色あせぬものと変らぬもの、そして六文銭'09。
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久しぶりの東京での六の日。
南青山のマンダラ以来だろうか?
やはり、東京での六の日はひと味違う?ホームグランドと言おうか、何よりオーディエンスの違いが一番の違いかも知れない。
過去を振り返るまでもなく、この六の日に六文銭’09の節目を迎えているように思う。今回もその例に漏れず、六文銭'09としての新曲も何曲か披露された。
今回の会場は下北沢の音倉。
この街は都心に近いにも関わらず雑然とした雰囲気があり、それがある意味魅力になっている。
小田急下北沢駅から数分の場所にある会場は、開演30分前の7時にはほぼ満席となっていた。お知り合いの方々、そしてそんな皆さんと談笑されていたこへさんにご挨拶をして席に着く。
ほどなく、小室さん達もステージに登場して、この月だけの定番として茨木のり子さんの"12月の歌"で六の日はスタートした。ここで小室さんが曲の話から茨木さんの話へ。その遺稿(茨木さんが夫の死後35年に渡ってしたためていた茨木さんの熱情的な面を垣間みることができる秀作。茨木さんはご自身で葬儀から何からなにまで遺書によって段戸った上で亡くなっている。何よりこの遺稿も生前ではなく,亡くなってから出されることを準備されていた)でもある「歳月」の話になってようやくこへさんが乗ってくる。するとゆいさんが"そんなことやってると時間がなくなっちゃうよ"って呟く。実はその後、そのままになっていくのだが・・・
2曲目は"キングサーモンのいる島"六文銭'09としては久しぶりの演奏。言うまでもなく最後の六文銭唯一のアルバムのタイトル曲でもある。演奏後、小室さんがその"コード進行は天才的"と話出される。"こんな進行ができるのはビートルズかバッハだけだ・・"と褒めているのか揶揄しているのかギリギリの表現が笑わせる。
更には"私はスパイ"。そして、六文銭'09としては初めてという"ひとりぼっちのお祭り"。小室さん曰くしんどい割には徒労感だけが残る歌と話されていたが、4人での、オーディエンスを巻き込んでのシャウトはこのユニットならではと思う。こうなると小室さんシャウトの"おもちゃの汽車"も聴いてみたくなるなあ♪
続いて"木の椅子""大きなグミの木の上で"とおなじみの曲が続いた後で今日最初の新曲ということで"ニンジン"が披露された。
曲としてはシンプルながら、詞の持つ世界観と躍動感溢れるハーモニーがステキなものだった。ニンジンって赤毛の男の子のニックネーム、ジュールリナール作の小説が元になっている。
そして"戦場はさみしい""サーカス"と続いていく。
正直、今日は一部構成なのかしらと思うセットリスト、次はすでに10曲目になる。小室さんが"今日も恒平がセットリストを決めるんだけど、次は最近では一番最後に演奏する曲だけど・・"として始まったのは"12階建てのバス"。
確かに後半はどんな仕掛けが待っているんだろうと思わせながら前半を終了した。
後半のステージには小室さんとゆいさんだけが。
小室さん曰く六文銭スピンオフということでラニヤップのCDから中也の"月夜の浜辺”でスタートした。
続いてはこへさんのCD発売以後の曲として、同じく糸田さんの詩に曲をつけた"小石"をこへさんフューチャーで歌われる。この曲は糸田さんが亡くなられたお父様への想いを綴ったブログに糸田さんの違う面を発見されたということで創られた由。歌というより詩を朗詠するかのように歌われる。
小室さんの初恋は?で"初恋"が続く。
そして定番の”雨が空から降れば"に。ここでステージ上では緊急ミーティング?が。
どうやら当初のセットリストではここから4曲雨の歌が続く予定だった由。しかしゆいさんの懸念が現実となったようで時間が押しているということで2曲割愛することになったらしい。
予定では雨の締めとしての"雨”が小室さんのヴォーカルで響き渡る。
ここで再び新曲ということで“ベトナミーズゴスペル"が。こへさん曰く10年位まえから取り組んできてようやくものになりつつあるとのこと。クラリネット奏者の梅津和時さんの曲におおたか静流さんが詩をつけたもの。所謂反戦歌ではあるけど、聞き取れた部分だけだけど"いつの日かこの空を越え、あなたの側に行きたいから、やがてくる光の明日、信じて生きていくの"と歌うそれはすべてゆったりと流れて行く歌だ。オリジナルは聴いたことはないけど、このユニットのハーモニーが雄大なイメージでオリジナルでなくても六文銭’09色に染めていくように感じた。
そして最後もユニットとしての新曲ということでボブディランの"フォーエバーヤング"。
ポールロジャースさんの絵にアーサービナードさんが翻訳した絵本"はじまりの日"が元らしいのだが、どうも曲に乗らないということで小室さんが意訳したとのこと。
これで2010年の六文銭'09の最後の六の日が終了した。
アンコールは初めて何も用意してなかったとのことで、最近鳴るようになった71年モデルの小室さんのギターの話を挟んで"出発の歌"そして"無題"で幕を降ろした。
2009年に六文銭'09となり2010年を終えた時、その名の由来どおりか、ゆいさんの存在感が増した1年だったのかも知れない。2010年の終わりに新しい曲、新しい方向性を披露したこのユニット、当然ながら新しい年も聴きのがすことができない。立ち止まることを知らない(その分、新たな心配もあるのだが)生き続ける六文銭'09を追いかけることが、正にフォーエバーヤングな人生なのかも知れない。
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半年ぶりの六文銭。ライブ参加も今年の1月以来、ここ数年これほどライブに通わなかったことはなかった。その訳は、・・・また次の機会に。
六文銭は、"まるで六文銭のように"の時代から6月6日と12月6日の年2回、ユニットとしての晴れの場としてリサイタルのように単独ライブを開催していた。場所は南青山のマンダラ、小室さんの"フォークの達人"の収録も行われた場所だ。そんな六文銭が(そう、まる六から六文銭'09に変わってから)昨年の6月から、マンダラを離れ、小室さん曰く"サーキットのようにお声がかかればどこへでも行こう"ということで地方の会場で六の日を迎えるようになった。
09年の6月は千葉県の柏で、そして前回の12月は秩父の会場で開催された。3回目となる今年の6月は、長野県の飯山市、と言ってもかなりかなりの山の中にあるその名も"森の家"で開催された。
久しぶりの長距離ドライブ、まあ秩父に比べれば100kmほど近いし、何より午後3時~のライブということでその日のうちに帰宅できるので翌日の仕事への影響も最小限にできるのはありがたい。
今更言うまでもないが、六文銭ほどライブが似合うユニットはいない。更に言えば会場を選ばないグループはいないと思う。
間違えてはいけないが,会場を選ばないというのは大雑把というのとは対極にあると言う意味で、どんな会場であっても音に対する拘りは素人の我々が逆立ちしても及ばない凄いものがある。つまり、どんな会場であっても最高のパフォーマンスを提供できる真のライブユニットなのだ。
そして、生音への拘り。
六文銭のPAのセッティングの肝は、その会場で如何に生音に近い音を出すかにかかっている。無論、もともとPA不要のこへさんではあるが、ゆいさんや四角さん、そして小室さんと奏でる繊細なハーモニー、それを支える2本のアコースティックギターの絶妙のバランスがオーディエンスを一瞬に六文銭の世界観に引き入れてしまう。
これはどんなに高価なオーディオセットでも再現できない、その場に集うオーディエンスにだけ許される至福の空間でもあると思う。
その意味でも、いつものライブハウスと違って、飲食の無駄な音がない今回の会場は(そう言えば12月の秩父も演奏時の飲食は無しだった)よりその感が強いと思った。
さらに最高のライブユニットの所以は、演奏される曲が仮に同じであっても、それはその時だけの曲、小室さんとこへさんの探り合うような駆け引きと4人の絶妙なハーモニーは同じものを2度と聴けない儚さと共に、聴きのがすことができない緊張感がある。
それはその日のためのアレンジであっても4人のパフォーマーのその日、その瞬間の体調までも影響する微妙な変化がそこにある。
この日も、空調のための天井のファンを止めたり、カーテンを開け放って森の鳥達のさえずりと競演したり、はたまた突然、PA無しの生歌でのハーモニーが始まったりと、オーディエンスにとっては息つく暇なく最高のパフォーマンスが繰り広げられるのだ。
ひとりマイクを離れるこへさんに微妙な間の違いを補うために、3人が寄っていく様を目の当たりにして、これこそプロのパフォーマンスと感じていた。
あっと言う間の2時間。今年初めての六文銭としての単独ライブは、どんなに遠くても駆けつける価値のある、否、駆けつけなくてはならない魅力があると思う。
40年近く前、ラジオの向こうで音だけで想像していた六文銭が、手の届く、息づかいさえ感じられる空間で聴ける喜びを忘れてはならないと感じた。
何より、普段はそれぞれがソロとして,別のユニットとして活動されている皆さんが、六文銭というユニットとして、小室さん言うところの"おとのば"に集って奏でるハーモニーは、我々オーディエンスのものである以上に、主役の皆さんにとってもかけがえのないもののように思う。
演奏されている小室さん、こへさんの心から演奏の楽しんで見える様子は、ゆいさん、四角さんを含めてファンである我々からすると、あこがれの皆さんが楽しむ姿を共有できるのは、これほどうれしいことはないと思う。
ライブの原点。そして私にとっては自分に正直に生きていくための原点であると思った。六文銭のファンでよかったと思えた1日だった。
忘れてならないのは、六文銭に出会えることと同時に六文銭を愛する皆さんにお会いできること。今回も1月以来久しぶりにお会いすることができた。
2010年6月6日 六の日のセットリスト(間違っていたらゴメンナサイ)
夏・二人で・・4人用のアレンジになっていた。
雨が空から降れば
ただあたたかくカラッポに・・今の六文銭'09の原点の歌
ほんとさ・・ゆいさんフューチャー、小室さんのいじけが最高。
げんしばくだんのうた
おしっこ
戦場はさみしい
面影橋から・・こへさんのパフォーマンスが冴えわたる。
街と飛行船・・30数年前と今を紡ぐ名曲
ここから風が・・ラニヤップとして
蝉しぐれの主題歌・・小室さんのソロで
(後半)
地下書店・・こへさんお一人で先行して後半が始まる
初恋
引き潮・・再び4人でこへさんに近づいていく。
木の椅子・・女性2人フューチャーで
私はスパイ・・スパイ物語の原点の曲
サーカス
大きなグミの木の上で・・サガユキさんの曲
命返す日・・創ったこへさんより小室さんが気に言っている曲かも?
12階建てのバス・・昨年亡くなられた小室さんの友人、小島武さん作詞の曲
(アンコール)
サーカスゲーム そして 出発の歌
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2010年はいろんな意味でメモリアルな年なのかもしれない。
スタンリーキューブリックが映像化した"2001年宇宙の旅"の現実においては、未来であった21世紀がかならずしも夢の世紀でなかったことが明らかになった。その続編として作成された"2010年宇宙の旅"の時代に追いついても、年越しの派遣村を議論しなくてはならない日本も含めた地球人!として宇宙に旅立つ土台は、唯一のアポロ11号を例外とすれば、地表400kmの地球軌道上を彷徨うだけである。
20世紀の時代、進化という言葉の魔力で何もかもが変わっていくのが当然のように錯覚してしまった私達だけれども、変わり様もないものが厳然としてあることを忘れてはならない。ネットやPCを含めハードとして進化するものがあっても、そのもとに生きる人の営みにおけるソフトとしての心情は、果たしてそれにふさわしい進化どころか、何か大切なものを亡くしたままになっているような気がする。
※因みに2001年宇宙の旅の映画は1968年、そして続編として書かれた2010年宇宙の旅は1982年に書かれている。近未来でもやはり予測は難しかったようだ。
年の初めにめんどくさい話をするつもりはない。
おけいさんのライブを追いかけて5年余り、おけいさん自身にとっても28年振りに歌の世界に戻られてから10年目にあたる今年、密度はともかく28年前に体験された芸能界、歌の世界よりも数倍の月日が過ぎていったはずである。そんな10年間、歌い続けられることで何を目指してみえるのだろうか?
昨年、待望のソロCDが発売されたけれど、おけいさんのめざすものがそれに留まるものでないのは明らかだ。ハードとしてのCDはできても、ソフトとしてのおけいさん自身の魅力があってこそのハードだし、LPがCDと形を変えてもそこに込められた想いの源泉であるおけいさんの魅力は安易な進化という言葉では表現できないものだと思う。
無論、ここでおけいさんの魅力を語り尽くしたわけではないし、何よりその魅力を伝えられる文章力を持っているわけでもない。ただ、おけいさんの歌声が響く空間に触れていられることに何とも言えない心地良さを感じているのは、その場にいる幸運なオーディエンスの共通な認識なのだと思う。
決して流行ものとしてではなく、かと言って遠い過去の記憶に酔っているのでもなく、同じ時間、同じ時代を共に生きてきた(無論、納得いくばかりの人生ではなかった訳だし)、何よりまだまだこれから生きていく人生の中で、フロントランナーとして道しるべとなるおけいさんの存在こそが魅力なのだ。
自分を誤摩化すことだけが上手くなった年月を、成長とは言わないんだよと諭すように、変わらぬ清々しさを持ち続けてみえるおけいさんの歌に浸ることで見失いかけた自分自身を取り戻させてくれる魔法のようだ。
何より、それを押し付ける(所謂懐かしのフォークや、未だに教条的に引っぱられることを良しとするオーディエンスも含め)のではなく、自ら体現されることで気付きとして我々の麓にみえるおけいさんは、その生き様こそが、我々の目標になっていく。
その意味でも、生身のおけいさんに会えるライブこそが最高の場なのだし、流行ものであれば大抵は実体とは違うエイリアス、アバターとしてのCDなり、作り物のミュージックビデオでも十分かも知れないが、本質に触れるためにはライブのチャンスを見逃すことはできない。
おけいさんがライブで
"28年前は中学生や地方にいてライブに行く事ができなかったという方に今出会えることがうれしい"とよくお話になる。
逆に言えば、これだけ見近に触れるチャンスがあるにも関わらず逡巡しつづける方は,大切なものをポトポトと落とし続けているような気がしてならない。少なくともそんな人生を私は送ることはできない。
そんなことを考えていたら、新春2日の久米さんのラジオで永さんのロングインタビューがあった。
永さん一流の表現だけど、これはまさに今のおけいさんのライブに感じているもののヒントのようにも思えたのでご紹介しようと思う。
永さんは今でも毎週土曜の朝8時半から1時までTBSラジオ(残念ながら関東地区だけだが)生ワイドの番組を続けられている。同時に基本的にはテレビにはもう出演されない。その理由として街中で"テレビ見てます"って声をかけられても今のテレビでは何を見たのか自分ではわからないし責任が持てないのに対し"ラジオ聴いてます"と言われると本当に同じ時間を共有したんだ、自分が何を言ったかという実感があるのだそうだ。
だから永さんはラジオの投稿に関してはすべて返事を書かれていた。年間4万通近くになっていたそうである(今は体を壊されて年賀状も止めているのだそうだけど)。なぜそこまでするのかと久米さんに問われたのに対し永さんの答は"親父から”人様から頂いた手紙に返事も書けないような忙しさは人間としてはずかしい”と言われたので、当然のことだと思う"とおっしゃっていた。
目が届く、手が届く、声が届く範囲、ダイレクトな反応に満ちあふれる空間を共有してこそ伝わる何かを大切にしたいというのは、おけいさんのライブ感にも通じるように思う。
と言う事で、いつにも増して前置きが長くなってしまった。
ある面、今年もライブに通い続ける決意表明だと思ってお許し頂きたい。
何より、おけいさんの10年目をおけいさんの姿を追い続けることによりおけいさんのめざすものに少しでも触れたいと思うので・・
※こんな私を社会人2年目の息子が"お父さんは独身みたいだね"とカミさんに話したそうである。息子よ、できれば青春してるねって言って欲しかったよ!
2010年おけいさんの歌い初めは成人の日を控えた1月9日、
70年代のフォークの聖地、中津川と名古屋のほぼ中間に位置する美濃加茂市でスタートすることになった。地元では美濃加茂市より、その中心地である美濃太田と言った方がとおりがいい場所である。
会場はJR高山線の美濃太田駅前にある丸圭書店内の喫茶スペース、おけいさんが"ワンダーランドの意味が良くわかった"とおっしゃったように入口付近は通常の本屋さんの佇まいだが,ライブスペースに近づくと突然70年代の雰囲気が満ち満ちて来る。無造作に置かれた中に横尾忠則の画集やその時代の詩集、マンガやレコード、春画集などが溢れてくる。通路を通る間にそんな会場の雰囲気にオーディエンスが時空を遡っていくことになる。
集まったオーディエンスは、2回目はおろか3回目の成人式を迎える方々が中心だろうか?(失礼)場所がらか昨年8月のジャンボリーに行かれた方が多いような感じだった。(ソロとしてのおけいさんはその時が最初というのが大半)
さて、2010年の最初の歌がタイトルそのままに"はじまりはじまる"から。距離感の性なのか、あるいは久しぶりにゆったりとしたお正月を過ごされたからなのか、いつにも増しておけいさんの声が艶やかに響いてくる。
2曲目は最近よく歌われる”この大空に捨ててしまおう"を。ここで初めての会場では共通の歌いはじめられた経緯や今の活動をご紹介しながら"一緒に帰ろう"へと続いていく。うん、確かに今日の声には厚みがあるなあ・・
更にはおけいさんソロフューチャーの曲が続いて"あめのことば"。いつものダドカドを経て言葉繋がりで"ガラスのことば"を。
この会場、こうしたライブを開催しはじめて1年目とのこと、昨年10月にはこへさんも来店されている。ただしおけいさんへのお店に関する業務連絡はなかったそうである(笑)
気分を変えてスタンダード曲の"What a Wonderful World"おけいさんの声もそうだけど,サポートする古橋さんのコーラスの同化具合が丁度こちらも1年経ったということで進んできたからなのかも知れない。
ここでようやくソロCDのタイトル曲である"初恋"を。
我々がおけいさんを道しるべとして人生が歩めるのと同じように、おけいさんにとってはこの曲を作った小室さんやこへさんがみえることで、28年間の眠りから覚めたばかりでも迷うことなく再び歩み始められたのだと思う。
こうして前半最後の曲はメラニーの”傷ついた小鳥"。
若干のハウリングの調整をして後半がスタート。
こちらは最早定番となっている"うれしくて"を常富バージョンで。
続いて"ホワンポウエルの街"言わずと知れたおけいさんが最初に作曲した曲。
ここでこれも最近定番になりつつある古橋さんのギターテクニックご紹介コーナーが。ご本人曰くこれ専門というのはないそうだが、高校生の頃にすでに天才と呼ばれた華麗なテクニックを披露される。
ここから2曲、香真良さんの曲がつづく。因みにいずれも個人的には大好きな曲。
"しずかな雨"そしてご本人は賛否両論とおっしゃるが
否定的な声を聞いたことがないけど・・いずれにしてもおけいさんの新たな魅力が発見できる"シアワセになれる天才"。
"雨が空から降れば"今日のオーディエンスには一番馴染みのあるレパートリーだろうか?一緒に歌うオーディエンスが続く。
更には"私の青空"へ。おけいさんには故郷岸和田の姿が見えるよう、もちろん一晃さんのギターがさらに盛り上げていく。
いよいよエンディングに向かって・・
まずは"旅の途中"そしてこへさんの詩が泣かせる"ささやかでも愛の歌"。そしてエンディングは、年明けから急に冷え込んだ東海地方へささやかながらも春を届けるように"春の風が吹いていたら"で2010年歌い初めライブは終了した。
アンコールは今日の余韻を噛み締めるように"インドの街を象に乗って"で。
こうして2010年、おけいさんの歌い初めライブによって私自身のライブ行脚はスタートした。
おけいさんや六文銭のライブに出会うことによって、見失いがちな自分らしさを取り戻す旅に出ることになる。
終わりのない旅ではあるが、おけいさんのめざすものに少しでも近づけることができることを願いながら・・
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12月23日、2009年のおけいさんラストライブが巣鴨の手風琴で開催された。
最近、高速道路を使って日帰り?Dolive(@takumi)が続いていたけど、最後くらいはゆったりとと思い、久しぶりの高速バスツアーで出かけることにした。
"遠くへ行けばいいっていうもんじゃない"と揶揄する人もいるけど、誤解しないで頂きたい。遠くへ行くことが目的じゃなくて、おけいさんにしろ、六文銭にしろそのすばらしいパフォーマンスをひとりでも多くの方に知って頂きたいという勝手な使命感、何より遠くであってもそれに余ある価値があることをまだ知らない方々に知って頂くきっかけになればと思ってのことだし、こんなステキな方々をご存知ない方への伝道師になれればと思っているだけなんだけど。(関東地区はともかく,地方のコンレポはほとんどないし・・)。
そこの所よろしくと言うことで今年1年のライブ行脚とからめて最後のコンレポにすることにしよう。
さて,振り返ると今年のライブ行脚は、おけいさんにとっても09年初ライブ、何より新しいサポートギタリストの"かー君"こと古橋一晃さんとの初共演でもあった今回と同じ、刺抜き地蔵が鎮座する巣鴨の手風琴だった。
その意味でも、古橋さんと過ごしたこの1年の間のコンビとしての熟成度を確認するためのものだったのかも知れない。
この日はイブの前日、ただし今年の世相を反映してか今ひとつ盛り上がりにかける祭日だった。更にはクリスマスとは対極のようなおばあちゃんの原宿でもある巣鴨の地である。残念ながら、5時半という早いスタートだったので、賑わいが見える商店街を目前にして左折し今日の会場の手風琴へ急いだ。
※今年一番の寒気が襲った時、悲劇を生んだ富士山も今日はおだやかだった。
今年はおけいさんにとってもイベント続きの1年だった。ゆいさんが加わって六文銭'09となり、そのユニットによる"おとのば"をリリース、同時に待望のご自身初のソロCD"初恋"も7月にリリースされた。
本来ならソロ活動にも一段と力が入るところだが、今年についてはそれ以上に六文銭'09としての活動が多く、合わせて数度に渡る北海道での六文銭や猫とのジョイントツアーが続いて、ソロとしてのツアーが思いの他少なかったような気がする。
無論、そんなツアーにおいてもおけいさんのソロパートの位置づけは多いに変化して、たとえば5月と8月の同じ猫とのジョイントライブであっても、おけいさんの立ち位置というか存在感が格段に増したように思えた。何よりソロCD発売ということが、おけいさん自身に確かな手応えというか自信を与えたのかも知れない。
またスケジュールによれば、年明けからは怒濤のソロツアーが続いて、ソロ以外でも新たなユニットでの活動も増えて、ますます進化していくおけいさんを拝見できる期待が膨らんでいく。
さて定刻に少し遅れて始まった今夜のライブは、そんな1年を振り返る曲の数々や新たな年に向けての抱負を語りながら進行していった。
"はじまりはじまる"、まる六として2000年に活動を再開されてはじめてリリースされたCDタイトル曲からスタートし、一気に30年遡って、おけいさんが参加する前からの六文銭時代の"この大空に捨ててしまおう"へと続いていく。
再びまる六時代の"あめのことば"に進んで、新しいCD,おとのばから"一緒に帰ろう"へ。
それぞれの時代のそれぞれのおけいさんの世界が広がっていく。
ここで,昔のまる六時代、12月の六の日では定番でもあった"12月のうた"。茨木のり子さんの詩に小室さんが曲をつけたもので、おけいさんのソロとしては多分初めてだと思う。
更には初期のソロライブではよく歌われたピノキオの主題歌でもある"星に願いを"。子供の頃、テレビのディズニーアワーでよく聞いていた記憶が蘇る。
そして,今年の最大のトピックスでもあるおけいさんのソロCDのタイトル曲でもある"初恋"へ。
あっと言う間の前半最後は、またまた六文銭時代に主にこへさんが歌われていたメラニーの"傷ついた小鳥"、かぜこうじさん独特の訳詞が印象的な歌。
しばらくの休息を経て後半は初恋からの曲が中心に進んでいく。
最初は定番の"うれしくて"から。そしてCDには収録されていないけれど、各地のライブではリクエストが多かったおけいさんが初めて作った曲"ホワンポウエルの街"、再び初恋から"しずかな雨"、更にはおけいさんの新しい可能性を探る曲でもある"シアワセになれる天才"へ。
この4曲に共通するのは?・・そうすべておけいさんが作ったものであることだ。うれしくては作詞作曲共おけいさんだし、ホワンポウエルは作曲、次の2曲は木村香真良さんのステキな曲におけいさん自らが詩をつけたものである。
続いていろんな想いが交錯する"ガラスのことば"が続き、ここで一晃さんのピックがギターの中に入ってしまったのを受けて?一晃さんのギターテクを最近はまっているというアイリッシュソングで披露するというハプニングが。
再び初恋に戻って"旅の途中"そして一晃さんのテクニックがさえる"私の青空"。
今のおけいさんの想いを表現していると話される"ささやかでも愛の歌"へと続く。
ライブの最後は今年1年を締めくくるにふさわしい曲ということで"春の風が吹いていたら"でいろんなことがあったおけいさんの1年を終了した。
当然のアンコールは定番の”インドの街を象にのって"。
そして本当のオーラスはイブの前夜ということでオーディエンスも加わって"きよしこの夜"が巣鴨の聖夜の前夜に流れて2009年のおけいさんの歌い納めとなった。
あっと言う間の2時間、というか1年だったと思う。
3月には自ら主催のライブもあったけど、ご本人もおっしゃっていたようにソロライブはそれほど多くはなかった。
そのせいなのか昨年の18本に比べて、私のライブ行脚も16本に留まってしまった。本当はもっともっと多くのライブを体験したかったのだけど、何よりこんなステキなパフォーマンスをもっと多くの方に体験して頂きたいし、そのすばらしさをつたない文章であってもより多くの方にお知らせしていきたかったと思う。
幸い新しい年はおけいさん自らソロライブを積極的に行いたいともおっしゃっている。できれば私も微力ながらそのお手伝いができればいいなと思った。
ある面、CDが発売された今年を土台として、新しい年はまた新しい魅力が溢れ出すおけいさんであると思うし、そんな力を秘めているアーティストだと思う。その意味でも1日でも早く、そして1回でも多くおけいさんの魅力に触れたいと願わずにはいられなかった。
・・それでも、来月と思えば少しは気が楽だけど、来年まで、もうライブがないと思うとなんとも淋しい年の瀬だなあ~。
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最近すっかりライブの定番となってしまった日帰りライブ行脚、ということでdriveならぬDoLiveレポと言う事で・・
今回も通称北関東ルート、そう言えばこのルート今年は随分通った気がする。4月の日光もこのルート+東北道だし、11月の佐野は関越から北関東道、そして今回は関越・花園ICからから長瀞へ通じる有料道路で秩父の皆野町での六の日ライブとなる。
今回もライブ中の写真はないので、まずは暖冬とは言え季節は"大雪"の前日の北アルプスから
土曜日の大雨が嘘のように快晴のドライブは気持ちいい。暖冬のお陰か道中はまだ紅葉の名残があちこちに。ほとんど休息無しの5時間余で450kmを走破して街へ入った時はすでに夕闇が迫っていた。まずは会場の確認、しかしまだ人影はまばらというかほとんど無、典型的な地方都市の風情で、六の日のライブは大丈夫かなあ~って少し心配になるが・・
今回の会場は、そんな街の一角にあるホンキートンク。後で判ったのだけど、秩父は71年の六文銭時代にも條さんと訪れている場所とのこと、ただこへさんもおけいさんも記憶にはなかったそうだが、小室さんは六の日の会場としてこの地をリクエストし、当時も知るオーナーがそれに応えてこのライブが実現したそうである。
恒例のマンダラでの六の日は、本年より場所を特定せず各地を回るスタイルに。6月の柏に続き、今回の秩父が六文銭'09としての年内最後のライブ、同時に'09としても最後になるのかな?
さて、心配をよそに臨時の駐車場には停められない程クルマが溢れ、2階にある会場に続く階段には人が溢れていた。秩父恐るべし?オーナーの"今日は満席なので詰めてお座りください"の声が弾んでいる。
演奏が始まる前、小室さんが徐に"今日帰るまでに決着をつけないといけないことがある"と切り出した。どうやら控え室で長年探してした12弦用の細手のカポを見つけたらしい。小室さんがいかにそれが手に入りにくいかを語っているとオーナーから"差し上げます"のかけ声が。それを聴いて満面の笑みを浮かべて12月の六の日がスタートした。
"夏・二人で""雨が空から降れば""ゲンシバクダンのうた"と3曲が続けて披露される。
六文銭の特徴でもあるけどMCや曲紹介が少ない時は演奏が乗っている証拠でもある。チューニングの微妙な間はユニット全体で話をつなぎ、阿吽の呼吸で次の曲がスタートしていく。
ゲンシバクダンについては発売禁止~放送禁止へのくだりをゆいさん中心に話ながら、その意味、歌詞の真意を話ながら"おしっこ"へ続き、更にはそれにたたみかけるように六文銭の反戦3部作(@たくみ)の"戦場はさみしい"そして中也の"サーカス"が見事なまでのハーモニーと透き通る2本のギターで綴られていく。
ここまで一気に続いて、ゆいさんがおけいさんの初CDに話題を繋げ"初恋"へ。小室さんとこへさんい囲まれておけいさんのソロヴォーカルが響いていく。
突然、小室さんがエアコンや照明用のファンの音について語りだし、極力この空間に響くのはギター2本と4人の声帯だけにしたいと提案し、エアコンと照明用のファンが切られていく。
そして最近の定番、流しスタイル?で"面影橋から"を。ギターを掲げたお二人が細い客席間の通路でPA無しで演奏していく。
前半最後はTHE ハーモニーでもある"街と飛行船"で締めくくられた。
後半はこへさんのチューニングを待って"キングサーモンのいる島"でスタート。曲は終わりゆいさんが残念がって"ちゃんと歌えばよかった"と。
どうやら、こへさんが歌詞を間違えたらしい。ゆいさんはメインヴォーカルに敬意を払って声を細めたのが口惜しかったみたい・・。こへさんは"全然気がつかなかったよ?せっかく平穏な老後を送っていたのに"と笑わせる。
そんな笑いが収まらぬうちに引き潮"を小室さんが始める。
ここでおけいさんが糸田さんを紹介して一緒に帰ろうを。
そして、ゆいさんがうれしそうにラニヤップの話を。実は一番最初にCDを作成しはじめたのはこへさん、ただ収録のやり直しなど、なかなか完成しない内に”おとのば"、"初恋"そしてラニヤップとしての"ここ"が先に発売された。
ラニヤップとはスペイン系移民の多いニューオリンズ辺りのスパニッシュイングリッシュで"おまけ"の意味とのこと。そんなユニット名での初のCDからタイトル曲でもある"ここプロローグ"を小室親子だけでの演奏。ゆったりとあたたかいハーモニーが響く。
そでに降りていたこへさん、おけいさんが戻って"大きなグミの木の上で"を姉妹のようなユニゾンでおけいさんとゆいさんが明るく歌う。
いよいよエンディングに向って、このユニットのもうひとつのテーマでもある死。加藤さんや小島さんの話題を紡いで歌われていく。
"命かえす日"そして最後は"12階建てのバス"。
流れるような16曲、たとえようもないハーモニー、澄み渡る演奏が秩父の夜を包んでいた。ゆったりと流れるこの空間にいると100名を裕に越えるオーディエンスの人いきれさえも感じない。まさに六の日ならではの至福の2時間だった。
鳴り止まぬ拍手にアンコールは"サーカスゲーム"そして"出発の歌"の2曲。ただそれでも満足しないオーディエンスのために、本当のオーラスとして"無題"で今年の六文銭'09のライブは終了した。
さて、唯一手に入れていなかったラニヤップの”ここ"を購入。
インディーズレーベルということで変わった装丁、縮尺を無視すれば昔のLPのような構成になっている。うれしそうな小室さんの笑顔が印象的なデザイン。
ふと、昔の小室さんの即興曲を思いだした。ラニヤップはユニットとして初CDだけど,同時に小室親子による初CDでもあるわけで、アーティストとしては無論のこと、多分、親としての小室さんのうれしさ、やさしさが伝わってきたのかも知れない。
以下は30数年前、ゆいさんは当然まだ乳幼児の頃。作詞、作曲は小室さん。知る限りはその後CDには収録されていない(東京にはユイ・コムロという曲はあるけれど・・こちらは白石アリスさんの作詞)幻の曲かも知れない。ようやく、その歌にあることが結実したのかも・・
<ゆいちゃんのこもり歌>
♪はやくおおきくなりなさい
おまえとしたいことがやまほどあるのです
ベランダにおコメをまいてすずめがくるのをまちましょう
おそろいのセーターをきておそろいのブローチをつけましょう
サイコロをころがして(おい)ちゅうかはんかとあそびましょう
りんごをむしゃむしゃやりながらたのしいうたをつくりましょう
おもうだけでもうれしくなってしまいます
だから はやくおおきくなりなさい
おまえとしたいことがやまほど・・あるのです♪
※以上は電波状態のよくない1971年のTBSラジオからの採詞なので間違っている場合はご容赦を。
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プロ野球の選手がよく言う言葉に"記録より記憶に残る選手になりたい”と言うのがある。記憶と記録、PCの分野ではほとんど同じ意味で語られるのだが、ここでいう記録とは打率であったり、ホームランの本数と言った数値で表される結果という意味だと思う。そして記憶とは、イメージ、印象と言った心象的なものであると思う。
もう少し噛み砕けば、同じ1本のホームランであっても、行き詰まる投手戦の中、ほんの僅かのコントロールミスをついて放った試合を決するホームランと一方的な大差のついた試合で、敗戦処理投手からだめ押しのだめ押しとなるようなホームランでも記録の上では1本として表現される。
当然見る者の立場で言えば、そのホームランを同列と見る訳でなく、やはり試合を決するホームランを放った者に賞賛を送り、シナプスを通じて海馬に深く記憶されることになる。
またまた、ライブと関係のない話から始めてしまった。
ただ,言うまでもなく私がリスペクトする六文銭'09、そしておけいさんは、正に記憶に残るアーティストである。偶然とは言え、今年、それぞれが"記録"としてのCDを発売したのだけど、私が追いかけるそれぞれのライブは当然のこととしてCDで表現されるそれ以上に魅力的なものであることは言うまでもない。
考えてみると、そもそもレコード=CDは、そのパフォーマンスに直接立ち合うことができないファンのためにそのエッセンスというか試供品としてパフォマンスの一部を切り取って"記録"したものではないかと思う。
その意味では、CDはそれを聴いて、生のライブに誘因するためのもので、歌謡曲、演歌のようにCDを売ることで完結するレコード会社にとってのビジネスとしての"記録物"とは一線を画すべきものでないかと思うのだが・・
今から35年前、こうしたビジネスとしての"記録物"であったレコードに反旗を翻して、アーティストメインのレコードを創ろうとして発足したのがフォーライフだったと思う。そして初代の社長は小室さんだった。月日はながれ今や大手のレコード会社となったフォーライフも結果、売れてなんぼのレコード会社でなくては生きていけない所にこの業界の閉鎖性というか、ビジネスモデルの古さが垣間見える。寄ってたかってレコード=CDが売れなくなったと嘆いている現実では、真の記憶に繋がる"記録"としてのCD、レコードとして再構築を図らない限り、護送船団のように全体で沈んでいくだけのように思うのだが。
さてややこしい話はこの辺りにして、地方のライブに伺って思う、おけいさんのライブの意味づけについて考えてみた。
果たして、当時ですら六文銭は知る人ぞ知る存在で、そのパフォーマンスに見合う一般的な認知があった訳ではない。確かに出発の歌で一瞬時代の寵児になったのは確かだけれど、先ほどの話ではないが数としての記録としてはともかく、それが六文銭という魅力的なユニットを代表するものであったとは、少なくとも当時のファンであれば思っていなかったと思う。
そしてそんな六文銭の最後の1年間だけ在籍していたおけいさんのことをどれだけの人が記憶していたのだろう。ましてや六文銭'09としてではなく、四角佳子としてのソロとしての記憶は皆無だと思うのだが。
結果、おけいさん本人直接ではなく、おけいさん周辺の記憶の一部として認知しているファンが大半であることは、ある面仕方がないのかも知れない。
勢いライブの構成についても、こうしたオーディエンスの趣向に合わせることになるのだけれど、異質?なファンなのかも知れない私としては、懐かしさではなく、そのままのおけいさんの魅力がもっと伝わればいいなと常々思っている。
懐かしさや過去の記録は、ある面その魅力を伝えるのに有効なのは事実だけれど、同時にオーディエンスの記憶の中から抜け出すことがなかなかできない、ファンのノスタルジーに付き合わざるを得ないというジレンマがある。
その意味では、そうした制約が少ないおけいさんは、過去にとらわれることなく新しい魅力、今の等身大の魅力を伝えやすいのではと。
だから、CDにも納められている、ある面ファンの抱いているイメージをいい意味で裏切るよう歌をどんどんアピールされていくことが、より多くのファン、新しいオーディエンスの開拓に繋がっていくような気がする。
勿論、それはおけいさんがそうした魅力に溢れたアーティストであるからこその想いだけど・・
ということでライブ本編へ。
今回のツアーは11月に3連休に越前、富山、砺波を巡るもの。
北陸は猫とのジョイントでは何度か訪れられているがソロとしては初めてだと思う。最初の地、越前は今年5月、猫とのジョイントが開催された茶コールで行われた。
越前までは片道150km、最近のツアー行脚から見ればほんのご近所という感覚だが・・3連休の初日でも、夕方近くになれば高速のクルマの量は少なく、渋滞もなく予定どおりの時間に着いた。
※名物でもある越前そばを夕食代わりに。そして説明不要の長~い脚。因みにヒール無のいつものペッタンコの靴です。念のため。
今日のおけいさんは黒の細身のパンツにボーダーのシャツ、黒のジャケット。
それにしても相変わらずの脚の長さだ。
この日のオーディエンスの一人に若い白人がいた。彼の素性は不明だが、日本語は完全に理解できているようで"ヨスミサンノコエハトテモキレイデキキヤスイデス"と話していた。彼におけいさんの歳のことを話したらもっと驚くだろうな!でも、それは秘密のままで(笑)
そして2日目は富山県へ。
富山までは東海北陸自動車道で約220km,ほとんど山岳路で半分近くがトンネルと言う感じ、ルートはもうひとつ名神/北陸道経由があるがこちらは大回りに海岸線を通ることもあり300km超となる。まあそれでも苦になる距離ではないかな・・・。
今日の会場のカプリチョはおけいさんも初めてとのこと。場所は富山駅の北側、つまり港寄りとなる。昨年末、こちらも猫とのジョイントで訪れたのは駅の南側、繁華街の一角にあるサマーナイトとは街並もお店の印象も異なる雰囲気で、会場全体がアットホームな雰囲気を醸し出していた。
さて、ライブ開催までの間、昨年末に行けなかった港とそこに通じるライトレールを見る事にした。ライトレールは富山駅北から路面を経由して港まで繋がるモダンな2両編成の電車だ。駅の南を走る路面電車とは趣が随分異なる。発着は富山駅の北側、一部は路面をクルマと一緒の走るが、大半は専用の軌道がある。それにしても駅の北側はほとんど人の気配がなく、それでも輝くクリスマスイルミネーションが、何故か淋しい感じを抱かせていた。
定刻の7時、会場は老若男女、というか圧倒的に老の比率が高いようだけど、11月22日、いい夫婦というからかご夫妻での来場が多い感じがした。
ステージのバックにはライティングされた中庭があり、ちょうど今日、雪つりがされたばかりで富山の冬を演出しているようだった。
スタートはご挨拶代わりの"雨が空から降れば"。続いて"ネコの歌"と昔の六文銭時代の歌となる。
更には"この大空に捨ててしまおう"が。実はご本人も最近聞かれたとのことだけど、この歌、当時弘田美枝子さんの為に創られた歌とのことだった。あの弘田美枝子が・・まさに当時のフォークブームの凄さが伺えるお話でもある。
引き続き、まる六時代の歌として"あめのうた"そしてまさにおけいさんの為に創られた”ただあたたかくカラッポに”を。どうやら、前半は地方のファンにおけいさんの歩んで見えた道程を巡る構成のようである。
更にはおとのばまで飛んで糸田さんの"一緒に帰ろう"。実はこの世とあの世の狭間の中で彷徨う魂を歌ったものではあるがおけいさんの爽やかなヴォーカルで何故かかわいい歌にも聞こえてくる。
そして一気に初ソロCDの為の書き下ろしでもある"初恋"を。そしてまた新しいチャレンジでもあるスタンダードナンバーとしての"私の青空"へと一気に過去から今のおけいさんをプロローグするものになっていた。
それにしてもこの店のオーディエンスは年齢の割に(失礼)ノリがいいようで、おけいさんもどんどんノっていくのが判る。
さて,後半はCD収録曲を中心に今のおけいさんをアピールする構成か?
1曲目は再び歌い始めた頃の想いをおけいさん自ら曲にした"うれしくて"から。CDではアップテンポの感じに仕上がっているが、ライブではいつもおけいさんの素直な感謝、うれしさが伝わってくるステキな曲である。
そして、おけいさんが初めて作曲した曲でもある”ホワンポウエルの街"へ続く。
いよいよ、ご本人曰く問題の曲となる。
この曲を初めて聞いたのは1年程前の渋谷でのSQUAREだった。おけいさんの歌は少女のような清々しい、透明感のある歌が多いのだが、この曲は等身大というか,大人の女性がサラって歌うシャンソンのような、ミュージカルの一節のような歌でもある。その時から、とっても気になる曲ではあったのだけれど、CD発売までの間はしばらくライブでもほとんど歌われることがなかった。どうしたんだろうと思っていたら突然、当時は仮称”たまにはね"と言われていた曲が"シアワセになれる天才"という曲名で収録されることが判り、飛び上がって喜んだ記憶がある。
その後、イルカさんや小室さんもとても気に入られているという話をお聞きして、やはりおけいさんの新たな魅力を表現する曲に間違いないと思ったのだが・・。
確かにある面、昔やその周辺の記憶として勝手にイメージしているオーディエンスに対しては裏切りのような曲かも知れないが、だからいいのかも知れない。
そう、おけいさんはノスタルジィの沼に埋もれるアーティストではなく、今も進化し続ける歌姫だから。
因みに富山の当日はいい夫婦の日でもあるから、とってもあっている曲なのかも知れない。そしてもうひとつの発見は、おけいさんの声色は凄かった。誰の真似なのかは当日参加された方だけの秘密でいいのかな?
続くように歌われたのは、もうひとつの個人的には大好きな曲”しずかな雨"。ヴォーカリストとしてのおけいさんの面目躍如という感じで、エンディングに向けての透き通るような歌声はそのままどこかへ飛んでいってしまいそうな感じである。
ここでいつもの一晃さんのチューニングが始まる。
次の曲に合わせてキーを下げている。それをダドカドと言うのだそうだけど・・そんなこんなで"ガラスの言葉"が始まる。
そして、ある意味オーディエンスにとっては一番おけいさんをイメージできる曲かも知れない曲。ただ、そのイメージとは全く異なる形で,今のおけいさんの歌として響いてくる"春の風が吹いていたら"。
いよいよエンディングに向ってラストスパート。
今のおけいさんそのもののように"旅の途中"、そして最後の曲は、一晃さん曰く演奏としては一番難しい"ささやかでも愛の歌"で。そして当然のようなアンコールはちょっぴりオーディエンスのノスタルジィに合わせて"インドの街を象にのって"で冬の北陸での暖かなソロライブはすべて終了した。
所謂フォークファンが集うこの店のオーディエンスの心には、今のおけいさんはどう響いていったのだろうか?彼らの記憶をまっさらに書き換えてしまったのは間違いない。懐かしさだけではない、今も新たな記憶を刻み続ける等身大のステキなおけいさんの輪がまたひとつ大きくなったように感じた夜だった。
※ライトレールの終着駅は岩瀬浜という富山港の一角。立山連邦もすっかり冬景色になっていた。
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民主党のマニフェストの目玉、高速料金無料化の雲行きが怪しくなってきたけど、自民党の最後のあがきでこの政策をパクった高速1000円で最近のライブ行脚が変わってきた。
4月、1000円化早々に日光まで片道600kmでスタート。この時はカミさんが日光に行きたいと言ったのを幸いに宿を取ったけど、基本的にライブが終わるのが10時前後、アフターライブがあったりすると宿と言ってもただ眠るだけになる。お酒さえ我慢できればそのまま帰れるクルマが便利ということで,歳を顧みない?長距離日帰りドライブが当たり前になってきた。
4月以降、日光、福井、新中野(片道)、六本木、飯田、静岡と行ったことになる。そして今回は最近地方遠征が続く六文銭'09を追いかけて栃木県の佐野市へ出かけることになった。
本来ならライブレポ中心にとなるところだが、この地でも写真撮影は写真班に限られているのでライブ中の写真はないので,前後のドライブレポとからめてお伝えすることにしよう。
今回の足は親父用に購入した1500ccのクルマ。日曜日の朝8時に喫茶店に出かけるのが日課になっているのでそれまでには返還しなくてはならない。行程は高速道路をつないで450km/往復900kmとなる。
ナビのデータを9月に09版に更新したばかりだが、今回のテーマでもある高速1000円を最大限に活用するためには、ナビのルート検索もメニューを考えなくてはならない(実はネットのルート検索は既に対応しているが)、今回もナビの推奨ルートでは東名から首都高経由の東北道となるがこれでは1000円にならない(大都市圏、首都高は別体系)、さらに今後の民主党政策では路線によっての無料化や割引率を変えた変則的組み合わせになる予定なので、これに対応したプログラムにしなければハイエンドのナビソフトとはならないな?と思う。
いつにも増して前置が長い(反省)
さてPM1:00に出発。まずは名神/東名経由で中央道へ、ナビでは予想到着時間が7時半になっている。まあ、個人的には6時には着く予定なのでナビソフトとの競争になるな。とにかく距離を稼ごう。
200kmを越えたところで最初の休息地,長野道の梓川SAへ。
すでに夕闇が近づきつつある梓川SAは名のとおり脇を梓川が流れ、北アルプスを仰ぐことができる絶好のロケーション。距離的には224kmで丁度中間点になる。
渋滞もなく、長野道から上越道、関越道、北関東道・桐生太田ICを出た時にはすっかり陽は落ちた5時過ぎ。ここからは約20kmは一般道を進む。ナビより正確?な私の勘ナビどおり6時には到着するだろう。
さすがの国道50号は夕方ということで少し混んでいたが給油をしたにもかかわらず予定どおり佐野市街へ。・・がナビでは市街のはずだけど土曜の夜にもかかわらず淋しく暗い。佐野は日光の帰りに寄ったアウトレットのイメージがあって、とにかくデカく、人混がすごいという印象があったので、そのギャップが大きすぎる!
佐野駅前のみがやや明るいが、果たして・・ほどなく今日の会場である"ダイニングバー ケン"へ到着。場所を確認してまずは佐野ラーメンで腹ごなしでも。しかし、暗い市街で佐野ラーメンのお店がなかなかみつからない・・
※会場のDining Bar KEN そしてやっと見つけた佐野ラーメンのお店
さて、いよいよ会場へ。
会場の入り口でポスターの写真を撮っていたら、Uさんに声をかけられた。今日の写真班とのこと。なぜかこへさんも外で待機されていた。ご挨拶をして中へ、すでに会場は満席状態。右端後寄りの通路側を確保した。
今日はオープニングアクトは井上ともやすさん。あることで有名な方だが、今年5月には石橋楽器でこへさんとの対談がYouTubeにアップされている。
はじめに結論めいたことを書けば、前回レポの静岡でも感じたが、最早六文銭'09のライブは音楽の域を越えている。日本の伝統芸能の伝承とも言える変幻自在に"場"と"オーディエンス"に合わせシナリオ/演出がどんどん変化していく醍醐味、正に五感で味わうライブであることを再認識させられた。
大きな会場ならそれに合わせ、オーディエンスの認知度、熟成度に合わせ、かと言って決して擦り寄ったり、おもねたりするのではなく、もともとのパフォーマンスをいろいろな形で披露していただける。その意味でも、見続けることになんら戸惑いはなく、思わず"そうきたか?"”へ~、そんな手法もあったのか”といつも新鮮に感じ取ることができる。
その意味でも、小室さんにもお願いしたのだけれど、是非ともこのパフォーマンスを音源だけでなく、映像というかMCまで含めたライブ盤として残して欲しいと思わざるを得ない。
話がそれるが、MJの死去で一躍時の人になった西寺郷太さんじゃないが、いつか六文銭の語り部として、そのすばらしさをより多くの方に伝えることができるといいなと思う・・(無論、この記事もそんな風に役立てばと思ってはいるけれど)
さて、本題へ。プログラムではオープニングアクトとしての井上さんだったが、実際には45分、六文銭'09と2本立のようだ。
8時から登場した六文銭'09は1部構成。多分、いつもより何曲かは少なくなる予感が。
小室さんの軽妙なオープニングトークは夕食のお蕎麦の話から。そのおいしさと量の多さに食べ過ぎたと。突然、聞き慣れたイントロが響く"無題"。するとこへさんに続き小室さんも、そしてそれにつられるようにおけいさん、ゆいさんもステージ前に降りてくる。PA関係無しの生音、生歌でライブがスタートした。
そのまま、こへさんをステージ下に残して"雨が空から降れば"。この歌、当然こへさんメインの歌だがPA無しでなんと私の真横まで歌いながら歩いてきた。この時点でアナログのサラウンドライブとなっている。
続けざまにこへさんもステージに戻って”夏・二人で"が完成されたハーモニーで流れ、その軽やかさをぶち壊すように,再び全員がステージ下に降りて"ゲンシバクダンのうた"体全体で表現するように歌う。
ようやく、ここで曲紹介。放送禁止歌の定義をやりとりしながら、"こっちの方が時代を考えたらよっぽど過激だ"と話ながら"サーカス"を。
いつもの小室さんとこへさんのキーの探り合い、かけひきを経て"街と飛行船"へと続いていく。前にも書いたけど,完全に昔のテンポに戻っているような、それでいてゆいさんが加わってますます厚みのでたハーモニーが魅力的な歌だ。
さらにたたみかけるように、こへさんがステージを降りて"面影橋から"を再び私の真横まで歩きながら熱唱する。すると小室さんまでこへさんを追いかけるように降りてきた。もはや、六文銭'09にステージやPAは不要なのかも知れない。あるいは会場全体がひとつのステージなのか?
ここでまた一息、曲の紹介と、小室さんが思わず"俺たち、これで流しができるよな!"で会場大爆笑。
おけいさんがMCを受け取って曲紹介を。すかさずこへさんがおとのばと初恋を掲げる。こへさんは"おけいらしい初恋のイメージで"と語った"初恋"を。
ちょっとしたハプニングは小室さんんもCDの中の"シアワセになれる天才"を気に入られたようで"いつか六文銭'09でもやりたいな"とおっしゃっていた。
続いて"引き潮"を。ところが高音部のサビの部分で小室さんがストップ。寒暖の差なのか、少し体調不良気味ということでエアコンを切って再度スタートした。再びこへさんはステージ下でサラウンド体制に。
再びおけいさんの曲紹介で"一緒に帰ろう"を、続いてゆいさんが12月に発売されるラニヤップとしてのCDのご紹介。その中の曲ではないがおとのばに収録されている"大きなグミの木の上で"をジャギーに歌う。
さて、もうエンディングに近づいている。
小室さんが"嫌な奴でもいい曲ができる"と笑わせたこへさんが創った"命返す日"とエンディング曲として,同じく死者、その瞬間を表現したと言われる"12階建てのバス"でショートバージョンのライブが終了した。
当然のアンコールはいつもの"出発の歌"。ここで想定外の栗蒸饅頭の差し入れがあり、多分予定されたサーカスゲームをカットして、出発の歌のサビを繰り返して終了した。
終了後は即席サイン会~打ち上げと続いたが、シンデレラよろしく夜が明けない内に帰るため打ち上げの一部のみ参加して,皆さんにご挨拶をして後髪を引かれながら会場を後にした。
さて、再び450kmのドライブ。睡魔が襲う前に少しでも近づこうとノンストップで走ることにする。ナビは相変わらず朝4時半着を予想している。
なんとかノンストップなら3時には着こうと行きの2割増のスピードで、車両は1/100位しかない暗闇の高速をひた走る。山間部を抜ける行程だから,昼間とは逆にトンネル内部の明るさが妙に印象的だった。
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10月の3連休の中日である11日、六文銭'09は静岡にいた。
前日の10日(本当は体育の日は東京オリンピックの開催日、晴れの特異日でもあるこの日が正当なのだけど・・)に隣街の焼津でのジョイントLIVEを終えた足での移動ということになる。
昔からこの静岡は、マーケティングの世界ではテストマーケティングの聖地と言われ、多くのメーカーが全国展開を前に新商品の顧客の反応を掴もうとする地という意味では日本の標準という気質の地でもある。都会と田舎が日本の縮図のように絡み合った街なのだろう。ただ、平成の大合併で今や旧清水市まで呑み込んだ70万都市、県庁所在地ではあるが、それでも静岡県内では浜松市についで2番目だという。
今回の会場MHUは静岡駅や県庁にも近いそんな静岡市の繁華街のど真ん中、この日も近くの公園では大きなステージが組まれお祭のようにいろんなパフォーマンスが繰り広げられていた。同時に夕刻には公園の街路樹にムクドリの大集団だろうか、真夏の蝉のような大合唱が飛び交う不思議な空間でもある。
この日、お知り合い方の知人の方は初六文銭'09(1週間程前に小室さんとこへさんのジョイントを体験された由)とのことで"六文銭ソングブック"を持参しての参戦である。(20歳のおけいさんの今とは違う意味での美しい写真満載、半分が写真集のような楽譜本だった。欲しいなあ~)
こうして当然のように体育の日の由来を知るオーディエンスが大半の中、O.Aの若い(あくまで比較の上で)3人組(お名前は聞き取れなかったがEギター、ギター、ウッドベース<女性!>)が見えたこともあるのか若いオーディエンスも混じる構成である。彼らの歌もさることながら、間の悪いというか、微妙な噛み合わなさ、観念的な物言いはある面六文銭にも通じるものがあると言えば、失礼だろうか?(笑)
20時を過ぎていよいよ六文銭'09のライブがスタートする。
何故かこへさんが現れない。しばらくしてこへさんもステージへ。
チューニングを終えて待っていた小室さんが徐に昨夜のライブの話を始める。
話始めて途中でやめたと思ったら突然"こうへいがチューニングすると思って,何か話しなくちゃいけないと思って話したんだけど、いいのか?”と。
実はこへさんはステージに上がるやいなやギターをかかえてスタンバイ状態。小室さんの問いかけに"なんで?"というすましたサインを送る間もなく、正に間髪を入れずに"夏・二人で"がスタート。そして1曲目の拍手も終わらぬ内に"雨が空から降れば"のイントロが始まっていく。
さてこのユニットはどう表現すればいいのだろう?
個々で見ればそれぞれが優れたミュージシャン、アーティストである。当然ユニットとしても類いまれなハーモニーは音楽のジャンルを問わず他の追随を許さない。しかしである、だから1音楽ユニットという枠に収まるのだろうか?答は否である。この日披露された都合19曲の内、初めて聴く曲は1曲もない。しいて言えば、おけいさんのソロCD内の曲をユニットとしてのアレンジした形のものだけだ。しかし1曲として前と同じものはないような気がする。それは決してライブ用に軽くしたものではない。毎回新しく,新鮮な曲として響いてくる。否、それだけではなく、通常前半,後半と分けられる約9曲から10数曲全体でひとつのパフォーマンスとしてオーディエンスに問いかけてくるような気がする。
オペラのような、ミュージカルのようなとも微妙に違い、その場の空気感、オーディエンスの熟成度、無論ユニットメンバーの体調までも含め変幻自在に繰り広げられるそのパフォーマンスは音だけしか伝わらないCDに収まるものとは思えない。
ある時はやさしくつま弾くスリーフィンガーから、65歳とは思えぬ体全体でリスムを取りながらかき鳴らされる力強い小室さんのギター。
時としてステージを離れてもサラウンドのように客席側からでも響き渡るこへさんのヴォーカル。
まるで姉妹のようなユニゾンを響かせたり、メインヴォーカルを引き立たたせるようにステージ上の立ち位置を変えるゆいさん、そしておけいさん。更にはダンシングユニットのように時としてボディパーカッションやステップは美しさだけではない魅力をこのユニットに付加していく。
更にはそれぞれの個性が、良質のお笑いユニットのように4人が攻守を変えて惚けと突っ込みを繰り返していく。
その上での、小室さんをして"今のは良かった。余計な話をせずにそのままの勢いで歌っていきたい"と言い切れる一瞬一瞬の真剣勝負を続ける気概とこへさんを中心とした駆け引きは、多分幸運なその場にいる者だけに許される至福の空間なのだと思う。
大袈裟ではなく無形文化財のような存在と言えば一番近い表現かも知れない。
確かにその場に立ち会えない多くのファンにとってはCDはひとつの手がかりかも知れないが、このユニットの本質に触れるためには、やはり生の六文銭'09のステージの空気に触れなくてはならないと考えた。
そして、そのチャンスはいつまでも続くものでないことを、ファンであれば自覚しなくてはならないだろう。
ライブを前にすれば、二つのCD、二つのデビューアルバムで六文銭に触れたと嘯くことは決して許されないことだと、あえて宣言しておこう。
さて途中となったが、2曲を終わるとおけいさんとゆいさんの様子がおかしい。譜面台を覗きこみながら、ついにはおけいさんがステージを降りて控え室の方へ・・。
譜面を持って戻ったおけいさんを迎えて、次の曲の紹介でユニット誕生の過程を紹介してきた小室さんがすかさず、O.Aの皆さんの物言いを真似して"楽屋に言葉を忘れてきたんだよ"って笑いを誘う。そして忘れてきた譜面とは、おけいさんのために書きおこされた"ただあたたかくカラッポに"。
演奏を終わってすぐ、小室さんが突然"世の中には取り返しのつかないことがあってさ"と話された後、"出来るならもう1回やり直したい"とつぶやく。ゆいさんが"おけいちゃんは偉いね。それでもちゃんと歌うもの"と返し、"じゃ、その憂さ晴らしの意味で"と"ゲンシバクダンのうた"が始まる。
ここでこへさんはギターを抱えたまま客席へ、そしてエンディングになっても帰ってこない。おけいさんがコーラスにかぶせて"帰ってきて"と叫ぶ。なんとも自由な、それさえもト書きにあるようにステージは進んでいく。
こへさんが戻った後、畳みかけるように"おしっこ""戦場はさみしい"そして中也の"サーカス"と反戦を意識した曲がメドレーのように続いていく。
前半のステージもいよいよ終盤に入っていき、こへさんの拍手のタイミングの注文が入っての"面影橋から"が、更にしかけはエンディングで小室さんとの駆け引きが続き、
いよいよ前半最後は、最近とみにテンポがアップしたような"街と飛行船"で、前半のステージを終了した。
すでに今回の本題は書いてしまったので、後半は当日の様子を振り返る意味で。
後半スタートはゆいさんフィーチャーで"ほんとさ"でジャギーにスタートし、こへさんがほぼ30年以上前に作った"木の椅子”、ゆいさんとおけいさんのユニゾンが楽しい。ここでもいろんな駆け引きをおけいさんが引き取る感じで、ご自身の初CDのタイトル曲"初恋"と続いていく。
それでも続くやりとりを打ち切るように小室さんの"引き潮"の伸びやかなヴォーカルが空気を変えていく。
更には雨が空から降ればや私はスパイの原点のような、全体がひとつの音楽劇のような"ヒゲのはえたスパイ"でユニットとしての力量をオーディエンスに決定づけていく。
再びさがゆきさんの"大きなグミの木の上で"でステージは一段と華やいだのち、"命かえす日"でしっとりと。
そして後半最後の曲は六文銭ソングブックの装丁やキングサーモンのジャケットデザインも手がけた小島武さんの作詞で,ある面幻の曲でもあった"12階建てのバス"で勧進帳のようなステージは終了した。
定番のアンコールは"サーカスゲーム"そしておけいさんのヴォーカルで蘇った"出発の歌",そしてサプライズはダブルアンコールとして"無題"で締めくくられた。
その場に居合わせた幸運はオーディエンスに祝福を。
そして,最後にもう一度、すばらしいCDではあるけれど、そのCDは六文銭'09の魅力のひとかけらでしかないことをあらためて宣言しておこう。
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夏のなごりのような金曜日の夜、久しぶりの六本木。
昨年の10月以来のKNOB、ゆったりナイト。
考えてみるとこの1年足らずの間にリーマンショックがあり、
見かけの好景気が一転、未曾有の不景気が日本中を覆っていた。
ある面、象徴的な晴れの『場』である六本木も大きく様変わりしていたのかも知れない。
おけいさんにとっては前回のKNOB以降、
下降気味の世の中とは対照的に、まる六から六文銭'09へ、おとのばの発売、
何より待望のソロCD発売と、再び歌の世界へ戻られてから最も変化とお忙しい1年であったような気がする。
そんな中、サポートギタリストが一晃さんに変わって以来、
SQUAREを除く東京でのソロライブも恵比寿駅前バーでの開催が多くなったりして、いろんな意味で、久しぶりのKNOBでのソロライブの夜だった。
KNOBおなじみのレイトショーの雰囲気の中、
真っ赤なシャツに今日は暑いからということで、おなじみのキャップ無しで一晃さんがスタンバイ、
おけいさんは黒のスリムなパンツに麻素材の白い涼しげな素材のチェニック?の出で立ち、と相変わらずスタイリッシュだ。
タイトルどおり、いつものようにゆったりとスタートしていく。
今や少し懐かしい感じで"はじまりはじまる"が最初の曲だった。
リクエストがあったという六文銭時代の歌"この大空に捨ててしまおう"と続く。
おとのばから"一緒に帰ろう"そして"木の椅子"の2曲を。
FJの様子、特に一晃さんのご活躍のMCを交えながら進んでいく。
今夜のセットリストは前回のKNOBからの1年間を辿るように、前半はオリジナルCDに至るまでの過去のソロライブのレパートリーを辿っていくように感じた。
ご自身でも久しぶりにと言って始まった"青春の輝き"。この辺りからアレンジも含めて一晃さんのギターテクニックが冴え渡っていく。
同じように久しぶり、多分彼のギターでははじめての"誰かが星を見ていた"と個人的には聞きたかった曲が続いていく。
そして前半の締めくくりは、こちらも久しぶりの武満さんの曲、”小さな空"そして後半に繋げるように"私の青空"でしばしの休息となった。
後半はいろいろあって?オーディエンス席にみえた常富さんを加えてスタートしていく。
CDからだけどCDバージョンとは違う本来のアレンジに近い形の"うれしくて"からタイトル曲でもある"初恋"で旬なおけいさんを表現していく。
再び一晃さんだけのサポートに戻って"君のために"を。
続いては香真良さんの曲を2曲。
意外だったのは大好きな"しずかな雨"が曲先だったらしいこと。
そしてアップテンポの"かざぐるま"とCDにも収録された香真良ワールドを満喫する。
ここで再び常富さんが呼び込まれ、
CDバージョン風の”春の風が吹いていたら"。伽草子を知るファンにとってはこのバージョンの方が腹に落ちるのかも知れない。ただ個人的には、ソロとして聞いた凛としたバージョンの方が心に滲みるような気がする。
オーラスに向かっての曲は,おけいさん曰く今の気持ちをこへさんが詞にしてくれたとおっしゃる"ささやかでも愛の歌",そしてラストはこの曲同様に常富さん作曲の"旅の途中"でゆったりナイトの夜は更けていった。
アンコールは定番の"インドの街を象にのって"で。
久しぶりのKNOB、常連さんを中心に開催されるこのライブは、まさにおけいさんファミリーのためのライブの雰囲気に包まれていた。
いずれにしてもソロCD発売とは対照的に
ソロライブのスケジュールが少ない中、貴重な、そして有意義な六本木の夜だった。
会場を後にして出たアマンドが改装中の六本木交差点は、生暖かい夜の空気同様に昼間よりも遥かに多い人息に溢れていた。
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