2013-06-25

41年目の"出発の歌"の功罪

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このサイトにお出でになる方はすでのご存知のことと思うけれど、
あくまで六文銭フリークとして、決してフォークを懐メロという視点では語らない者の
戯言であることをお断りしておく。・・でないとただでさえ敵の多い私でも、ことさら敵の数を増やすことが目的ではないので。
さて、呑気なファンサイトに7月4日のテレ東京系でジョーさんと六文銭が出演して"出発の歌”を歌う(正確には録画なので歌った)のだそうだ。正直なところ六文銭フリークにとってのこの歌は決してその代表曲ではない。勿論、上條さんもステキだし、こへさん作詞、小室さん作曲の歌自体に罪はないのだけど、あくまでこの曲はジョーさんのために、世界歌謡祭のために創られた曲で、六文銭のレパートリーとしてではない。まさにこのことが、不幸のはじまりで、知る人ぞ知る六文銭の代表曲がこの歌と定義されることで、この歌は時代のひだに囚われて懐メロになってしまったのだと思う。さすが懐メロの雄?の東テレが選ぶことはある。判りやすく言えば六文銭を出発の歌で認識している者の大半は、六文銭の本当のすばらしさを知らない連中と言い切っても間違いはないと思う。
そのことは、六文銭唯一のオリジナルアルバムたる傑作"キングサーモンのいる島"には、当然のように出発の歌は収められていない。それだけこの歌が六文銭にとっては異質な歌であるし、当時の六文銭にとってこの歌がいかに特殊な存在であったかは、彼らを1年追いかけたラジオドキュメンタリー(芸術祭大賞も受賞した)、フォーシーズンを聴くと良く判る。それは六文銭の解散を急がした理由のひとつであり、ある面TY氏と同罪なのかも。
2000年にまる六として活動を再開した時も、この歌が歌われることはなかった。
記憶違いでなければ、まる六としてこの歌が歌われたのは、実に8年後、私がまる六の追っかけをした2008年の道東ツアーの初日である釧路が最初だったと思う。この間にまる六としてこの歌をどう昇華したのかは、ご本人達にお聞きしないと判らないが、少なくとも36年後に聞いた出発の歌は、1972年のそれとは明らかに違い、ジョーさんの歌ではなく、まる六の歌になっていたことは目の前で聴いた本人として断言できる。
その意味でも、今回ジョーさんと組んで歌われた"出発の歌"は六文銭フリークとしては、素直に聴く事はできないのだけれど・・・
やはり12月の六の日は、生の六文銭に触れなくてはと思った次第。

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2010-10-17

西大寺の六文銭'09  ひとりぼっちのお祭へ

なかなか書き出しが決まらない・・

6月以来の六文銭'09、その6月は恒例六の日が長野なべくら高原で開催ということで北へ片道320kmだった。今回は10年10月10日という10が3つ並ぶ日に岡山西大寺まで西へ330Km、六文銭の"ひとりぼっちのお祭"よろしく、西の方へ行けたなら・・といつものようにひとりぼっちの日帰りドライブで出かけていった。

片道300Km程度なら通常の範囲内、さしたる覚悟もなく出かけたのだが中央道や長野道と異なり京都を過ぎると途端に車両が多くなる。幸い渋滞とは無縁だが,その分、スピードが高くなおかつマナーが・・これが結構疲れるんですね。中央道の300Kmに比べ名神、山陽道となるとその何倍も神経が疲れてしまう。そんな行程も神戸を過ぎると全くつながっているのが信じられないくらい通行量が減って、地域格差を実感することになった。
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岡山の手前、山陽ICを降り2号線で西大寺に向う頃には陽は中国山地に傾きかけていた。2号線を約10kmで西大寺駅に着く。調べてみたらJR赤穂線とのこと。岡山と言っても関西圏に隣接した地であることを実感する。
何かの資料で岡山は外食支出が全国一低い県であると知ってはいたが、5時近くになると所謂ネオンの灯りはほとんど目に入らず、何より見慣れたコンビ二や外食レストランが視界に入らない事が新鮮な驚きだった。
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西大寺は言わずと知れた奈良時代から続く裸まつりで有名な観音院。吉井川に面するそれは、あの勇壮なおまつりが行われるのが嘘のように静まり返っていた。わずかに観客席があることでその場であることが判るのみだ。すでに陽は沈み、眠たそうな月がのんびり浮かんでいた。
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※西大寺から見上げた月と脇を流れる吉井川。
さて、開演まであと少し、
しかし暗い(灯りが少ないという意味で)街並だ。後で判ったのだけど、それもそのはず、近くの倉敷にも似た蔵が残る街並や如何にもといった感じの佇まいに昭和の風情が色濃く残っており、CGで表現できない生活感のある場所として"3丁目の夕陽"のロケ地にも選ばれていたそうである。
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※メイン?ストリートにある中国銀行西大寺支店の建物。横断歩道の灯りが眩しいくらいの暗さだ。

今晩の会場は西大寺のすぐ側にある五福座というイベント会場。ライブハウスと異なりスクエアな部屋の奥にわずかに高くなったステージがある。会場内はパイプ椅子がぎっしりと置かれ、ステージ前には20名分程の椅子無しのスパースが確保されている。そして開演の頃には約150名ほどで満席になっていた。昨日から岡山に入って例のフォークハーベストから参戦してみえるお知り合いにご挨拶をして通路側になんとか席を確保する。
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※五福座入口、そこから奥にはステージがわずかに覗ける。

いろいろあって定刻の19時を15分ほど過ぎて六文銭'09のステージがスタートした。最近の例に漏れず撮影は不可ということで,文字だけでその臨場感をお伝えできるかどうか少し心配だが・・

実はこの1週間は六文銭ウィークとでも言うように六文銭としての活動が続いていた。4日は六文銭と関わりの深い小島武さんと岡本忠成さんを偲ぶ音楽会 、小島さん作詞、小室さん作曲で幻の新六文銭の楽曲と同名の"12階建てのバス"というイベントがあり、9日にはおかやま音楽祭の一環として開催された"フォーク・ハーベスト"に参加、残念ながら9日はあいにくの雨で会場が急遽室内に変更されたそうだが、そして最後がこの日のコンサートである。

何のまえぶれもなく小室さんとこへさんのギターの響きで"夏・2人で"でスタートした。
このコンサートは五福座を運営する地元の有志が主催したとのこと、広島に近いということで当時からのコアな所謂フォークソングファンが多いのかも知れない。"雨が空から降れば"に続き"ゲンシバクダンのうた"そして小室さんのアジテーションっぽいMCを挟んで"おしっこ"まで一気にすすんだ。

ところで小室さんはこの地との関わりを40数年前、NHKの朝ドラに対抗する形で、こちらは確かお昼の時間がメインだったと思うがポーラテレビ小説という15分の連ドラ枠があり、その1972年度版として放送された"吉井川"の音楽を担当されたとお話されていた。その後太一さんや市川さんのドラマの音楽を数多く担当されたが、この吉井川が最初だったとのこと。さすがに当時高校生の私にその記憶はなかったが・・

ここでゆいさんのウクレレも加わって"戦場はさみしい"そして中也の"サーカス"とおしっこに続く形での六文銭的反戦歌メドレーが続いていく。
一旦ゆいさんがウクレレを置いて"街と飛行船"がいつもの華麗なハーモニーで響いていく。
前半最後は、ここまで比較的おとなしくもっぱら小室さんにMCを任せていたこへさんが、「これは元々劇中歌として作られたものでステージ上で歌うよりこの方があっている」とお話されて、さすがに会場の都合で他の会場のように練り歩かないまでも全員ステージを降りてPA無の生歌での"面影橋から"をオーディエンスの合唱を誘う形で歌いあげた。
因みにこの日のPAセッティングは結構生音に近い感じがしたが、やはり本物はさすがに違うと感じた。

休息を挟んで、ステージには小室さんだけが上がっている。
前日のフォークハーベストでは六文銭の初期メンバーである石川鷹彦さんと風船の中川イサトさんの3人でPPMを演奏されたとのことで、会場からのリクエストに応える形でディランをカバーしたPPMアレンジで"くよくよするな"を当時の教則本さながらに華麗な指さばきを加えて披露された。

更にこの日の会場に多分、おばあちゃんに連れられてきたであろう小さなお子さんの為に、急遽ゆいさんも呼ばれて"空飛ぶいるか(曲名は不明)"を最後は会場全員の合唱を誘う形で歌われた。小室さん曰く人生の不運な1日の少しでも慰めになれば(笑)ということで、確かに少し愚図っていたその子もこの歌のお陰でその後最後までおとなしく歌を楽しんでいた。さすがのエンタテナーである。

しかし、どんな環境でも、どんなオーディエンスでも臨機応変に対応できるこのユニットの懐の深さにはいつも驚かされるのだが、さらに主催の方のたっての希望ということで"誰かが風の中で"を熱唱される。小室さんは今、声がつぶれているとのことで、特に高音部が問題のようだが、その声には違う意味での味わいが深まっているように感じた。
因みに木枯し紋次郎の主題歌が小室さん作とご存知ないオーディエンスが多かった由。バートバカラック風のこの歌、実は私も好きな曲なのだが・・。

ここで四角さん、こへさんもステージに揃う。
"初恋"そして"引き潮"と続き、こへさんが作ったままになっていた"木の椅子",ゆいさんメインフューチャーでさがゆきさんの"大きなグミの木の上で"と前半とは異なりメインヴォーカルが入れ替わる曲が続いた。

あっと言う間に最後の曲として、小島さんを偲ぶ意味も混めて"12階建てのバス"が。ご存知のようにこのバスの意味は次の世に移っていく人を詰め込んだものでそれぞれの人生を映像や音楽で振り返って走り続けるものだという。そして今そのバスには小島さんも乗っているのだろうと・・

アンコールはエンディング曲を受ける形で"命返す日",
最近の定番になりつつある"出発の歌"で六文銭ウィークは幕を閉じた。

オーディエンスが期待する楽曲と,アーティストが表現したい歌。こうしたコンサートでのセットリストで多分一番悩む部分なのかも知れない。
地方になればなるほど、聴きたい曲は自らの記憶にこめられたものだろうし、それに触れる機会の少なさを考えれば、それに応えるのも大事なことなのだろう。

正直、前半の構成は、フォーク教、六文銭会派のミサというか賛美歌のように響いていたし、ある程度オーディエンスの心に受け入れる余裕を作ってから今伝えたい歌を織り込んでいくのが、こうしたコンサートの定番なのかも知れない。

西の方に出かけて定番の祭りに出会う。そんな感じのひとりぼっちの遠征だった。
次は12月の六の日、こんどはどこで開かれるのだろう。

ご挨拶もそこそこに帰路につく。宝塚あたりで若干の渋滞を経て、日にちが変わった1時過ぎ、無給油で走り切ったクルマの燃料残量警告灯がともったトリップメーターは走行距離678Kmを示していた。
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