2009-09-23

メディアのレベル

正式に民主党政権が成立して1週間余り、
少しずつだけど、自民党政権との違いが表れている。
マニフェストで訴えたことを実現しようとする姿勢は評価すべきだろう。
固執しろとは言わないが、簡単に変更するよりはマシだろう。

八ツ場ダムの現場に国土交通大臣が訪れたニュース、これの報道姿勢には大きな違和感を感じる。
地元の利権亡者が首長を勤める(ある面、利権政治に慣れた連中)"地元の意見"だけがすべてなのか?工事中止を支持する地元の意見は全くないのか?
以前のアクセスを聞く限り、100%中止反対が民意でないのは明らかだと思う。

確かに、国の姿勢に翻弄された事実は重い。
しかしここまで工事をしたから中止はおかしいだろうとはお粗末すぎる。

肝心の議論、そもそもこのダム工事自体が必要かどうかの議論がないのが不思議でならない。
何しろ計画されたのは今から57年前!の1952年、
その時点での利水計画、意義が果たして今でも有効なのか?
もしそうなら必要なものを57年も完成せずにおいた方が遥かに大きな問題だと思うが、
結局、決めたらなんでもやればいいのか?
本当に今でも必要なのかの議論は尽くされたのか?

本来、メディアはこの点をまず検証すべきだろう。
その上での中止の有無の評価をすべきではないのか?
住民が大臣と合う、合わないの議論にフォーカスを当てるのは
余りにも稚拙な話ではないかと思う。

ある意味、メディアの存在価値がとわれているように思うのは私だけだろうか?
記者クラブ制度にあぐらをかいて
バーチャル権力を振りかざしてきた日本のメディアの改革の方が
政権交代よりも重要だったのかも知れない。

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2008-11-03

ジョニミッチェル 私達は星屑・・

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まもなくアメリカ大統領選、日本の腰抜けメディアと違ってアメリカのメディアは堂々と自らの立場を鮮明にする。マードックが乗っ取ったFOXを除けば、基本的に主要なメディア、ハリウッドでは民主党支持が大半を占める。これは冷戦時のアメリカの恥部であるレッドパージに対する良心みたいなものがあると思うが、現状では余にお粗末なブッシュに対する反発の方が大きいのかも知れない。

信じられないかも知れないけれど、2億超の人口を誇るアメリカではパスポートを保有するのは16%しかいない。つまりアメリカ人の大半は井の中の蛙、地球上にはアメリカの51州しかない感覚かな?。直接関係はないけど、アメリカ在住の映画評論家町山智浩さんの著者には"アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない"と言うのもあるくらいだ。
いずれにしてもソ連崩壊後の唯一の超大国アメリカの現実って知れば知る程恐ろしくなる。そしてこんな国のポチであることが一番としていた小泉・竹中ラインの愚かさも最近の金融恐慌を待つまでもなく、明らかなのだけれど。

さて、今日は少しロマンに満ちた話にしよう。
そんなアメリカだけど、そこで創られるドラマは高質であることは認めざるを得ない。日本の腰抜け局ではとてもできないような、まあ小泉の元秘書をスーパーバイザーに、ジャニタレ頼みのゴマスリドラマしか作れないのとは次元が違う、しかも現実の政治の世界をリアルに表現するドラマでありながら十二分にエンターテイメントに仕上げる力量には脱帽するしかない。

THE WEST WING=邦題はホワイトハウスはジョンウェルズの制作、アーロンソーキンの脚本で何度もエミー賞を獲得したドラマである。

アメリカの放送は1999年〜2006年、現実がお馬鹿なブッシュ政権下で、ドラマでは民主党政権の大統領とその政策スタッフ達の姿を描いている。まるでこちらの方が現実の大統領のように、ブッシュ政権に対するアンチテーゼのように描かれていると思う。当然、9.11のテロもリアルタイムで取り入れられており、ちょうどシーズン3では本放送前に特別番組として"イサクとイシュマエル"という名作も生んでいる(9.11直後にこんなのを放送できる度量は見習いたい)

あ〜相変わらず本文に入れない[m:57]
こんなにすばらしいドラマを韓流ドラマの為にシーズン4で打ち切ってしまったNHKだったけど、よくよく考えてみると自民党あたりから横やりが入ったかも知れないと思えてくるくらいアメリカ現政権、それにへつらう日本政府には耳が痛い内容もあったような気がする。その為かCSで放送されているシーズン5の冒頭には"原作を尊重して・・"なんて断りを入れている。

このシーズン5はリアルタイムでは2004年であるが、その101話が今回のテーマがある。
原題は"The Warfare of Genghis Khan"ジンギスカンの戦術とでも訳すのだろうか、ドラマでは"夜は暗く"となっている。

インド洋上空で核爆発が確認され、シチュエーションルームでの会議が始まる。核兵器を持っている国々で実験の予定はなかったため、新たに核兵器を持った国が現れたことを意味していた。結果としてイランによる核実験が疑われ、大統領はイランへの極秘爆撃計画を指示する。しかし・・それはイスラエルによるものと副大統領の機転により判明した。爆撃計画は寸前のところで回避され、大統領は急遽イスラエル首相をホワイトハウスへ呼び出すメインストーリーはこんな感じ。

これはこれですごい。イランの大使をスイス大使館に呼び出して確認する次第ややりとりも、当然さもありなんという内容だ。
爆撃命令を知ったスタッフがイランを空爆するのではなく"国連に任そう"と言うのに対し首席補佐官は"国連は何もしない。爆撃にも反対するだろう。そして我々を非難するだろう。だが(本音では)こうしたことはアメリカに何とかしてもらおうと思っている。そして我々を戦争屋とか帝国主義と呼ぶのに疲れたら、ほっとしたなと言いながら乾杯するんだ"と。このあたりも正にアメリカ政府の本音のように聴こえてくるのは私だけだろうか。

そしてクライマックスではホワイトハウスに呼び出したイスラエル首相と大統領はふたりだけでこんなやりとりをする。
イスラエルの核実験に対し、核拡散の驚異を諭す大統領に対し、イスラエル首相は"アメリカが理想とする地球上の核兵器の数はひとつでしょう。当然か傲慢かは別にして見当違いでしょう。"と答える。

更にイランの核開発がイスラエルに驚異を与えるのは認めるという大統領に対して"驚異ですって?600万の我が国民を抹殺したいと思っているのが2億人もいるのですよ。抑止力としての核は必要なんです。それは冷戦時代のアメリカの戦略と同じことをしているだけだ"と。

そしてイスラエルは核を持つのは国が生き延びるための手段だと言うのに対し、バートレット大統領はこう言って長い沈黙になる。イスラエルは国際的には核武装国でないけれど、アメリカの常識では当然核武装済なのだろう。直近でもリアルなブッシュはイランを次の標的として今回のドラマを現実のもののようにしようとしていたが、その背景にはドラマのようなアメリカ社会を影で支配するユダヤ=イスラエルの存在はそれだけ大きいのだろう。

そんな現実を踏まえた上で、しかしドラマではありながらバートレット大統領はこう話した。長いけれど全文引用する
"核爆弾の開発に関わった物理学者は全員その使用に断固反対しました。アインシュタイン、オッペンハイマーシラードハンスベーテはこう書いています。水爆を使って戦争に勝ったとしても、後世理想の為に戦ったとは言われない。爆弾を試しただけだと言われる。ジンギスカーンの戦い方と比べられるだろう、最後の一人まで敵を切り殺したジンギスカーンと"

こんな脚本を書ける者は日本にはいないと思う。それが山田太一であろうが、倉本聡であろうが絶対できないだろうなって。愛だ、恋だ、家族だっていうレベルを越えた世界ではあるので。
しかしである。こんな政治ドラマでありながら、サイドストーリーとして以下のようなロマンに満ちた、それでいてメインともシンクロする周到さには、もう敬意を表するしかない。こんなドラマも年に1度は見たいなあ。

サイドストーリーでは同じ日、政策補佐官のジョシュはNASAの予算陳情を受けていた。火星探査計画で、400億ドル必要だと言うが、ジョシュは全く相手にせず軽くあしらってその場を後にした。
そのあと、その場にいたNASAの女性科学者(これがまた知的で美しい!)がジョシュのオフィスを訪れ,国民には心の豊かさも必要ではと言って"宇宙の姿を見てから結論を出してくれ"と観測会に誘った。

ネブラ星雲を見て驚くジョシュに科学者は"それはガスと塵でできている。星も生まれて死ぬの。私たちの体の原子も星の爆発から生まれた。ジョニミッチェルが歌ったとおり、私達は星屑ね"そうようやく、今回のタイトルの内容にたどりついたのだ。フ〜。982446578_167s

そのジョニミッチェルの歌は"ウッドストック"
その中で彼女は"私たちは星屑
 私たちは金
私たちは10億年の古き木炭です
そして私たちはその庭に戻らねばならない
"と歌っている。

この一見無関係なエピソードがどう結びつくのかって?
ここからは宇宙物理学になるが今年のノーベル賞とも関係があるのだが、
140億年前のビックバンで生まれた宇宙。しかしその時点では宇宙には水素とヘリウムしかなかった。その後核融合で元素番号26の鉄までは出来るが、27以降92のウランまでは存在しない。
鉄の原子核は極めて強固でそれ以降の原子は生まれない。これでは生物、とりわけ人間のような複雑な高等生物は生まれないのだ。
そのためには中心核の鉄がつぶれる超新星爆発が起こらなければならない。
それは鉄がつぶれることによって大爆発が起こるのだが、それを起こす為には鉄の原子核の陽子が電子を喰って中性子となり同時にニュートリノを吐き出す。この時出来た中性子が鉄とくっついて元素番号92番ウランまで一気に元素を作り出して宇宙の塵となって宇宙中にまき散らされていくことになる。この時バラまかれた92の元素があって初めて生物の誕生まで結び着くという壮大なドラマが生まれるわけだ。

しかし皮肉にも92のウランから、それによって生まれた人類がプルトニウム以降118までの元素を生成し、核爆弾を持つに至り、しかもそれを結局は自らを傷つけ合い、抹殺するために使用するというのはこれ以上に皮肉はないと思うのだが。
因みにこの超新星爆発を起こすためにはニュートリノが重力エネルギーを持って散らばらなければ爆発も起こらず、しいては戦争を起こす人間も生まれない。それを踏まえた上でのバートレット大統領の最後のコメントは本当に重いと思う。それを45分のドラマに凝縮するのも更に凄いけれど。

そしてウッドストックをオマージュしてジョ二ミッチェルが私達は星屑と歌うということに星空を見上げながらさりげなく織り込む心憎さ・・。
こんなドラマをもっともっと見たいと思った次第。
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長い事ありがとうございます。たまにはね。連休だし・・

※参考までに
 ●ネブラ星雲のYou Tubeを(文字をクリック)
  

 ●ニュートリノ理論を小柴さんのお話で(文字をクリック)
  

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2008-10-31

フィラデルフィアは••今日は経済の話

Img_c201フィリーズが優勝した。
今頃はフィラデルフィアではしばし金融危機も忘れてお祭り騒ぎだろう。
監督は赤鬼マニュエル、ヤクルトと近鉄で大活躍した強力助っ人だった。
聴くところによると大リーグでは1割打者だったらしいが、顎に死球を食らってもアメフトみたいなガード付ヘルメットで打席に立った、如何にも日本人受けするエピソードに溢れた熱血漢だった。そんな彼も64歳とのこと、確かに確実に時代は流れているということか?いずれにしても決して強力なチームではないフィリーズを頂点まで連れて行った手腕は賞賛されるべきだろう。田口ともども(結局彼はほとんど試合には出ていないが、強運だけはチームに貢献したのかも知れない)おめでとうと言いたい。まるで楽天と横浜みたいなチーム同士だったけど、金満チームじゃないという点では,今のアメリカの象徴かも知れない。

実はフィラデルフィアと言うと、コールドケース、リリーラッシュが今はおすすめだ。と言っても誰もわからないか?大好きな海外ドラマ、フィラデルフィア市警の殺人課、所謂お蔵入り事件を解決していくドラマだ。とにかく主演のキャスリンモリス演じるリリー ラッシュがキュートで引き込まれてしまう。同時に事件が起こった当時にヒット曲が流れる再現シーンと当事者が時間の経過分だけ年老いて今の時代を演ずるパラレルな構成もなんとも魅力的だ。

さて、話は経済に。
口曲がり首相にとっては、ラッキーな金融危機。まさかこれを口実に解散を先延ばしにしてバラマキ政策で少しでも支持率を上げようという姑息さは、余にこの国の現実を写す鏡のようで情けない。

小泉・竹中ラインのなんちゃって新自由主義経済で、儲けることが善という幻想を植え付け、挙げ句は郵貯資金もリーマンに任せる形で大損金を計上している。競争=善というのは一見真っ当に見えるけど、結局は逆ハンディキャップ戦しかできないわけで(そもそもスタートラインが同じ競争なんてリセット無しにはあり得ない)、強いものがより強く、弱いものはより悲惨になるのは目にみえていたはずだ。今の格差社会なんてできるべくしてできている。こんなマヤカシに気づくことなく、まねっこ先のアメリカの破綻で、ようやく気がつくという愚かさ。その小泉はちゃっかり息子を後継に仕立てあげているのだから、結局はそのレベルであったということか。

ただ、一部の金融貴族や新バブリー連中を除けば(ヒルズや汐留辺りのペントハウスの住人は心穏やかではないはずだ)日本のファンダメンタルは底固いことを忘れてはいけない。株価大暴落で何十兆円も消えたと騒いでいるけど、結局は金融工学で膨らんだ仮想資金が消えただけだと思う。でなければ、円高ではなく円安にシフトするはずだ。現状は基軸通貨のドルを基準に大騒ぎしているが、単純に考えれば11000円の株価が8500円で22%も下落したが、円は110円から95円に上がったわけでこれは価値が1.15倍になったことになり、実質的な株価価値は8500円×1.15=9775円で11%しか下落していないことになる。今回の暴落でこの程度なのは多分日本ぐらいだろう。何せアメリカは株とドルが同時に暴落している訳だから。

確かに輸出産業中心の日本にとっては円高は不利かも知れないけれど、同時に日本は資源のない国で加工貿易が基本である。当然輸入品は安くなる。更に一時1バーレル140ドルだった原油も今は65ドル、しかも円高ということで当時の感覚で言えば実質50ドル、そう1/3位になっている計算だ。しかもアメリカ経済は短期的な失速でなく、根本的には実態経済はとうに破綻しているわけだから早くても10年以上は立ち直れないはずなので、新たな市場開拓という命題は残るものの、日本にとっては好機と考えるべきだろう。株価も思惑というか、世界中を廻るファンド資金の影響で同時株安になっているけど、落ち着けばファンドの架空資金が力を失えば、実態経済に合わせて上昇に転ずると考えるのが普通だと思う。唯一の心配は、どうみても経済が判っているとは思えない口曲がり政府で、その意味でも1日でも早い退陣が必要だと思う。

そして、今や政策の大転換が必要なのは、小泉/竹中シフトで萎んだままの国内需要、購買力の拡大政策だろう。安易に金儲けしやすいバブリー市場に目がくらんで、アメリカや実態のない富裕層にシフトした商品企画が、実は意味がなかったことがますます明らかになってきている。今こそ市井の市民にとっての必要な商品開発、それを支える政策、そう、こう言う時期だからこそ給与を上げて国内市場の拡大を図るべきだと思う。こんな時になんていう経営者は即刻辞表を出せばいい、埋蔵金は霞ヶ関だけでなく、大企業の懐にも溜まっているはずだ。何しろイザナギ景気を越える景気拡大と言われた時にも、一切給与を上げず、万一の時に備えるなんて嘯いて内部留保していたことを忘れたはならない。実態経済は廻ってなんぼで、どこかに滞留するだけでは活性化しないのだから、今こそ経団連でもなんでも音頭をとって、数年前に遡って利益の適正再配分を図るべきだと思うが如何に。

口曲がりが考える瞬間的なお年玉なんて全く意味がない。ましてや選挙をのばす代わりに池田君に恩を売るぐらいにしか思ってないのだから(さすがに愚かな国民も今度は騙されないと思うけど••)

かわいいリリーラッシュを見ながら経済のことを考えてみた。

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2008-09-21

真夏の"世"の夢・・本当の勝者はいたのだろうか?

今起きていること。

見せかけの経済発展(金で金を増やす)が結局はまやかしであったことが明確になっていること。

資本主義の限界。地球という枠が決まっているにも関わらず常に拡大再生産を原則とする思想の行き詰まり。まあ、共産主義も突き詰めれば共同資本主義だけどね。
そう、全員が搾取する側になってしまった時点で完全行き詰まり、勿論経済以前に13億の中国や11億のインドの民がアメリカや日本と同じような経済水準になる時点で化石資源は枯渇し、環境も壊滅的な状況にはなるけれど・・

そして残念だけどこうした資本主義の矛盾を隠してきたのが、世界戦争であり(冷戦を含む)聖戦という名の侵略だったこと。
戦争の熱気は為政者の無策、悪政の露見をあいまいにし、仮想敵国が破れることによって矛盾をリセットしてきたのだと思う。

結局、資本主義の勝者とは極極一部の富裕者で、それ以外は一定の自由という"餌"を与えられた"家畜"や"奴隷"だけであること。資本主義のうまいところはこの"奴隷"の中にヒエラルキーを持ち込んでより"マシな奴隷"と、より"悲惨な奴隷"の存在を見せつけることによって"奴隷"が"奴隷"と気づかないようにすることだろう。

こんな資本主義の元締めのアメリカ=ネオコンの戦略にそそのかされて、展開されたのがこの国の"小泉改革"であることを忘れてはならない。
つまり"奴隷"たちのあいまいなヒエラルキー=日本では総中流意識とも言われた、では矛盾が露見してきたので(戦争で誤摩化すことができないので)よりヒエラルキーを明確にする政策、同時に禿鷹のような金融資本の片棒を担げる竹中=小泉にとっては一石二鳥の政策、より明確に格差をつける政策だったのだ。今回破綻したんリーマンブラザースもあのホリエモンのスポンサーのひとつだし、そのホリエモンを時代のヒーローの様に扱ったのが小泉改革だったことを忘れたとは言わさないよ。

こうした流れの中で、成果主義なり実績主義なりという言葉が跋扈することになる。しかしねえ、何を持って成果とするかはとても難しい。それを評価するには数値しか見えない訳で、それ以上になると評価する人間がいるということで、その時点で絶対なんてことはありえなくなる。
結果、成果主義=数値主義になった時点で、ごまかしはいくらでもできるようになる。

汚染米の問題も、地方の農政事務所にとっては如何に汚染米、事故米の処理効率が優先され、ありえない汚染米の活用方法なんてどうでもよかったのだろう。だれでもわかる常識でも表に出なければ、処理の方が優先されている実態は、この国の官僚制度が、国民に奉仕することより自らの出世やキャリアが優先することにシフトしているのもこの成果主義のなれの果てでは。つまり、成果主義を実践するのは、国であれ,企業であれ、それを遥かに上回る倫理観が要求されることをどこかに置き忘れてきたこと、そうこのことってこの国のある面、美徳のひとつであったはずなのに、耳障りのいい成果、実績という言葉の前に忘れてしまったことだと思う。

そして,社保庁の厚生年金の標準報酬のごまかし疑惑。単純な話、納付率をあげるために分母を減らす手法なので、組織ぐるみと言わず何と言おう。厚生年金は天引きされる分については取りっぱぐれはない。しかし企業側はそれに応じた負担をしなくてはならない。不況でその分が払えない企業が増加すると,全体の納付率は下がる。それを避ける為には、天引き分を下げれば、企業側の負担も減るし、下げた分を本人に返却するわけではないので、それを企業負担分に当てたり、最悪の場合は社保庁職員のポケットに入れることもあったというものだ。こんな操作、組織ぐるみでやらなければできっこない。それを早計には言えないなんていう官房長官、まあ彼は官僚の代弁者でもあるけど、こんなごまかしがまかり通るのも信じられない。

そして何より許せないのは、この汚染米、厚生年金ごまかし疑惑は、自民党の総裁選直後に出されたことだ。つまり姑息な官僚は、政治が、この場合国会が機能しない時期を狙って小出しにしてきたことだと思う。

唯一の計算違い、これは自民党も同様だが、出来レースを出来レースに見せないために泡沫をいっぱい出して盛り上げようとした総裁選だが、まだ小泉フィーバーの反省が微かに残っていたメディアが少し二の足を踏んでいた。確かに厚生年金ごまかしの方が奥が深いので,判りやすい汚染米に関心が集中したのは社保庁の計算どおりだったかも知れないが、結果総裁選は霞み、変態大臣、こいつは福田の親戚で縁故大臣でもあるが、ヘラヘラ笑って花束を受け取って辞任した。農水省の感覚も、自らの置かれた立場を考えれば、花束を贈る状況ではないのに、その感覚すら薄れているのだろう。

何やら、今起きていることを見ると本当に勝者はいるのだろうか?
生まれた国に自動的に隷属される制度って本当にどうなのだろうか?
生んでくれた親を選べないのは当然としても、
国って選べないのかしら?言語という枠はあるけれど、共産主義も資本主義も限界が明確になった時代に,企業や金が国境を越えて飛び回る時代に、真に国民の生活や人権を守ろうとしない国を自動的に決めつけられてしまうことは,果たして今の時代にふさわしいのだろうか?
少なくとも選択枝、例えば成人となる時までは、生まれた国、親が責任を持つけど、成人になる時点で本当に日本という国の民として生きて行くかどうかの選択をする機会があってもいいと思うけれど如何に。

こんな時選ばれない国って悲劇だよね。そうならない為にもいい国にしようと思うんじゃないかしら。これも楽観的に過ぎるかもしれないけれど。ね。

結局、真夏の世に勝者はいなかったのか?
でもどこかで自分だけはってほくそ笑んでいる奴らがいることは確かなんだけど、奴らにしたって何のために生きているの?って、金があれば幸せなのって問われれば,明確に答えることができないと思うけれど。それでも勝者なのか?私には判らない。

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2008-08-17

愛の傾向と対策って

Ak11970年代にあった変わった本だった。
あの?松岡正剛さんが工作舎という出版社まで作って創刊した本だった。
多分、比叡おろしの作者であるという知識とまだイグアナ芸などで知る人ぞ知るっていう存在だったタモリとの本っていうことで購入したと記憶がある。

余談だけど初期の頃のタモリは4ヶ国対抗麻雀とか牧師ネタなんかがとにかくシュールで面白かった。秀逸なのは確か、第1回の24時間テレビの深夜枠(鶴瓶なんかと違って本当に深夜っていう感じのプログラムだった)で同郷の小松政男との木工場ギャグはとにかく抱腹絶倒のおかしさだった。

さて、その本とはしゃべる本プラネタリーブックス"遊"と言う。
その16号ということで、全編松岡正剛とタモリの対談?集になっている。
表紙には"ケセマタ問答に笑気をよぶ 存在と精神のための遊学テキスト"とあり、タイトルとして"タモリvs松岡正剛 愛の傾向と対策"と記載されている150ページの本である。

実はこの本、先日亡くなられた赤塚不二夫さんとのやりとりも記載されており、そのおかしさをもう一度確認したくて家中を探しまくっていてようやく見つけたものであった。

今久しぶりに手にしてみると、コート紙の立派?な表紙とは別に写真が巻末に2枚だけある文庫本みたいな貧弱なモノクロ印刷。この体裁で1980年に800円という価格は結構高価だったような気がする。確か雑誌とは言えCGでも500円程度じゃなかったかなあ・・。

さてさてその内容だけど、何しろ二人の会話を本にしたものだから、省略が難しい。少し多めの引用だけどお許し頂きたい。

"第3談 ケセマタ実践指南 葬儀で遺体に見つめられたゲンシュクなるおかしさ"からの引用である。

"タモリー葬式もおもしろいですよ。葬式はボクも大失敗してしまったんですけれど。

セイゴウーホウ。

タモリー赤塚不二夫さんのお父さんが亡くなったんですよね。で12時過ぎまで仕事があった日で、訃報を聞いて夜出ていった。彼の家は1階が応接間で2階が仕事部屋、三階が住居になっている。で、まず3階に上がっていって、仲間うちが集まっているから、急にしおらしく入っていくのもなんだし、こういう商売してると「どうも、アアどうも!」って入ってっちゃうんですよ。(笑)
 で、みんな落ちこんでるでもなく、遠慮しつつも盛り上がってる。で、ひとり根の暗いヤツが一座のなかにいて、で、オレのほう向いて「祭壇が下にあるから、ちょっと御線香をあげてこい」「あっ、下にあるのか」って、そのままスーと下へ降りていくと泣いてる人がいるわけですよ。そりゃヤッパいるでしょうけれど(笑)りっぱな祭壇で、こんな雰囲気のところでは、ちゃんとシュンとする人なんだなァとおもわれようか(笑)と考えたりして。「どうもこのたびは・・・」っておくやみを言って、ちょっと顔を下に向けてふし目がちにしたり。(笑)でも、それでもまだ足りないんじゃないかって気がして、最後に祭壇のとこにフトンがかかってるのを・・・、ふつうそこにそうなってれば、遺体が置いてあるもんだと思いますよね。ところがそのときは、亡くなったお父さんのお姉さんがお別れだというんで、一晩だけいっしょに寝たいので、祭壇の前にフトン引いて寝てたわけなんです。それをこっちはてっきり遺体だとおもって、ここで顔見て涙流せば、みんな「アア・・・」って感動するんじゃないかって。(笑)で、「このたびは・・・」とか言って、「アア・・・」って感じで祭壇の写真見ながらス—ッとフトンをはいでいくと、キタネェババァがいるんですよ。(笑)ナンヤン、なんだろうなァ、アレお母さんが死んだのだろうかなァ・・・、と。いや、お母さんはとっくの昔に死んでるはずで、おかしいとおもって見てると、向こうもフトンはがされて急に明るくなったんで薄目をあけながらジーッと見てるわけですよ、ボクのこと。(笑)で不二夫が降りてきてね、ボクのことトントンってたたくんです。「ウン」しかたないから、またきれいにこうフトンを着せてね。(笑)
 失敗したなァ、あれ一度、友だちなんかの失敗談ばかり集めて映画撮ろうって話もあった。葬式に参列した友だちがお焼香の番になって立ち上がったけど、足がしびれて前に出ない。しょうがないんで、横でお経をあげていた坊主の頭ごしに・・・。(笑)なかには、葬式の後に仲人をやるヤツがいてね。仲人の祝辞を間違えて弔辞を読み始めてね、(笑)それを続けて読むわけにもいかず、どうやってツジツマ合わせようかってんで「菊薫るよき日にああなんということか・・・」、(笑)「結婚は人生の墓場とも申します。焼いているうちが花、焼かれるとタダの骨」。(爆笑)
 それから葬儀のとき、柩に遺体を入れて板を釘で打つでしょう。その釘がフニューとまがったり、取れなくなっちゃりとか、長い階段で柩を運び出すとき、前のヤツがおもわずつまずいて、転んだとき、柩がダーンと前の道路に出ちゃって、飛び出た遺体をクルマが轢いたりして、それを見てたヤツが110番なんかして、(笑)救急車に乗っけられてまたもとの家にもどったりして・・・。(爆笑)

セイゴウーハハハハー。もう続けられない、コレハ。"

Ak2
以上約1ページ半ほどの引用だが、全編松岡さんがタモリに聞くスタンスで構成されている。遊自体が得体の知れぬ本なので、内容についてもどうこう言うものではないが、先日の赤塚さんの葬儀でタモリの弔辞がいろいろ話題を呼んでいたのでここにご紹介した次第。

愛の傾向と対策。そのパクリタイトル自体もあの時代の名残のような気がした。

最後に読み直してみて、おかしな記述に気がついた。
ご存知のように松岡正剛さんは一時期六文銭とかかわっている。それに関する記載がいや〜どうなのっていう内容だった。
六文銭のネーミングは小林雄二さんが月と六ペンスが好きで、たまたま歩いていた時に見た看板からイマジネーションして"六文銭"という名前にしたというのが定説だけど、この本の中で、

セイゴウーいま,ハナモゲラとかあらゆることを発明しているエネルギー源として、スウィングした音だけのすごさはもちろんのこと、なにかあのジャジーな言語感覚というか、おもわず身体の中央からほとばしる言語に対して、ひじょうな共感があったのではないかという気がする。ボクはあった。ただボクは小室等なんかに引っぱりだされてフォークをやった。「六文銭」なんて名前をつけてあげたりね。

タモリーああ、あれは松岡さんですか。

え〜っていう話。どうも大文化人の松岡正剛は自分を尊大に思うのかしら・・って急に私の中では評価が下がってしまったのだけど。
30年振りに読み直した本で、意外なものを見つけてしまった心境である。と同時に当時はそれが真実だと思っていたのかと思うと・・・。

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2008-01-29

おごりと民意の大阪

まあ,結論から言えば民意のレベルにあったものしか選ばれないのだろう。
橋下君が選ばれるのは大阪府民のレベルだからとやかく言うつもりはない。

ただ橋下君がメディアで偉そうなことを言えば言う程,その底の浅さが透けてみえる。結局、選挙戦術で公認としなかった自民党や公明党に早速お礼まわり(本来の意味で)に廻り、明日には福珍まで挨拶にいくとなると,結局政党のしばりの中でしか動けないことを自ら証明しているだけだろう。所詮、政治理念とか改革意欲というより,知名度のみで選択された候補だから仕方ないが。

橋下君はせっかく近くに嘉田知事といういいお手本がいるのに,パフォーマンスしか能がない彼には無理なのだろう。派手さで東国原に脚光が当たっているけど,パフォーマンスでなく実行力で支持を固めていく手腕の方が本物のような気がする。今や保守系県議すら彼女を支援するくらいだ。どちらも行政には素人だが,腰の座りは彼女の方が数段上だろう。

かっこつけながら権力にすり寄る姿に,府民が失望する日もそんなに遠くないとは思うのだが。そしてかなり断言しておくと,彼には大阪府政の改革はできない。何故なら、府政与党の上に乗って何を改革するというのだろう?ましてや権力のためだけにへばりついている宗教政党も一緒になっているのだから。田中康夫は知事になる前から理念を持っていた。だから長野県全体を敵にまわしても改革を推進しようとした。結局、権力にすり寄るメディアに妨害されてしまったが改革自体は3期分ほど実施したと思う(今また元にもどりつつあるが)。残念ながら,橋下は選挙というゲームには勝ったが,と言うか知事になることが最終目的で,その後何をするのか全く見えていない。そしてそのブレーンもいるようには見えない。このあたりが何をやるかを明確にして,そのために知事になった嘉田知事との違いだろう。

宮崎県の規模ならパフォーマンスだけでも誤摩化しは効くが、大阪では無理なことは横山ノックが証明している。石原も馬脚を現さないのは、税収が大きいだけである。その意味でも,ダメならタレント&弁護士に戻れるという甘えがミエミエの彼には全く期待ができない。

無論、そんな彼に大学教授しか出せなかった民主党もなさけないけどね。

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2008-01-27

地デジの闇は・・

以前にもCPRMのことについて書いたけれど,最近のアクセスを見てみるとこの記事に関するものが増えてきているので,もう一度整理して書いてみることにした。

本当に日本の行政府というのは,無責任というか我々庶民の負担なんて何も考えていないと思う。
誤解があるといけないので整理すると,地デジ化とCPRMとは直接的な関係はまったくない。大本営発表のメディアもこの点については知らんぷり。勿論、これを契機にAV機器の買替需要で一儲けを企んでいる家電メーカーや量販店も明確な情報を発信していない。猿でも判るとは猿に失礼ではあるが,今起ころうとしている問題を以下にまとめてみた。

●地デジ化の意味・・現在,主にVHF波によりアナログ放送されているテレビ番組をUHF波によってデジタル信号による放送に切り替えることである。現在2011年7月に完全切替する予定である。

●地デジ化の目的・・圧倒的な携帯電話の発達や無線によるインターネットの発達でもわかるように,現在の生活においては目に見えない電波が無数に飛び交っている。この電波は周波数によって区分されているのだけれどその区分は無限ではない。つまり,このまま進むと使える電波の枠が無くなってしまうということで,比較的大きな電波の波(帯域)を使うテレビ放送をより狭い波でも放送できるようにUHF波に切替,更には放送をデジタル化することにより効率的に電波を使おうというのが元々の発想である。

●地デジ化の影響・・今、家電量販店のテレビ売り場に行くと"2011年シール"は各テレビに表示されている。しかし,これもまた不親切というか正確ではない。つまり,放送電波が異なるので,当然そのままでは2011年7月以降放送は写らなくなるが,正確には受信部(チューナー部)が使えなくなるわけで画質等に拘らなければ地デジチューナーもしくは地デジ付のDVDデッキ等を繋げば放送を見ることは可能である。もう少し詳細に言えば、現在UHF局(ch13以上)を受信していない場合は電波を受けるためのUHF用のアンテナを新たに取り付ける必要がある。(逆に現在UHF局を受信しておれば,テレビ塔の位置が大きく変わらなければアンテナを建てたり、方向を調整する必要はない)。ともするとテレビから何から何でも買い替えないといけないと誤解する方がいるので要注意である。更に今の話は個別のアンテナの話なので,マンションや団地等共同受信アンテナであれば,まずアンテナのことは考えなくてもいいと思う。(大家が何も考えてないと問題だが・・)

さてテレビ受信のみに限れば、上記のとおりで地デジテレビに買い替え,アンテナの問題がクリアできれば一番簡単な解決策である(勿論、お金は一番かかる)。そして一番お金をかけなく受信するためには(アンテナの問題はおいといて)現在、約2万円程度の地デジチューナーをテレビに繋げることになる。可能かどうかは知らないが総務省はこのチューナーを何とか5千円程度で販売するように要望を出しているが,その価格に根拠があるのかどうか?メーカー側としても何とかテレビ自体を買替させたいのに,わざわざ採算ベースにのるかどうか判らないこの案を真剣に検討するとは思えないんだけど・・総務省が本気かどうかも疑わしい(まあ,お役人は悪くないですよっていう逃げにしか見えない)

そしてもうひとつ忘れられがちだけど,今や家庭に1台だけのテレビっていう方が珍しいはずだ。大小のテレビでいえば2,3台あっても不思議ではない。今の話は一家ではなく,1台ごとの話だからそのための負担っていうのは大変な問題であることがわかるだろう。この格差が広がる時代に,たかが?テレビを見るためだけに一家あたり最低でも6万も8万も負担を強いることが許されるのだろうか?言い忘れたけど当然、車についているテレビも同様(最新のワンセグ12セグ付は問題ない)に写らなくなる。

以上がまずテレビだけの問題である。これだけでも大問題だけど,家庭の負担はこれだけでは済まない。まずビデオデッキ、これもチューナー部は上記テレビと同様なので2011年以降録画はできなくなる。実はこのことはあまり言われていないし,後に述べるCPRMに関わると全くの使い物にならないので,言えないのだろう。

●地デジ化とCPRM・・これまでは地デジ化のことを述べてきた。しかし,もっとやっかいなのはCPRMである。すでに書いたように地デジ化とCPRMは同義語ではない。何故ならスカパーなど衛星放送はデジタル放送だがCPRMとは無縁である。但しスカパーでもe2の方は別だが。いい方を変えると放送電波をデジタル化したからCPRMも可能になったということだ。では何故CPRMなのか?これは大本営発表では,今回の地デジ化は同時にハイビジョン放送を前提としていることが関係している。これも誤解を受けそうだが地デジとハイビジョンも直接的には関係がない。今、この問題が理解しにくいのは,●地デジ化、●CPRM(一応ここではコピー制限としておこう),●映像のハイビジョン化という3つの無関係な要素を地デジ化という言葉だけで片付けている点にあると思う。

大本営曰く,ハイビジョン放送を前提とする地デジでは,映像品質を全く劣化させずに録画することができるようになる。それをこれまでのように個人レベルではダビング自由とすると,映像の著作権上甚大な問題がある。従ってそれを防ぐ意味でもダビングはできるもののそれはムーブといってダビングと同時に元映像は消去される(1回だけコピーできるのでコピーワンスと言う)ということだ。つまり録画はできるがコピーはできない。しかもダビング後にそれをもとに複製ができないように,あらかじめダビング規制ができる機能を持った複製先しかダビング自体ができないようになっている。この機能をCPRMと呼んでいるわけだ。

多分、一般の方は今書いたことの半分も理解できないと思う。(私の文章力の欠如で申し訳ないのだが・・)この3つの要素で,2011年以降(実は一部ではすでに問題があるのだが・・)どんな問題が起きるか整理してみよう。以下のチェックリストでご確認頂きたい。

1)2011年7月以降今のままでは使用できないもの
●地デジ対応でないテレビ(車両用なども・・)=地デジチューナーなどの接続が必要
●地デジ対応でないVTR,DVDレコーダなど=録画は完全に不可。これまで録画したものの再生は可。
●CPRM対応でないDVDプレーヤー=通常のビデオモードのDVDは再生できるが,地デジ対応しているDVDレコーダで録画したDVDは再生できない。
※パソコン等でDVDを見る場合も同様である。
●テレビ音声が聞けるラジオ、ラジカセ等=放送電波がVHF波からUHF波にかわるので,受信ができなくなる。

2)地デジ対応のテレビ、DVDレコーダ等で注意すること
●当たり前だけど再生以外でVHSのビデオテープレコーダは使用できなくなる。メーカーとしては売れない物は作らないので約8年で修理部品もなくなる。つまり,VHSテープにある保存しておきたい映像については早めにDVD等にダビングしておかないと将来ビデオテープレコーダが壊れると見ることができなくなります。
●地デジ映像を対応したDVDレコーダで録画したものをDVDにダビング(ムーブ)する場合、通常のDVDにはダビングできない。必ずCPRMに対応したDVDにダビングすることになります。
※DVDへの記録方式を従来がビデオモードだったものがVRモードでの記録となります。
※DVDにダビングするとDVDレコーダ内の元映像は無くなります。
→つまり,友達などにダビングしたDVDを渡すと自分の手元には映像が無くなります。

●アンテナについて・・地デジはUHF波を使用するので,今UHFの局を受信していない場合は,UHF用のアンテナを建てなくてはなりません。(集合住宅等は管理者に確認してください)
※今、UHF局を受信できておれば,地デジ用のアンテナをわざわざ建てる必要はありません。但し、放送電波を発する電波塔(所謂テレビ塔)の位置(家から見た方向)が違う場合は,受信角度調整が必要となる場合があります。

以上です。どうです?2011年7月に起きる地デジ化ってこれだけ大変なことなんです。草彅君が言ってるだけほど簡単でないことはお判り頂けたと思うのだが・・。

結果的に最悪の場合、テレビを全部地デジ対応に変え、DVDレコーダも変え、カーテレビもワンセグ等に変え、アンテナまで新しく建てることによって得るのは,単に!?ハイビジョン化された映像(一応双方向通信等もあるけど・・)だけで,ダビングは事実上できないという不便さだけが増すだけって,何のための地デジ化なのかを,真剣に考えるべきかと思う。

因みに地デジ化/ハイビジョン化されたアメリカ、知的財産権にうるさいアメリカでは,CPRM化はされていない。一般家庭では今までのようにコピー/ダビングが可能である点は見逃してはならない。喜ぶのは家電メーカーや量販店だけっていうのは,(それに関連する仕事ができた官僚連中)どう考えてもおかしいと思うのだけど。
更に言えば、肝心のCPRMだが,すでに台湾や中国辺りではこのコピーワンスをクリアする機器は開発されているので,著作権保護については全く意味がなくなっていることを付け加えておこう。それをコピーワンスじゃなくて9回まではダビングできるようにしようというコピーナインスにすることで誤摩化しても対応する機器、DVDの問題は解決しない。更に国内でも地デジ映像を画質を落としてCPRM解除してダビングする機器は画像安定装置という名で販売されていることも・・

本当にますます何のための地デジ化なのか,その闇が広がるばかりである。

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2007-01-25

戦争を知らないこどもたち!?

TBSラジオでネットされている中で唯一聞ける番組アクセスを聞いた。実際にはPodcast配信だが、オンタイムでは康夫ちゃんと二木さんがパーソナリ ティの時は良く聞いているが、今日はM2と言われる宮崎哲弥と宮台真司によるポップカルチャーぶった切り大会の回であった。Jpopはすでに死んでいるか ら、糞映画までありとあらゆるものを切りまくっているが、すべてを紹介するよりご自分で聞いて頂きたいのでiTunrd Storeで無償でダウンロード(計1時間程度の放送)できる。(興味のある方はどうぞ)

m2にすべて同意するわけではないが
この話だけは妙に説得力と自分の中で最近悶々としていたものが
氷解した思いがした。が、しかしそれは自分がひとつ前の世代へ
移行していたことを認めることになるのだが・・・。

戦争を知らない子どもたち、言うまでもなく、サムこと北山修が1970年、大阪万博の時に書いた曲である。ここで言う戦争とは、当然のこととして第2次世界大戦=太平洋戦争のことであるが、宮台真司曰 く、彼の学生達にとって、この戦争は"THIS WAR"ではなく、"WARS",つまり一般的な戦争になっているというのである。この曲が作られた1970年とは、波乱に飛んだ60年安保と異なり、 70年安保のそれは経済発展という光=功の部分が強調されることにより、若者のエネルギーが政治ではなく金に向かうきっかけになったターニングポイントの 時代であった。しかしこうした経済発展を謳歌する日本の周辺ではベトナム戦争がインドシナに拡大し終わりの見えない泥沼にはまりつつある時代でもあった。

日本だけの繁栄の中で飼いならされて行く家畜人が増加していく中、外の世界との繋がりの中で精神だけは前を向いていきたいと思う若者達にとって、 この歌は心の拠り所として世代を代表する歌でもあったと思う。一旦世に出た歌については解釈を規定することはできないものの、北山修が表現したかったの は、当時の大人達の"おまえら戦争(悲惨で苦しいの意)も知らないくせに偉そうなこと言うんじゃない"という言葉に対し、宮台言うところの"負""傷"を 持たないことによる後ろめたさから声を上げないのではなく、"戦争を知らないけれど""知らないからこそ"言えることがあるんだという心の叫びを表現した のだと思う。

つまり、この歌にとって"戦争"とは日本人にとって"負"であり”傷"である太平洋戦争でなくてはならないのであって、一般名詞の戦争では意味が なくなるのである。つまり我々の世代にとって戦争と言えば太平洋戦争=敗戦のことであり、その闇があるからこその光でなくてはならなかったのだけれど、一 般論の戦争では闇の意識は働かず、だからこそ今の若い世代にともすれば戦争容認的な風潮が広がっているのではないかと思う。我々の世代にとってベトナム戦 争が我々の痛みとなるイマジネーションが働かせたのとことなり、今の傷や闇を知らない世代にとっては,イラク戦争は英仏のバラ戦争やアメリカの南北戦争の ごとく、決して自分達の痛みとして感じることのない虚構というか、モニターの中で起こるゲームのようなものとしてしか認識できないのだと思う。

そう、戦争を知らない世代に対し、戦争があったことを知らない世代が一定のボリュームを持ち出したのだと思う。ある面、権力者の思惑がうまく反映 できた世代なのかも知れない。彼らにとっては闇である悲惨な戦争のイメージはなく、まるで太平洋戦争前のように負けることを知らない、必要な戦争もあると 嘯く世代の誕生でもあるのだから。

実はm2のJPOP死滅論の根拠もメタファを持たない、痛みという共通認識を必要としない着メロの為だけの曲しかなくなった日本という結論であった。

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不都合な真実とご都合主義的事

不都合な真実
1/20から公開が始まったア不都合な真実とご都合主義的事実ル・ゴアの講演を軸にしたドキュメンタリー映画のタイトルである。
アメリカというのは不思議な国で、あれだけ好き勝手に世界中を引っ掻きまわすかと思えば、マイケルムーアの数々の映画やこんな多分企画段階で絶対とおらないような環境映画が市民権を得たりする。

映画の内容自体は正直、環境問題を少しでもかじったことがある者にとっては常識中の常識で目新しいものは何もないが、それよりアメリカのというか権力的には世界のリーダーになり得た人物が、そのすべてを投げ打って知らしめようと努力していることの方が重要なことだと思う。

この"不都合な真実"というタイトル、この映画のためというよりアメリカや日本などの権力者=政治家、官僚、資本家そしてメディアの連中にとっても極めて重要な意味を持つのではないか?
というか真実って、大抵権力者からみれば不都合なものかも知れない。

納豆問題したり、事務所経費問題したり、しかしあの他人事のような記者会見を見る限りフジ-関西のサンケイグループに不二家問題を糾弾する資格が あるとは到底思えない。またそのニュースを伝える他局や新聞、雑誌等のメディアも鬼の首を取ったように伝えているが胸に手をあててみると唇寒しとなるので はないか?1社くらい自分達への自戒を込めた記事として伝えるところはないのかしら?

サンデージャポンでテリー伊藤が自分の番組でもヤラセはあるでしょうと突っ込まれた時"あれが演出です"と答えていた。確かにテリー演出の番組を すべて真実と受け取る人もいないと思うけど、問題なのはメディア側があたかも真実であるかのごとく伝えることと、物事をなんでもかんでも○か×にしてしか 伝えられないこと、更にいえば自分達が裁判官であるかのごとき傲慢さだと思う。その理由を視聴率のせい=視聴者の責任のように言う構造こそが今回の問題の 根幹なのだから。

メディアは真実に対してもっと畏敬の念を払い、自分達が伝える事実によって少しでも視聴者が真実に近づけるような手助けをしているだけという真摯な態度を持たなければならないと思う。
弱きを挫き、強きに主ねるのが当たり前のメディアには猛省を促すきっかけになれば少しは救いはあるのだが・・。
加川良ではないが、みっともなくてもいいから謙虚でなくっちゃね。

ところで、ゴアに話を戻すと、彼はもう政治には関心がないと言っているが、アメリカが本当に世界のリーダーなのであれば、自国の都合で京都議定書 を無視し、兵器&石油産業のために戦争までデッチ上げるリーダーではなく、地球規模で物事を考える彼のような人物こそがアメリカのリーダーにふさ わしいのではないか?

もはや地球上では国というボーダーラインはそれほど重要な意味をもたないし、次の世界戦争は国対国より、国を越えた持てる者と持たざる者の戦いの ような気がする。更に言えばそれに繋がる人種間戦争のような気がする。それを防げる、あるいは調停できる人が世界のリーダーであるべきで、1国というか1 利益集団の代表レベルではとても持たないと思う。

ゴアを100%信頼するわけではないが、それに引き換え目先の選挙のために、残業法案を引っ込め日銀を恫喝しながら、自分のおもちゃみたいに共謀 罪や憲法改定をもて遊ぶ日本の首相は、政治家としての比較以前のうすら寒さを感じてしまう。もうどこかの島をひとつ与えて好きなように戦争ごっこでもして いてもらいたい。あんたの醜い美意識のために日本全体を人質にするのは許されないし、権力や利権のためにそんなぼんぼんにしがみついているその他大勢の馬 鹿どもをいっしょに連れて行ってくれると助かるな?

最後に私を除く,カミサンと子ども達は普段から納豆が大好きだが食べない私と比べて格段スリムとは思えず(どちらかというと・・)しかし、先々週 からスーパーでは納豆が売切で食べたくても食べられない状態が続いていた。その点では今回の事件は朗報だが、煽動にすぐ反応する国民の方も今一度反省が必 要だと思った。

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2007-01-19

CPRMと地デジ・・取り残されるのは。

ニュー スで盛んに言っているし、草彅君がキャラクターとなっているからご存知の方が多いと思うが、2011年から地上波テレビはすべて地上デジタル放送に切り替 わる。電波を出す側はせっせと機材の切替を済ましているが果たして日本中にある何千万台と言われる通常テレビが、只の産業廃棄物(しかもリサイクル法で有 料ゴミとなる)になることをどれだけの人が理解できるのだろうか?
この切替、大げさに言えば日本人が過去に経験をしたことがない大事件であると思うが、その認識が十分浸透しているとはとても思えないのだが・・・。

判りやすく言えば、世に90数パーセントのシェアを誇るウィンドウズPCがある日からパソコンはすべてmacのOSでしか動かなくなるようなもの だ。つまり昨日まで使えたパソコンが翌日からmacを買わないといけなくなると言う訳だ。しかもパソコンと違いテレビの普及率は100%以上だから、予言 してもいいが2011年は大混乱の年となる。

考えて頂ければ判るが、今や一般の方の情報の源はテレビであるのにそのテレビが映らなくなる訳だ。つまり"今日から変わりました"と伝えてもその ことすら判らないということである。しかもNAVIの装着が多い車でもほとんどにTVチューナがついているがこれも使えなくなる。ラジオやコンポでTVが 聞けるといったものもダメである。更に家電メーカーの思惑もあり、本来なら地デジチューナーだけ単体で商品化すれば、少なくともビデオが繋げるテレビなら 買替えなくても問題は解決するのだが、私の知る限り地デジチューナーのみを単体で販売しているのはユニデンだけで、大手メーカーは全く販売していない。つ まり、次の問題は本来はチューナーを買えば済むような(あるいは地デジ付ビデオ)テレビを、無知故にテレビごと買い替えないといけないと錯覚したら、日本 中に大量の産業廃棄物が溢れることになる。確かにメーカーや販売店はこの機に高いテレビで一儲けしたい気持ちは判るけど、果たしてこれでいいのかしら? (勿論、2011年までに更に格差が広がる社会ではそのチューナーさえ購入できない層が多くなっているような気がするが)
後、エリアは限られるが現在UHSの局がない場合は、アンテナも地デジ用のアンテナに変えなくてはならない。現在、1局でもUHS局が映っているのであれば、大抵の場合アンテナは流用できる。(地デジはUHS電波を使用している)

そして地デジ化に伴い、もうひとつの大きな問題がある。
それはCPRM、つまりコピーガードである。
実はこちらの方がもっと認知度が低い。と言うか下衆の勘ぐりでいえばあえて告知したくないのではないか?と疑りたくなる。
実は地デジ化とコピーガードは一体のものではない。現にCSはデジタルであるが基本的にはコピーガードはかかっていない。正しくは放送電波にコ ピーガードをかけるためにはデジタル化が必要であるだけでデジタルだからコピーガードにしなくてはならない訳ではないのだが、これも色々な思惑から同時進 行という見切り発車になっている。

一応理由はある。今回の地デジ化に伴い原則ハイビジョン放送が基本となる。そうするとデジタル→デジタルで録画すればデータの劣化なくコピーが作 れることになる。これが問題という訳だ。しかしこの場合劣化しない録画とはTS録画のことであり、これはデータ量が膨大なので一般のDVD-Rには数分し か録画できない。それこそブルーレイなどの新世代DVDでなければ実質コピーを撮るのは不可能である。当然画質を落としてDVDに録画をすることはできる が、それであれば現状のVHS録画と変わらないのだからコピーガードはTS録画のみにすればいいはずだが・・これもドサクサ紛れにやっちゃえっていう動き がメーカー/放送局側にあったのは否めない。

では、こちらはどんなことが起こるかと言えば、
現在のVHSビデオや地デジがついていないDVD&HDDは
ほとんど録画できなくなる。(こちらは本当にゴミになる可能性が高い!) 撮りためたビデオやDVD-Rの再生には使えるが。
またCPRM対応でないDVD-Rなどへは録画できなくなる。今や普通のDVD-Rは1枚100円程度で買えるがCPRM対応は2〜3割は高い。
そして一番問題なのは、例えば、恋人から"あの番組、見損なっちゃたから録画してたならコピーしてくれない?"って頼まれたとしよう。これまでな ら、ああいいよってコピーして渡せたがこれはできなくなる。CPRMで録画したものは移動はできるが、コピーはできない。DVD−Rはもともと1回しか録 画できないわけだから、DVDレコーダーが2台あっても結局何もできないということになる。
仮に自分はHDDに録画してあるからと思っても、CPRM対応DVD-RにダビングするとHDDに録画した番組はDVD-Rに移ってHDDからは消えてしまう。

以上がCPRMと地デジの概要である。そんなこと知ってるよって人は問題ないが、果たしてこれだけの事実を日本中の人が理解しているのだろうか? しかも、確実に経済的負担が発生する。今、一番安い地デジチューナーでも@19800円はする。つまり、どんなに貧しくても2011年になると約2万円の 支出をしないと昨日まで見れたテレビが見れなくなるのだから。

ここまで来ると誰のための地デジ化なのか?
実はこれも総務省のお墨付きで実施されるものだけど、
どこか例の住基ネットと同じ匂いがするのだけれど。
あれだけ大騒ぎしながら、結局何のためにしたのか誰にも
判らない。

大量の税金を使いながら効果の見えない役人の自己満足しか
理由が見つからない世紀の無駄遣いの二の前になることが
すでにカウントダウンが始まっているような気がする。
しかも今度は税金だけでなく、我々の懐からもお金が出て行く
そして僅かなメリットと言われるハイビジョン映像を楽しむためには、更に大きな支出が必要となるのだが・・。

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