とはとても思えない爽快さはなんだろう?
暑苦しい若者の姿はどこにもないのに
今、生きている若者の瞬間が、心が見事に描かれている。
決して裕福で、苦労知らずの若者の姿ではなく、
それでいて神田川のような湿っぽさもない、
時代を時空をも超える普遍性があると思う。
いずれにしても、この頃のこへさんの詞はすべてメルヘンの中に
生きている,今を見事に描いているように思うのだが。

暑い夏の盛り場を       僕達ウキウキ歩いた
光の隙間を擦り抜けては     どうしても真直ぐに歩けない
賑やかに賑やかに    出来るだけ賑やかに
長いドレスが欲しいな あの 飾り 窓の
ぽつんと一言      心の中に
夢の道を辿って    そっと おさまる
いつかの夏に     そんな言葉

              夏・二人で 作詞・作曲 及川恒平

楽しそうな会話をしながら、街を歩いている二人の姿がそのまま、歌になったような、キングサーモンでもはじまるはじまるでもこへさんとおけいさんのヴォーカルはロードムービーの一瞬を切り取った様に、どんなへなちょこ監督でもプロモーションビデオができてしまうように歌自体が"映像"として焼き付いてくるような歌だ。
できれば、こへさんのパートを自分で歌いたくなるようなと言うと一瞬で映像が途切れてしまうようだけど、昔、テープレコーダで2重録音して一人デュエットした恥ずかしい記憶が蘇る。

いずれにしても暑いのが苦手な私の36年来の夏オンリーワンの歌である。
結局、釧路生まれのこへさんにとっても、本土の夏はこへさんの夏でなく、この歌にある夏がこへさんの心の夏なのかも知れない。もう1曲は"流星花火"だけれど。

夏という歌詞を聞いて、すばらしいハーモニーを聞いて、涼しさ,爽やかさを感じさせる夏の歌ってやっぱりいいもんです。

こへさん自らが解説するこの歌はこちらへ。

You Tubeで検索したら、BSのフォークの達人"小室等"編で放送されたものがアップされていた。こうした著作権からみの映像は削除されてるって聞いたけど・・。いずれにしてもおけいさんの映像は貴重(私は元映像を録画してるので不要だけど)なので、ご覧になっていない方はどうぞ。でも最後が尻切れトンボなんだけど。因みに最近は少しテンポがキングサーモン当時に戻りつつあります。念のため。
※You Tubeは以下から
http://jp.youtube.com/watch?v=Y2HSp8eFIcs&eurl=http://mixi.jp/view_diary.pl?id=876109999&owner_id=6580370

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2008-07-19

"春の風が吹いていたら" 探しものは何ですか?

季節は梅雨明けを待つばかりの7月
雲の切れ間からのぞく太陽はすっかり夏の勢いを準備していた
私は何か熱病に冒されたようにライブ行脚に明け暮れている

10代の頃の私はその想いとは別に何かをする、目の前にある現状から
一歩踏み出すことができなかった。
そのために無くしたもの、失ったものも多かった。

高2の時に恋をした
不思議な女の子だった
能面のように無表情な顔とシルクのように輝く黒髪
カモシカのような伸びやかな手足
でも、その瞳はいつも淋しそうな光を隠しているようだった
結局6年以上つきあっていても彼女の本当の笑顔を
心からの笑顔を見た記憶がない
そんな彼女と高校最後の日、そう卒業の日に
これからも会えるかな?と声をかけた
彼女の答はイエスだったが、正直あの日私が声をかけなければ
もう2度と会えないだろうと思っていた
でも彼女はそれはそれで仕方がないと思う子だった
私は予定通り?浪人をし、彼女も希望の大学には入れなかった
しかし彼女の親は浪人を許さず、結果誰でも入れる女子大に進学した
二人の通った高校からすれば、その大学は大学とは誰も思わない所だったが・・
浪人とその大学創立以来の秀才の淡い恋はそんな風にスタートした
二人は月に一度、会えるかどうか
時々手紙で心を通わせるだけの2年間が続いた
首席で短大を卒業した彼女は県の研究機関へ就職し
私はなんとなく大学生になっていた

それでも会えるのは月に一度、
時間を惜しむように美術館や映画を見てまわっていた
遊園地にもいったけれど
彼女を抱きしめることも手を握ることもしなかった
何故って?正直わからない。
でも彼女はそんなありきたりの対象ではない気がしていたし
何かあまりに繊細で脆く、それだけで壊れそうな感じがしていたのも
事実である。無論,私に単に勇気がなかったのかも知れないが・・

そして何年目かの彼女の誕生日を控えたある日
彼女からこんな相談を受けた
親からお見合いを勧められたんだけどどうだろうって?
私は貴方はどうなの?自分でしたいと思っているなら勉強だと思って
したらいいんじゃないのって
今、思えば酷い奴だよね。でも、その時の私はそんなことでも
彼女をしばっちゃいけないっていう想いの方が強かった
そして、その裏返しでそんなものは関係ないくらいに
二人は判り合えているという自信もあったんだと思う。
勿論、今ならそれでも相談をした彼女の心に想いをはせなかった
私の愚かさは十分判るけど。
あの時は言わなくても判っていると思ってた。
判っていてもちゃんと言うことが大事だと判るまでにはまだ私は幼すぎた。

そして運命のあの日、
彼女がお見合いをして、結婚することを突然告げられて
それでも会うことを約束したあの日
私は駅で彼女を待ち続けた。
彼女の街からやってくる電車をあと1台、あと1台だけと待ち続け
約束の時間から5時間後
電車を降りてくる彼女を迎えた

"まだ待っていると思った?"
"うん、絶対待っていると思った"
それから何時間一緒にいたのだろうか?
彼女の街へ帰る電車を見送ったあの日
この会話以外に何を話したのか全く覚えてはいない
あれから、30年近く
胸がきゅんとなる感触だけは続いているけど
彼女に会うことは一度もなかった

今、おけいさんのライブでこの歌を聴くたびに
そう、ソロのライブで歌われる"春の風が吹いていたら"は
セットリストに必ずと言っていいほど含まれている
後半に向かっておけいさんの歌声に更に力強さが加わっていくほどに
確かに私の心には春の風が吹いているのを感じている

多分、無くしたものが何だったのかを確かめるように
それでも見つからない答を探し求めるように
これからもおけいさんのライブを追いかけていく。

※以下はYou Tubeで見つけた多分オリジナルの"春の風が吹いていたら"。無論私の心はそれではなく、おけいさんが力強く歌うソロの方だけど。
http://jp.youtube.com/watch?v=8028BKeSi6s

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