死と進化 3000億個の死と60兆個の細胞でできたヒト
うまく書かないと自殺を肯定するみたいなので要注意。
前にも書いたけど自殺なんて最低の行為だと今でも思っている。
よく判らないタイトルによく判らない書き出しになってしまった。
偶然、というかタイトルに惹かれて録画をした科学番組が意外にも面白かったのだ。
番組はBSのサイエンスZERO、そして惹かれたタイトルは"死と向かい合う心"。
科学番組でこのタイトルは・・って思ってセットしておいて、
今日みたら、これがなかなかである。
以前読んだ"生物と無生物のあいだ"に繋がるテーマである。
タイトルにある3000億個とは、実は1日あたりに死んでいく人間の細胞の数である。そして60兆個とは、人間の体を成り立たせている細胞の総数ということである。
単純計算で60兆÷3000億=200日で体中の細胞が入れ替わるということになる。因みに3000億個の細胞というのはちょうど200g程度のステーキに相当するとのことだ。
実は先に述べた福岡伸一先生の"生物と無生物のあいだ"に、この200日で入れ替わる体中の細胞について説明した表記がある。
それは見慣れた海岸の砂浜、それはいつも同じ形をしているように思えるけれど、実はそれを構成している砂粒はどんどん入れ替わっているということだ。つまり、海岸線を人間の体とすれば、砂粒はそれを形成する細胞ということになる。変わらずに見える海岸線も実はそれを構成する砂は知らない間に入れ替わっているということ、人間の体も同じということだけど・・・。
しかし、これが今日のテーマではない。
本当のテーマは"死"。しかも"それを思う心"である。細胞が入れ替わると書いたけど、つまり細胞が死んで入れ変わっていることになる。細胞が死ぬ理由はいろいろあるけど、活性酸素、放射能やウイルス、紫外線など様々だけど、表現が適切でないけどこれを細胞を殺されると定義すると、自然に入れ替わる細胞が同じように殺される訳ではない。それでも海岸の押し寄せる波、そして運ばれ連れ去られる砂粒は毎日決まったように入れ替わっている。つまり、予定外に殺される細胞とは別に決まった量=3000億個が死んでいっている(但し、形が変わらないということは同じく3000億個以上の細胞が毎日生まれていることになるのだが)。そしてこの計画的に死んでいく細胞、番組ではプログラムされた死として表現されている、のことが本当のテーマとなる。
まだ、心の領域にはほど遠い。
細胞の死に殺されるものって言うけど、その場合の死は壊死と言って正に細胞が破壊される死となり、これが大きければそれで出来ている生物そのものも死ぬことになる。しかし、プログラムされた死はイコール生物の死を意味しない。勿論生物には寿命があり、その寿命の意味はプログラムされた細胞の死に見合うだけの細胞分裂による補完ができなくなることを意味するのだろう。
人間に代表される生物は、この死に対する恐れからその進化の過程の中で不老不死こそ究極の目的のように考えてきたけれど、実は50億年前に最初に生まれた原生生物は元々不老不死であるということだと言うのだ。つまり、進化の原点となるものが不老不死で現状の究極の進化である人間が不老不死でないのはどういう意味なのか?ますます謎が深まってくる。
それを解き明かす鍵は実はプログラムされた死の中に隠されている。
このプログラムされた死のことはギリシャ語で木の葉が散るという意味のアポトーシスと呼ばれる。その具体的な内容というのも興味深くて、少し難解だけど以下のとおりとなる。
●外的に傷を負ったり、一定の期間が過ぎた細胞に対し免疫細胞から、そろそろ死んだらというサインが出る
●細胞はその信号を受け自己点検を経て自ら死を選択する
※細胞は23対ある染色体の3番目に死の染色体をもともと持っているのだそうだ。
●死を選択すると死の染色体から2種類の酵素が出て、ひとつは細胞骨格を切断し、もうひとつは細胞核に入ってDNAを細かく切断する
●切断されたDNAはアポトーシス小体という袋の中にひとつひとつ閉じ込められていく
●それを免疫細胞のひとつであるマクロファージが食べて消化し、便や垢として体外に排出されていく
という見事にプログラムされた死ということである。ねえ凄いでしょう!
もっと凄いのはなぜアポトーシス小体に包んで行くかと言えば、DNAって実はとても危険なもので、裸のままでいると自己免疫不全症などの重篤な疾患を興す可能性があるから包まれていくのだそうだ。これは実際に顕微鏡でも観察できるそうで、正に死んで行く細胞は自己破壊を進む中でまるでブドウの房のような形になっていくのが判る。
でも、仕組みはわかっても何故これが行われるかの理由は希薄である。
参考までに先ほど200日で体内の細胞が入れ替わるって書いたけど細胞によってその寿命は異なる。例えば皮膚は28日、赤血球は3ヶ月、肝細胞は約1年で入れ替わるそうで、更に神経細胞や心筋細胞は何十年も変わらないそうだ。まあ重要な細胞はさすがにコロコロとは変わらない。皮膚については傷が自然の直ったり、爪が伸びる様を見ればなんとなく実感できる。
さて、いよいよ本質に近づこう。ポイントは以下のふたつ。
1)原生生物は不老不死だった
2)細胞はプログラムされた死によって自動的に入れ替わる
では不老不死だった生物になぜ寿命が生まれたのか?
哲学的に言えば、生物は進化することと引き換えに永遠の命を差し出したということになる。つまり原生生物の代表である原始大腸菌はこの50億年基本的には進化していない。逆に進化の過程でのターニングポイントは約15億年前から始まった有性生殖、そう雌雄による染色体の交配が始まったことである。
異なる遺伝子の組み合わせによって生物は進化する。と同時に寿命が始まった。つまり、異なる遺伝子の組み合わせは進化と同時に劣性あるいは危険な遺伝子の組み合わせも誕生させることになる。そんな危険な遺伝子の組み合わせを存続させておくことは生物の未来をも消滅させてしまうことになってしまう。そこで、進化を受け入れるかわりに悪い遺伝子を消去するために寿命という形の死を選択した。
そう、生きるための死、一人の人間としての死により人類の生、未来を選択したと言えるのだろうか?無論、これにより個人の死が重要でないということは決してない。ただ、生物学的なこうした事実、真実を理解した上での死生感を今一度考えてみようというのが今回のテーマだった。
つまり、死が終末である前提での死生観ではなく、死によって繋がる生があるという死生観、そこから新しいものが生まれるという死生観を考える、それが死と向かい合う心ということでようやく話が繋がった。
最後にこのプログラムのプレゼンターであった田沼靖一(東京理科大学薬学部教授)さんの言葉をご紹介しよう。
ヒトとは何か?
それは心を引き継ぐ存在である
だからこそ、個々の人間にとっては心、形にできないものが大事なのかなあと
科学番組で感じた哲学、心の問題だった。
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