またまた懐かしのフォーク派の皆さんから非難を受けそうだけど、
先日の"BS永遠の音楽 大集合!青春のフォークソング"いや〜酷かった。と言うか一応小室さんが出ているので録画をしておいたが、とてもリアルタイムで見る気はおきなかった。
この番組を何の戸惑いもなく見られるというフォークファンの方々には、同好の志と思われなくてもかまわないな。
元より、今に活きるフォークを愛する身、時代を越えて今も存在理由のある歌をフォークと信じる身としては、懐かしさだけを全面に出たこの日の構成は、それだけしか意味のない歌はともかく、なんでもかんでも十把一絡にしてしまうNHK的発想は、正直な所歌達に失礼だと思う。
そして出演者の方々も、おいおい皆さん、いくら分別盛りは過ぎたからとは言っても物わかりが良すぎませんか?って思ってしまう。
別にフォークソングを狭義で定義するつもりはないけれど、あの時代、"悲しいいろやねん"や"大阪で生まれた女"をフォークとして歌っていた人っているのだろうか?そしてセリさんの"8月の濡れた砂"は確かに当時のやりきれない若者を題材とした映画の主題歌ではあるけれど、あれをフォークと呼んだら、当時のド演歌以外は全部フォークソングになってしまうんじゃないのか?
誤解があるといけないが、NHKが70〜80年代の懐かしの歌を集めた番組ですと言うのなら、見る見ないは別にしてお好きにどうぞと思うのだけど、あえて"青春のフォークソング"と言われるとほんまかいな?と思えてくる。
"フォークの達人"なんて番組をやっていたNHKだけど、小室さんの頃はともかく後半になると?な感じになってきた時、ある事情通の方から『あれはディレクターが途中で代ったんだけど、何も知らないのがやっているからダメなんだよ』って聞かされた。なるほどって思うと同時に、所謂放送現場に"判って"いる連中がいなくなってきていることを実感せざるを得ないのかも知れない。
そしてあえて苦言(まあ、当事者でもないのに余計なこととは思うけど)を呈するとすれば、加川良にしろ、風船にしろ1曲だけ歌うためだけに出演なんかするなよって。高節&いるかのMCって言うのも、あまりにさもありなんという感じでNHK的な気がする。
少なくとも貴方達が活躍した時代は、おしきせのテレビという枠の中で繰り広げられる音楽ショーの対極として、歌っていたのではありませんか?
ベストテン番組に出ないのは1曲だけで自分自身を表現することはできないという想いがあったからじゃありませんかって。
歌だけでなく、そんな既成の価値観に対峙するところから、スタートしたんじゃありませんかって言いたくなるんだけど。
あれじゃ、還暦前後の人達を集めた懐メロ大会でしょうに。
違う意味でよくこのメンバーでブッキングしたと思うけど、何やらよく判らないけど岡林なにがしだけは別格らしいので、別枠にしなくちゃいけないみたいな構成もどうなの?って思う。
教訓、悲しい色やねん、チューリップのアップリケが同じ番組内で歌われるなんて奇蹟というより、何故か笑っちゃうと思ったのは私だけなのかなあ?
その意味ではまる六が出なくてよかったと思う。
小室さんには申し訳ないけれど、多分大人の事情もいろいろあるはずだから、仕方ないのかな。
最近はあのノリの岡林さんだけど、突き抜けていると見るのと痛々しく感じるのかは紙一重のような気がする。
少なくともフォークル再結成の際のサムさんのスタンスの方が、私にはシンパシーを感じるなあ。
そして、おけいさん、こへさん、もちろん小室さん、まる六は決して懐メロじゃない。今に活きているから大好きなので。
歳を重ねて変に物わかりがよくならなくてもいいと思う。もっともっとやんちゃで、突っ張っていて欲しい、そして自分自身もと思った夜だった。
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